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将来の疾病リスクを可視化できる施策を推進
熊本県・荒尾市に見るデジタルヘルスケアのポイントとは?

 住民の健康寿命を延伸してまちに活力を与え、医療・介護保険財政を維持すること――。これは、あらゆる自治体にとって重要なテーマだといえるだろう。こうした観点から熊本県・荒尾市では、「フォーネスビジュアス(※)」を導入。住民が健康で生き生きとした日常生活を自立して過ごせる期間を延ばすことで、社会保障制度の持続を目指した健康施策を展開している。9月22日に行われたNEC Visionary Week 2023 内のセッションでは、同市の浅田 敏彦市長を迎え、市民一人ひとりが生活習慣改善に取り組める「発症前の備えの重要性」や「組織経営の視点からの健康投資の価値」について意見が交わされた。ここではその内容について紹介したい。

  • NECグループのフォーネスライフ社が提供する、将来の疾病リスクを可視化できるサービス。詳細は後述

社会の持続性を高める健康寿命の延伸

 総務省のデータによると、2030年には我が国の3人に1人が65歳以上となる見込みだ。超高齢社会では、高齢者はもちろん国民全体の重篤な疾病の発症を抑え、健康寿命を延伸することが重要となる。健康な住民が増えれば、自治体の医療・介護保険の負担は軽減し、その医療・福祉財源への懸念は減る。

 こうした考えのもと、市民の健康維持・向上を促進しようとしている自治体も少なくない。熊本県北西部、福岡県との県境に位置する荒尾市はその1つだ。

 「人口約5万の当市も少子高齢化の課題に直面していますが、美しい自然と都市機能がバランスよく整っており、『暮らしたいまち日本一』になるという大きな目標を抱いています。しかし、その実現には、限られた財源を有効に使って市民の健康を維持し、将来を見据えた医療・介護対策が必要だと考えています」と話すのは、荒尾市長の浅田 敏彦氏だ。

熊本県 荒尾市
市長
浅田 敏彦氏

荒尾市で先進的なヘルスケア施策がスタート

 いかにして住民のウェルネスの向上と医療・介護費の適正化を図るか――。この実現に向け荒尾市では、目玉となる施策として2023年度より3つのヘルスケア施策を実行している。これらの施策とは、定期健診データをAIで分析して導いた健診結果予測モデルから将来の健康状態を可視化する「NEC健康結果予測シミュレーション」、各種疾病のリスクを予測する検査を行うとともに、一人ひとりの生活習慣改善をサポートする「フォーネスビジュアス」、そして市民の医療情報やおくすり手帳などのデータを家族単位で一元的に管理できるようにする「電子版 あらお健康手帳」の導入である。

生活習慣に起因する疾患の医療給付費が特に高い傾向にある荒尾市民の健康課題解決に向けた先進的なサービスを提供している

 もともと荒尾市には、デジタルの力で都市の快適性や利便性を高め、誰もが心身ともに健康な状態で幸せを感じながら暮らせるまちづくりを目指す「荒尾ウェルビーイングスマートシティ構想」がある。その推進母体となっているのが、官民連携の「あらおスマートシティ推進協議会」だ。

 「地域の抱える問題は多岐にわたり、課題もめまぐるしく変化するため、行政の力で対応するのは困難です。そこで産学官連携でパートナーシップを組み、民間事業者や教育機関の幅広いサポートを受けながら取り組みを進めています」(浅田氏)。

血中のタンパク質を解析して将来の疾病リスクを予測

 荒尾市の共創相手の1社がNECである。NECは「2025中期経営計画」において、ヘルスケア・ライフサイエンス事業を「社会価値創造へ向けた成長事業の中核」として位置づけ、その体制を整えている。

 「2023年には、社内に点在していたヘルスケア・ライフサイエンス関連事業を『ヘルスケア・ライフサイエンス事業部門』に集約し、ライフサポート領域に注力する体制を整えました。『live as you あなたを知り、あなたらしく選ぶ』という事業コンセプトには、『あなたらしく生きてほしい。そのために、あなた自身が健康を管理し、あなた自身の状態を知り、あなた自身が治療の方法を選べる未来を実現したい』という想いが込められています。そのためにはNECが得意とするAIの活用やデータ分析がキーになると考えています」とNECの北瀬 聖光は説明する。

NEC
SVP 兼 ヘルスケア・ライフサイエンス事業部門長
北瀬 聖光

 このような考えのもと、NECでは最先端のデジタル技術を活用した新しいヘルスケアサービスを次々と創出している。血中タンパク質から健康状態や疾病リスクを可視化する「フォーネスビジュアス検査」はその1つだ。これは米国SomaLogic社の血中タンパク質の解析技術と国内の大学の研究者の研究成果に、NECグループのAI・解析技術を組み合わせることで、現在の健康状態と将来の疾病リスクを分かりやすく数字で示すサービス。NECグループのフォーネスライフ社とNECソリューションイノベータが全国各地の取り扱い医療機関を通じて個人・法人に提供している。

 体の状態変化は、血中のタンパク質を調べることでかなり正確に分かる。この検査では少量の血液から約 7000 種類ものタンパク質を一度に解析し、脳卒中、脳梗塞、心筋梗塞、心不全、慢性腎不全の4年以内発症リスク、肺がんの5年以内の発症リスク、20年以内(65歳以上の人は5年以内)の認知症発症リスクなどをパーセンテージで提示。生活習慣などで刻々と変化するタンパク質の様子を測定することで、“今”実際に抱えている疾病の発症リスクを捉えられるのが特長だ(※)。

  • 医療機関にて採取した血液は、SomaLogic社独自技術で解析するためにフォーネスライフ社が所有する登録衛生研究所から超低温環境で米国へ空輸。なお「5年以内の認知症発症リスク」の検査項目は、NECソリューションイノベータ、名古屋大学、国立長寿医療研究センターとの共同研究や専門医などの評価を受けて、日本人への適用の妥当性を確認している。
認知症、心筋梗塞・脳卒中、肺がん、慢性腎不全などの発症リスクをパーセンテージで分かりやすく提示することで、生活習慣改善への動機づけをする

 「重要なのは検査を受けたあと、発症リスクの低い方は引き続き健康維持に努め、ハイリスクの方は生活習慣の改善に取り組むことです。フォーネスビジュアスには、ベテラン保健師との対面によるフォーネスビジュアス検査結果報告書の解説や健康相談と、生活習慣改善に役立つ健康改善メニューなどが提供されるコンシェルジュサービスにスマホアプリサービスを付帯します。検査を定期的に継続して疾病リスクの推移や健康改善の結果を確認することで、その効果はいっそう高まると考えています」とフォーネスライフ社の江川 尚人は語る。

フォーネスライフ社株式会社
代表取締役CEO
江川 尚人

 疾病対策において肝心なのは早期発見だが、フォーネスビジュアスは病気になる前の段階で、発症を防止するための生活習慣改善を促す。多くの国民が日頃からこうしたリスクコントロールを行うことが一般的になれば、ウェルネスの向上と医療・介護費の適正化を実現できるはずだ。

一人ひとりに最適な生活習慣改善メニューを提案

 自治体として初の導入事例となった荒尾市のフォーネスビジュアス検査は、希望した40~70代を中心とする荒尾市民を対象として、2023年3月に荒尾市民病院で実施された。

  • こんな少ない量(の採血)で認知症とか心疾患とか脳梗塞がわかるのが素晴らしい
  • 健康診断で糖尿病と診断され、自身の身体に不安がある。新しい技術、未来の技術で病気が予測できるなら、とても嬉しい
  • 家族や兄弟など周りでも病気で亡くなる人が多い。事前に病気が分かることで、予防に繋げることができるのは素晴らしいと思う。もっとこの取り組みを広げてほしい
  • 大好きなゴルフを80歳になっても続けたい。そのためには今の自分の状態を知り、健康を維持したい

 検査を受けた方たちからはこのように、市が提供するヘルスケアサービスを歓迎する多くの声があがっている。

 「人は生活習慣を改めたいと思っても、なかなか実行に移せないものです。個々の市民の健康状態や将来の発症リスクを可視化することで改善行動を触発できるのは、まさにデジタルならではの力ではないでしょうか」と、本セッションのモデレータを務めた国際社会経済研究所の藤沢 久美氏は話す。

株式会社国際社会経済研究所
理事長
藤沢 久美氏

 これに対して浅田氏は、「生活スタイルや体力などが異なる『一人ひとり』に見合った注意喚起やメニューを提供できるのがこのヘルスケア事業の特色です。『これなら自分にもできる』、『またやってみたい』と思っていただくことで効果的に行動変容に導くスマホアプリは今後さらに拡充したいと考えており、多彩なサービスメニューの提供に向けてより多くの企業がこの事業にコミットしてくれることを望みます」と述べた。

 荒尾市民の検査データは重要な管理が求められる個人情報であるため、荒尾市はその管理に厳格なセキュリティ対策を施している。これについて北瀬は、「最近は海外からのサイバー攻撃も増えており、思わぬ被害を受けることもあります。個人情報は漏えいが起きないよう、適正な取り扱いを定めた法律があります。NECにはセキュリティの専門チームがあり、最新情報に基づく対策を講じることができるので、そうした面でもご支援していきたい」と語る。

財政状況に応じた事業モデルを選択可能

 講演では、藤沢氏が「ヘルスケア対策に要するコストの問題」について疑問を投げかけた。荒尾市が推進する施策は、将来的には医療・介護費の支出を小さくすることが期待できるが、投資対効果が現れるまでこの施策を続けることは、財政にとって負担とならないのだろうか。浅田氏はこの課題について、「取り組みの初年度は国のデジタル田園都市構想交付金で費用を賄っていますが、次年度以降も持続するには事業モデルを工夫する必要があると考えています」と話す。

 浅田氏が語るように、市民向けのヘルスケア対策を多くの地方自治体に普及させるには、それぞれの財政状況に応じた柔軟な契約形態が必要だ。そこで、フォーネスライフ社は3つのモデルを提供できるよう準備を進めている。1つは現在の荒尾市が採っているような、国の補助金利用などで財源を確保する自治体受託モデルPPP(Public Private Partnership)、2つ目がサービス利用の成果に応じて対価を支払う成果報酬型モデルPFS(Pay For Success)、そして3つ目が地元金融機関等の協力を得て初期投資をインパクトファイナンスで代替する成果報酬型モデルSIB(Social Impact Bond)だ。

自治体の医療・介護費の削減に直結するアウトカム指標を定めた成果連動型のスキームの導入も検討されている

 「フォーネスビジュアス検査で示される疾病の発症リスク低下や、実際の発症率低下などをアウトカム指標として、それに連動するかたちで弊社らへの報酬が発生する仕組みにすれば、自治体財政に大きな負担をかけずに新しい健康政策に取り組んでいただけると思います」と江川氏は話す。荒尾市も成果報酬型モデルSIBへの変更を検討しているという。

 医療機関を通じての疾患リスク予測検査を活用した生活習慣改善の施策は、荒尾市に続き、宮城県大崎市と東北大学、愛媛県今治市と愛媛大学が産官学連携で取り組む予定で、今後さらに多くの自治体に波及していくことが期待される。

 「2024年度以降は国内のみならず、フォーネスビジュアス事業をインド/ASEAN地域に展開することも計画しており、私たちは独自のタンパク質解析技術を強みとして、検査と介入の両面でアジアの人々の健康維持にも貢献したいと考えています」(北瀬)。

 長年にわたる医療機関へのシステムを提供してきたプロフェッショナルとして、自分らしく生きられる社会の実現に向けたNECのチャレンジは続いていく。