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世界初!可視化技術「ミュオグラフィ」の海域展開が防災、資源開発の常識を変える

 世界に先駆けた、画期的な実証実験が東京湾で行われている。素粒子による可視化技術「ミュオグラフィ」を使い、海底、波浪といった海の様子を、海底から透視画像化しようとする取り組みが東京大学とNECの産学連携によって進められているのだ。この実証実験の狙いはどこにあるのか。技術が確立されたら、社会は、世界はどんなベネフィットを得ることができるのか。海流・海底の調査、防災、資源開発をはじめ、さまざまな可能性を秘めた「ミュオグラフィ」について、東京大学とNEC、それぞれのキーパーソンに話を聞いた。

火山の透視もできる宇宙に由来する素粒子(ミューオン)が持つ可能性とは

 世界に通用する日本発のイノベーションをいかに創出するか。これは日本の成長戦略、未来像を描く上でも重要な視点だといえるだろう。その実現に欠かせないのが、最先端研究、行政、産業をつなぐ新しい研究インフラだ。

東京大学
国際ミュオグラフィ連携研究機構 機構長 教授
田中 宏幸 氏

 もちろん、産学官の連携は以前から進められている。しかし、今求められているのは、複雑化・多様化する社会課題の解決に向けて、より実効性の高いイノベーションを生む、未来志向の研究インフラである。このことについて東京大学 国際ミュオグラフィ連携研究機構 教授 田中 宏幸氏は次のように語る。

 「大学は学問を究める場であり、突き詰めるほど専門性が高まります。そうした姿勢も、“究める”という意味では正しいのですが、今後は、研究を現代社会が直面する課題解決にどうつなげるかという、公共性の視点がより強く求められていくはずです。研究を究めながら、社会課題の解決に活かす。あるいは研究成果に基づいて新たな産業を生み出したり、企業などの最前線で活躍する若手技術者を育成したりする、といったことはその一例です」

 ミュオグラフィを高度化する研究インフラとして必要になるのが、NEWCUTラボ※1や火山などで展開する実験観測設備に加え、そこで得られるデータを世界の研究者へとつないでいくHPC(ハイパフォーマンス コンピューティング)、大規模ストレージである。実空間で得られたデータはサイバー空間内で共有され、国際的なデータ駆動型サイエンスを進める。これを可能にしているのがVMI(Virtual Muography Institute/国際ミュオグラフィ研究所)だ。VMIは11カ国34機関(民間セクターは11機関)が参加する仮想研究所で、関連するインフラを共有することにより、センサーモジュールの解析手法の標準化やオープンサイエンスを志向していくという。

 それでは新しい研究インフラのキーワードとなっている「ミュオグラフィ」とは何なのか。簡単にいえば、宇宙に由来する素粒子(ミューオン)を利用した可視化技術のこと。ミューオンは、超新星爆発などで加速した粒子が地球に届き、大気中の原子核と衝突して生まれる素粒子で、数キロメートルの岩盤を通り抜けるほどの貫通力を持つ。医療用のレントゲン撮影は、X線が骨で止まるため画像化が可能になるが、ミューオンも密度の高い岩盤などでは透過しにくくなるため、その透過率の違いを基に内部構造を画像として再現するわけだ。

ミューオンという透過率の高い素粒子を使い、物体内部をレントゲン写真のように投影撮像する可視化技術「ミュオグラフィ」。技術の進化によって火山のような大規模構造体の可視化にも成功しており、さまざまな領域での応用も進む、注目すべき新技術だ※2

 ミュオグラフィの課題は解像度、ディテクター(検出装置)のサイズ、コストなどだったが、21世紀に入って技術革新が進み、2006年には、田中氏らの研究チームが、世界で初めて火山(浅間山)の透視撮影に成功している。以降、エジブト・ギザの3大ピラミッド、メルトダウンを起こした福島第一原発の内部透視、砂防堰堤、古墳内部の調査など、さまざまな領域で応用が進んでいる。さらに近年はAIと組み合わせ、火山の噴火予測なども行っているという。

 「桜島の山頂付近の透視画像をAIに学習させ、噴火予測を行いました。これは、東京大学医学部附属病院の協力を得て、医療用のレントゲン撮影技術を火山の透視に応用しており、異分野をつなぐ研究インフラづくりの事例の1つといえるでしょう。今後はイタリアでの火山透視の実証実験も予定しています。AIと組み合わせることで噴火予測技術を高度化させ、将来的には防災に関する情報提供を実現したいと考えています」(田中氏)

  • ※1: ミューオンフラックスの詳細なデータを集め、世界標準のデータを作成することを目的として設立された研究拠点。東京大学、NEC、電力中央研究所、ハンガリー科学アカデミーが共同で開設。
    https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/en/articles/z0508_00022.html別ウィンドウで開きます
  • ※2: ミュオグラフィについての以前の記事はこちら

世界初!ミュオグラフィの海域展開で見えるもの

 地球物理学的センシングにはいくつかの手法があるが、ミュオグラフィの優位性の1つはパッシブ(受動的)なモニタリングが可能なことだ。ミューオンは地表にまんべんなく降り注ぐため、ディテクターを設置しておくだけで、地球上のどこででも一定範囲、一定期間のモニタリングが可能になる。つまり、計測のためのエネルギー源が必要なく、モニタリングの期間が長くなるほど、費用対効果が上がっていくわけだ。

 次に、日本で開発した装置、手法を世界に展開できるというユビキタス性(遍在性)も大きなポイントだ。さらにミューオンの透過性が高く大規模な対象にも適用できることや、通過経路がどこを通ってきたかが明確に分かる点も優位性として挙げられるという。研究領域としての期待値も高く、日本学術会議が策定するマスタープランにも、ミュオグラフィは選ばれている。

 こうした優位性を持つミュオグラフィの新たな展開として、現在のホットスポットといえるのが海域である。田中氏らの研究グループとNECが中心となり、東京湾海底下で素粒子を測定するという世界初※3の挑戦を行っているからだ。

 これまでミュオグラフィの実績は火山、原発をはじめ、すべて陸域での測定に限られてきた。これを海域に展開するわけだ。防災や資源開発などへの応用を目指しているが、なぜ、これまで世界の誰も挑んで来なかったのだろうか。

 「まず、世界的に海底下で素粒子測定を行った事例は有りません。海底での素粒子測定はこれまで2例ありますが、いずれも大規模素粒子実験です。海底に素粒子検出器を設置するには、例えば耐圧容器に入れるなど、地上に比べてはるかに莫大なコストがかかります。更に海底下となると海底に孔を掘ってその中に検出器を入れる必要が有ります。一方で、海洋ミュオグラフィのポテンシャル(潜在的な可能性)が現時点では定量化できていないため、大規模な投資ができない事が理由です。この研究インフラをVMIと接続する事でそのポテンシャルを定量化し、ミュオグラフィ研究に参画する研究者を増やすことでミュオグラフィ研究者の多様性を上げ、さらなるセンサーモジュールの解析手法の標準化を促したい」と田中氏は語る。

 しかし、海域でミュオグラフィを展開できれば、将来、社会実装の幅が大きく広がるのは間違いない。そこで、田中氏らが着目したのが東京湾アクアラインだ。神奈川から千葉間の海底トンネルに、海底ミュオグラフィセンサーアレイ(以下、HKMSDD=Hyper KiloMetric Submarine Deep Detector)の一部を100mに渡って設置。これにより、ミューオンの到達数を時間ごとに計測することで、海水の厚み、つまり海水準がどう変動するか(天文潮位)のリアルタイム測定に成功したのだ。

 「従来のディテクターは小さいものでも幅400mmでしたが、十分なスペースを確保できないケースもあるため、小型化が喫緊の課題でした。そこで、ハンガリー科学アカデミー・ウィグナー物理学研究センターとの協力で、幅70mmまでの小型化に成功し、NECが測定評価を行っています。HKMSDDは、その構造上、センサーモジュールを足し続けることが可能で、2021年度中には長さ1kmに拡張する予定です」(田中氏)

東京湾アクアラインのトンネル内に設置した機器(左:ミューオン検出器、右:計測装置) ミュオグラフィの実証実験は陸域で行われてきたが、東京大学国際ミュオグラフィ連携研究機構は、東京湾アクアラインの海底トンネルに観測器を設置し、海域への応用を始めている。地震時の津波予測などの防災のほか、ガス田の調査などエネルギー開発面でも注目度は極めて高い

 それでは、ミュオグラフィを海域で展開することで何が明らかになるのだろうか。1つは、東京湾海面を透過してきたミューオンを検出することによる、「海上の高波」「海水密度分布」「海底構造」などのモニタリングだ。地震による津波や高潮、台風による高波などを、東京・湾沿岸に到達する前にイメージングすることが可能になり、迅速な対策やその後の防災計画に反映できる。また、東京湾海底に眠る天然ガス資源の探査にも活用できるという。

 「南関東ガス田は、日本の天然ガス可採埋蔵量の90%以上を占めており、開発は戦前から始められました。ですが、東京湾領域は未だに調査空白域であり、どこに、どんな状態でガスが残存するのか、詳細はわかっていません。HKMSDDをより広範囲に展開できるようになれば、日本のエネルギー計画に有用な情報提供ができるはずです。また、日本だけでなく北海など海外の海底にもHKMSDDを展開することでより幅広い知見が得られます。これらは、シェフィールド大学や英国科学技術施設会議ボルビー地下実験施設と協力して進めていきたいと考えています」と田中氏は語る。

エコシステムとして機能する研究インフラが必要

 ただし、前述したようにこの構想を実現するには、やはり、異分野を連携した研究インフラが必要になる。東京大学でも、大気海洋学分野、海洋センシング分野、資源エネルギー分野、地震・火山分野などの研究者、施設がミュオグラフィに携わっている。そこにNECが参加することで、PoC(Proof of Concept/概念検証)から社会実装まで、シームレスにつながる研究インフラが完成するわけだ。

 「HKMSDDを基盤にした若手技術者の養成が可能になるでしょうし、東京湾での実証実験をふまえて、英国の北海海底トンネルへの配備、北海油田・ガス田でのモニタリングなども予定されています。国内の産学官の連携はもちろん、地球レベルでのネットワークが構築されることで、当社ができることも広がっていくのではないでしょうか」とNECの鴨志田 修は語る。

NEC
第一官公ソリューション事業部
鴨志田 修

ハード、ソフトの両面でNECに寄せられる大きな期待

 それでは、なぜ、東京大学は産学連携パートナーとして、数ある企業の中からNECを選んだのか。その理由は大きく2つあるという。

 「まず、1つ目はNECが社会課題の解決につながる手法を、さまざまな現場に提供するソリューションベンダーであること。今後、ミュオグラフィを普及させるにはディテクターの標準化が不可欠であり、そこにNECのものづくりの経験が活かされるという点を期待しました。もう1つは、世界トップクラスのAIなどのテクノロジー。こちらは、ミュオグラフィの計測結果にもとづく画像の精度向上や災害予測などに必要です」(田中氏)

 この認識はNEC側も共有している。「先端技術の社会実装は、これまで弊社がいくつも実現し、強みを活かせる部分です。ミュオグラフィに関しては、2つのディテクター(シンチレータ、ガス)の開発を進めており、ソフトウェア面に関しては、AIによるミュオグラフィ透視画像の自動診断技術の高度化にチャレンジしている。今後は田中教授らと協力しながら、運用性の向上、標準化を進めていきたい」(鴨志田)。

対象物を通過してくるミューオンの数をカウントすることで、対象物の平均密度を測定し、そのデータを基に可視化するのがミュオグラフィの基本的な原理。観測に使う機器には「原子核乾板」「シンチレータ」「ガス」の3種類がある

 ソフトウェアの面でも、NECはミュオグラフィ運用の知見を積み重ねている。ミューオンの計測を基に、地下の構造体を画像化する取り組みがその一例だ。

 「地下で計測する場合、必ずしも理想的かつ十分な計測結果が得られるわけではありません。人体のCTスキャンは360度の計測が可能ですが、地下ではそれが物理的に難しく、限られたデータから画像として再構成できるかは、機械学習、ディープラーニングにどんな制約条件を加えるかで決まります。例えば、地層に関しての事前情報があれば、パラメーターを減らすことも可能です。こうしたところに大学などからアドバイスをいだたき、当社が40年来取り組んできた画像認識の技術やノウハウ、そしてAIを組み合わせることで、ミュオグラフィの高度化に取り組んでいます」とNECの宮本 伸一は語る。

 限られた観測データからの画像化は、ミュオグラフィの進化という意味でも重要で、田中氏は「観測結果を基に一緒に考え、新たな技術開発につながるような協力関係となることも期待しています」と述べる。

NEC
セーファーシティソリューション事業部
宮本 伸一

 今後、東京大学とNECはミュオグラフィを軸に、国境を越えた研究インフラによって、あらゆるところで新しい価値、技術が生まれるエコシステムへと発展させていく計画だ。「AIを使ったイメージングはもちろんですが、ハードの電気回路の組み込み方、耐圧性にすぐれたハウジングなど、当社の経験、ノウハウが活かせる領域で、しっかりフォローしていきたいと思います」(宮本)

 最終的にミュオグラフィを社会実装するには、より多くのデータの蓄積、実証実験による実績が必要となる。「研究を進めるのはもちろん、世界に期待を持ってもらうための情報発信も積極的に行っていきたい」と田中氏は意欲的に語る。ほかの研究領域、国内外の教育・研究機関、民間企業、行政をつなぐエコシステムを構築できるか。それが、ミュオグラフィでの社会課題解決を実現するための、最も重要なポイントになるのは間違いない。