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2021年11月17日

培養肉で変わる近未来の食卓とは?
現状や実用化への課題、今後の展望を解説

 世界中の国々の生活水準が向上し、消費者の「食」に対する意識が急激に高まってきた。そして、一人ひとりの消費者が求める食のあり方は、年々、多様さを増している。生活を彩る楽しみであり、健康を維持するための糧であり、ベジタリアンやビーガンの人たちにとっては価値観の表現手段、また宗教や文化を形づくる重要な要素でもある。

 一方、食に関連した多くの社会課題も存在している。途上国のなかには、慢性的食糧不足による飢餓に苦しむ人が依然として数多くいる。先進国はあり余る食料を大量摂取することが原因で、肥満や生活習慣病が蔓延。そればかりか、消費し切ることなく廃棄する「食品ロス」が顕在化している。日本における年間の食品ロスは、なんと612万トンにもなる。

 食に対する多様な要求に応え、豊かな暮らしとサステナブル(持続可能)な社会を築くためには、農地・牧場・漁場で食料を生産し、加工、流通させるこれまでの供給システムとは異なる、新たな食料供給のシステムが求められているのかもしれない。

再生医療の研究と培養肉の研究にはシナジー効果がある

 スマート農業や植物工場、ゲノム編集による品種改良、さらには人造肉の生産……食の多様化に応えるため、さらには食料不足や食品ロスといった社会課題を解決するため、現在、テクノロジーを用いた新たな食料供給システムの確立を目指す研究開発が世界中で活発化している。食料の多くを輸入に頼っている日本でも、新たな食料を生み出す試みが数多く行われている。

 注目すべき取り組みの1つが、東京女子医科大学先端生命医科学研究所の所長・教授を務める清水達也氏のグループによる培養食肉生産システムの研究だ。清水教授らは、動物の細胞を大量培養し、それを人工的に組織化して食感のある肉に成形する技術を開発している。食肉は動物由来の食品である。このため、高度な食料技術と高度な医療技術の間の関連性が高く、相互に応用できる部分がある。

 清水氏は、「Tissue Engineering」と呼ぶ、人の細胞を材料にしてシート状に加工し、それを何枚も重ねて人体の立体的な組織や臓器を作る技術を約20年間研究してきた。そして、シートを使った再生医療は、臨床での治験が行われる段階に入っている。ここで材料を人の細胞から、培養した牛や豚、鶏の細胞などに変えれば食肉ができあがる。「培養肉をつくる技術が確立すれば、高度な医療技術にも関連する細胞培養や組織化の技術が低コスト化する可能性があります」と、清水氏はその研究の意義を語る。

東京女子医科大学先端生命医科学研究所
所長・教授
清水 達也氏

培養肉の生産は現時点でも可能、ただしハム1枚が15万円も

 細胞を培養して食肉をつくろうという発想は古くからあった。しかし、実現の可能性が見えてきたのは、医療用技術が発達し、その成果を活用できるようになった最近のことだ。「すでに、牛の細胞シートを作成し、それを重ねることで、ハムのような培養肉をつくりました」と清水氏はいう。

 培養肉の試作品は完成したが、現時点では、医療用技術では問題にならなかった課題が多く残っている。「小さなハムを1枚つくるのに15万円もコストがかかります。医療用技術ならば多少の高コストも受容できるかもしれませんが、食品ではそうはいきません。また、味は調理で手を加えられますが、食感を生み出すために欠かせない牛の筋肉の線維の再現が現時点では困難です。さらに、おいしい食肉に欠かせない脂肪細胞が適度に混じった培養肉をつくるのも、意外と難しかったりします。今後、培養食肉を実用化するためには、こうした課題を一つひとつクリアしていく必要があります」と清水氏はいう。

牛の細胞をシート状に加工し、積層して作成したハムのような培養肉
牛の細胞をシート状に加工し、積層して作成したハムのような培養肉が東京女子医科大学と早稲田大学の共同研究によって完成した

多くの企業の参画で、低コスト化への道筋が見えてきた

 細胞の培養や組織化に費やすコストが高くなる理由は、大量生産体制が整っていないからだけではない。まず、生産時に利用する材料が、極めて高価であるからだ。ただし、「2015年頃から、世界中のさまざまな企業が、培養肉の分野に注目し研究開発を推し進めるようになり、細胞培養の低コスト化の道筋が見えてきています」と清水氏は語る。培養液を低コストかつ持続可能な方法でつくるための技術開発も進められている。

 培養液には、糖分・アミノ酸・ビタミンなどの栄養素、ナトリウムやカリウムなど無機塩類といった成分が含まれている。これらはそれほど高コスト化の要因にはならない。ただし、糖分やアミノ酸は、原料としてトウモロコシやサトウキビなどの作物が原料となる。このため、培養肉をつくるのに、間接的に大量の作物を消費することになってしまう。

 また、培養液には、細胞が増えていくための増殖因子も添加されている。これには、通常、細胞の増殖が急速に進んでいる牛の胎仔の血清などが使われている。これは、コスト高の要因になると同時に、家畜を処分して得る必要があるため、培養肉を生産するそもそもの意義を損なう材料だ。

 これらの課題を解決するため、清水氏のグループは、培養液の成分を藻類でつくることで、環境負荷を低減し、どのような自然環境の地域でも持続可能な培養肉の生産を可能にする研究をしている。一方の増殖因子に関しては、「日本のベンチャー企業であるインテグリカルチャーが、動物の細胞に高性能な増殖因子を安定的につくらせる技術を開発しており、共同研究しています」(清水氏)という。

培養肉の生産システムが食に新たな価値を創出

 培養肉の生産が実用化すれば、広大な土地が不要で、環境に優しい、サステナブルかつ食料安全保障上の観点からも問題ない食料供給が実現する。その価値は極めて大きい。

 地球温暖化が進めば、作物の栽培に大きな影響が及ぶことは確実で、食糧不足が深刻化していく可能性が高まるだろう。鳥インフルエンザや豚熱など家畜の感染症が流行し、食肉の流通が止まるリスクもある。培養肉の生産システムが稼働していれば、消費地での持続的な食糧生産が可能になるだけでなく、感染症などの自然環境の危険にさらされた食肉よりも、由来が明確な細胞や培養液を使った培養肉の方が安全性は高いという見方もある。

 さらに、新しい価値を創出する可能性もある。例えば、宗教上の理由などから口にする食品の種類が制限される人たちが、より多様なモノを食べられるようになる。また、培養した細胞を一定量ストックしておき、オンデマンドで食感や味を作り分けて供給すれば、食品ロス対策としても活用できるかもしれない。ストックした細胞が余っても、栄養成分の形に簡単に戻せるので再利用しやすい。

 宇宙ステーションのような外界とは隔絶された閉鎖空間で、食料を自給自足するための手段としても利用可能だ。米国で再び月に人を送り込む「アルテミス計画」が始動するなど、宇宙開発が再び加速してきている。かつて、「アポロ計画」が半導体やコンピュータ、新材料など多くの技術の産業化の礎を作ったのと同様に、新たな宇宙開発の進展が、培養肉の実用化・産業化を後押しする可能性がある。

清水氏が思い描く培養肉の生産システムが実用化した未来予測
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清水氏が思い描く培養肉の生産システムが実用化した未来予測

ベンチャー企業だけでなく大企業や政府まで、実用化を見据えた取り組みが加速

 現在、今後の市場成長の可能性を見据えて、世界中で培養肉生産の実用化・産業化に向けた技術開発を競っている。参入企業は、指数関数的に増える傾向にある。特にシンガポールでは、2020年に世界に先駆けて培養鶏肉の販売が承認されるなど、実用化の段階に入った。日本でも、大規模細胞培養技術を開発するインテグリカルチャーや環境負荷を軽減する培養肉の生産技術を開発しているダイバースファームなど複数のベンチャー企業が生まれている。

 さらに近年では、日本の大企業も培養肉の生産技術に強い関心を寄せているという。「企業のビジネスとしての出口のイメージが明確であり、取り組みのスピードが速く、私たちの研究所を訪れる方々の情報収集にも熱気を感じます」と清水氏はいう。

 日本では、2つの大きな国家プロジェクトがある。1つは、文部科学省のプロジェクトである「将来の環境変化に対応する革新的な食料生産技術の創出」。従来の生産効率の低い穀物栽培と家畜飼育に替わる新たな食肉生産システムの実用化が可能かどうかを見極めている。もう1つは、農林水産省のムーンショットプロジェクトの「2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料産業を創出」である。こちらでは、藻類と動植物細胞を用いた、細胞培養で生じる廃液もリサイクルする仕組みを取り入れた循環型の食料生産システムの開発を目指している。

 さらに、農林水産省は、資源循環型の食料供給システムの構築などの推進を目指す「フードテック官民協議会」を立ち上げ、技術開発を支援している。実用化を見据えて、食品流通時の安全性確保の観点での培養肉の扱いについても議論が始まった。

 日本は、再生医療の分野で豊富な技術のベースがある。培養液の開発・生産で大きな存在感を持つ企業も多い。しかも、食へのこだわりが強い国民性もある。清水氏は、「日本は、技術開発と実用化に向けた取り組みに本腰を入れれば、世界をリードできる潜在能力を持っていると思います。また、新しい食文化の創出でも、率先してリーダーシップを取れる立場にいるのではないでしょうか」と日本がこの分野をリードする可能性があることを示唆している。

新時代の「医食同源」で、豊かな暮らしと持続可能な社会を実現

 培養肉が店頭に並ぶ日は、10年先などの遠い未来ではないと清水氏はいう。2030年頃には、レストランやスーパーの店頭、さらには家庭で培養肉をつくることができる仕組みの実現を目指す構想もあるようだ。

 さらに清水氏は、「培養肉では、食料に含まれる成分を原料レベルから設計・制御できるようになるため、美味しさと健康維持を両立させた、『医食同源』に革新をもたらす高機能な食料をつくることができる可能性があります」と続けて語る。

 美味しいと感じ、必要以上に摂取してしまう食事が、健康に害を及ぼす可能性がある。しかし、味と健康をともに担保できる培養肉が完成すれば、幸福感を得られると同時に新たな側面から持続可能な社会が実現するかもしれない。

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