「鳥の目」と「蟻の目」の組み合わせで変位を確実に捉える
──衛星SARを活用したインフラ維持管理の取り組み
宇宙からマイクロ波を照射することで、地上面の微細な変位を把握する技術「衛星SAR(サー)」。その活用が新たなステージに進もうとしている。SARによって獲得した「マクロのデータ」と地上で収集した「ミクロのデータ」とを組み合わせて、さまざまなインフラの維持管理の効率化と高度化を目指す。それがSAR活用の新しいステージである。南紀白浜エアポートにおけるその実証実験の取り組みを紹介しながら、衛星技術によるインフラ予防保全の可能性を探る。
インフラの老朽化にいかに対処するか
橋梁、トンネル、道路、鉄道、堤防、上下水道、民間企業が運営する施設やプラント──。それらのインフラの多くは、1950年代半ばから70年代の高度経済成長期につくられたものだ。長いものでは70年近くにわたって人々の生活を支えてきたインフラの老朽化にいかに対処するか。それが現在大きな社会課題となっている。
インフラの老朽化が致命的な事故につながる前に予防保全をする必要があるが、インフラの数が非常に多いのに対し、予算、人員、技術といったリソースには限りがある。例えば、橋梁は5年に1度の近接目視による点検が義務づけられているが、その数は全国で70万橋を超える。その点検にどのくらいの人員数とお金と時間がかかるのか。考えるだけでも気が遠くなりそうだ。
その課題を解決する方法の一つが、ICTの活用である。橋梁へのセンサー設置、レーザーによる遠隔測量、ロボットやドローンによるセンシングなどの取り組みが現在進んでいる。もっとも、それらのテクノロジーをすべての点検作業に使えるわけではなく、収集したデータを有効に活用する方法もまだ確立してはいない。依然「人力」による点検作業が主体であるという状況が今もなお続いている。
点検を優先すべきインフラを洗い出す
広範囲にわたる大量のインフラの予防保全。そのソリューションとして現在大きな期待を集めているのが、人工衛星の活用である。とりわけ、「SAR(合成開口レーダ)」と呼ばれる技術が、インフラ維持管理の取り組みを大きく前進させようとしている。
SARとは、衛星からマイクロ波を照射し、地上の対象物からの反射波を用いて画像を生成する技術である。マイクロ波は雲を通過し、光量に左右されることもないので、天候や昼夜を問わず情報を取得できる。それがSARの大きな特徴の一つだ。もう一つの特徴は、「仮想的」に巨大な開口のレーダをつくり出せる点にある。
一般に、レーダは開口が大きいほど分解能が向上する。衛星に搭載されているレーダ単体の開口は小さいが、衛星が移動する軌道上の複数地点からの計測情報を統合することによって、あたかも一つの大きなレーダのように仮想的に合成する。それがSARの技術である。「合成開口レーダ」という名称もその機能に由来している。
「この技術によって、数10kmから数100kmという広いエリアを観測できるだけでなく、レーダと地上の間の距離を継続的に計測することで、地表面や対象物の微細な変化を捉えることが可能になります」
そう説明するのは、NECでSARを担当する電波・誘導事業部シニアエキスパートの石井 孝和だ。インフラの予防保全においてSARがとりわけ力を発揮するのは、「点検対象のスクリーニング」であると石井は説明する。
「インフラ維持管理は、点検、診断、処置、記録といったサイクルを回していく作業です。そのサイクルの最初期の段階で、どのインフラを優先的に点検していくかという判断材料を提供することが、SARの重要な役割だと考えています」
点検すべきインフラは膨大な数に上るが、その中には対処の緊急度が高いものとそうではないものが混在している。SARを活用して、とりわけ大きな変位傾向を示しているインフラを洗い出し、それを優先的に点検していくことで、インフラの崩落などの事故を未然に防ぐことができるというわけだ。
「具体的には、破損した橋梁、地盤変動の影響で歪んだ鉄道、変形した堤防や港湾施設などをSARによって捉え、その情報を提供していくという使い方です。また、台風や大雨など大きな災害が起きた後のインフラの被害状況を把握するといった活用法もあります」
インフラの変位傾向を把握するには、高い計測精度や、データを解析する高度なアルゴリズムが求められる。そこにNECの独自のノウハウが活かされると石井は言う。
「人工構造物が密集している都市部や、逆に山間部に一つだけ構造物が建っているケースなど、あらゆる条件のもとで変位を把握しなければなりません。その計測とデータ解析の技術において、NECはトップクラスにあると自負しています」
NECは、SARを搭載している地球観測衛星「ASNARO-2」を開発・運用している。そのため、SARデータを迅速に活用できるのも大きな強みだ。もっとも、「ASNARO-2」だけで、インフラ維持管理に必要なデータのすべてを取得できるわけではない。
「NEC社内のほかのさまざまなソリューションや、海外のSAR衛星からのデータなどを組み合わせることによって、インフラの変位を精緻に捉えていくことが必要であると考えています」
ドライブレコーダーで路面などの異常を検知する
さまざまなソリューションとの組み合わせとはどのようなものだろうか。その「組み合わせ」の実証実験の舞台となったのが、和歌山県の南紀白浜エアポートである。
「空港では滑走路などのインフラの維持管理が必須ですが、どの空港も予算不足に悩まされています。十分な予算がないので、雇用を抑制せざるを得ず、十分な技術者が集まらない。それが、地方空港が共通して抱えている問題です」
南紀白浜エアポート・オペレーションユニット長の池田直隆氏はそう話す。南紀白浜エアポートは、公共施設の運用を民間事業者に委ねるコンセッション方式によって2019年の4月に民間運営を開始した空港だ。運営を委託された当初から、同空港は「IoTを活用した先端的維持管理」という方針を掲げている。
「ドローンやセンサーなどのIoTを活用して、人手不足を補いながら、安全・安心を維持し続ける仕組みづくりにこれまでトライしてきました」
そのトライアルの一環として、2020年3月からスタートしたのが「くるみえ for Cities」の実証実験である。「くるみえ for Cities」は、自動車に設置したドライブレコーダーの映像と画像認識AIによって路面などの異常を発見するNEC独自のソリューションだ。これを、これまで人による目視によって行っていた滑走路点検に使うことはできないか。そんな発想から実証実験は始まった。
この実証実験の中で、人工的に設けられた細かな排水溝や、航空機のタイヤ痕など、「異常」ではない情報を排除しながら、AIエンジンのチューニングを繰り返し、自動検知の仕組みを確立してきた。実験の経過には非常に満足していると池田氏は話す。
「ここまで細かな検知ができるとは思いませんでした。実用化に向けた確かな手応えを感じています」
ミクロのデータとマクロのデータの組み合わせ
「くるみえ for Cities」によって獲得した地上の情報を、さらに衛星からの情報と組み合わせる実証実験が始まったのは、2020年の11月だ。
「“くるみえ for Cities”の異常検知の精度は非常に高いのですが、地上からでは捉えられない異常もあります。例えば、軽度なわだち掘れ(※)によってできる水たまりなどです。そのような異常をSARで捉えることで、インフラ維持管理の精度を高められないかと考えました」
- ※ 車輪の走行跡が帯状に凹む現象
「蟻の目」と「鳥の目」の組み合わせ──。池田氏はそう表現する。
SARによってカバーできる空港のインフラ維持管理業務は、大きく3つある。滑走路の地盤沈下などを検査する「動態観測」、滑走路の縦横の傾きを検査する「勾配調査」、そして、空港外に航空機の進入路の障害になる建造物がないかどうかを確認する「障害物管理」である。これらに加えて、災害発生後の異常検知などにもSARが活用できることは前述のとおりだ。
「“くるみえ for Cities”とSARのデータを検証しましたが、ミクロとマクロの2つのデータを組み合わせることによって、異常検知の精度が非常に上がることが確認できました。実用化への取り組みを早急に進めて、2021年半ばにはインフラ維持管理の新しい方法として実装していくことを目指していきます。同時に、国土交通省航空局を通じて、私たちと同様の悩みを抱えている全国の地方空港にこのソリューションを紹介していきたいと考えています」
そう池田氏は言う。すでに、南紀白浜エアポートを通じて2つの地方空港での実証実験の動きも進んでいる。このような取り組みがこれから広がっていきそうだ。
「ソリューションの実用性はほぼ証明されているので、そのエビデンスをNECと一緒に広く伝えていければいいと思います。日本のインフラ維持管理の技術は世界でも広く評価されています。そう考えれば、海外の空港に展開していくことも十分に可能なのではないでしょうか」
これまで、SAR単独で海外の空港にアプローチしたことはあったが、その具体的な活用法を明確に示せていたわけではなかった。石井は話す。
「ドライブレコーダーとの組み合わせによって、SARは“使えるツール”になった。そう言っていいと思います。国内外の空港のインフラ維持管理の課題を解決するソリューションとして今後広くご提案を続けていきたいと思います」
「予防保全ビジネス」の確立に向けて
「くるみえ for Cities」とSARの組み合わせは、空港以外のさまざまなインフラの維持管理にも活用できそうだ。公共団体が管理する道路、エネルギー会社などが管理する施設内の点検などに広く使ってもらうことで、「予防保全ビジネス」を確立していきたい。そう石井は言う。
「施設管理者や自治体のリソース不足をテクノロジーによってどう補っていくか。その課題に“サービス”によって応えていくことが、社会全体の安全・安心を守ることにつながると考えています」
現在、スマートシティ、あるいはスーパーシティと呼ばれる次世代型の都市開発が進んでいる。IoTやAIの技術を基盤としたそのような都市では、インフラの維持管理の効率化と高度化が求められる。もとより、日本は自然災害が多い国でもある。「蟻の目」と「鳥の目」、ミクロとマクロのデータを駆使した平時、災害時のモニタリングは、今後の日本社会に必須の技術となっていくはずだ。もちろん、その技術を広めていくには、社外のプレーヤーとの幅広い共創も欠かせない。社内外のソリューションやサービスを上手に組み合わせて、社会のリスク低減に継続的に寄与できるビジネスをつくっていきたい──。それが、石井が掲げるビジョンだ。
「NEC一社で課題解決を目指すのではなく、パートナー企業やお客さまと協力し合うことによってオンリーワンのソリューションを生み出す。そして、それによって着実に持続可能な社会づくりに貢献していく。それがこれからの時代のあり方だと思います。SARを有効に活用して、全力で社会の安全・安心を守っていきたい。そう考えています」