「クルマが街を支える」社会へ
-データ活用で実現する、未来のクルマと道路インフラの新しい価値-
自動運転、CASE、MaaS、道路DX化――。いま多くの地域や企業で、新しい交通の実現に向けて研究開発が行われている。持続可能な社会のために、これからのクルマはどうあるべきなのか。「NEC Visionary Week 2021」で実施されたセッション「進化を続ける交通~移動と暮らしの未来を覗く~」では、慶應義塾大学准教授の植原 啓介 氏、本田技研工業株式会社の福森 穣 氏を迎え、NECの早川 晶とともに未来社会におけるクルマや道路インフラの役割について意見交換が行われた。
移動するクルマから、街を支えるクルマへ
COVID-19のパンデミックによってインターネットの活用が進んだことで、「会う」ための移動機会が減っている。「今、移動そのものの価値を問い直す必要があるのかもしれません」と語るのは、クルマとインターネットの連携や高度道路交通システム(ITS)などを専門とする慶應義塾大学の植原氏だ。「最近注目を集めるメタバースなどの技術が普及すれば、私たちの生活と移動をとりまく環境は、さらに大きく変化していくことになるでしょう」と展望を示す。
クルマは乗る人にとっては便利で快適である一方で、周囲の人々にとっては交通事故や環境問題などのデメリットを想起させることもある。植原氏は「クルマがこれからの社会において街と共存していくには、街や人の生活に対する『移動』以上の価値提供が期待されているのかもしれません」と、新しい可能性について言及する。
「クルマはこれまでに大きな進化を遂げてきました。いまや人間が操作する機械ではなく、人間の運転を高度にサポートする『移動ロボット』になっています。SFの世界を思い返してみてください。街をロボットが歩き回っている世界では、ロボットたちが街をパトロールしたり、メンテナンスしたり、情報を収集したりしている場面が思い浮かぶのではないかと思います」 未来のクルマはそういったロボットたちと同じように、身近で街や人を支える存在になれるポテンシャルを秘めている。
「こんな話をすると、スマートフォンでも情報の収集や提供ができるではないかという指摘を受けますが、スマートフォンはサイズが小さく、カバンに入っていたりすることによる限界があります。自律して動くこともできません。クルマとスマートフォンとの役割の違いを見定めていけば、街を支える存在としてクルマの可能性をさらに広げられるはずです」
さらに、植原氏は次のように本セッションの方向性を示した。
「クルマが近くに見えると、クルマに乗っていない人でも『危ない』ではなく『安心』と思える。さらには『クルマがあるからこそ街で快適な暮らしができる』と思える。そのような街とクルマが共存する社会の実現について、今日は考えていきたいと思います」
370万台分の自動車データで社会課題解決をめざす
自動車業界では実際にどのような取り組みをしているのか。本田技研工業株式会社(以下、Honda)の福森氏によると、同社では現在、約370万台におよぶクルマのデータを保持しているという。
「自動車のデータを使うことで、さまざまなものが見えてきます。たとえば、コロナ禍における自動車の利用状態の変化を読み取ることが可能です。緊急事態宣言期間の東京都内の交通量(図1)を見てみると、宣言が出された期間は、ほぼすべての道路で乗用車の交通量が減少していることがわかります。しかし、宣言終了直後は道路によって増減のバラつきが出始め、翌月には一部区画で交通量が急増した結果、各地で渋滞が発生したこともわかりました。また別のデータを見ると(図2)、コロナ禍前後で走行車両数自体はあまり変化が無く、平均走行時間や距離は2020年のお盆で大きく減少しています。このデータからは、コロナ禍中においても買い物や駅の送迎など近距離移動は変わらずクルマが利用され、旅行などの長距離移動は控えられた、という生活の様子が分かります」
このように収集されたデータは、新しい価値を創造しようとする企業や自治体に提供することで、社会に役立てることができる。Hondaでは早くから自社のデータを活用した事業に取り組み、交通社会の発展に貢献してきた。
「こうした施策をとるようになったのは、2007年からです。埼玉県様から交通事故を減らしたいとご依頼をいただいたことがきっかけでした。どうやって事故を減らそうかと考えた結果、急ブレーキが多い場所が危険な場所になるだろうと仮定して、データから急ブレーキの多い場所を抽出することにしたのです。そして、警察本部と協力しながら問題個所を現地調査し、木が茂って視界が悪いところは伐採したり、道路のペイントを塗り足すなどの対策をしたところ、結果として急ブレーキの数を3分の1にまで減らすことができました」
クルマから集められたデータの活用により、安全性の確保につながった事例だ。しかし、データ活用が生み出す価値は、交通事故の削減だけではない。
「昨年は、栃木県様と協力して渋滞の緩和にも取り組みました。日光東照宮は毎年紅葉の時期に激しい渋滞が起きるスポットです。そこで私たちは、道中に迂回を促す情報板を設置することで渋滞緩和に取り組みました。渋滞している道と迂回路それぞれの所用時間を提示することで、ドライバーに最適な移動ルートを選んでいただこうというものです。Honda車から集められたデータを活用しているので、何か特別なセンサーを敷設するわけではありません。情報板は仮設のもので任意の場所に設置、カーナビでは案内できない臨時駐車場への誘導も可能でした。これにより実際に渋滞は改善され、ピーク時の約半分に抑えることができました」
Hondaのデータ活用は、ドライバーだけに恩恵をもたらすものではない。広く社会に貢献する活動もある。福森氏はつづける。
「自然災害が起きた際には、クルマが通行した実績を可視化することで、どこの道路が通行できて、通行できないかがすばやくわかるようになります。これにより、被災地域へ支援に向かう方々の移動を支援することが可能です。この取り組みを東日本大震災から10年以上続けてきました。現在も豪雨や地震などの自然災害が発生した際には、防災システムなどを扱う関係機関や事業者に対して通行実績データを提供し、防災・減災、被災地の復旧に貢献しています。
また、マーケティング面での活用にも取り組んでいます。南房総市様からは、道の駅の利用者を調査したいというご依頼をいただきました。通行データを分析した結果、朝市の野菜はほとんどが地元の方々によって購入されていることがわかりました。観光客の方へ購入を促すのであれば夕方に出品するなど、打ち手の検討にもつながっています」
Hondaでは「2030年ビジョン」のなかで「移動と暮らしの進化をリードする」というメッセージを発信している。クルマを通じた新しい社会づくりに向けて、さまざまな企業や自治体、国と協力しながら取り組みを着実に進めているようだ。
道路インフラのDX化でクルマ・人・街を支える
未来のクルマを考えるのならば、道路や信号、交差点などのインフラ側からの視点も欠かせない。道路データを利活用することができれば、人々の移動や街での生活に貢献することが可能だ。NECではそのような未来を早くから思い描き、5Gや映像認識などのAI技術を活用した新しい取り組みを各地域で進めてきた。
NECの早川はまず、人々の移動を支える取り組みとして二つの事例を紹介する。
「群馬県前橋市では、市や群馬大学と協力しながら自動運転バスの実証に取り組みました。5Gネットワークや路側ポールに取り付けたカメラとAI技術などを活用して、遠隔型自動運転バスの安全走行支援を検証するものです。大容量・低遅延という5Gの特性とNEC独自の通信を安定させる技術によって、クリアな映像を遠隔管制室に配信していきました。これまでのLTE通信の映像では45mほどだったのが、100m先まで見通せるようになったことを確認しています。また、カメラ映像から衝突を予測し、エッジコンピューティングで素早く自動運転車両へ停止指示を出すという実証も完了しています。その間、わずか0.4秒でした。
静岡県沼津市の実証でも同様に5Gと路側カメラ映像を活用し、横断者や路上駐車などを含む交差点のリアルタイムな動的情報の収集・分析・見える化に取り組みました。
こうした取り組みは、将来的に自動運転車両の安全走行や交差点の事故防止・見守りにつながると考えています。たとえば自力での運転が難しい高齢者の方々も含め、安全で快適な移動の実現に貢献できるはずです」
続いて、早川は路側に設置したカメラのデータとAI技術を活用し、人々の暮らしに貢献する事例についても言及した。
「宇都宮市ではソーシャルディスタンスの把握、那覇市では人流や通行者属性の解析をする実証を行いました。将来的には感染防止対策、街の賑わい創出、災害時の避難誘導など、街や暮らしの安全安心に貢献できると考えています」
NECでは、こうした取り組みをさらに加速させるため5G通信環境、路側センサなどを配備したNECモビリティテストセンターを2020年11月に開設している。早川は「自社リソースも活用しながら、さまざまな地域や企業と連携を進め、インフラ側からクルマや人々の暮らし、街への価値提供の実現を加速させていきたい」と述べた。
クルマと道路インフラのデータ連携で新しい社会の姿を探る
クルマのデータ活用と、道路インフラのデータ活用。それぞれの具体的な取り組みが紹介されたが、データを収集し、活用するためには課題も残る。植原氏が「データ活用においてプライバシー問題は避けて通れない」と言及するとおりだ。センシティブな情報を扱うにあたって、どのような施策をとっているのか。
「データ取得にあたっては、必ずお客様の承諾をいただく」と答えるのは福森氏だ。
「個人情報の取り扱いには、非常に配慮しています。まずサービスをご契約いただいたときには、きちんとお客様のご理解とご承諾を得るようにしています。この活動は、これまでもずっと、粛々とつづけてきたものです。また、分析するためのデータベースは、お客様の住所・氏名・年齢などが入ったデータベースと完全に分けています。この二つは絶対に紐づかないようなアーキテクチャーにしています」
先述の例のように路側カメラ映像を活用するNECでも、対策は徹底されている。
「カメラに人が映り込む場合には、映像自体はすぐに廃棄するシステムになっています。必要なものは分析に必要な属性だけです。位置関係などのデータだけを残し、個人情報は残しません。また、先ほどご紹介した地域実証を行う際には、仕組みや実証の目的を地域の方々に事前に誠意をもってご説明し、ご理解いただけるように努めてきました」
データの悪用が不可能なアーキテクチャーをつくり、さらには真摯にステークホルダーとのコミュニケーションをとって理解を得るよう努めていく。こうした姿勢が2社に通じるデータ活用の土台になっているようだ。
それでは、クルマとインフラのデータ活用は、果たして上手く連携し得るのだろうか。そして、連携できたとして、どのような価値が生まれ得るのだろう。福森氏は「インフラ側のデータは必要か」と問われると、「クルマから得られるデータだけでは、どうしてもわからない部分もあるものです。あくまでもクルマは都市の1ピースです。あらゆるインフラのデータを見たうえで、全体として何が最適なのかを考えた方が良いアウトプットを生むことができるでしょう」
早川もこれに応じ、「多様なデータを多数集めることで、可能性が広がる」と応じる。
「クルマの動的なデータと、インフラ側の定点・連続データを組み合わせれば、よりサービスの精度と価値を高められるはずです。しかし、収集するだけでは意味がありません。目的に応じてデータを加工し、還元することが重要だと考えています。たとえば、ドライバーの死角になりがちなところをインフラ側でサポートし、車にフィードバックすることができれば、安全性がさらに高まります。このほかにも、公共交通や物流、道路のメンテナンス、さらには街の見守り、災害対策など、ありとあらゆる分野の方々とも連携してデータを活用することができれば、より大きな価値を創り出すことができると考えています」
それぞれの事業者がもつデータを基軸とした連携は加速し、新たなイノベーションのきっかけになるかもしれない。福森氏もこれを受けて次のように述べる。
「私たち自動車メーカーは、これまでひたすらに乗る人の快適さを求めていました。しかし、これからのクルマに求められるものは、それだけではないでしょう。クルマの周囲や社会全体までも含めて、どう良い影響を与えていくかという観点が重要だと思います。今後はそういった観点も含めて、外部の方々とも広く連携しながらプロダクトを考えていきたいと思っています」
最後に植原氏は「モビリティの未来は、『移動』だけではなく社会を支えるものとなっていく、そんな期待ができそうです」と述べてセッションを締めくくった。