街路灯のIoT化で水害を防ぐ
杉並区の挑戦
2021年8月、杉並区はIoT街路灯システムの運用を開始した。街路灯に河川監視用カメラと冠水センサを取り付けて、水害対策を強力に推進するものだ。カメラの映像はYouTube上で公開され、私たちもリアルタイムに確認することができる(杉並区河川ライブカメラ)。さらに、職員はクラウド上の管理システムを通じて冠水時のアラートを受け取ったり、地図やダッシュボード上で街路灯に設置したカメラやセンサの状況を一覧して把握したりすることが可能だ。本格運用から約2カ月。実際に導入して、どのようなメリットがあったのか。区の担当者と本システムを開発したNECの担当者に詳しく話を聞いた。
SUMMARY サマリー
献身と人海戦術で挑んでいた水防活動
杉並区には神田川のほか、善福寺川、妙正寺川が流れており、神田川と合流して東京湾まで流れていく。いずれも東京23区内では珍しく、上流に位置する一級河川だ。
「東京都が行っている1時間当たり50mmの降雨に対応するための河川改修工事は、下流から上流へと順番に対応が進んでいます。そのため、杉並区内は必然的に工事完了まで、まだまだ時間がかかるというのが現状です。都では調節池などの整備をあわせて進めていますが、私たちも独自に雨量計や水位計を設置して積極的な水害対策を進めてきました」
そう語るのは杉並区の土木計画課長を務める安藤氏だ。30年以上にわたり、区の水害対策に従事してきた。
「杉並区では、2005年9月4日に起きた1時間当たり112mm(総雨量264mm)の集中豪雨で大きな被害を受けましたが、これをきっかけに河川の状況が確認できる河川監視用のカメラをいち早く設置しました。このシステムは5分に1回静止画を送信するというもので、ホームページ上で区民の皆さんへの公開も行っていました。しかし、近年の局地的な豪雨では、たった10分間の降雨でも川の水位が1m近く上昇することもあります。雨の降り方が変わっているなかで、このシステムでは対応が追いつかなくなっていました。区民の皆さんは雨の状況に応じて自動車が水没しないように高台へ避難させたりされますので、正確な情報をリアルタイムにお伝えしたいということは、ずっと考えてつづけてきました」
杉並区では河川が氾濫することは、ほとんどない。そのかわりに問題となるのは道路冠水だ。雨は下水に流れ込み、下水処理場へ流れる量を超えると一気に河川へ流れ込む。そのため、河川の流下能力を超えると、下水管を流れる水がマンホールからあふれ出して道路冠水が起きるのだ。安藤氏は続ける。
「道路冠水は本当に一瞬な事が多いんです。強い雨が降ると一気に起きて、雨が弱まると一気に引いてしまう。雨が降る場所によって冠水が起こる場所も異なるので、対応にはいつも苦慮してきました。5分に1回の画像を監視して危険そうだと現地へ行ってみても、区民の皆さんから連絡を受けて現地へ伺っても、だいたい水が引いてしまった後なのです。そのため、私たちは水害が起こりやすい地域の担当チームを編成して、河川水位の警戒が必要な場所や冠水の起こりやすい場所に張り付いて警戒するようにしてきました」
安藤氏と同じ土木計画課で勤務する中村氏は、長く現場で水防活動に取り組んできた人物だ。
「冠水の危険が高まれば地域の方に注意喚起しなければなりませんし、バリケードを設けて一時的な通行止めをしなければなりません。実際に起きてしまったら、ポンプを使って排水作業を行うこととなります。そのため、私たちは大雨注意報などが出たら休日深夜問わず3人のチームを組んで、冠水が起きやすい地域に張り付いて監視するようにしてきました。2時間ごとに交代しながら見張りをするのです。夏はなかなか大変ですよ。カッパを着て、さらに待機中はエンジンを切りますから暑いですし」
杉並区の水防活動は、こうした職員の方々のひたむきな献身によって支えられてきた。この苦労を改善させたのが、IoT街路灯システムだった。
IoT化で、いつでもどこでも正確に冠水を検知
IoT街路灯システムは、NECの提供する「スマート街路灯管理クラウド」と、既設の街路灯に取り付けるカメラと冠水センサ、通信装置で構成されている。街路灯だからこそ、電力を安定的に供給できることもメリットだ。カメラ映像はクリアな画質でYouTube上にリアルタイム配信されており、誰でもアクセスすることが可能だ。これにより、区民はわざわざ危険な川辺へ行かずとも安全に自家用車などの家財や自身を避難させるタイミングを計ることができる。
また、冠水センサは道路の冠水を検知すると、クラウド上の管理システムや職員のメールにアラートを発報する。職員は現地からの情報を待たずとも、いつでもどこでも、いち早く冠水を知ることができるようになった。加えて、管理システムでは、直感的にセンサの状況やカメラ映像を一覧できるように工夫されている。これまで独立した点でとらえられていた各センサの情報を統合し、区域全体の状況を「面」としてとらえられる仕組みだ。
2019年8月から12月の実証期間と今年8月から始まった本格運用のなかで、中村氏は早くも本システムの効果を実感しているという。
「リアルタイムな映像確認と冠水センサのおかげで、現地に張り付く必要がなくなったのは本当にありがたいです。むしろ、本システムのおかげで、効率的にパトロールすることができ、いち早く冠水地域へと駆け付けられるようになりました。私も長く勤めてきましたが、冠水の『始まり』を見ることができたのは初めての経験です。先ほど安藤が言ったように、冠水は一気に起こって一気に引いていきます。現場についたときには既に冠水しているか、もう終わった後であることがほとんどでした。しかし、本システム導入後は、マンホールの穴から水が溢れそうとしているタイミングに既に2回も遭遇することができました。これによって、予防的な対策がとることができたのは非常に大きな効果だったと思います。」
安藤氏もこれに応じ、人材面からのメリットにも言及した。
「現在、区の土木技術職は高齢化が進んでいます。今後2~3年で十数名の方が退職されて再任用職員となる時期を迎えているので、休日・夜間の水防活動人員の確保は非常に大きな課題でした。このシステムによって、水防活動が効率化できたことは組織にとっても大きなメリットになりました。」
また、今回の技術では通信網として、地域BWAを活用している。地域BWAは総務省が各自治体に配布している専用の周波数帯だ。公共の福祉に資する通信であれば、独占的に使うことができる。
「地域BWAを活かしてできる限り精度の高い映像をご覧いただけるように調整しました」と語るのはNECの中川だ。多くの自治体においてIoT街路灯システムの活用に取り組む中川は、さらに本システムのメリットについて語る。
「汎用性と拡張性が高い構成になっているので、既存のセンサや新たなセンサの組み込みも容易です。また、映像分析などのAI技術を活用することもできるので、さらに機能を拡張させることもできます。たとえば、他の自治体様では商店街の賑わい創出に活用できないかと打診をいただき、現在実証に取り組んでいるところです。街路灯というインフラを有効活用して、さまざまな用途での応用ができると思います。」
実運用を通じ、IoT街路灯システムはこれからさらなる進化を遂げていくのかもしれない。
データ活用とIoTで水防の先進地域へ
IoT街路灯システムについて、杉並区は今後どのような展望を持っているのか。安藤氏は「まずはデータの取得と経験を重ねていくことで知見を習得していきたい」と語る。
「今回のシステムで得られるデータを蓄積していくことで、道路冠水が起こるときの雨量や降り方などのパターンを検証し、事象が起こるタイミングを予測できるようになればと考えています。これまでの運用のなかでも河川水位と道路冠水の発生の関係性がよくわかる場所が見つかったので、今後の水防や浸水対策に役立てられると考えています。」
データを収集できるようになったことで、河川水位と冠水との関係や異なる地点同士の関係性がはじめて可視化されていく。センシングしたデータからどのように価値を引き出すか。今後はデータの分析が課題となるようだ。また、中村氏はデータ活用が生む新しい可能性について言及する。
「取得した情報を公開していく姿勢も重要だと思っています。区としても少しずつですがオープンデータ化を進めています。今回のシステムについても広く周知していくことで、地域の方からさまざまな活用方法のアイデアが生まれてくるのではないかと期待しているところです。加えて、私たち杉並区のように、独自で水位計と雨量計をもっている自治体は多くはありません。だからこそ、都市部でデータ活用とIoTによる水防の成功事例をつくれば、他の自治体の皆さんにも何かしらの参考にしていただけるものになるのではないかと考えています。」
杉並区が水防の先進地域として、各地から注目される日は近いかもしれない。
安藤氏も「この取り組みが、国が進める『Society 5.0』のきっかけになれば」と応じる。杉並区では、IoT街路灯システムをきっかけとした先進的で安心・安全な地域づくりがこれからも続いていくだろう。