ソニーマーケティングが実践する社員一人ひとりと向き合う人材育成への取り組み
ビジネス環境が大きな変化を続け、業務に求められる経験・スキルと人材のミスマッチに悩む企業が増えている。その解決策として、人材の流動性を高めることの重要性が指摘されるようになった。そのなかで、社員自らの意志に委ねて新しい道を拓く企業もある。「ソニーグループは、自発的にキャリアを築いていく文化が定着しています。人事の役目は、社員個々の意思を大切にして、その支援をすることだと考えています」とソニーマーケティング 人事総務部人材開発課の嶋谷康太郎氏は言う。社員の自発的なキャリア形成を効果的に促すための同社の取り組みについて話を聞いた。
社内からでも見えにくい各部署の職務内容を見える化
「当時、社員がキャリアプランを考える際、参考にできる先輩社員の職務経験や異動先の情報が十分ではありませんでした。当社にはさまざまな部署があるなか、他の部署がどんな業務を行っているのかわからない状態でした。そこで、各部署でどのような経験が得られて将来のキャリアに役立つのか、先輩社員はどのような職務経験を積んできたのかなど、体系的にまとめた情報が必要だと感じました」と嶋谷氏は振り返る。この状況を改善すべく作成されたのが、各部署の業務内容や先輩社員の職歴などを“見える化”し、体系的にまとめた「職種図鑑」である。
職種図鑑は、組織を軸にしてまとめた「仕事編」と、人を軸にしてまとめた「社員編」からなる。
仕事編は、まず社内の各部署のつながりをまとめた「組織連携図」で組織全体を俯瞰できるようにしている。単なる組織図ではなく、顧客に提供するビジネスが、各部署でどのように連携しながらつくり出されているのかを示したものだ。嶋谷氏は「会社の仕事の流れのなかで、自分がどこにいて、どのような役割を担っているのかがわからないと、キャリアを組み立てにくいのではないでしょうか。組織連携図は、その点を明確にするためにつくりました」と語る。
それに加えて、代表的な職種について、各部署の業務内容や身につく実務能力、そこで得た経験を今後のキャリアにどう生かせるかを、人事部が用意した同一フォーマットに、明文化してまとめている。フォーマットに従い、詳細な情報を書いているのは、その部署の社員だ。無機質な情報の羅列でも、職場のPRでもなく、あくまでもキャリア形成を考える社員のために書かれている。ページ上部に掲載されている部署を紹介するユニークなキャッチコピーも、それぞれの部署で想いを込めて考えられたものだ。
職種図鑑作成にあたっては、役員会議での説明や各職場の部門長へ説明を行い、社員一人ひとりのための取り組みであることを伝え、協力を仰いだという。今では、組織変更があれば、職場の協力によって職種図鑑が円滑に更新されるようになっており、人事部の社員に対する想いも現場に浸透している。
先輩の職務経験の事例を参考に「線」でキャリアを考える
一方、社員編は、活躍している先輩たちの職務経歴書だ。国内外でさまざまなキャリアを積んだ中堅社員が、どのような部署でどんな経験を経て現在に至っているのか。単に部署や担当業務、成果を記しているのではなく、これまでの職歴の過程で学んだことや、どのようなスキル・知識を身に付けたのかを具体化しながら時系列でまとめられている。
さらに、前の部署での経験が次の部署でどう役立ったのか、スキルのつながりもわかりやすく示している。仕事編に書かれている各部署で得られるスキルや知識を“点”とすると、社員編では先輩たちがその“点”をどう“線”でつないで、キャリア形成してきたかがわかる。これらの情報を参考に、なりたい姿から逆算して「線」でキャリアを考えてもらうのだ。
情報を書いた社員は、名前と顔写真とを併せて公開することを了承している。このため、社員編の事例を読み、掲載されている社員に直接相談することもできる。職種図鑑に掲載された社員は、他の社員から声をかけられる機会が増え、働くモチベーションが高まるという副次的な効果もあったようだ。
蓄積した研修受講データを活用して一人ひとりに最適な社員教育を実現
ソニーマーケティングは、効果的かつ効率的な学習・キャリア形成を支援するための仕組みも用意している。「米国のリーダーシップ研究の調査機関であるロミンガー社によると、優れたビジネスリーダーは、70%を経験から、20%を助言から、10%を研修から学び、成長したという研究があるそうです。経験からの学びが非常に多いので、職場で「質の高い経験」を得られるサポートが、社員にとっての最大のベネフィットにつながると考えています。研修や学習講座で多くのことを学んだとしても、個々に分散した“点”の知識にすぎず、そのままでは、あまり役に立ちません。しかし、先輩社員からの「この知識は実務でこのように役に立った」という経験をもとにした助言に触れ、実践での知識の活用を意識して学び、“点(知識)”を“線(経験)”にする(=Connecting the dotsを実現する)ことができれば、その知識は有益なものへと飛躍的に変わり、職場で「質の高い経験」を実現できます。ひいては、キャリア形成にもつながるのではないでしょうか」と、嶋谷氏は人材育成のコンセプト「Connecting the dots(点をつなぐ)」に込められた想いについて説明する。
同社は、社員のスキルや知識の取得を支援するため、Eラーニングサービス「グロービス学び放題」を利用している。ただし、どの講座を学べばキャリア形成に役立つのかは、それぞれの社員の個人知に類するものだが、ソニーマーケティングでは、この効果的な学びの方法論をシステム化した。
例えば、「プロダクトマーケター」等の職種の理想像を、職種図鑑の情報を分解して明確にする。その実現のために、身につける必要があるスキルとそれが習得できる部署を見える化し、スキルマップをつくる。さらに、スキルと実務を紐付けて一覧化したものをもとに、実務の助けになる最適なコンテンツを職場の暗黙知を取り入れながら選抜し、職種別のコンテンツコースマップを作成。社員一人ひとりの現在の職種情報とEラーニングの受講履歴を紐づけ、Eラーニングを通して、実務に役立つ知識を最適なタイミングで供給する。スキル取得をサポートし、その後のキャリア形成を後押ししていく。
当初は、社員が自主的に職種別のコースマップを見ながら学習を進めるものだった。今では、蓄積してきた受講データを活用し、一人ひとりにパーソナライズしたコンテンツのレコメンドを、「職場でどう役立つか」を記載した先輩社員の推薦コメントと併せてメールで届けるシステムへと進化している。これは、個人の学習データと職種データを掛けあわせ、機械学習で受講すべき学習コンテンツを抽出することで実現した。パーソナライズしたレコメンドメールは、分析モデルとメールシステムを組み合わせて構築しているため、約15分で送信が完了するという。
若手社員が学びを実践して活躍、コロナ禍のリモート研修でも効果を発揮
Connecting the dotsの成果は、すでに目に見える形で出てきている。例えば、若手社員が、レコメンドされた学習コンテンツで学んだマーケティングの基礎フレームワークを使い、販売目標の160%を達成した。販売成績が高かっただけではなく、売り上げを高める理論的裏付けをともなって事例をナレッジ化し、社内で共有されている。
また、レコメンドメールが社員に送付されることで、隙間時間を使って学習を進めようとする機運も高まっているようだ。オンライン学習サービスは、ただ導入しただけでは、継続利用率が10%程度に留まるケースも散見されるという。しかし、ソニーマーケティングはログイン率が100%で、そのうちの約50%が10コース以上視聴している。Connecting the dotsによって、社員の学習が定着化しているといえるだろう。
さらに、コロナ禍によって集合型で開催できなくなった新入社員研修も、Connecting the dotsに沿ったシステムが構築されていたことで、適切な研修プログラムをオンラインで実施できたという。ソニーマーケティングの人事総務部人材開発課 統括課長の狭間幹夫氏は、「コロナ禍が中長期化していく状況で、人材育成のオンライン化に取り組む必要があります。自主研修できる部分は事前にeラーニングで学んでもらうなど、リアルの研修とうまく組み合わせて提供することが今後重要になると考えています」という。同社の人材育成プログラムはまだまだ進化しそうだ。
また、キャリア形成とラーニングのポータルサイトをつくり、2020年10月頃から運営を開始する予定だ。今までのレコメンドメールの内容をサイト上ではビジュアル的に見せるほか、各学習コンテンツの表示をアイコンにし、クリックすると先輩社員の推薦コメントを閲覧でき、直接受講サイトに飛べる仕掛けにする。また、先輩社員に相談メールを送信しやすくなる工夫もされるという。
企業における人材育成は、職歴が進めば進むほど社員一人ひとりの状態や望みが多様化するため、パーソナライズした対応を進める必要がある。しかし、多くの企業は一律の研修プログラムを実施するしかなかった。テクノロジーを活用すれば、ソニーマーケティングのように社員それぞれの自発的な意思を大切にしたキャリア形成の支援が可能だ。「人事もビジネスに貢献しなくてはいけません。人事担当もテクノロジーを学んで、自分の専門性と組み合わせてベネフィットを生み出していかなければなりません。そして、社員のキャリアを全力でサポートし個人が成長することで、会社の成長につながると考えています」と嶋谷氏。同社の取り組みは、New Normal時代における人事のあり方に対して有効な示唆を与えてくれる。