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2017年05月26日

三宅秀道のイノベーター巡礼 新しい問いのつくりかた

モザンビークで”お金の新ストーリー”を作る日本植物燃料

 中小・ベンチャー企業の市場創造研究で知られる気鋭の経営学者・三宅秀道氏(専修大学経営学部准教授)が、ユニークかつ継続的に事業を展開している企業にスポットを当て、「企業が身につけるべき新規事業を興す力」を探っていく当連載。今回は、アフリカ南東部のモザンビークでヤトロファ(熱帯植物)を育ててバイオディーゼル燃料を作り、無電化地域に電気を届ける事業を展開している日本植物燃料株式会社(神奈川県小田原市)の合田真さんを取材した。

三宅 秀道 (みやけ ひでみち)氏
専修大学経営学部准教授

 ポルトガルから独立後も内戦が続いていたモザンビークは、農村部の電化率が1%ほどしかない。そこで、現地の村民にヤトロファを育ててもらい、充電式ランタンを貸し出して村に電気を届けているほか、冷蔵庫などを完備したキオスクを作って、日用品などを販売している。さらに、キオスクでの売買に電子マネーを導入したことで、「貯金をしたい」という現地のニーズに気がついた合田さんは、ファイナンシャルアクセスがない農村部での「銀行」の可能性に着目。既存の「銀行」という枠にとらわれない社会と利益をシェアする形の金融システムを構築し、これまでなかったような「お金の新しいストーリー」を広げようと、現在奮闘している。

 合田さんは、事業を通してどのような社会を構想しているのだろうか。三宅氏が話を聞いた。

お金ではなく、最低10年間は夢中になれる仕事を

三宅氏:
 合田さんは、京都大学に6年間在籍して中退されたと伺っています。そこから、現在のお仕事につながるまでの道筋を教えてください。

合田氏:
 大学を中退した後は、西日本新聞に勤めていた友人を頼って福岡に押しかけ塾講師のアルバイトをしていたものの、その後、職業安定所に行って商品先物の会社に就職しました。そしてさらに、そのときのお客さんから、「IT系のベンチャーを始めたいから手伝ってほしい」と誘われて、転職したんですね。ちょうど2000年前後に起こったITバブルの時期のことです。災害情報の配信を目的した会社だったのですが、事業をやりたかった専務と出資した親会社の社長が喧嘩をして、ごたごたがあった結果、僕が5000万円で買い取ることになりました。この会社が、今の会社につながります。当初は、クレジットカードや物流の仕事をしていました。

合田 真(ごうだ まこと)氏
日本植物燃料株式会社 CEO

三宅氏:
 20代で5000万円はなかなかの数字ですね。具体的に、どのような仕事を?

合田氏:
 その当時、郵便物は1か月に200万通以上出していると、最大の大口割引を受けることができたんです。それを活用して発送代行会社を作り、通販会社などの郵便物をまとめて送る事業を思いつきました。200万通に満たない会社でも、発送代行会社に依頼して別の会社とまとめて送れば大口割引を受けられるというわけです。今はルールがいろいろ変わっているのですが、当時はそういった事業を行うことが可能でした。それが、物流の仕事ですね。そのときわかったのが、あるところに利潤が溜まっていて、その仕組みを少し変えることで利益を自分のところに持ってくることができるということ。クレジットカードの仕事でも、そういった方法で商売していました。ただ、儲ける仕組みとしてはとても効率がいいものの、やはり途中で飽きてしまう。そんなふうに思っていた時期に出会ったのが、バイオディーゼルだったんです。

三宅氏:
 どのような経緯で出会ったのでしょうか?

合田氏:
 一緒に仕事をしていた人間が、債権回収の仕事を頼まれたんです。その会社は揮発油税がかからないアルコール燃料を手がけていたのですが、法改正によってそのモデルの商売ができなくなっていました。となると、可能性のある事業は二つに絞られます。一つは水と油を混ぜるエマルジョン燃料、これに関しては九州電力と共同研究をしていました。そして、もう一つはバイオディーゼルです。「この二つのどちらで再建するの?」となったときに、エマルジョンのほうが可能性があるということになりました。しかし、僕個人はバイオディーゼルに興味があったため、その会社にマレーシアの仕入元を紹介してもらったのが、そもそもの始まりでした。

三宅氏:
 仕入元を紹介してもらったとはいえ、なにもノウハウがないままのスタートだったんですね。

合田氏:
 どんな仕事をするときも、初めはノウハウなんかありませんので、その都度のテーマごとに専門の方達に入ってきてもらうのが基本です。ただ、それまでの仕事は半年くらいで仕組みを作り、あとは円滑に回していくといった感じで、回り始めるとつまらなくなってきてしまう。ですから、次は少なくとも10年間は夢中になれることをやりたいと思っていたんですね。そんな中、バイオディーゼルと出会うことになります。自分は長崎出身なので、もともと原爆のことを考えることも多く、エネルギーが理不尽な形で人々を不幸にする世の中にはしたくないと思っていましたし、バイオディーゼルや再生可能エネルギーといったカテゴリーがまだ世の中に浸透していない時期だったので、ぜひ自分が取り組んでみたいと思いました。

妖精が現金を持ち出した?

合田氏:
 アフリカのモザンビークとかかわるようになったのは、2007年のことです。その後、2012年に現地法人のADMを設立し、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)からの支援を受けつつ、無電化地域に電気を届ける事業を展開しています。現地の村人にヤトロファの苗木を育ててもらい、種を買い取ってバイオディーゼル燃料にするという仕組みです。

三宅氏:
 いくつもの作物があるなかで、なぜヤトロファを選んだのでしょうか?

合田氏:
 トレーディングをし、日本に入れていた2005年頃まではパームを扱っていたものの、パームの取引は財閥系の企業が仕切っています。また、単純なトレーディングなので、マーケットが大きく育っていけば、うちだけではなく商社なども参入して取り扱うようになるだろうと予測していました。もっと上流側の根本的な部分を押さえるためには、パームでは難しいと感じていたんです。さらに、バイオディーゼルの原料は、食料としての利用とバッティングしないことが重要になります。そんな中、候補として挙がったのがヤトロファであり、うちはそれを選びました。結果的にヨーロッパ系の有力な企業も同じ選択をし、マーケットが成長しました。

 ただ、ほかの企業は土地を囲い込んで、資金調達をしてというやり方をしていたのですが、面積競争をしていたら結局は資金力の競争になってしまいます。僕たちはそうではなくて、単位面積あたりの生産性で世界一というポジションを取りに行こうと目標を立てました。要は、研究開発特化型の考え方であり、さまざまな援助を受けながら育種や精製技術などを研究しました。

三宅氏:
 モザンビークに進出したきっかけは?

合田氏:
 きっかけはまったくの偶然というか、戦略的には選んだわけではありません。東京都の都バスにパーム原料のバイオディーゼルを売っていた時に、一緒に組んでいた会社からコンサルを頼まれて、モザンビークに行くことになったんです。はじめはあまり興味がなかったのですが、実際に行ってみてアフリカのポテンシャルに気がついたということもありますし、農村部の電化率が1%ほどしかないという課題も見つかりました。2011年から5年間は、国際共同研究として支援を受け、東京大学と一緒にバイオディーゼルの研究開発を行いました。その流れで、研究開発だけではなく事業化しようということになり、現地法人を立ち上げたというわけです。

三宅氏:
 海外に進出する際はカントリーリスクといいますか、商習慣の違いに戸惑うことが多くあります。そもそもモザンビークは内戦していたこともあり、商習慣自体が根付いていなかったと思うのですが、商品作物を育てることで現金収入を得る伝統は、もともとあったのでしょうか。

合田氏:
 あまり伝統は根付いていなかったと思います。ヤトロファをバイオディーゼルにして電気を届けるといっても、もともと無電化地域ですから、電化製品を持っていませんでしたので、充電式ランタンを安価で貸し出して使ってもらっていました。さらに、3つの村にキオスクを設置し、冷たい飲み物や日用品を売ったほか、食料品の冷蔵保存代行も行いました。これにより、村人の生活水準はだいぶ高まったと思っています。しかし、やはり問題も発生します。売り上げとレジに残った現金の計算が合わないのです。最大で30%ほど現金が少なくなることもありました。店番の人に聞いてもても、「妖精が現金を持って行ってしまった」みたいな答えが返ってきて、なかなか解決しない。そこで、村民にカードを配布し、タブレットを使ったNECの電子マネー決済システムを導入するということです。これにより、誤差は1%に減りました。

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