企業内イノベーションを活性化させる幸せのメカニズムとは
~持続可能な社会実現に向けて、イノベーションリーダーを育てる~
”幸福学”とイノベーション創発の関係がビジネス界でも注目され始めている。また企業では、未来を創る次世代ビジネスリーダーの育成が喫緊の課題である。
幸せで満ち足りた社会を実現するために、まず、幸せに関する研究調査に基づき幸福研究を体系化するとともに、人間・社会をシステムとしてとらえた様々な幸福関連研究を行っている慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授・前野 隆司氏。NECのビジネスイノベーションユニット担当執行役員である藤川 修が持続可能な社会実現に向けたイノベーションの活性化について対談した。
SPEAKER 話し手
慶應義塾大学大学院
前野 隆司 氏
システムデザイン・マネジメント研究科
研究科委員長・教授
NEC
藤川 修
ビジネスイノベーションユニット担当
執行役員
企業における幸せのメカニズム
──企業においても幸福学の必要性が指摘されているようです。前野先生はもともとロボットの研究者でいらっしゃいましたが、なぜ”幸福学”に興味を持たれたのでしょうか。
前野氏:まず”幸福学”の定義をしましょう。幸福と生き方の関係性、例えば、どういう精神的状態だとよりパフォーマンスや創造性が上がるかといったことを心理学的に明らかにする学問です。私の場合、そこで明らかになった結果をモノづくりやサービス、組織作りにも応用しています。
もともと私は理工学部の機械工学科でロボットの研究をしていて、例えば”人間を幸せにするロボットとはどういうものか”といった、心理学と機械工学の狭間にいたのです。すると、08年、大学院にシステムデザイン・マネジメント研究科という新たな社会人大学院ができたので、希望して移動しました。そこで幸福の研究もしていたら、そちらがどんどん広がってきた。今から思えば、ちょうど世界で”幸福学”が発展期に入っていました。私の取り組みも自然な流れだったのだと思います。
藤川:昨今のSDGsやESG投資に代表される欧米における動きは、多くの企業が資本主義社会の限界を感じているからと理解していますが、理由はどうであれ、企業が果たすべき役割が変わりつつあり、事業を取り巻くエコシステムを意識し、ステークホルダー全体が幸せになることを考えなければサステナブルな事業にならない時代になってきている。そういう世界に貢献するべく、日々努力している身として、個人、企業、社会の3つの視点からなる幸福学の考え方には興味があります。
前野氏:三つの視点とは、まず一つ目が個人視点。金銭や出世といった”地位財”による幸せよりも、健康や安全といった”非地位財”による幸せのほうが長続きするといったものですね。二つ目は企業視点。株主は短期的な利益を追求するかもしれないけれど、それによる幸せは長続きしない。逆に、社員を幸せにしておいたほうが、経営が苦しい時に”わが社のために”と頑張ってくれますよね。そして社会視点では、地球全体がサステナビリティを求めつつある中で、社員を”飴と鞭”で働かせるより、もっと豊かな、やりがいや一緒に働きたい仲間であるとか、少し昔の家族的な”心のこもった生き方”へのパラダイムシフトが必要ではないかということです。
藤川:先生のご著書『幸せのメカニズム』の中に”幸せの因子”が4つ挙げられていますね。
前野氏:日本人1500人に対するアンケートを分析して得られた結果に、私が名前をつけたものです。簡単にご説明すると、一つ目が”やってみよう因子”。例えば仕事にワクワクしている人は幸せ度が高いというものです。二つ目は”ありがとう因子”。感謝の心を持ち、多様な人とつながっている人は幸福度が高いですね。三つめは”なんとかなる因子”。楽観的で自己受容できるという要素。そして四つ目は”あなたらしく因子”。独立とマイペースの因子です。”幸せ”というと、とかくお花畑でのんびりしているようなイメージを持たれがちですが、実際の幸福には力強い側面もあって、ベンチャースピリット的な、リスクをものともせず新規事業に挑戦するような姿勢が幸せと関係しているのですね。これらのどれが欠けても、幸福度は下がるという結果が出ています。
藤川:幸い、私自身はこれら四つのいずれも当てはまっていまして、自分は幸せなのだなと改めてわかりました(笑)。
前野氏:どの会社でも、だいたい管理職や経営層は、大変だけどやりがいのある仕事をしているので人生満足度は高く、定型的な仕事をしている人の人生満足度は低い傾向があります。いかに部下の人たちの幸福度を高めるか、が重要なのですよね。
そのためにまず必要なのは、トップが”皆が幸せになると創造性が高まるから、皆で行くぞ!”と声をかけること。部下だけ教育しても、結局”上層部があれだからね”ということで終わってしまった例もあり、トップと部下の両側から変えていくことが必要です。
具体的には、トップの人たちに向けて、部下の人たちの話をきちんと聞こうという経営陣セミナーをやったり、若い人たちでのびのび意見を交わしてもらったり、両者が同席したり。ワークショップをして互いを理解し合い、チームビルディングができてからイノベーションの手法を適用すると、実現確率が高まることがわかってきました。
イノベーションの手法だけだと、アイデアは出ても、例えば上司に”こんなのはできない”と言われて終わってしまう。ところが幸福度を高めてからイノベーション教育をすると、”やってみよう”という気が高まっているので、上司にできないと言われても”いや、部長はまだわかっていません”と説明しきって、やりぬく力が高まる。幸せ+イノベーションというのが、今、日本で非常に必要になってきています。
”モノづくり”への応用という面では、例えば、ちょっとふざけた”幸せになる椅子”を開発しています。どういうものかというと、後ろ足がなく、前足がバネになっているので、座ると上を向くのです。人間は上を向いていると幸せな気分になれるし、遠くが見えると心が晴れ晴れする、というコンセプトです。世界にはまだまだ”幸せのヒント”が隠れているし、組織への”幸福学”の応用という見地からすれば、日本の多くの企業に相当の生産性、創造性向上の余地があります。
NECが取り組むイノベーション戦略と今後の新規事業開発
──藤川さんは14年からNECの事業イノベーション戦略本部長、17年からビジネスイノベーション統括ユニット長として多様な新事業開発に関わっていらっしゃいますが、組織改革においてはどのような展開をされているでしょうか?
藤川:私は2010年からシンガポールの地域統括会社NEC Asia Pacific Pte Ltdに出向しまして、東南アジアにおける金融市場向け新事業の立ち上げに携わった後、13年に帰国しました。当時、NECでは新事業開発が上手くいかず、最初はプロセスやツールの整備に走り、まずグローバルスタンダードであるビジネスモデルキャンバスを導入しましたが、その内、ビジネスモデルがあっても、結局人の考え方が変わらないと、形だけにとらわれてしまうということで、人間をどう育てるか、により力を入れていきました。
例えば事業イノベーション戦略本部の時に、当社に多いエンジニア系の”左脳型”組織を変えていくには感性で思考する右脳型の人材が必要だということで、デザイナーをコーポレートに引っ張り、同じ組織内に置くことにしたのですね。新事業開発のプロセスで左脳と右脳が行き来するなかで、両者のコラボレーションが生まれました。これはだいじなことだと感じました。
前野氏:複数の部署が交わるというのは、とても効果的な手法です。とてもいい取り組みですね。
藤川:今は社内の人間だけでなく、他の業界やベンチャーキャピタルの方たちなど、外の方とも話をしたり、一緒に作ったりと、いろいろやっています。ただ、それは決して簡単なことではなく、NECは系列会社を含めると10万人規模の、歴史のある会社でもあるがゆえに、社内の文化も変えにくいという困難さもあります。
前野氏:10万人というと難しくきこえますが、できるところからやればいいですよ。1000人、あるいは100人くらいの規模の部署が本気で丸ごと変われば、インパクトも大きいじゃないですか。NECさんはJIN(Japan Innovation Network=イノベーションを継続的に興す人材育成と経営の方法論を提言する実行部隊として、2013年に発足した一般社団法人)にも参加されているし、私たちの大学院にも多数、社員を派遣されている。新しいことをやっている、変わりつつある会社という印象がありますね。
藤川:一度に全員を引っ張っていくのは大変なので、今は、イノベーティブな10パーセント、20パーセントの人間が新しいものを作って、そこから賛同者を増やして変えてゆくという流れがいいと思っています。
──社内が二極化するようなことはないですか?
藤川:極端な話、二極化してもいいと思っています。現場では抵抗されて、賛同を得るのが難しいこともありますが、まずはトップの方々から”そんなことができるのか”というスタンスにならないよう、理解していただいて、そこから継続的にイノベーションを実現していければと思っています。
人材育成の課題についてもう少しお話します。今はSNS等によって、個人が発信できる時代ですよね。その意味ではユーザー個人が非常に力を持っている。モノづくりでは、少量多品種のものが簡単に作れる、誰でもプロデューサーでありコンシューマーであるという時代になってきています。そうなると、メーカーが昔の感覚でモノづくりをしていると、生き残ることはできません。ユーザー個人を意識して考えその視点からビジネスモデルを考えていく必要があるのですね。
前野氏:おっしゃる通りだと思います。私自身、機械工学から幸せの研究に移ったのがなぜかと考えると、やはり時代の流れにもよるところがあるのです。大学で若い世代と多く接していると、今のトレンドは”人間中心”なのですね。では人間中心の先に何があるかと考え、人間の内面を掘り下げて、この人のやりたいことは何なのか、といったことを追究すると、”幸せ”というテーマが現れてくるのです。我田引水的になりますが、藤川さんが今おっしゃったことの先に”幸福学”があると思います。
もう一つお話したいのは、先ほどイノベーションを起こす人は10パーセントでもいい、社内が二分化してもいいということでしたが、最初はそれでいいと思うのです。頑なな人たちを待っているだけでは進歩が無いので、イノベーティブな人たちが進めるべきでしょう。ただ、そうなるとイノベーション格差も幸福度格差も拡大して、一部の人たちだけが幸福になることになります。これも我田引水的になりますが(笑)、そこで他の人たちが取り残されないよう、イノベーティブな人たちが後ろの人たちを引っ張ってゆく。幸福学の四つの因子を満たして、”やってみよう、それも仲間たちと一緒に”という状態でいることが、イノベーターには必要だと思います。
藤川:そうですね。まずは、”やってみたい”気持ちがあっても自信がなかったり、上に対して説得できなかったりという層を掘り起こして、”そうじゃない、できるよ”と言って、やってもらう。そこから新しい流れを作っていければと思っています。
”幸福学”を取り入れて、社会と企業がイノベーティブであり続けるために
──最近、”働き方改革”が国会で取り上げられていることもあって、”どう働くべきか””どう働きたいのか”が話題になっています。
藤川:昨年、新人のデザイナーをはじめ、女性を中心に若い人たちに集まっていただき、どうしたら働くことについて喜びや誇りを感じられるかというワークショップをやったのですね。そこに本部長クラスも入って、みんなで議論してもらいました。すると年代や性別によって、実にいろんな話が出てきて、そういう話をしながら”変わっていこう”という方向付けができてきました。
前野氏:それは素晴らしいですね。社会変革のためにも、そうした活動は公開してもいいのではないでしょうか。これからはAIの発展によって人間の仕事が奪われていくと言われていて、確かに産業革命の時、肉体労働を機械が代替したように、定型作業がAIに奪われていくとは思います。でも定型作業の幸福度は低いので、幸福度が低い仕事がなくなるという意味では、何も恐れる必要はありません。ただ、スキルが無い人が現在の仕事を奪われたままでは格差問題が生じます。定型作業していた人をどうイノベーティブでワクワクする仕事に移していくか、がポイントです。
藤川:人間の寿命が延びてゆく中で、老後の人々を含めて、皆が変われるのか。いきなり全員が変わることは無理でも、何か楽しいことをしている人が増えて、それまで取り残されていた人もそこに自然に入れるようにするといったことが必要ですね。
前野氏:高齢者研究をしていると、テレビの視聴時間と余命は反比例していることが分かります。趣味がないからとテレビを見ているばかりだと、健康でない確率が高まるのです。自分にも何かできると思える、できることを見つけられる社会になっていかないといけません。さきほどAIなんて怖くないと言いましたが、産業革命の直後には馬車の御者が失業するなど、過渡期の数十年間は劇的な変化が起こりました。そういう意味では我々の世代でも、これから高齢化していく中で、仕事人間がいかに変化にオープンになれるのか、考えなくてはいけません。一つのカギは、安心感でしょう。若者が起業するのを見て”自分はもうこの年だから無理だ”という人に対して、皆で助け合う仕組みを作れると、取り残された人も何かを始めやすいと思うのです。先端を走れる人だけでなく、一歩を踏み出せない人も動ける社会になるための知恵を出すことが、日本社会の今後の課題だと思います。
藤川:政府、企業、個人の中からそういう動きが立ち上がってくるといいと思いますし、今はモノづくりもコミュニティづくりもしやすくなってきていると思います。そういう動きに対して企業として何ができるか、我々も考えていきたいですね。
前野氏:今日はイノベーションの話と幸せの話を織りなす中で、藤川さんがいろいろと熱意をもって取り組んでいらっしゃることを知りました。何より、幸せの因子4つを満たしていらっしゃるのが素晴らしいですね。幸せはうつるもので、トップが幸せでないと周りも幸せにはなりません。これからも幸せな社員、幸せな社会を作るということを、連携してやっていけたらと思います。
藤川:私は4年ぐらい前から前野先生のお名前をうかがっていて、今回念願かなってご一緒することができました。あらためて自分の考えを整理しながら先生のお話をうかがう中で、自分の方向性は間違っていないと確認できましたので、今は先ほどお話した”10パーセント”を100に持ってゆく、という決意を新たにしているところです。
──ありがとうございました。
(企画=有限会社ラウンドテーブルコム Active IP Media Labo、インタビュー・記事=松島 まり乃、写真撮影=今井 紀彰)
関連書籍
『幸福学×経営学 次世代日本型組織が世界を変える』
前野隆司・小森谷浩志・天外伺朗著
内外出版社刊