アートの力をイノベーションの起爆剤に
~「温故創新*」デジタル世代とアナログの出会いで新しいものを~
今、多くの企業がイノベーションを産み出すきっかけを求め、さまざまなトライアルを行っている。その中でも「アート」(芸術)の持つ力に注目し、アートを産み出す過程、手法または環境に興味を寄せる企業が増えている。NECは東京藝術大学(以下「藝大」)と交流し、アート(芸術)の持つ力とイノベーションの関係性について意見交換を続けている。
藝大は開学130年を迎え、「NEXT 10 Vision」として「革新的であること(もっと 新しい、独創に向けた挑戦を)」「多様性があること(もっと 幅広い、才能が刺激し合う場を)」「国際的であること(もっと 世界へ、日本の芸術文化の発信を)」を掲げており、伝統的を重んじるだけではなく、イノベーションに関わる大学内施設(COI拠点や産学官連携「Arts & Science LAB」)を作り、クラウドファンディングも積極的に実施するなど世の中の先進的な流れにも適応し、文部科学省から「スーパーグローバル大学」に選定されている。
今回は、かねてより親交のある藝大デザイン科山崎 宣由 准教授(機能・演出研究室)とNECビジネスイノベーションユニット担当執行役員藤川 修とが対談し、アートとイノベーションの関係を考察する。(モデレーターは、コーポレートインキュベーション本部長田 純一)
- * 「温故創新」(古きを尋ね新しきを創る)とは同大学澤和樹学長による藝大の方向性を示す言葉。
SPEAKER 話し手
東京藝術大学
山崎 宣由 准教授
機能・演出研究室
NEC
藤川 修
ビジネスイノベーションユニット担当執行役員
「温故創新」にヒントがあるのでは?
──今、アートとイノベーションの関係に興味が持たれています。藝大に企業からのアプローチは増えているのですか?
山崎氏:企業だけでなく地方行政もいろいろ試行錯誤されて、藝大に「こういうことに対して自由で柔軟な発想を膨らますことができないか」という相談を持ち込まれることが多いのは事実です。ロジカルではなくて、アート(芸術)的な閃きに起爆剤的な役割を求めてのようです。いわゆる「アート思考」的な相談が増えているのではないか、というのがここ一年ぐらいの実感です。
藤川:われわれビジネスに携わるものは、ロジカル思考にとらわれがちです。変化を求めてデザイン思考などに注目してきたのですが、フレームワークを作成して、いろんなツールを使い、やっぱりロジカルに整理してしまうのですね。すると、従前のロジカルなエンジニアの世界とあまり変わりません。その「枠」は多少膨らんだかもしれないけど、そこから膨らんでいません。アートという観点が新しい触媒になるかもしれないという期待感はあります。
山崎氏:アートの世界では古くから「モダニズム」など、新しい創造領域への挑戦がありました。デザインもその影響を受け多様な価値を生み出してきました。今の潮流は、装飾要素や個性がそぎ落とされてシンプルで効率的・合理的が主流になり、それはデザインを作っていく手法として大きな影響を与えています。アプローチやプロセスを明確にして、それに沿ってやっていこうみたいなことが増えました。しかしそれは情緒的なもの、感情的なものが取れてしまったり、ハプニング的に見たことがないものが生まれたりする化学反応が減ってきてしまったのではないかと思うのです。
振り返ると日本にはさまざまな文化がありました。魅力的なものがたくさんあり、多様性がありました。「温故創新」(おんこそうしん)という言葉を藝大学長が述べていますが、学ぶべき事って過去にたくさんあると思います。 特にNECのような長い歴史のある会社には、これからの未来を導くヒントがあるんじゃないかなと強く感じています。
藤川:わたしは東京の出身で、生まれ育ったところには“江戸情緒”がまだ残っていましたね。小さい頃は、向かいの家で社長さんがお座敷遊びをしているのが外からも見えて、三味線の音が流れてくるという風情。エアコンとかないから、夏は窓を開けているので見えてしまうんですね。あの頃って町中そんな雰囲気がありました。バブルで近所の人が郊外に引っ越し、マンションに新しい人が来たけれど、人と人の繋がりがなくなり、コミュニティが崩れる中で江戸のよき文化が失われてしまった。
山崎氏:江戸の文化って民衆の文化。文化の中心になるのは暮らしている人々。この人たちが、もうちょっと他の人と違う、小洒落て、粋に、「お上」からはいろいろいわれる中で、陰でこっそり楽しむみたいな、そういう民衆の嗜好性が強い多様性を生んだのです。海外では、王室とか貴族社会の中で発展した芸術文化が主なんです。それをモダニズムを含め少しずつ民衆向けに変化させていきました。それは、民衆から生まれたというより、民衆も使えるように。
一方、江戸文化は民衆から派生して多様化が拡がり、身の丈にあった、日本人にあう文化、それが世界的にも魅力的な文化になっていったんでしょう。そういう所は、日本の企業も学ぶべきところじゃないでしょうか。日本の家電やケータイも、ガラパゴスとか言われていましたけど、暮らしと身の丈に合った心配りと機能開発が積み重なって、必要とされて生まれてきたんじゃないでしょうか。これが海外には無い発想と思いやりで、世界から評価される起点なのだと思います。
藤川さんがおっしゃったように、昔は“粋な情緒”みたいなものが街中にありましたね。窓を閉めてしまうと中の音が聞こえなく閉鎖的(内向的)になる。エアコンによって季節感がなくなってしまう。暑くも寒くもないから工夫も少ない。今って多くのことが合理的に区分され、色んな事を感じたりする機会が少ないですね。
藤川:それってやっぱりプライバシーですかね。昔の下町は軒先をくっつけて生活していたから、そもそもプライバシーなんてなかったんですよね。逆に言えば“開けっぴろげ”でも気にしない。旅行に行く時は、近所のおじさんに「ちょっと見といてね」とひと声かければ、近所がみんなで見ていてくれるみたいな。お互いが顔見知りだから地域の安全も自然に保てる。そういう「つながりの文化」のよさがあったんじゃないかなって思います。
以前、山崎先生もおっしゃったけど、藝大の若いデジタルネイティブな世代が、アナログに興味を持つそうですね。でも、「デジタルがベースにある人がアナログに興味を持つ」ということですよね。デジタルの上にアナログの良さが加わることで新しい文化が形成される。つまり、過去の良さと今の技術を融合して新しいものを作るときに、イノベーションは起き易くなるのかもしれません。
いったん多様性を受けいれた上で新しい価値を発信する
──山崎先生はビジネス現場のこともご存じですが、イノベーションを生むための発想について何かご意見をいただけないでしょうか?
山崎氏:最近「ナラティブ」(物語)という言葉が使われていますが、それはストーリーの決まった物語ではなく、読み手とその人の体験によって変化することのできる物語を指します。筋書きの通りにはならないこと、その通りにならないようにする試行錯誤が、偶発的にイノベーションを生む可能性があって、人と違うことをやる執念に強い可能性を感じます。藝大はまさにこれです。江戸の文化じゃないけど、「おめえの持っているものは、俺は持たねえぜ」みたいなノリで、今までとちょっと違ったものが生まれ、新しいものが増えてくる。それで、いろいろな人が影響を受けてまた新しいものが生まれてくる。そういったサイクル。このように、いろんな人たちを融合させて、違うものをどんどん生み出すような『Orchestrating』をNECはしないといけないんじゃないでしょうか。
藤川:企業側の原理で考えれば、多くの人に使ってもらえる製品を作った方が良い。でも、インターネットが一般的になり、SNSなど個人が情報発信する力や、情報が共有される仕組みが急速に拡大する中で、個人が市場を動かすようになり、企業もこれを無視できなくなった。さらに身の回りのものがデータ化され個人に紐づいていくことにより、自分に最適なもの、つまりパーソナライズされた製品やサービスを提供してくれた方がうれしくなってきている。
さっきの江戸の話で、ちょっとしたところで自分らしさを取り入れたり、表現したりして「粋」を感じる。そのちょっとの違い。一回多様性を受け入れて認めた上で、自分なりの新しい価値とか新しい自分を表現し、存在感やアイデンティティを出していき、そこに喜びを感じるとか、自分が生きていることを認めてもらうとかが出てくるのではないでしょうか。
山崎氏:そこは、いろんな個性で張り合うわけですね。相手がいるから磨けるんですね。これは、デザインの領域を越えて、企業や経営にもそういうセンスとか感性が必要だと思うのです。私は50歳手前ですけど、「仕事ができるね」と言われるより「センスがいいな」と言われるほうがうれしい(笑)。だんだん能力主義から、個性や感性、人間性を磨きたいし、その力を活用したい、という社会になってきているのだと思います。
──江戸の話を聞いていて感じたのは、手法とかツールをひとつの単位として見ると、例えばセンチメータって単位では、測れないものっていっぱい出ちゃうけど、尺っていう単位で測れば、ピッタリ入っていく世界ってあるじゃないですか。
企業にいる立場からすると、センチなり何なりを、ひとつにしようとするから、入らない枠というのが出てきて、廃棄されてしまうけど、実はちょっと違う単位を持ってくると、センチでは入らない奴らが、イキイキとする世界がきっとあるんだろうなと。
勿論、センチメータで言語化できるのは、していけば良いですけど、言語化されちゃったら、もっと言語化できていなものを探したがる訳ですね。
「場」をつくるプロデューシング力が求められる
藤川:イノベーティブな発想を生む「場」の作り方ですが、物理的な場を論じられることが多いけど、そこに臨むひとりひとりが、どんな心持ちでやるかと言ったことが重要だと考えています。慶應義塾大学前野隆司教授の「幸福論」についてお話した際、統計的に分析したら四つの因子で幸福かどうかを見極められると伺いました。そして、イノベーションを起こすときの因子が偶然にも重なっていることに気づかれたそうです。幸福論では、高い幸福でいる人は、イノベーティブであるという話が面白くて、それを裏返せば、逆が真かどうかわからないけど、幸福な気持ちでなかったら、イノベーションって起こしにくいのかな? と感じるのです。
真剣に議論する場もそうだけど、楽しむとか、幸せに感じる何かがないと、やはり新しいこととか、クリエイティブなことって起こらないんじゃないか? 藝大の先生として、そのあたりに感じることがありますか。
山崎氏:その通りですね。藝大の学生は皆、描く事や創る事、自分の閃きを具体化する事に特に強い喜びを持っています。それらが切磋琢磨できるのが藝大(場)で、だからポジティブなクリエイティブが起こっているのだと思います。でも普通このような「場」は限られます。企業においては、どういう人を連れてくるか、どういう人たちを組み合わせて「場」をつくるか、そのプロデュースの能力がないといけません。人(個性と感性)を繋いだり、コト(幸福な気持ち)を繋いだりできるプロデューシング能力が「場」をつくるためにとても重要な要素だと思います。
──人を集めるとか、人を繋ぐってところで、藝大と NEC と繋がって何かやる可能性を探しています。どんなイメージがありますか?
藤川:今のようにスマホとかデジタルなコミュニケーション手段がなかった頃、人と人のつながりってとても大切だった。必要に応じてコミュニティが形成され、そこでいろんなことが起こっていた。もう一度そこを研究してみたらどうでしょうかね。昔の技術と、デジタルネイティブな人たちの感性というものを、今の世界に「新しい技術」として体現しようとしたら、なんか面白いんじゃないかなあ。
山崎氏:藝大生も、昔の技術や当時の開発者と付き合う機会はないんですよ。でも、旧テクノロジーに人間性のある魅力を感じている学生も多く、正直、関心が高いです。
感覚的に体感的に理解と実感が湧く魅力が、旧テクノロジーにはあるんですよね。
アナログ知性(理性)とハイテク野性(感性)とがジョインしたらどうなるのか。そういうのは面白い研究かなという気はしますね。
藤川:さっきの江戸の話になりますが、お互いに距離感を持ちながら、コミュニケーションの仕方をうまく考えて生きていました。しかしそれが今なくなってきましたね。ここにAI が入ってきたら、さらにお互いが生きにくい窮屈な世界になっていくのか? AIがこの先どのように進歩していくのか、様々な意見があると思いますが、この観点で考えれば、江戸時代の下町のコミュニティのような、人と人の絶妙な間合いをAI側がコミュニケーションの中で取れるのか? つまり、人がAIなど意識しないで自然にいられる社会などがこれからの大きなテーマの一つになるのではないでしょうか。デジタルが存在する上に築かれるアナログの世界ですね。人生100年時代とかいいますが、ギスギスした中で60年生きて、あと40年同じように生きるなんてつらいじゃないですか。そういったこともあって、前回は「幸福と生き方の関係性」について、前野教授とお話をさせていただいたんですよ。
山崎氏:「幸福と生き方の関係性」は大きいテーマですね。幸せとか幸福のための研究であれば、将来を担っていく世代のニーズがどこにあるのかを拾い上げていったり、議論して一緒に作ったりすることは藝大生の得意とするところです。そうした大きなテーマに創造性の高い人の集まりで取り組んでみるのはいいと思いますよね
藤川:NECだけで難しかったら、賛同する企業を巻き込んでもいいと思うんですよね。
山崎氏:NECと藝大だけじゃなくて、さらに賛同者を繋いで、オープンイノベーションでやっていけたら面白そうですね。
藤川:藝大と連携すると、いろんなところと組める実現可能性を感じます。これからも連携をよろしくお願いいたします。
──ありがとうございました。