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デジタル維新—英雄たちの心のうち

iPhoneがモバイル端末にデジタル維新を起こしたわけ
命を懸けたジョブズの挑戦とは?

 2007年1月10日。私はサンフランシスコ、モスコーニセンターのステージ近くに陣取ってその日初めて御披露目される「新カテゴリー」の製品登場を固唾を呑んで待っていた。

 ステージ上を大股で行ったり来たりしながら当時のApple※1、CEOのスティーブ・ジョブズは聴衆に思わせぶりな謎かけをした。「今日は3つの新製品を発表するよ。大画面を持った音楽プレイヤーのiPad、そしてゼロから再発明した電話、最後はインターネットでコミュニケーションができる革新的な新製品。さてどんなものだと思う?」

iPod、電話、そしてInternet機能が付いたもの。便利だと思うだろ。と思わせぶりなプレゼンが始まった(撮影:筆者)

 そしてそれぞれの各機能を概説し、実は3つじゃなくて、1つのデバイスなんだ、と種明かし。「3つの機能を詰め込むとこんな形になる」とその当時ガジェット市場をにぎわしていた複合製品的なイメージ写真を披露して会場を笑の渦に包む。

当時、家電製品には「これとあれを一緒にしました」、という複合製品がたくさんあった。それを揶揄した「新型スマートフォンの形」。Appleがこんな醜悪なものを作るはずはない、と会場は笑いの渦に巻き込まれた(撮影:筆者)

 「もうみんな分かったかな? 本当はこの3つを一つにして、電話を再発明したんだ」

 このときのキーノートスピーチのノーカット版全編はここで視聴できる。

http://itstreaming.apple.com/podcasts/apple_keynotes/1_macworld2007.m4v別ウィンドウで開きます
iPhoneにかかわる発表は26分20秒くらいから始まる

 きれいにデザインレイアウトされたRich HTMLメールが扱えるとともに、それまで市場を席巻していたモバイル電話用に簡略化されたブラウザではなく「本物のWebブラウザ」が使え、音楽もビデオも指先でするすると扱える! iPhoneの登場だ。

 何よりも驚いたのは、画面を操作する「道具」はスタイラスペンでもキーボードでもない。指先だけで操作する。操作開始は画面上のスイッチを横にスライドさせて起動。たくさん並んだリスト状の情報は指を上下にスライドさせてスクロール。画面上の小さなアイコンをタップすると画面がさっと変わって次の機能が飛び出す。画面上、小さくて見にくい場所は二本指でぐいっと押し広げて拡大、ブラウザのカラムはダブルタップするとそこだけが画面いっぱいに広がって表示される。

 そんなこと当たり前じゃないか、と今この記事を読んでいるあなたは思っただろう。今でこそ、そうした指先での操作が一般化し、各社のスマートフォン、タブレット、パソコン、そしてその他の家電製品でも使われるようになったが、iPhoneの登場の瞬間からこの世界は変わったのだ。

 その当時、画面を押下したり、画面の端から発信される光を指が遮ったりすることで位置が検出できるディスプレイは存在していた。しかし、それらは数ミリから1センチ角くらいのグリッドを区別する程度の精度しかなく、一般的な利用方法はPOSレジの端末のような応用製品だった。精度を1ミリ以下のオーダーに上げるにはスタイラスペンのような特別なポインティングデバイスが必要だったのだ。特に手のひらに乗るほどの小さなデバイスで文字入力をしようとするとキーボードスイッチのサイズは数ミリの大きさになってしまう。この小さなキーボードスイッチを正確にタイプするにはスタイラスペンは必須と考えられていたのだ。

 そんな時代であったにもかかわらず指先だけで操作できる「マルチタッチデバイス」が作れるはず。もしそんな部品がないならメーカーに作ってもらおうじゃないか、と考えたのがスティーブ・ジョブズだった。無いものは何としてでも作る。「デジタル維新」第5回ではこの「指で操作するモバイルデバイス」の誕生に光を当てよう。

  • ※1 この日からそれまでの社名Apple ComputerはAppleに変わった。もはやコンピューターだけの会社ではない、という表明でもあった。

林 伸夫(はやし・のぶお) 氏

1949年10月14日、山口県生まれ。1972年大阪大学基礎工学部制御工学科(現情報科学科)卒。1982年日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。ソフト評価委員会主宰、日経パソコン編集長、日経BP社システムラボ、日経MAC編集長などを歴任した。スティーブ・ジョブズ氏やビル・ゲイツ氏などIT業界の巨人に数多く取材をしている。

群雄割拠の90年代

 iPhoneの発表からさかのぼること10年、時計の針を巻戻してみよう。1990年後半、携帯電話網を使ったハンドヘルド型の情報機器は百花繚乱、さまざまな工夫を凝らした機器が市場を彩っていた。音楽が楽しめ、メールでコミュニケーションができ、小さな画面専用にデザインされたページをブラウズできるモバイル機器だ。日本では1999年にサービスインしたiモードが人気を博した。

 Appleの社内プロジェクトからスピンオフして1990年に誕生したGeneral Magicも忘れられない。General Magicは当時のApple社長のジョン・スカリーの肝いりで誕生した。スティーブ・ジョブズがAppleから去り、トップエンジニア達は何か他に革新的なことに取り組んでみたいと考えていた。Mac OSのデスクトップをコントロールするFinderやグラフィックス操作部分を手触り良く磨き上げたアンディ・ハーツフェルド、GUIの基本部分を練り上げたビル・アトキンソン、アップル(ジャパン)でキャリアをスタートさせのちのGoogle副社長、米ホワイトハウス3代目のCTOにもなったメーガン・スミス等が参加する一方、会社資産的にはApple 70%、ソニー 10%、Motorola 10%の出資を集め華々しくスタート、1994年には資本提携は15社にまで膨れ上がった。いかに世界が手のひらに乗る便利な情報機器を渇望していたかを物語っている。

 しかし、その後、ジョン・スカリーは個人情報アシスタント(Personal Digital Assistant=PDA)というコンセプトを前面に打ち出してきた。Appleがパソコンの次にコンシューマーに提供するのはこれだ! と発表したのが「Newton」だった。1992年1月のCESでスカリーがPDAのコンセプトとともに製品の発表を行った。AppleはGeneral Magicにも出資している立場だったが、この後軸足はNewtonに完全移行した。

 日本ではシャープがパートナーとなり「Zaurus」という商品名で日本市場に投入した。ところが、文字認識速度が遅い、認識率も悪い、モバイルで満足できる通信機能が入っていないと肝心なところでユーザーの期待に応えることができず、消え去ることになった。

ジョン・スカリーの夢は「ナレッジナビゲーター」。「今日のディナー、妻と二人分の予約をして」「今日の講義の資料として熱帯雨林の砂漠化の資料を集めて」と声で依頼すると、タブレット端末の中のアシスタントがしっかりと仕事をこなしてくれる、というものだった。2019年の今ならそのうちのかなりの部分が実現できるようになってきたが、この時代にはまだまだ技術が追いついていなかった。写真はMacintosh IIを発表した時の会見(撮影:筆者)

 1992年、Palm社も誕生した。製品としての「Palm」はその名(手のひら)の通り小型軽量を実現し、ビジネスパーソンの手帳替わりに使われた。入力方法はNewtonのように完全な手書き認識方式ではなくジェスチャーを組み合わせるという工夫が加えられたので文字入力は非効率というほどではなかった。しかし、ビジネスパーソンがさまざまな日常業務を多彩にこなすにはアプリが不足しており、大ヒットにはならなかった。スタイラスペンがよくなくなり、ここぞというときに使えないという悲喜劇もよく起こった。

ソニーが1991年に発表したPalmTop PTC-550。定価は16万8000円。バッテリーを含め重さは970g。バックライトオフで6時間、オンなら1.5時間、というスペックだった。もうぼろぼろで電源も入らないので、外見だけでご勘弁を

指で情報を扱うことへの命をかけたこだわり

 当時、欧米諸国で大ヒットとなったスマートフォンがある。BlackBerry。メールの送受信、ビジネス文書などを「メカニカル」なキーボードで打ち込める仕事用スマホだ。パソコンのキーボードをギュ~ッと凝縮したようなパネルがデバイスの1/3を占める。パソコンで仕事をばりばりこなしている人には出先でも同じような仕事がこなせるので必需品として人気を博した。

iPhone発表のキーノートスピーチで引き合いに出された当時のスマートフォンは小さな「メカニカル」なキーボードを取り付けたスタイルだった。デバイスの1/3をキーボードが占めたため、情報を表示するエリアは狭く、画面上に表示された情報を扱うコントロールは直接的ではなかった(撮影:筆者)

 しかし、スティーブ・ジョブズはメカニカルキーボードとスタイラスペンをことのほか嫌った。「なんてったってキーボードスイッチが占める面積が無駄、それをソフトウェアで実現できたらデバイス全面をディスプレイにすることができる。画面いっぱいに表示されたリストやボタンを指し示すのに矢印キーを使ったりスタイラスペンを使ったりする間接的操作はユーザーに情報を直接扱っているという感覚を与えない。もどかし過ぎるだろ! しかも、スタイラスペンなんてすぐになくなっちゃう。そんなの絶対ダメだ」。スティーブはあくまでも情報を直接操作する「感触」にこだわったのだ。

 2005年のある日、ジョブズはチームを集めて宣言する。「タブレットを作りたい。キーボードもスタイラスペンもなしだ」 入力はスクリーンを直接指でタッチしておこなう。そのためには、複数の入力を同時に処理できるマルチタッチ機能を持つスクリーンが必要だ。「だから、マルチタッチに対応できるタッチ機能付きディスプレイを作ってくれ」(『スティーブ・ジョブズII』著者/ウォルター・アイザックソン訳者/井口耕二、講談社刊)

 2004年3月にAppleが申請し2005年5月10日に成立した意匠特許、D504,889には角が丸く整形されたタブレット端末が描かれている。iPhone開発が始まる前からスティーブの頭の中にはこれで行く、というアイデアが確固として存在していたのだ。今は世の中にないかも知れないが、これを作り上げるのだ、という決意がここに現れている。その時すでにスティーブのすい臓には病魔が襲い、残された時間は少ないと知りながら、これは何としてでも作り上げると突き進んだのだ。

Appleが2004年3月に米国で意匠特許申請した指で操作するタブレット端末。持ちやすく操作しやすいように角を丸く削り取った、今のiPad、iPhoneと同じ形状をしている。申請者の中にスティーブ・ジョブズの名前もある。まだ、現実に使える実用製品はなかったが、この世界を作るんだ、という決意とともに突き進んだ

マルチタッチのディスプレイを生み出す苦しみ

 実はそのころすでに、複数の指が同時にタッチした場所を検出する機能を備えたトラックパッドは存在した。Appleはこれに目をつけた。2005年、Appleはその会社、フィンガーワークスと特許を全部買い取ると同時に創設者のジョン・エリアスとウェイン・ウェスターマンの二人を雇い入れた。新しい特許がAppleの元から取得され始めた。

 このマルチタッチ技術をディスプレイに合体させる。

 しかし、ことはそう簡単ではなかった。高精細画像印刷と同じレベルの液晶ディスプレイに人体が触れたときに生じる微細な静電容量の変化を感じとるセンサーフィルムを貼り、出力された位置情報から高速にその動きの方向とスピードを検出し、正確に画面に反映させる。文字入力用のキーボードを従来のパソコンのキーボードのように敷き詰めたら数ミリ角のパネルを正確にタッチしてもらわなければならない。しかし、人の指は数ミリ角のパネルを正確にタップできるほど細くはない。しかも、ユーザーは指の位置を確認するのにパネルに垂直な位置から視認してくれるわけではない。

 開発を受け持ったエンジニアはユーザーが少しあいまいなタッチをしても入力した文字列から正確な文字列を類推し、正しく入力できるオートコレクト機能などをいくつも試したという。しかも、フルカラー高精細(レティーナディスプレイ)の実機はその時点ではまだ液晶メーカーが試作を繰り返している段階で手元に実験機があるわけではなかった。プログラムコードを書くエンジニア達はMacintoshに何本ものケーブルで繋いだ疑似マルチタッチディスプレイでプログラムを書き上げるしかなかった。

 このあたりのエキサイティングな現場ストーリーが、最近日本語訳が刊行された『Creative Selection-Apple 創造を生む力』(著者/ケン・コシエンダ、翻訳/二木夢子、サンマーク出版刊)に詳しい。これまで、Apple社内でどのように製品が作られて来たのか具体的な開発方法まで語られたことはなかったので、一読をお奨めする。

 iPhoneの発表を聞いた当時のマイクロソフト社長、スティーブ・バルマーはCNBCのインタビューに答え、「500ドルの電話だって? キーボードもついていないからビジネスに使う人なんかいないんじゃないか?」と発言している。Microsoft's Ballmer Not Impressed with Apple iPhone: CNBC(https://www.cnbc.com/id/16671712別ウィンドウで開きます)。実際の映像はこちらで確認できる。Ballmer Laughs at iPhone(https://youtu.be/eywi0h_Y5_U別ウィンドウで開きます

 たしかに、当時、キーボード付きのBlackBerryを愛用していた多くのビジネスパーソンの中にはそう感じた人も多かっただろう。情報を直接扱う現実感と効率の良さがどれほどのものなのか、それまでなかったのだから触ってみなければ分からない。しかし、モバイル情報機器のありようが1ランク上がってしまったのだから世界は後戻りできないほど変わってしまった。キーボード付き電話、スタイラスペン付き情報端末を骨董品に変えるほどに。まさに、iPhoneの登場がこの世界を変えたのだ。