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学び多きフィンランド 岩竹 美加子 連載

東京とヘルシンキの都市再開発計画から考える、
暮らしやすい街とはなにか

 今年3月、東京神宮外苑地区の再開発のための工事が始まった。美しいイチョウ並木や複数のスポーツ施設で知られ、「都会のオアシス」として親しまれてきた場所だが、1000本近い樹木を伐採し、神宮球場と秩父宮ラグビー場の場所を入れ替えて新築、高さ190メートルの高層ビル2棟が建てられる予定だ。高層ビルには、ショッピングモールも入る。現在、市民による反対運動が進行中である。

 この再開発は民間事業だが、東京都が定めた「東京2020大会後の神宮外苑地区のまちづくり指針」(2018年)に沿ったものだ。つまり、東京五輪後の都市再開発なのだが、環境や地球温暖化に配慮し、都市のグリーン化を志向する世界の流れに逆行し、商業主義的な再開発を優先しているように見える。

 現在は忘れられているようだが、80年代後半から90年代前半の東京都は「世界都市東京」というアイデンティティを打ち出していた。世界都市は、第一に金融や経済の結節点だが、文化も重視される存在である。海外の都市社会学者からもニューヨークやロンドンに並ぶ世界都市と評価され、江戸東京博物館や葛西臨海水族園などの文化施設が新設された。

 2020年代の東京に、都市ビジョンはあるだろうか。

 ここでは、比較としてフィンランドの首都ヘルシンキを見たい。ヘルシンキは北欧の小都市で、世界都市ランキングのトップに入ったことはない。しかし、文化に加え平等や公平、市民のウェルビーイング、政治的決定の透明性などを重視してきた。そこから見ると、東京の再開発はどう見えるだろうか。現在のヘルシンキの都市再開発の一つとして、中心部に「南港」と呼ばれる地区がある。そこに建設予定の建築・デザインミュージアムを例に考えてみたい。

岩竹 美加子 氏

東京生まれフィンランド在住。明治大学文学部卒業後、7年間の会社勤務を経て渡米。ペンシルべニア大学大学院民俗学部博士課程修了(Ph.D.)。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授等を経て、現在同大学非常勤教授(Dosentti)。著書に『フィンランドはなぜ「世界一幸せな国」になったのか』(幻冬舎新書)、『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮社)、『PTAという国家装置』(青弓社)、編訳書に『民俗学の政治性 アメリカ民俗学100年目の省察から』(未来社)

神宮外苑の再開発に向けられる厳しい見方

 神宮外苑地区は1926年に造成されて以来、散策やスポーツ、文化の場として親しまれてきた。東京には、歴史を感じさせる街並みや建築が少ない。そのため、特に神宮外苑の樹齢100年のイチョウ並木は、都市景観として歴史的、文化的な価値を持っている。

図1:神宮外苑のイチョウ並木

 神宮球場も1926年に竣工された歴史を持つ。しかし、改修ではなく悪条件の場所への新築、住民への情報公開や対話の欠如、風致地区に高層ビル建築を許可した規制緩和の不透明さなどが問題にされている。

 また、再開発環境アセスメントの評価書が、樹木調査や生態系維持・復元を含めた科学的な見解を否定するなど、不備があることも報じられている。

 再開発では1000本近い大木の伐採が計画されているが、「樹木を若い樹木に植え替えることにより、緑の循環を図る」「樹木の本数は、従前の1,904本から1,998本に増加」「生物多様性の保全上、問題ない」という主張の信憑性を疑う声もある。

 しかし、こうした様々な問題の議論が充分にされないまま、工事が進められているのが現状だ。東京都によると、神宮外苑地区の再開発竣工は2035年度。総事業費は3490億円である。解体工事が始まった第二球場の周辺で、手をつないで反対を訴えるなどの運動が行われており、現在までに19万6000筆の署名も集められている。

バリアフリーで遅れをとる日本

 神宮外苑地区の再開発で気になるのは、バリアフリーの遅れである。新宿区ユニバーサルデザインまちづくり審議会の「(仮称)神宮外苑地区再開発事業/(仮称)聖徳記念絵画館前整備事業」(2021年)を見てみると、「成熟した都市・東京の新しい魅力となるまちづくり」「スポーツ施設等のバリアフリー化」「地下鉄駅と地区内のスポーツ施設や広場とを連絡するバリアフリー動線を確保」「駅と施設とをつなぐバリアフリーの歩行者ネットワークを形成」などが述べられている。

 つまり、東京を「成熟した都市」と位置づける一方、バリアフリーが未だに実現されていないこと、実現しようとするバリアフリーも限定的なものであることがわかる。ちなみに、フィンランドでバリアフリーは法規定されており、全ての公共建築、駅、交通機関、道路、アウトドアエリアなどで実現されている。

図2:日本ではまだまだ遅れているバリアフリー化

オープンで嘘のないフィンランドの公共事業計画

 人口1400万人の東京都に対して、ヘルシンキ市は人口約63万人。東京23区では、人口67万人の足立区に近い。隣接するエスポー市(人口30万人)とヴァンター市(人口24万人)も合併し、人口100万人の首都圏にするという構想も過去にはあったが、反対意見が多く実現することはなさそうだ。

 フィンランドは「森と湖の国」と呼ばれるが、実はバルト海に面する海と島、無数の群島の国でもある。ヘルシンキは港町でもあり、様々な都市再開発が行われてきた。ただし、東京では80年代後半から90年代前半に、 葛西臨海のウォーターフロント再開発とジェントリフィケーションが行われたが、ヘルシンキで同様の再開発が進んだのは2000年代に入ってからである。

 前述したように、再開発計画の一つとして 「南港」と呼ばれる地区がある。市の中心部であり、歴史的にも古い。南港地区全体の開発計画では、海を感じる体験、文化と余暇、歩行者道路である公園通りの南港までの延長などがあげられている。

図3:60年代頃の南港と現在の南港へと続く遊歩道拡張工事

 建設予定の建築・デザインミュージアムのコンセプトについては、2019年に教育文化省とヘルシンキ市が次のように発表している。「いかにデザイナーの選択が、我々が共有する世界を建設したかを示す。将来の問題解決を目指して、建築とデザインに関する社会的な対話のために人々が集う場にする。その目的は、デザインから世界を見る視点を供給すること。全ては他のあり方が可能であり、より良いものに変えていくことが可能だ。」

 フィンランドは、デザインを自国のイメージ戦略の一つにしている。また、デザインが社会的な問題を解決する方法として発展してきた歴史がある。より平等で公平な社会を実現するためのデザイン、という考え方で、現在の「サービスデザイン」という考え方に繋がるものである。このコンセプトからは、イノベーティブな視点を発達させることへの意欲も伺える。

 さらに、このコンセプトは次のように続く。「使う人を出発点にした、オープンで実験的なミュージアムにすること、 さらに新しいテクノロジーによって、まだ存在していないデザインを体験でき、未来の社会問題の解決策をバーチャルに試せることも含む。」

 ここにも「未来の社会問題の解決策」としてのデザイン、という視点が示されている。オープンで実験的、テクノロジー、バーチャルに試すなどデジタル化の進んだフィンランドが発するコンセプトとして納得できる。すでに男女平等やデジタル経済社会指数(DESI)などの国際ランキングで高い評価を得ているので、それにも繋げやすい。

 また、こうしたコンセプトや公共事業の計画で特徴的なのは、嘘がないこと、科学的な根拠に基づいていること、公共性や市民のウェルビーイングを第一に考えていること、信頼できることである。

 このコンセプトは、2018年から教育文化省とヘルシンキ市、2つの財団が協働で進めたもので、その経緯もオープンにされている。ミュージアムの建築は国際的なコンペティションでの公募になり、日程などは今後発表される予定だ。

ミュージアムの誘致もじっくり議論

 実は、建築・デザインミュージアムの予定地は以前、グッゲンハイム美術館誘致案があった場所である。ニューヨークのグッゲンハイム美術館は、スペインのビルバオに分館を持ち、2025年にはアブダビにオープンする予定だ。

図4:ニューヨークのグッゲンハイム美術館

 ヘルシンキへの誘致案は、2010年に発表されたが、その経緯が不透明なことが不信感を招いた。アメリカには、グッゲンハイム一族のような富豪が出資する文化施設や政策が多い。個人の財団なので公の議論はされないのが普通だが、それが公でオープンな議論を重視するフィンランドで嫌がられた。その後、ヘルシンキ市の分担額などの問題、観光地としての意味づけ、アメリカ文化帝国主義への忌避感、フィンランドのアーティストの立場などの問題が議論され、2016年に誘致しないことに決まった。国際コンペによって、美術館の建築案も決まっていたのだが、最終的な決定まで6年かけて議論されたことになる。

ウェルビーイングが重視される街

 ヘルシンキは、文化都市でもある。2017年には、独立100周年を記念する市民へのプレゼントとして、中央図書館「オーディ」がオープンした。図書館という従来の概念を超えて、多目的な市民の集合場所である。3Dプリンターやミシンなども備えられ、赤ちゃん連れの母親やチェスを楽しむ人などで賑わっている。オーディは、2019年にアテネの国際図書館カンファレンスで、世界最高の新しい図書館に選ばれた。

図5:ヘルシンキの中央図書館「オーディ」

 それ以前にも、フィンランドの公立図書館は充実していた。教養を重視する教養主義の国であり、公立図書館はその制度として重要性を持つ。図書館は教育に関連するものであり、少なくとも60年代から教育は医療と並んで福祉国家のサービスの柱と見なされてきた。

 それに加えて、ウェルビーイングが重視される。市民のウェルビーイング向上の一環として、各自治体の図書館は本や楽譜などだけではなく、様々なボードゲームやスポーツ用品なども貸し出している。たとえば、ノルディック・ウォーキングのポール、スキー靴とスキー板、スケート、トレーニング器具など多様で、お金を使わなくても試したり楽しんだりできる仕組みが整っている。

 また、各自治体のスポーツ施設も充実している。立派なスイミングホール、ウインタースポーツ用アイスリンク、スポーツジム、またそれらの複合施設などが安価で利用できる。

 フィンランドでは、何についても平等、公平、人権、ウェルビーイングが基本的理念である。社会民主主義思想が強く、貧富の差や社会格差を嫌うこと、政治の腐敗が少ないこと、政治を信頼できること、嘘がないことも大きな特徴と言える。それは、都市計画や美術館、図書館、スポーツ施設などにも貫通している。

 そして、それらはまさに日本の政策から欠けているものでもある。神宮外苑地区の再開発構想が照らし出すのは、東京五輪後の都市ビジョンのクオリティであるだろう。東京五輪は、終了してからいくつもの汚職や賄賂が明らかにされている。東京は、住民のための都市ではなく、一部の人たちの利権や利益のための都市になっていないだろうか。

東京の街の変遷

 ここで、1964年の東京オリンピック以降の東京をふり返ってみよう。オリンピックは、経済成長期の日本に新幹線などの交通インフラをもたらしたが、’70年代の東京は雑然として醜い、都市美がないと言われていた。

 しかし、’80年代になるとバブル経済によって富裕化し、それが引き起こしたポストモダン的転回によって、「東京は世界一エキサイティングな都市」と言われるようになった。 「世界都市東京」という言葉も、よく耳にした。世界都市は都市社会学などで使われた用語で、東京は世界の重要都市の仲間入りを果たしたという晴れがましいニュアンスがあった。1993年、新宿に完成した都庁の新庁舎は、それにふさわしい圧倒的な外観を備え、それまで有楽町にあったパッとしない建物群とは一線を画すものだった。

図6:新宿の都庁

 ’90年代になると、「東京は無国籍の街」と言われるようになった。「無国籍」というのは、アジア的、欧米的な文化が混沌と入り混ざった多文化的な雰囲気を指していた。

 しかし、’90年代にバブル経済が弾けて日本は低迷を続け、貧困化している。現在、都庁新庁舎の下は、食料配給が行われる場ともなっている。

 また、最近「排除アート」が増えていると言われる。「排除アート」は、公共空間や路上に座りにくいベンチなどを置き、主にホームレスの人を排除しようとする装置である。

 現在進行中の外苑地区再開発では、東京が「成熟した都市」と位置づけられていることは、前に見た。その意味は明確ではないが、少子高齢化の進む都市を指すと思われる。

東京はウェルビーイングを実現できるのか

 こうした状況の中、日本政府はデジタル田園都市国家構想、スマートシティ、スーパーシティなどの方向を打ち出している。その名称が示すように、都市のデジタル化を進めようとするものだが、日本のデジタル化に技術的な問題が多いことは、最近のマイナカードの問題からも明らかだろう。

 今の東京に必要なビジョンや政策は何だろうか。それは、多数の大木の伐採や都心の高層化、ショッピングモールの増加、無理なデジタル化ではないだろう。

 一部の人の利権や利益のための都市ではなく、市民を出発点とした市民のための都市、平等や公平、ウェルビーイングを実感できる都市ではないだろうか。

 そのためには、事業者や為政者による誠実な対応や市民との対話など、望まれるものは非常に多岐にわたる。

【参照文献】

三井不動産、グループ生物多様性方針策定。東京・神宮外苑の再開発計画を「昆明モントリオール生物多様性枠組」に準拠と強調。逆に「グリーンウォッシュ」の懸念も(RIEF)、2023/04/24、https://rief-jp.org/ct12/134840?ctid別ウィンドウで開きます

新宿区ユニバーサルデザインまちづくり審議会の「(仮称)神宮外苑地区再開発事業/(仮称)聖徳記念絵画館前整備事業」、2021年
https://www.city.shinjuku.lg.jp/content/000323749.pdf別ウィンドウで開きます

A-D New Museum of Architecture & Design. A New Home for Architecture and Design in Helsinki. https://www.admuseo.fi/eng-site/homepage別ウィンドウで開きます

東京2020大会後の神宮外苑地区のまちづくり指針 (概要版)
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/11/22/documents/08.pdf別ウィンドウで開きます