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ユカイ工学が教えてくれた、豊かなノンバーバル体験の重要性
~NEC未来創造会議・分科会レポート~

 情報通信技術の発展によって、人々は日々膨大な情報をやりとりするようになった。その多くは言語や映像など、視覚や聴覚を使うものに限られているが、それだけですべてを表現できるわけではないだろう。視覚や聴覚だけではない人間の感覚の可能性を信じるユカイ工学の青木俊介氏は、独創性あふれるロボットやIoTデバイスの開発を通じて人の心を動かしてきた。NECの未来創造プロジェクトは新しい価値創造の可能性を探るべく、青木氏とトークセッションを実施。NECフェロー・江村との対談からは、言語を超えた体験の共有方法が見えてきた。

バーバルだけでなくノンバーバル

 「ぼくたちはすごい技術を使って膨大な量の情報を伝えたいわけではないんです。人間には少ない情報から感情や文脈を解釈する能力があるので、“からくり”的なアイデアを使って自然に人の心を動かせたらと思っています」

 ユカイ工学・青木俊介氏がこれまで手掛けてきたロボットやIoTデバイスは、まさに同氏の語る“からくり”的なものばかりだ。家族をつなぐ小さなロボット「BOCCO®※1」やしっぽのついたクッション型セラピーロボット「Qoobo®※2」は独自のアプローチで豊かなコミュニケーションを生み出しているが、必ずしも大量のセンサーや最先端のテクノロジーが使われているわけではない。ユカイ工学のロボットに使われているのはむしろシンプルなテクノロジーであり、それこそが同社のロボットから漂う生き物らしい気配の所以なのかもしれない。

ユカイ工学株式会社 代表取締役 CEO 青木 俊介 氏

 「ロボティクスで世界をユカイに」というメッセージを掲げ、「心を動かし、人を動機付けすることのできるインターフェース」としてのロボットの可能性を追求してきたユカイ工学には、インターネット以降の新たなコミュニケーションや新たな体験を考えるうえで豊かなヒントが満ちているだろう。人が豊かに生きる未来を目指し「意志共鳴型社会」というビジョンを提唱しているNECの未来創造プロジェクトにとっても、ユカイ工学の生み出すコミュニケーションは重要な意味をもっている。

 「人間のコミュニケーションにおいて、文字だけが伝えている情報は4割程度だと言われていますよね。残りの6割はノンバーバルな情報によって生まれていて、文字だけではニュアンスがまったく伝わらなかったりする」

 青木氏がそう語るように、これからのコミュニケーションを考えるうえでノンバーバル(非言語的)な情報は重要だ。現代社会には大量の情報が行き交っているが、そのほとんどはバーバル(言語的)なものであり、わたしたちは専ら「視覚」と「聴覚」によってそれを享受している。

 「文字情報だけでコミュニケーションしても信頼関係が生まれにくいんです。だからネット上の議論もなかなか噛み合わなくて、言語だけでどれだけ正しく伝えようとしても信頼関係が成立しないから結果的にどんどん分断が広がっていってしまうんですよね。だからこそいまノンバーバルなアプローチが重要になっていると思います」

心を癒やす、しっぽクッション。Qoobo®

少ない情報から「気配」を生み出す

 青木氏が言及したような情報社会の分断に取り組むべく、未来創造プロジェクトは数年にわたって議論を重ねてきた。現在同プロジェクトが次なる社会として構想するのは、体験を共有できる「エクスペリエンスネット」によって人々の意志が共鳴しあう世界だ。

 「これまでのテクノロジーは効率化に注力することで、距離の壁や時間の壁を超えてきました。『人間中心』といった概念が近年注目されているように次は“人”の壁を超える必要があると思うんですが、単に情報伝達を効率化するだけではこの壁を超えられないと思っています」

 NECフェローの江村は、青木氏の発言を受けてそう語った。情報伝達の効率化は表層的で共通理解しやすい一義的な部分だけを共有化し、結果的に人々の分断を呼び込んでしまった。人々が共鳴できる社会をつくるためには、効率化によって省略されてきた「プロセス」や「状況」を取り戻すことにこそテクノロジーを使わなければいけない。他方の青木氏も、「気配」が重要だと語る。

NECフェロー 江村 克己

 「たとえばいまオンライン会議システムを利用した飲み会が広まっていますが、喋りだすタイミングが判断しづらいとか相手が楽しんでいるかどうかわかりづらいという話も聞きますよね。オンライン会議システムでは気配が伝わりづらい。でももしかしたら環境音や体温などノンバーバルな情報を使えば気配を表現できるかもしれないし、人間の感覚を引き出すようなインターフェースがあってもいいのかもしれませんね」

 こうした「気配」を表現することは、空間のあらゆる情報をそのまま再現することではない。江村はかつてNEC未来創造会議で美学者の伊藤亜紗氏が紹介したブラインドマラソンを例に挙げ、ふたりの人がただの“紐”によってつながるだけで感情や周囲の環境を伝えあえる可能性を示す。

 「本当に必要なことを伝えるうえでは、必ずしも大量の情報が必要なわけではないでしょう。たとえば小説も文字情報しかないのに多くの人が行間を読み取って涙を流すわけですから。わたしたちNECも技術を扱うのでその性能を上げることに注力しがちですが、これからはむしろ少ない情報から豊かなものを見出していくことが重要なのだと思います」

 江村の語る少ない情報から豊かなものを引き出すこととは、まさに青木氏が冒頭で述べた“からくり”的なテクノロジーの可能性なのだろう。

未来創造プロジェクトメンバーもオンライン・オフラインで参加し、議論に加わった

コミュニケーションを奪うリスクヘッジ

 20年以上にわたって現代の情報技術が追求してきた利便性や効率の追求は、もちろん人々に便利なサービスやプロダクトを提供したが、一方で歪みを引き起こしてもいる。未来創造プロジェクトのような取り組みが年々加速しているのも、この歪みがもはや無視できないものになっているからだろう。

 歪みは、いたるところにある。たとえば青木氏はセキュリティを例に挙げ、タワーマンションのオートロックなど現代の住環境が防犯を強化した一方で、子ども同士が気軽に出会って遊べる機会を減らし、GPSによる子どもの位置情報管理は地域コミュニティの見守りによるコミュニケーションを失わせたことを指摘する。

 「子どものうちは勉強以外の体の刺激が脳を育てますからね。以前学習塾の方からタワーマンションで暮らす子どもは公園に行く機会が減るので成績が伸びにくいと聞いたこともあります」

 リスクへ対応しようとすることは、同時にさまざまな機会を逃してしまうことでもある。江村も青木氏の指摘を受け「コミュニティの問題にもつながりますよね」と語る。

家族をつなぐコミュニケーションロボットBOCCO®

 「子どもにGPS端末をつけて親に位置情報を知らせるだけでは、コミュニティが生まれないんですよ。かつては街のおじいさんやおばあさんが一種の“GPS”だったわけです。そのGPSは位置情報を教えてくれるだけじゃなくて、ときには子どもを叱ることもあったし、コミュニティをつくる存在だった」

 GPSによって子どもの位置情報を把握できればたしかにリスクは減るが、同時にコミュニケーションもコミュニティも減っていく。ただ利便性や気持ちよさを追求するのではなく、一種の困難やトラブルがなければ人は成長しないのかもしれない。青木氏も「嫌いな先生がいるからこそ、その人を見返すためにかえって頑張ったりすることもありますからね」と笑う。

 効率化ではなくプロセスを回復することで、人はコミュニケーションを媒介する他者の存在を感じ、相手のことを想像できるのだろう。だからこそ、触覚や嗅覚など従来は“ノイズ”でしかなかったような情報がこれからは重要となっていくはずだ。

自分の価値観を信じつづける

 こうした議論を踏まえたうえでこれまで青木氏が手掛けてきたプロダクトを見返してみると、触覚をはじめさまざまな感覚や意識を媒介させることで豊かなコミュニケーションを生んでいることに気付かされる。事実、たとえばBOCCO®(※1)のようなロボットは人と人との間に入りこむことで多くの人の行動を変えてきたのだという。

 「ロボットに励ましてもらうことで休まずに学校に通えるようになった子どもや、ロボットにクイズを出してもらうことで元気を取り戻したおばあさんもいるそうです」と青木氏は語るが、「励まし」や「クイズ」はその行動だけを見れば必ずしもロボットが必要なものではない。しかし、そこにロボットが介在することで明らかな変化が生まれている。

 「人間の自由意志ってものすごく儚いんですよね。細かいことですぐに意志なんて変わってしまう。だからぼくも、みんなが膨大な量の情報を扱う世界ではなくて、動物が虫の知らせを届けてくれるように、ロボットが自分の意志をそっとサポートしてくれるような世界を目指していきたいと思っています」

ユカイ工学様のオフィスには、たくさんの作品が並ぶ

 青木氏が手掛けてきたロボットは、技術革新のすごさや利便性にほだされず「ユカイ」という感覚に拘りつづけてきたからこそ生まれたものだ。重要なのはテクノロジーではなく、思想や倫理だといえるのかもしれない。江村もNECが新たな社会をつくるためには考え方を変えなければいけないと語る。

 「これまでとは異なる“ゴール”を設定しなければいけないし、世界の見方を変えなければいけないですよね。すでにさまざまな技術はもっているのだから、発想を変えなければいけない。単に性能の向上を目指すのではなくて、Orchestrating a brighter worldというブランドステートメントを掲げているように、多様なものから共鳴を起こしていくような価値観をこれからは追求する必要がありますね」

 多様な人々の調和を生み出す“指揮者”のような存在になることは、決して容易なことではない。ユカイ工学が自身の価値観を信じぬいたことで新たな体験を生み出してきたように、未来創造プロジェクトも失敗を恐れず自身の価値観を世界に問いつづけることが求められていくのだろう。

  • ※1 :BOCCO®およびBOCCO(ロゴ)は、ユカイ工学株式会社の登録商標です。
  • ※2 :Qoobo®およびQoobo(ロゴ)は、ユカイ工学株式会社の登録商標です。