経済成長と持続可能性の両立は“不可能”?
――「コモン」から生まれるオルタナティブな社会のかたち
~NEC未来創造会議 2020年度第2回有識者会議レポート~
2050年からバックキャストして私たちが目指すべき未来を構想するプロジェクト「NEC未来創造会議」が今年で4年目を迎えた。毎年国内外からさまざまな領域の有識者を招聘して議論を重ねてきた本プロジェクトは、現在「意志共鳴型社会」というビジョンのもとで多くのステークホルダーとともに共創プロジェクトも進めている。
COVID-19がこれまでの社会や経済のあり方を大きく揺るがすなかで、今年度のNEC未来創造会議は「成長」と「持続性」の両立をめぐる議論を重ねている。環境問題が年々深刻化するなかで、果たして私たちはこれまでと同じように経済成長を追求することは可能なのだろうか。第2回は「SOCIETY」をキーワードとして、これからの私たちがどのような社会をつくっていくべきなのか議論した。
会議に参加したのは、マルクス経済学を専門とし、資本主義の限界を指摘する経済思想家・斎藤幸平氏と、アメリカ・ポートランドで長年活動し持続可能な都市のあり方を考えてきた都市計画家・山崎満広氏、NECフェローの江村克己。昨年同様、モデレーターを務めるのは『WIRED』日本版編集長の松島倫明だ。「成長」と「持続可能性」の両立を不可能だと考えることから始まった議論は、「コモン」や「オープンテクノロジー」など、市民・技術・企業の関係性をめぐって新たな社会のあり方を構想していった。
「成長」ではなく「発展」が重要な理由
COVID-19の感染拡大によって人々の生活が変わり、世界経済は大きく揺らいでいる。世界中で失業者は増加し、倒産する企業も急増、貧富の格差もさらに広がった。他方で、経済活動の停止により大気や海洋の汚染が大幅に改善されているのも事実だ。これまでの経済活動が環境汚染とのトレードオフによって加速してきたとすれば、コロナ以前の経済を取り戻すことは、再び地球を破壊しはじめることになってしまう。かくして私たちはいま、「成長」と「持続可能性」の両立を求められている。
今年度のNEC未来創造会議はこの両立をめぐり、いくつかのキーワードに沿って議論を進めてきた。「INDIVIDUAL」をキーワードに個人の生き方を議論した第1回につづいて行なわれた第2回のキーワードは「SOCIETY」。「経済成長と地球の持続性を両立する社会の在り方」をテーマに、ふたつの問いをめぐって議論を進めていった。
「これまで通りの社会に戻ることは、『破滅の道』に戻ることでしょう。経済成長と持続可能性は両立しえないと思うんです」
ひとつめの問い「経済成長と地球の持続性の両立という目標を達成するために設定すべき「発展」に変わる価値観とは何か?」に答えるべく議論が始まると、経済学者の斎藤幸平氏は早々に「両立」が不可能だと喝破する。斎藤氏によれば、持続可能性のために二酸化炭素排出量ゼロにすることを目指すならば、社会を「元通り」にすることなどありえない。それゆえ現在ヨーロッパでは「グリーン・リカバリー」という成長のあり方が議論されており、持続可能な再生エネルギーや新しい移動手段の開発への投資が進んでいるのだという。
NECフェローの江村克己は斎藤氏の指摘を受け、「経済成長と二酸化炭素排出のデカップリングを進めなければいけない」と語る。地球の持続可能性を必ず担保しなければいけない以上、「経済成長」と「環境破壊」のつながりを切り離さねばならないというわけだ。このデカップリングを進めるべく、斎藤氏はいま「脱成長コミュニズム」なる考え方を提唱している。
「資本主義がつねに拡大や成長を目指さざるをえないため、今、人類の活動は地球全体を覆うようになり、「人新世」と呼ばれる破壊的状況をつくり出してしまった。ここで、十分なデカップリングを達成するためには、従来の経済成長自体をスローダウンさせないといけません。脱成長コミュニズムは成長ではなく発展を繁栄の基準とするもの。家で家族と過ごす時間など、GDPには反映されない生活の質を高めるべきです。発展と持続可能性は両立するはずですから」
かねてよりアメリカ・ポートランドで都市計画に携わってきた山崎満広氏も斎藤氏の考え方に同調する。「資本やお金のことだけが『経済』ではありません。実際の生活圏のなかで生じている小さな『経済』に注目すれば、斎藤さんが仰っている『発展』を新たな価値として評価していく仕組みがつくれるはずです」
数百年にわたり、資本主義は新たな市場や資本をもとめて拡大を続けてきたが、必ずしも新たな土地や空間が必要なわけではない。オンライン教育などデジタル空間上での取り組みも進んでいる以上、これまでの資本主義を踏襲しないことで「経済成長」の考え方そのものを組みなおしていくべきなのかもしれない。
失われた「コモン」を社会へ取り戻す
これまでと異なる経済の形を考えるうえで、江村はフランスの思想家ジャック・アタリが提唱している「Economy of Life(命の経済)」なる概念の重要性を提起する。医療や物流、教育、文化など命を守るための産業から経済を再編していくこの概念を中心に据えることで、ひとつの企業が利益を追求するのではなく社会全体で経済を回していく仕組みを構想できるのかもしれない。
「これからはエッセンシャルなもの、私たちの生活に必要なものを自分たちの手で管理していくことが重要です。ライフラインを公共財に、『コモン』にしていくべきでは、と。コミュニズムとはコモンに基づいた社会という意味ですから。そんな社会のなかでは、経済活動も単に経済成長を目指すものではなく、やりがいや地域への貢献を求めていくものになっていくはずです」
斎藤氏は江村の提起を受けて「コモン」を回復していくべきだと語る。それはエッセンシャルワークの価値をきちんと評価することであり、企業がより自由な働き方を促進し人々の自己決定権を拡大していくことだ。同氏はそんな変化の先にこそNEC未来創造会議が提唱する「意志共鳴型社会」の実現がありうるはずだと続けた。
コモンの回復はたしかに人々の生活を変えそうだが、果たして数十万人の人々が住む大都市にもコモンはつくれるのだろうか。江村がそんな疑問を呈すると、斎藤氏はフランス・パリの水道再公営化を例に挙げて実践の可能性を提示する。かつて民営化によって値上げと水質低下を招いてしまったパリの水道は、市民運動による再公営化を経てふたたび公有財産となった。
「必ずしもすべての市民が参加する必要はないですが、興味をもった市民がきちんと関与し議論できる環境をつくらねばなりません。コモンになりうる領域は想像以上に広がっています」と斎藤氏は語る。まず自分たちの意見を反映できる余地の存在に気づくことが大事なのだ、と。近年大企業のプラットフォームサービス寡占が批判されているが、こうしたプラットフォームも開かれたものにすることで異なる発展へとつながるのかもしれない。
松島は斎藤の発言を受け「プラットフォーム・コーポラティヴィズム」なる考え方を紹介する。プラットフォームに協同組合のような枠組みを導入せんとするこの概念は、企業や都市を変える新たな経済の形を実現しうる。山崎によれば、同種の取り組みはポートランドでも以前から行なわれていたという。
「たとえばコミュニティ・サポート・アグリカルチャー(CSA)という取り組みは、農家と市民が直接契約できるプラットフォームをつくっています。市民は品質の高い野菜が安価でたくさん手に入るし、農家はたとえ生産量が不安定になっても収入が保証されるんです」
これまで企業は需要と供給のバランスを最適化することで利益の拡大をめざしていたが、CSAは真逆の発想をとっている。江村が「無限に効率をあげようとする資本主義の論理がビジネスのデザインにも影響している」と語るとおり、コミュニズムのようなべつの論理を取り入れることでビジネスの形そのものがこれからは変わっていくのだろう。
愚かさに気づき、べつの“ゲーム”を始めること
ここで議論はふたつめの問い「経済成長と地球持続性の両立という目標を個人個人が自分事として捉え、主体的に行動していくためには、どのようなアクション・枠組みが必要か?」へ移る。ここまで話してきた新たな社会へとシフトするためには、いったい何が必要となるのだろうか。少なからぬ人が資本主義の限界を認識しつつも、結局もとに戻るしかないと考えていることも事実だろう。
「私も『脱成長』なんていうと大学教授だから現実を知らないのだと批判されるんですが、むしろこれまでの『現実』がおかしかったことに気づかなければいけない。資本主義に浸かりきっていると、現実のおかしさに気づけなくなってしまう。経済成長しないと豊かになれないという発想からまず脱却しなければいけないはずです」
斎藤氏はそう語り、まずは一人ひとりがオルタナティブな豊かさに気づく必要があることを指摘する。そこで山崎氏は、ポートランドの事例を挙げながら「ゲームチェンジャー」となっていくべきなのだと応答した。
「歴史的に見れば、ポートランドは自由を求める人たちがつくった場所。だからニューヨークのような大都市がつくってきた経済の“ゲーム”とは違うゲームをつくろうとしてきました。これまでの大都市とは異なるサステナビリティや“マザーアース”のために生きるゲームをポートランドは考えているんです。必ずしも資本主義のゲームをプレイしつづけなければいけないわけではありませんから」
江村は山崎氏の発言を受け「パーパスを定義しなおす企業も増えている」と指摘する。概して企業は自社の利益を最大化することを目的としてしまうが、本来はそれぞれの目的があり、その目的に共感する人々がそこで働くべきだと江村は続けた。事実、近年NECは持続可能な社会をつくることを目的として再設定しなおしているという。そのうえで、江村は「成長」と「持続性」だけでなく「人の意識=ウェルビーイング」をもうひとつの軸として立てるべきだと語った。単にふたつを両立するだけでなく、人の意識を高められるような社会をつくらなければ意味がないのだ、と。
事実、先進国の多くが経済的には成長していても人々のウェルビーイング度はまったく上がっていないと報じられることもある。経済成長と幸せがつながらない状態を超えるためにはどんな仕組みが必要なのか。斎藤氏は「いまこそ哲学や思想が重要になる」とかたった。
「日本も物質的には豊かになりましたが、それ以外の幸せに対するイマジネーションが貧困になってしまった。自由とは、人間とは、よき生とは……経済成長が答えでなくなる時、企業はこれまでの価値観をリセットしなければならない。新自由主義や資本主義はもはや“ゾンビ”化しているのに、みんな必死でゾンビにしがみついて生き延びようとしている。経済成長を前提としてない社会をつくらなければ世界から完全に取り残されてしまうでしょう」
市民を中心としたオープンテクノロジー
先端的な技術の開発が進み、技術の効用が謳われる時代にあってこそ、哲学や思想が求められる。江村はかつてNECが人を豊かにするためのソフトウェアを開発すべく提唱したC&C(Computer & Communications)という理念を紹介し、現代ならば持続可能性を担保し人を豊かにするための新しい技術を追求すべきだと語った。
「哲学や思想を考えるために企業は人材のポートフォリオを変えないといけないし、教育のシステムも変わらないといけないでしょう。第一回の会議に登壇された中島さち子さんが取り組まれているSTEAM教育のようなものも、今後はもっと価値が高まっていくはずです」
人間の想像を超える速度で技術が進化するからこそ、それをコントロールするための考え方が必要なのだ。斎藤氏も単なる「技術」の限界を指摘する。
「AIは人間より賢くなるとも言われましたが、技術だけで解決できる問題は必ずしも多くないです。現にいまウイルスによって私たちが当たり前だと思っていた生活の脆弱性が顕になっていますよね。現代のように技術開発を野放しにすると、結局一部の人に資するものになって分断が深まってしまう。それは閉鎖的な技術であり、支配するための技術にすぎない。もっと開放的なオープンテクノロジーが必要なんです。なかにはいまのような技術開発をさらに進めることで問題を解決しようとする加速主義的な考え方をとる人もいますが、それは“嘘”なんです。問題を解決するなら、もっと簡単な解決策がある。つまり、消費主義に陥った無駄な生活を止めればいいだけ。加速主義に則れば結局いままでの愚かな生活を繰り返すだけですし、一見革新的な解決方法に見えて、その実極めて保守的な考え方だと思います」
斎藤氏が提唱するオープンテクノロジーとは、山崎氏のポートランドでの取り組みとももちろんつながっている。ポートランドはいかにしてテクノロジー至上主義を回避してきたのか。
「2015年ごろに日本でもポートランドの都市計画が注目されましたが、強い違和感を覚えました。日本から視察に来られる方はみんな技術のことを尋ねてくるのですが、そんなものはないんです。この街のスマートさや持続可能性は、住む人たちのなかにある。人々と同じ目線で都市計画を進めるのが素晴らしいのであって、プロダクトはまったく重要ではありません。プロダクトドリブンではなくカスタマードリブンで進めていかなければいけない」
さまざまな可能性を提起した議論を経て、江村はいまいちど「市民」に着目すべきだと語る。「産官学“民”連携と言われるように、市民を中心に企業や行政が動いていかなければいけない。科学でアプローチできるけど科学だけでは解決できない問題が増えている以上、市民のなかで議論して技術の使い方を決めていくべきです。そのためには、NECのような企業も変わらねばならないでしょう」
経済成長と持続可能性は、不可能なのかもしれない。それが従来どおりの「経済成長」を意味するのならば、だ。いま私たちがすべきは、両立の方法をひねり出すことではなく、そもそも「成長」とは何を意味し、何のために私たちがそれを目指すのか考えることだ。それは、私たちがこれからどんな社会をつくっていくか考えることでもあるのだろう。