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2020年11月24日

個と公共をつなぐ“コンセンサス”はいかに可能か
――日本の近過去を振り返ることで見えてくるもの
~NEC未来創造会議 2020年度第3回有識者会議レポート~

 2050年からバックキャストして私たちが目指すべき未来を構想するプロジェクト「NEC未来創造会議」が今年で4年目を迎えた。毎年国内外からさまざまな領域の有識者を招聘して議論を重ねてきた本プロジェクトは、現在「意志共鳴型社会」というビジョンのもとで多くのステークホルダーとともに共創プロジェクトも進めている。

 2017年にNECが始めたプロジェクト「NEC未来創造会議」が今年も進行中だ。文化人類学者や法学者、デザイナーなどさまざまな領域の有識者を招く本プロジェクトは、2050年の未来を考えるべく議論を重ねてきた。現在は議論を通じて導き出された「意志共鳴型社会」というビジョンのもとで多くのステークホルダーとともに共創プロジェクトを進めるなど、その活動は議論のみならず社会実装へと広がっている。

 COVID-19による社会や経済の変化を受け、今年度のNEC未来創造会議は「経済成長」と「地球環境の持続可能性」の両立を主たるテーマに据えた。第1回と第2回では「INDIVIDUAL」と「SOCIETY」の観点から両立を考え、このたび開かれた第3回では「TECHNOLOGY」をキーワードとし、いまわたしたちが技術とどのように向き合うべきなのか論じている。

 今回の会議に参加したのは、建築家としてさまざまな公共プロジェクトにも携わる藤村龍至氏と、メディア環境学の観点から女性の「盛り」を研究する久保友香氏、そしてNECフェローの江村克己。後半からはNECのCTO西原基夫も参加し、『WIRED』日本版編集長の松島倫明のモデレートのもとで技術について議論を繰り広げた。「都市」から「盛り」まで、スケールの異なる対象を往還しながら行なわれた議論は、「日本」を再考することにつながっていった。

個と公共をつなぐコンセンサスのかたち

 今年度のNEC未来創造会議は、COVID-19による社会や経済の変化を受け「経済成長」と「地球環境の持続可能性」について議論を重ねている。第3回の会議では「経済成長と地球の持続可能性を両立する仕組みと仕掛け、その社会浸透」をテーマとして、「大量消費社会から持続可能な社会へとシフトする上で、個と公共のあり方はいかに変化していくのか」と「社会や人の豊かさを下支えするこれからのテクノロジーに必要となる哲学や思想とは何か」というふたつの問いを立てている。

 「今回のパンデミックは、地球温暖化など今後深刻化する全球的な規模の課題に対処する“予行演習”の場だともいえます。今後100年の世界の変化を考えるうえでは個の権利や自由だけを追求しても課題を解決できないわけで、個と公共や全体性を考える重要性はますます高まっていくでしょう」

 藤村氏はそう語り、従来は個人の権利を追求することが重要視されていたが、COVID-19下の外出制限を考えてみてもわかるとおり、今後は個と公共の関係が変わることを指摘する。

 江村は藤村の発言を受け、「コンセンサスのとり方が問われているのだと思います」と語る。大きな規模の課題を解決するためには、個々のコミュニティのなかでいかに合意形成を行なっていくかが重要になるのだ、と。事実、藤村が携わる建築や都市の領域でも年々合意形成のあり方が変わってきている。

藤村龍至(建築家)
2005年よりRFA(旧・藤村龍至建築設計事務所)主宰。2016年より東京藝術大学准教授。2017年よりアーバンデザインセンター大宮(UDCO)副センター長、鳩山町コミュニティ・マルシェ総合ディレクター

 「1990年代から合意形成にものすごいコストがかけられるようになっていきました。もちろん市民とともに合意形成を行なうことは重要ですが、日本社会では徐々に形骸化していき、些細な意見に振り回されて意思決定が難しくなってしまった。結果として、個々の街のビジョンはその街の人々が考えていても、東京全体のビジョンを考える人がいなくなってしまった。個の主体性を重視することが社会全体をよくしていくという“神話”が揺らいでいる」

 こうした変化を受け、建築家のあり方もまた変わっていると藤村は続ける。たとえば丹下健三や安藤忠雄などアーティストのような建築家像はもはや成り立たず、いまはワークショップなどを通じて市民とともに制作を行なうような建築家像が求められているという。

 もちろん、それは必ずしも悪いことではない。「本当に感動する瞬間が訪れることもたくさんあります」と藤村が語るように、市民を交えて議論することで建築家がまったく思いつかなかった解決策が生まれることも多い。「もちろん声が大きい人の意見を覆せないなどネガティブな側面もありますが、建築家もこうした環境の変化に対して自虐的にならず多くの場に飛び込んでいくべきだと思います」

藤村氏による『ちのかたちー建築的思考のプロトタイプとその応用』(左)と、久保氏による『「盛り」の誕生』(右)

共通のコードから差異が生まれる

 ある種の合意形成によってコミュニティや文化がつくられていくとすれば、久保が研究する若い女性たちの「盛り」にも独自の合意形成があるだろう。久保はビッグデータを使って「盛り」の解明を試みるなかで、若い女性たちの文化はむしろ技術では測れない方向に進んでいると語る。

 「当初集めたデータだけを見ていると個々人の差異が感じられないのですが、実際に女の子と会って話を聞くと、違うところに差異を見出していることがわかりました。わたしは美意識を数値化することにこだわっていたのですが、彼女たちは数値化からどんどん逃れていってしまう」

 他方で、もちろん「盛り」の文化は技術と不可分にある。目を大きく見せる「デカ目」と呼ばれる文化も、画像処理技術が顔の他のパーツより目を先に加工できるようになっていたからこそ生まれたものだ。松島は久保の話を受け「技術が女性の美意識を変えていったように、都市ではアーキテクチャや場が生活や意識を規定することもありますよね」と指摘する。いま都市はどのような力学のなかで形作られているのだろうか。

久保友香(メディア環境学者)
専門はメディア環境学。東京大学先端科学技術研究センター特任助教、東京工科大学メディア学部講師、東京大学大学院情報理工学系研究科特任研究員など歴任

 「いまの都市開発って解像度を下げて見ると非常に均質化しているのですが、デカ目のなかにいろいろな差異があるように、共通のコードがあることで個々の都市について活発な議論が生まれようとしています。建物としてはどの街にも同じような大きさのビルが増えているけれど、エリア単位の自分らしさに対する意識が高まっている。東京のなかの街の差異は、これから生まれていくように思います」

 藤村はそう語り、「デカ目」も「都市」も均質化しつつそのなかで豊かな差異が生まれていることを指摘する。もっとも、デカ目のような文化は若者たちのムードや美意識の変化で日々変わっていくのに対し、都市はつくるのも変えるのも時間がかかる。だからこそ、ユーザーや市民の声を取り入れることには慎重にならねばならない。

 久保は「プリクラ」の開発を例に挙げ、「技術」と「おしゃべり」のバランスが重要なのだと語る。最新技術を取り入れるだけでは若者に満足してもらえず、ユーザーの声をただ聞くだけでは新たなサービスにつながらない。ユーザーの感覚や美意識がわかる人間が技術を使うことで、初めて社会を変えられるサービスが生まれうるのだ、と。江村も同調し、NECも技術の扱い方を変えねばならないと指摘する。

 「技術をわかっている人が社会課題の現場に立ち会わないと課題は解決できない。われわれNECとしても、新たな技術を開発しながらもきちんとみずからが現場に出ていく必要があるなと感じました」

松島倫明(『WIRED』日本版編集長)
NHK出版で数々の話題書を手掛けたのち、2018年よりテックやビジネス、カルチャーを横断するメディア『WIRED』日本版編集長を務めている

技術に“余地”を残すこと

 ふたつめの問い「社会や人の豊かさを下支えするこれからのテクノロジーに必要となる哲学や思想とは何か」へ移ると、NECのCTO西原基夫も議論へと参加した。ここまでの議論を受け、西原は次のように語る。

 「AIのような技術が発達すれば、技術が文化を規定するだけでなく人間に新たなケイパビリティを与えるのではと感じます。ビデオチャットツールによって世界中の人々がフラットになったように、技術がもたらすケイパビリティはこれまでと異なる世界をつくりうる」

 西原の言うとおり技術は新たな世界をもたらしうるが、他方で松島は「技術が発展するとアーキテクチャによる専制に陥る可能性もあります」と指摘する。技術がどちらにも転びうるからこそ、ふたつめの問いの「哲学」や「思想」が重要となるのだろう。

 「かつて建築家の前川國男は『技術屋には気をつけろ』と言っています。技術に頼りきると、ときに大きな間違いを起こしうるのだ、と。しかし現代のように人々の認識を変えてしまうレベルまで技術が発展すると、それを批判することが難しくなりますよね。日本は技術立国と言われますし、技術が良くも悪くも美しいものと捉えられてきた。しかしもはや技術に立脚した経済成長は難しく、日本は自信を失った状態にあると思います」

第3回の有識者会議では、社会の基盤となる「公共」を成立させるためのテクノロジーがテーマとなった

 藤村はそう語り、「技術立国」という考え方の限界を指摘する。江村も藤村に同調し、「技術と社会の関係性が変わってきていると感じます」と語る。従来は技術と社会がある種切り分けられていたのに対し、これから複雑な社会課題に対応するためには技術もつねに社会を参照しなければならないのだ、と。

 単に先端的な技術を開発するだけでなく、使われ方も含めて検討を進めていくべきなのだ。久保は自身が研究してきた女子中高生と技術の関係性を振り返りながら、若い女性たちに響く技術は「間口が広くて奥が深い」点が共通していると指摘する。

 「みんなが使えるようでいて、開発側が想定していなかったような使い方のできる余地があるサービスは若い人々に受け入れられやすい気がします。余地を残すことで結果的に広く普及していく」

 久保の発言を受け、西原は「使いこなせることが大事ですよね」と応答する。「AIの画像処理もそうですが、使いこなせない技術はどこか不気味に思えてしまう。最初から完成形が定まっているのではなく、ユーザーに使われることで技術が発展していくことが重要なのかなと」。技術とは、ユーザーにも広く開かれているべきなのかもしれない。

西原基夫(NEC 取締役 執行役員常務 兼 CTO)
1985年の入社後、ネットワーク領域の製品開発、研究開発に従事。システムプラットフォーム研究所所長、クラウドシステム研究所所長などを経て、2019年から現職

日本の立ち位置を考えなおす

 開かれた技術と閉じた技術という対比は、第2回の有識者会議でも経済学者の斎藤幸平から提示されたものだ。開かれた技術が好ましいように思える一方で、藤村は日本がそういった技術のあり方と親和性が高いとは限らないことを指摘する。

 「日本の建築におけるものづくりはインテグラル型と呼ばれていて、“すり合わせ”によって複雑なことも可能にしてきました。オープンイノベーションと言われるように共通のプラットフォームのうえで個々が開発を進めるモジュール型の手法は、日本よりアメリカや中国の方が向いていますよね。オープンイノベーション神話がわれわれの未来につながっていくのかいまいちど考えておくべきだと思います」

 藤村の指摘を受けて江村は「技術だけでなく文化の問題でもある」と応答する。多民族国家のアメリカでは多様な人々が参加するためにローコンテクストなプラットフォームが用意されたのに対し、日本の文化はハイコンテクストと言われることが多いだろう。「アメリカのオープン性をそのまま輸入するのではなく、日本のもつ価値をデザインしなおしていくことが重要です」

 藤村は「日本は自嘲的になりすぎず自分の立ち位置を考えなおすべきでしょう」と続ける。「オープンイノベーション神話」のみならず近年欧米や新興国との比較のなかで日本の後進性が指摘される機会も増えてはいるが、海外をそのまま追従しても意味はない。「日本はダメだと嘆くのではなく、ナショナリズムを避けながら自分の足元をしっかり見るような眼差しがもっとあってもいいのではないでしょうか」

江村克己(NECフェロー)
1982年、光通信技術の研究者としてNECへ入社。以降、中央研究所長や執行役員、CTOを経て現職

 日本のもつ価値という意味では、久保の研究する女子中高生から生まれたさまざまなカルチャーはいま世界を席巻している。「ノーベル賞やアカデミー賞など日本は既存の基準に振り回されていると言われることもありますが、ビジュアルコミュニケーションの領域では世界を巻き込んだ動きを生めるんじゃないかと思っています」。そう久保は語り、分断やフィルターバブルと呼ばれる状況にあっても、世界中をつなぐコミュニティは生まれており、そのなかで日本の文化が大きな役割を果たしていることを指摘した。

 ツールによって人々がつながりそのうえで独自の文化が伝わっていくとすれば、ツールを開発する企業の存在は重要だ。西原はNECが世界各国に多くの社員を擁することを指摘しつつ「多民族のいろいろなアーキテクチャと文化をすり合わせるという考え方もあるかもしれない」と語る。

 現に、これまでプライバシーを重視してきた欧州でも、COVID-19を受けて一定度個人情報を政府や企業に提供することを認めようとする動きもある。すり合わせは、つねにあちこちで起きているのだ。

 江村は今日の議論を振り返り「NECもいろいろな技術を提供しているものの、技術に対する想像力がまだ足りていないかもしれません」と語る。「わたしたちも多様なメンバーを迎え入れコラボレーションを加速させることで、西原さんや藤村さんが指摘していた日本のよさを捉えていきたいと思います」

 経済成長と地球の持続可能性を両立させるための技術や仕組みを巡って始まった議論は、日本が自分の姿を見直す必要性を浮き彫りにした。COVID-19への対応やイノベーションの創出など、さまざまな議論のなかで日本よりも海外諸国の方が優れていると報じられることは少なくない。もちろん日本が多くの課題を抱えていることは事実だが、自分から目を逸して海外の優れた文化を羨むことではなく、日本の過去を振り返りながらいま立っている場所を見つめ直すことでしか本当の変化は起きないのかもしれない。

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