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「コモングラウンド」から生まれる、時空間を超えた新たなコモンズの形
~NEC未来創造会議講演レポート

 実現すべき未来像と解決すべき課題を構想するプロジェクト「NEC未来創造会議」が今年も「NEC Visionary Week2021」で特別セッションを配信した。今回キーノートスピーチを担当したのは、建築家の豊田啓介氏。社会の発展や地球環境の持続性など多くの課題を解決するためにNEC未来創造会議が重視する「コモンズ」の概念は、豊田氏が提唱する「コモングラウンド」とも深い関わりがある。これからのコモンズはいかにつくられてゆくのか、キーノートスピーチの模様をご紹介しよう。

「意志共鳴型社会」のためのコモンズ

 2017年に始動したNEC未来創造会議は、さまざまな領域の有識者との議論を通じ、2050年に向けてめざすべき社会像として「意志共鳴型社会」というビジョンを提示している。社会の発展や地球環境の持続性、個人のウェルビーイングを包括的に達成するこのビジョンを実現するべく、NEC未来創造会議が注目しているのが「コモンズ」の概念だ。「共有財」を意味するこの概念は情報社会以前には牧草地や里山のように地域のコミュニティが共有する場として人々をつないでいたが、インターネットをはじめ新たなインフラが整備されていくなかで、コモンズをアップデートし新たなコミュニティの形をつくることが意志共鳴型社会の実現にもつながっている。

 新たなコモンズをどうつくっていくか考えていくうえで、建築家・豊田啓介氏が提唱する「コモングラウンド」という概念は無視できないものだろう。都市や建築物といった実空間と3D記述されたデジタル空間を媒介する領域を意味するコモングラウンドは、通信技術やモビリティなど人や都市をとりまく環境が変わるなかでより現実的なものとなっている。とりわけそこで求められるのが、モノと情報をつなぐ3Dデジタル汎用記述だ。

昨年に引き続き、NEC未来創造会議のセッションはオンラインで開催された

 「20世紀まではフィジカルな世界の人や建築だけを考えれば物事を処理できましたが、今後わたしたちはロボットやモビリティ、アバターなど人間以外の存在と共存するようになる。人間と同じように物理世界を認識できない存在と暮らしていくためには、物理世界を予めデジタル空間として記述しなければいけないでしょう」

 「実空間を3Dデータとして記述する」こと自体は珍しいものではないだろう。しかし、意外にも社会が共有できるような基盤はほとんど整備されていないのだという。豊田氏によれば、こうした取り組みは各業界ごとにさまざまな企業が個別に進めている状況にあり、それぞれ仕様が異なるため領域を横断することが難しい。3Dデータ記述ひとつとっても、BIM(Building Information Modeling)やGIS(Geographic Information System)、ゲームエンジン、点群モデルなどさまざまな仕様があり、互換性も非常に低いと言われている。

 「3D記述がモノと情報を汎用的につなぐ体系が整備されていないことは社会にとって大きな損失です」と豊田氏が語るように、汎用的な仕様を整備しないままに実空間のデジタル化を進めてしまうことで、むしろ社会全体のデジタル化が遠ざかってしまう恐れもある。「共通の仕様で空間をデータ化すれば技術的な参入障壁も下がります。共通基盤を整備するためにも、社会として積極的に投資を進めるための共通理解と技術的なバックグラウンドの開発をもっと進めていくべきだと考えています」

豊田氏のキーノートスピーチの前には、NECフェロー・江村克己から今年度のNEC未来創造会議に関するスピーチが行なわれた

空間そのものがインターフェースになる

 さらに豊田氏は、コモングラウンドの考え方を拡張することで「インタースペース」なる概念を提唱している。コモングラウンドでは人間のスケールが想定されているが、都市全体のように大きなものから分子レベルの小さなものまでさまざまなスケールで情報とモノをつなぐことを考えると、空間のあり方が変わっていくというわけだ。

 「いま増えているスマートデバイスはスマホやPC画面など、2次元の画面だけを通して情報とモノをやりとりしています。非常に制限が大きく、扱える情報が限られているんです。インタースペースとは空間そのものがインターフェースとなることを意味していて、これからは空間の存在や質感、メタデータが媒介となることが求められていくと思っています」

 豊田氏によれば、現在世界各国で進んでいる次世代型スマートシティの取り組みは、インタースペースを実現するための実証実験として捉えられるという。かつてグーグルがカナダ・トロントで展開した「Sidewalk Labs」は言わずもがな、近年はアジア圏でも企業が主体となりゲームエンジンを通じて都市を記述する事例もあれば、シンガポールのように政府主導でBIMを活用していく動きもある。使われる技術や施策の内容は異なれど、空間と情報がつねにつながり続ける都市をつくる点において、これらはインタースペースの実現と不可分の取り組みだろう。

 こうした動きが広がっていくと、街づくりや公共サービスの主体もまた変わっていくことになる。従来はあくまでも自治体がその責任を担っていたが、今後は空間や土地に縛られないサービスが求められるようになるからだ。自治体は民間企業のようにプラットフォームをもつ必要が生じるし、民間企業は自治体のように公共的な責任を負わざるをえなくなってゆく。

 「都市のデジタルツインをつくる動きも進んでいますが、じつはいまデジタルツインの事業主体は非常に曖昧な状況にあります。ひとくちにデジタルツインといっても、今後は公共的なオープンレイヤーとマネタイズに資するバリューレイヤー、テロや犯罪の危険性に対応するセキュリティレイヤーなど、レイヤーを分けて考えなければいけないでしょう」

 こうした変化はさまざまな領域で生じている。個人の属性や行動、ライフスタイルも多極化・多様化が進んでいけば、従来のように単純なカテゴライズは成立しない。誰もがサービスの主体でもあり客体でもありうる状況をどう社会のシステムに落とし込んでいくのか考えること。それはまさに、コミュニティの構成員が共有材=コモンズとどう関わっていくか考えることでもあるはずだ。

豊田氏は以前もNEC未来創造会議に参加していたこともあり、収録は和気藹々としたムードのなかで行われた

離散化と流動化に対応する基盤

 「いまいろいろな領域で離散化や流動化、多層化が進んでいると言われますよね。個人のアイデンティティもひとつの組織や土地に帰属するものではなくなっていくし、一見異なる概念を分解したりつないだりする能力が求められていくようにも思います」

 なかでも豊田氏が変化の大きい領域として挙げたのは「職・住・楽・学」だ。周知のとおりコロナ禍を経てリモートワークはこれまで以上に一般的なものとなり、職=仕事と住=生活の境界は流動的になっている。楽=エンタメを考えてみても、VRやARをはじめコンテンツプラットフォームがほかの産業領域へと進出しつつある。学=教育は、まさにいま多くの学校や自治体がその離散化や流動化に取り組んでいる最中だといえよう。

 こうした動きは今後ますます強まっていくことが予想されるが、前述のとおりコモングラウンドやインタースペースといった共通基盤がない状態では変革が進みづらいことも事実だ。「プラットフォームはもちろんのこと、サービサーやデバイスをつくるメーカーも必要ですが、現状は互いに相手のニーズや仕様がわからないので動けない状況が生まれてしまっています」と豊田氏が語るように、各領域の境界が曖昧になればなるほど相互依存も強まるため、一体感をもった動きが求められてくるだろう。

豊田氏はコモングラウンドの実現に向け企業の壁を超えた取り組みを続けている

 豊田氏は自身が2025年の大阪・関西万博を目標として進めている「コモングラウンド・リビングラボ」を例に挙げながら、まずはひとつのビジョンを共有しながら小さな規模で枠組みづくりを始めていく重要性を説く。この取り組みでは業界を超えて多くの企業を巻き込みながら、クローズドではなくオープンに社会価値を最大化するための動き方を検討しているという。

 「産官学民を超えて一体となる、新しい産業のプラットフォームをつくっていくことが重要だと思っています。日本ならではのモノを捉える解像度の高さは輸出産業にもなっていくはずですし、新たな社会基盤になっていくのではないでしょうか」

 離散化や流動化、多層化が進んでいくことで、社会の構造はさらに複雑になっていくだろう。単に複雑化するだけでは、距離や時間を超えて人やモノをつなげるはずだったインターネットが結果的に社会の分断を顕在化させてしまったように、今後さらに分断が強まってしまう恐れもある。社会の分断を防ぐうえでも、豊田氏が提唱するコモングラウンドやインタースペースは、新たなコモンズとして人々をつなぐものになっていくに違いない。

キーノートスピーチを経て、豊田氏を含め3人の有識者を招いたセッションも開かれた

集団的自己による敬意と貢献の意識

 最後に豊田氏は、かように複雑化していく社会にあっては、個人の意識や、企業がビジネスに取り組む姿勢のあり方も更新されていく必要性があると語る。かつてはビジネスやサービスにおいてインプットとアウトプットが一対一で対応していたが、これからはその対応も崩れていくからだ。固定された入出力の対応を想定するのではなく、個人や企業の振る舞いを社会全体の価値向上へとつなげていくことが重要となっていくだろう。

 「これからのプラットフォームは、スマートメディエイター(Smart Mediator)としてデザインされていくべきだと思うんです。建物や都市、ロボットがスマート化した環境として情報や行動を媒介していくなかで、人間がどう全体に貢献していくか考えなければいけないでしょう」

 豊田氏は「集己」という言葉を使い、これからは独立した自己ではなく集団的自己を意識していく必要があると続ける。これまでの社会はあくまでも人間を中心として設計されてきたが、人間以外の動植物はもちろんのこと、ロボットやモビリティ、建物など多くの存在が人間と同じように動き回っていくようになるとすれば、人間だけが唯一のスマートな存在ではなくなるはずだ。

入念な感染対策のもとで収録は進められた

 「スマート化した社会に対して、人間がいかに敬意をもち貢献していけるのか考える視点がこれからは必要不可欠になると思っています」と豊田氏は語る。自分とは異なる多様な存在や価値観への敬意や、利己に走るのではなく社会全体の価値を向上させる貢献の意識。それは近年多くの領域で唱えられているSDGsやESG投資のような考え方ともつながるものだろう。

 人間の行動範囲を対象としたコモングラウンドをインタースペースというより大きな概念に拡張すること――そのうえで、それをスマートメディエイターとしてデザインしていくことが複雑化する社会に対してとっていくべき行動なのではないでしょうか」

 重要なのは、こうした視点を単に倫理や感覚の議論だけに留めないことだ。もちろん一人ひとりが敬意と貢献を意識することは必要不可欠だが、同時に技術を活用することで社会を支える基盤をつくらなければ意味はない。新しいコモンズとは、人間だけが共有するものではない。豊田氏の提唱するコモングラウンドやインタースペースが提示しているように、それはときに生物種も時間も超えて多様な存在が共有するものとなる。来たるべき新たなコモンズに向けて、わたしたちは時間的にも、空間的にも、より遠くの、より多くの存在と共生するための想像力をもたねばならないだろう。