次世代中国 一歩先の大市場を読む
デジタル時代に先手を打つ統治の手法
中国が展開する「グリッド・マネジメント」とは何か?
Text:田中 信彦
新型コロナウイルスの感染拡大以降、人々の生活や経済の様相は大きく変わった。しかし、それにも増して今後の中国に大きな影響を与えそうなのが、政府による「社会を管理する手法」の高度化である。
現在のように高度に都市化した社会で感染症を抑え込もうとすれば、詰まるところ、人やモノの動きを、一人ひとり、一品一品の単位で細かく把握し、管理することが最も有効だ。そして、命にかかわる非常時となれば、人々はそれを受け入れやすい心理が働く。
この連載で指摘してきたように、中国には個人や企業のさまざまな情報をデータとして蓄積し、それを経済活動だけでなく、社会の安定、治安の維持といった面にまで活用しようとする発想が根強くある。今回のコロナ禍を機に、それがさらに具体的な制度として一段と深化し、強力な統治手法として運用されつつある。
その代表的な例が「グリッド・マネジメント(網格化管理)」と呼ばれる手法である。最近、中国のメディアで一種の流行語になっている言葉のひとつだ。先端的なITと中国伝統の人海戦術の組み合わせによって、まさに「碁盤の目を一つひとつ潰していく」ようなやり方は、ハイテク化した社会主義国ならではの迫力がある。今回はこの話を中心に、中国社会の行く先を考えてみたい。
田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「グリッド・マネジメント」とは何か
「グリッド(grid、網格)」とは、直訳すれば「格子、格子状の、碁盤目状の」という意味だ。そこから転じて電気やガスなどの送電線網、配管網といった使い方がされる。
中国で行われている「グリッド・マネジメント(網格化管理)」とは、市や県などの行政区域を小さな単位に区切り、その一つひとつに各分野の責任者を置き、その域内で住民との深いコミュニケーションを通じて、下からの情報収集、上からの政策の実施を徹底していく仕組みである。「グリッド」とはいっても、実際の単位は必ずしも地図上で格子状に区切られているわけではなく、例えば「住宅団地のこの一角」とか「この通りに沿った家庭すべて」とか、ひとつのまとまりとして定められている。
例えば、江蘇省の省都、南京市では市内を1万2545のグリッドに分け、そこに約3万人の「網格員」を配置している。市政府が正式に雇用した公務員である。南京市の人口は850万人(2019年)なので、平均すればひとつのグリッドの住民は670人ほどになる。同市の郊外、高淳区を見ると、 人口49万1000人(同)で、そこを779のグリッドに分割し、1139人の「網各員」が担当する。ひとつのグリッド当たりの住民は630人ほどである。
そこでは、この「網格員」が中心となって、党の下部組織、公安(警察)、医療機関、建物の管理者、住民のボランティアなどを動かし、党の政策の浸透や日常的な情報収集、苦情の処理、住民間のトラブル解決などにあたる。
「一戸も漏らさず、一人も漏らさず」
中国のグリッド・マネジメントは2005年、北京市東城区でその試みが始まり、2013年には党中央が社会管理の新たな仕組みとして全国で実行するとの方針を表明している。今回のコロナ禍で新たに始まった制度ではない。この連載の2020年3月「徹底的な隔離はなぜ実行できたのか ~中国の「大衆を動かす仕組み」の底力」で紹介したように、中国には基層の住民組織として「居民委員会(居委会)」があり、党や政府と協力して事実上、行政の末端機関として機能してきた。そういう経緯もあって、グリッドの位置づけはあいまいで、あまり目立った機能を果たしてこなかった。
しかし、今回の感染拡大という非常事態に、党や政府はこのグリッドの機能の強化に動いた。上述の南京市では、対コロナ「戦時状態」が宣言されるや、各グリッドの網格員が居民委員会などとも連携してボランティアを組織し、活動を開始。地元紙「南京日報」の記事によれば「“一戸も漏らさず、一人も漏らさず(不漏一戸、不漏一個)”を掛け声に、時には偵察員、時には宣伝員、時には服務員となって路地から路地へと駆け回った」(訳は筆者)という。
地域の情報収集に重点を置く
また中国南西部、雲南省曲靖市の麒麟区では、76万8400人の人口(2019年)の区域を686のグリッドに仕切り、ひとつのグリッド当たりの人口は1120人あまり。各グリッドには、担当の警察官のほか城管執行隊員(法律の執行を補助する民間人員)、清掃作業人員、市場監督人員、衛生監督人員、ゴミ処理担当者、公共トイレ管理者などからなる「巡査員」が配置されており、その総数は2000人に達する。網格員の指揮の下、20人一組で10日ごとに各グリッドを巡回し、政府に対する苦情への対応や住民間のもめごとの仲裁、処理、衛生状況のチェックや清掃作業などを日常的に行っている。
同区の網格員や巡査員には、「幸福麒麟」と名付けられた専用の巡察アプリを搭載したスマートフォン(以下スマホと記述)が用意され、各人が固有のIDを持って市当局の「智慧城管(スマート都市管理)」「智慧交警網(スマート交通警察ネット)」などと連携しつつ各担当地域の情報を共有している。アプリを通じて上長からの指示を受けるほか、自らの「巡査日誌」を定期的にアップロードする(地元紙「曲靖日報」などの報道による)。
グリッドの活動は、上からの押しつけではなく、地域に根付いた情報収集と蓄積、その分析を重視しているという。政府の指示を伝えるだけでなく、住民の考え方や要望、生活状況などを迅速に上部組織に伝え、アップデートしていくことに役割の重点が置かれている。この点がグリッド・マネジメントの特徴で、その手法の是非はともかく、中国の為政者の賢さ、時代を見る目の鋭さを感じざるを得ない。
スマホで情報武装する「普通の人々」
中国政府がコロナ禍を端緒にグリッド・マネジメントの強化に本腰を入れているのは、全国民的なデジタル化の時代を迎え、インターネット社会が「政府と国民の関係」、そして「統治のあり方」を根底から変えつつあるとの認識があるからだ。
中国では2010年以降、スマホの急速な普及で、「普通の人たち」の情報の受信量、発信量は飛躍的に増えた。情報の統制は行われているものの、かつてのようにすべての情報伝達機能を権力者が握っている状況ではない。人々は権力者に周到な配慮はしつつも、政府の政策や日々の仕事ぶりに対して、かなり厳しく意見を言うし、それはあっと言う間に人々の間に広まる。
「一党専政」の政治体制とはいえ、政権は人々の考え方の変化をより敏感に汲み取り、適切な対応を取ると同時に、政治が目指す方向に世論を誘導していく必要に迫られている。感染症の流行など大きな問題が発生すれば、なおさらのことである。デジタル化の時代、スマホという「武器」を持って情報武装を強める人々に対し、統治者の側が時代の深化に見合った新たな体制を整える。グリッド・マネジメントにはそういう意味がある。
人やモノの動きを「個」のレベルで把握する
冒頭に触れたように、今回のような社会の危機に迅速に対応し、社会の安定を維持するには、最先端のITを活用し、人やモノの動きを「個」の単位で把握し、管理することが不可欠だとの考え方が中国の政権にはある。
そのために活用できるものはすべて活用する。例えば、中国の大手Eコマースサイト「JD.com(京東)」は年間6億個を超える商品を、10万人もの配送員が全国の顧客のもとに日々、配達している。その配送員の集配経路はすべてデータとして記録されており、あらゆる住宅地の小さな路地までも網羅した膨大な情報の解析を通じて、より効率的な移動経路を実現しようとしている。
今回の感染抑止の対策において、北京市と南京市はこのJD.comのデータを活用し、濃厚接触者の行動経路の探索に活用している。報道によればこのデータの活用で当局が感染経路の特定にかかる手間が数百分の一になったという。
また、感染の拡大阻止や感染経路の特定に大きな役割を果たしている「健康コード」は、まさに人の動きを「個」の単位で特定、把握するための手段である。「健康コード」については、2020年6月「健康は最も重要な個人情報 新たな段階に入った中国の個人情報管理」で書いたのでご参照いただきたい。「健康コード」に代表される特定のコードを個人に付与することで、全国的な規模で「個人の単品管理」を実現し、人の動きを把握、政策に反映させようという明確な目的を持ったシステムといえる。
しかもそれを、各地に設置された二次元バーコードをスマホの所持者がみずからスキャンする方向に誘導し、自発的に所在地を申告する形で実現している。健康と安全の確保をタテに、強制性を感じさせにくい形で国民の行動をデータとして記録していく手法の巧みさには感心するしかない。
感染者の行動履歴を分刻みで公開
こうしたグリッド・マネジメントの下での人海戦術や「健康コード」などのITによる情報収集、さまざまな民間企業などからの情報を重ね合わせ、個人の行動を詳細に把握し、分析する。中国の感染症対策では、そうした情報が日々、公開されている。
例えば、遼寧省の省都・瀋陽市では今年1月7日、2人の感染者が確認されたが、この2人について、感染前10日あまりの行動が同市政府衛生健康委員会のウェブサイトで公開され、そのままメディアが多数、報道している。うち1人の女性の内容はこんな具合だ(訳は筆者、内容を一部簡略化した部分がある)。
①林某、女、63歳、定年退職人員
現住所:瀋陽市鉄西区衛工北街啓工后街道啓明社区1月4日に無症状感染が確認された孫某の母
12月25日11時17分、啓明社区から徒歩で衛工街北三路のバス停へ、176路のバスに乗車し九路市場下車。市场で買い物。12時42分、徒歩で「九路家具センター」へ、その後、176路のバスで帰宅、その後は外出せず
12月26日9時30分、自分の車で大東区徳坤瑶病院へ娘の見舞い。12時30分、自宅に戻り、その後は在宅
12月27日15時32分、徒歩で鉄西区北一路粮食市場。買い物、16時37分帰宅
12月28日8時05分、徒歩で衛工街北三路のバス停へ。288路のバスで同市中心病院下車、徒歩で瀋陽市医学院附属中心病院外来病棟2階特病科で受診。10時34分、徒歩で南七路衛工街バス停から176路バスで盛京病院下車、徒歩で中国医科大学盛京病院滑翔院区6階医保科、14時18分、同バス停から278路バス、途中艶粉街瀋遼路バス停で乗り換えて帰宅、以降外出せず
12月29日9時19分、配車アプリで車を呼び、大東区徳坤瑶病院へ娘の見舞い。12時、近くの「鼎鑫(金が3つ)面館」で昼食。その後、付近の「東輝永利成徳食品スーパー」ならびに「双聖華食品スーパー」で買い物。12時40分、小河沿バス停から134路、117路バスを乗り継ぎ、中国医科大学盛京病院滑翔院区3階血液科で受診。15時32分、徒歩で278路バス停、278路、176路バスを乗り継いで帰宅、以降在宅
12月30日、終日在宅
12月31日、13時、北一路啓工街博宇検査センターで全市民対象のPCR検査を受診(結果は陰性)。その後、徒歩で「北三路果物スーパー」で買い物、15時40分、徒歩で帰宅。その後在宅
2021年1月1日、11時14分、徒歩で「第一粮庫食品スーパー」で買い物、16時、シェア自転車で帰宅、その後外出せず
1月2日、8時30分、マイカーで「和平区南六市場」に行き買い物。10時帰宅、その後は在宅
1月3日、終日外出せず
1月4日、9時40分、配車アプリで呼んだ車で娘に付き添って中国医科大学盛京病院滑翔院区急患ロビーで受診、17時、近くの「新隆嘉生鮮スーパー」で買い物、19時50分、車で帰宅、以後は外出せず
1月5日、感染確認、10時、市内の隔離センターに収容、集中医学観察開始
氏名は形だけ匿名になってはいるが、容易に特定できるレベルだ。訪問地などはそのまま実名である。行動経路は場所だけでなく、時間まで分刻みで特定されている。このような詳細な行動の記録が市政府のホームページで誰でも読めるばかりでなく、そのままメディアで報道されている。
なんとしても感染拡大を阻止しようとの強い意志の現れというべきなのだろうが、正直、「ここまでやるか」という印象は拭えない。しかし、現実にこうしたことが技術的に可能であり、非常時とはいえ、社会的にもおおむね許容されている。そのことは事実として受け止めなければならない。
「新型コロナはスマートシティ化の道筋を変えた」
現在、江蘇省や浙江省、河北省、湖南省、福建省などでは、グリッド・マネジメントとビッグデータを統合した新しい社会管理の取り組みが進められている。前掲の「南京日報」は記事の中で以下のように書く。
「今回の感染抑止の緊急行動で、全国の大都市(の政府)は否応なく人々の日常に深く分け入らざるを得なくなった。まるで全国規模の国政調査を改めて徹底的に実施したようなものだ。このことは地域の新たな情報ネットワーク構築の大きな契機となった」
さらにこう言う。「今回の新型コロナは、中国のスマートシティ化へのプロセスを大きく変えようとしている。上からの発想の押し着せではなく、基層部分からの情報によって下から上へ、もしくは下と上が相互に影響し合いながら発展していく。そういう方向をたどるのではないか」。
この文章からは今回のコロナ禍が中国の「統治者と人々の関係」に大きな影響を与えたことが読み取れる。中国はいま、感染症の危機を端緒として、まったく新しい発想でデジタル化に向けた社会の仕組みを再構築し始めている。その政治思想は私たちとは異質なものではあるが、政権としての戦略性、先見性に学ぶべきものは大きい。
次世代中国