DX人材の育成を導く、DX人材解体新書
住友生命保険相互会社 岸和良氏×NEC 孝忠大輔
テクノロジーの理解と活用によって次世代の働き方を拓くDX人材。デジタルトランスフォーメーションが企業の人材戦略に与える革新を通じて、AIとデータが未来の仕事のあり方をどのように変えるのか。「Vitality DX塾」の運営や「DX人材の育て方」「DXビジネス検定™公式テキスト」の上梓など、DX人材育成の第一人者である住友生命保険相互会社の岸和良氏と、「BluStellar Academy for AI」学長を務めるNECの孝忠大輔がDX人材の育成方法について語ります。漠然としていたDX人材の解像度が高まっていく、DX人材解体新書。育成の手法と未来への展望とは。
SPEAKER 話し手
岸 和良氏
住友生命保険相互会社 エグゼクティブ・フェロー
デジタル共創オフィサー
デジタル&データ本部 事務局長
孝忠 大輔
NEC アナリティクスコンサルティング統括部長
主席データサイエンティスト
BluStellar Academy for AI 学長
DXだけに特化した人材育成では意味がない
――日本におけるDXの現状をどのように考えていますか?
岸氏:大きな話で言えば、国家の問題として捉えるべきだと考えています。今の時代、日本のソフトウェアやデジタルコンテンツはあまり世界に輸出できていないと思います。世界で通用するソフトウェアやデジタルコンテンツをつくることができる人材がいない、とも言い換えられます。
――なぜ、そうなっているのでしょうか?
岸氏:それはソフトウェアやツールを使い、効率的にデジタルプロダクトやサービスをつくれることに日本人、特に企業の中の人材が気付かなかったからだと思います。ソフトウェアやツールは個人の力を強化し、個人や新興企業が旧来型の企業のビジネスを破壊する力をもつようになりました。例えば、MicrosoftのOffice製品は事務仕事を効率化しました。この結果、個人や新興企業でも事務代行ができるようになり、人手が豊富な事務代行会社をディスラプト*しました。SNSや動画コンテンツを得た個人や新興会社はマスマーケティング会社に頼る既存の仕組みを革新し、生成AIは事務作業やマーケティングだけでなく、SaaSやデジタル商材、オンライン観光サービスなどを簡単に素早くつくれる力を与えました。
さらにデジタル商材をデジタル販売プラットフォームに乗せれば消費者に簡単に売買ができる時代になり、結果個人の億万長者や数人の企業でも既存の市場を揺さぶり、大企業を脅かす時代になったと言えます。従来の企業が二の足を踏んでいる間に、個人や新興企業があらゆる業界を牽引する可能性がある時代になったのです。それでも、従来の企業、組織は仕事のやり方やルールを変えたがらない。アメリカはそれに気付いたので、ソフトウェア製品やデジタルコンテンツを日本に積極的に輸出してきています。しかし、日本は相変わらず製品の品質や従来のマーケティングにこだわっているように思える。これではますます世界に置いていかれます。
- * 既存の業界の秩序やルールを再定義して、新たなビジネスチャンスを生み出すこと
孝忠:岸さんのおっしゃる通りです。ソフトウェアの話に紐づけるならば、NECは昔、世界に誇るプロダクトをつくっている会社でした。そこにもう一度立ち返ることで、私たちの新たなオリジナルサービスをつくり、グローバル展開することを見据えています。そのひとつが、NECが開発した生成AI「cotomi」です。
岸氏:モノをつくるときに市場規模を考慮し、海外展開を前提に考えると、視座は高まり、戦略が国内を前提とする場合と比べて変わっていきますよね。これに関する話ですが、日本の造園技術は世界でも有名なイギリスと並ぶくらいに素晴らしいものだそうです。そこで、江戸時代から続く愛知県の造園業の会社が、イギリスで造園サービスを展開し好調であると。日本人は英語を話せないことが多いですが、生成AIがコミュニケーションをサポートしてくれる。そのように、デジタルはいろいろなハードルを乗り越えるためのツールになります。このような海外でも売るという視座をもって、そういう教育を日本人に行うべきです。
――実際にDX人材が増えてきている実感はありますか?
孝忠:ありますね。ただ、DXだけに特化する人材はお客様に寄り添いながらビジネスを進めていけません。実務経験が圧倒的に少なく、お客様と実際の接点を持たなければ、お客様が抱えるペインと課題が見えてこない。一方で、NECのビジネスはパートナーを介したBtoBtoCであることも多くて、そうなるとBのお客様とCのお客様のことを考えなくてはいけない。そのため、いまはユーザー企業で経験のある人材を採用し、彼らの経験や知識を部署内に共有していこうとしているところです。
岸氏:たしかに、デジタルの世界は特に、(売り手としての人がいないので)顧客に直接モノの価値を訴求しないといけませんよね。顧客向けの価値を生み出すものがデジタルとデータだと思いますし、それらを踏まえた教育を目指すべきです。なぜ消費者にAmazonが選ばれるかというと、品揃えの豊富さはもちろんですが、UI、検索機能の充実、商品を選ぶ際の参考になるカスタマーレビューなどが評価されているわけです。そういった顧客価値を高める手段を自然に想起できる人材が必要になってくると思います。
若手に研修・ワークショップの講師を任せてみる
――孝忠さんは「BluStellar Academy for AI」の学長を務めていますが、アカデミーとはどんなものなのでしょうか?
孝忠:AIを活用して課題を解決し、新たな価値を創造できる人材を育成するプログラムです。NECは2013年からAI人材育成に取り組んできたので、そのノウハウやスキルを、学びと実践の場を通して教えています。座学でデジタルのリテラシーを身に付けることもそうですが、なによりも実践の中で経験を積んでいくことが大切です。講師を務めるNEC社員が入学した企業や大学の参加者の方々と一緒になって、デジタルを駆使した課題解決に取り組んでいます。
――岸さんは「Vitality DX塾」を立ち上げ運営しています。内容について教えてください。
岸氏:DXビジネス発想のワークショップです。DXへの理解を深めるかつ、ビジネスに強い人材の育成を目的に行っています。私たちのプログラムでは、参加企業がBtoBのビジネスに取り組んでいても、必ず最初にBtoC向けの研修を受けていただきます。なぜなら、DXの顧客価値を理解するために「自分なら買うであろうか」と感じる自分ごとにすることはとても大切だからです。参加者の皆さんには、「自分にとっては、どんなプラットフォームがいいのか?」「どんなサービスであれば使いたいのか?」といったことをひたすら質問して深く考えていただきます。私たち講師が受講者に具体的な事例を質問して表面的なことを答えてもらっても、それでは深く理解できません。そのような場合は「自分が買いたいものや友人に売れる価値の高いものは何ですか?」と問い続けると「自分ならば、こういうものが欲しい、こういうものなら売れるはず」と考えが明確になり、DXビジネスが身近なトピックとして受講者の理解が深くなっていくわけです。
岸氏:プログラムが終わった後は参加者が「こんな簡単ならば、すぐにDXを始められる!」といった気持ちが芽生え、各々が職場にワークショップで得たものを持ち帰るのですが、上司からは「どうせ研修でしょ?」といったリアクションが返ってきがちなんですね。上司にDXのアイデアを投げても、「そんなものはウチには無理」と受け入れられないことも。そこから日常業務に埋没し、DXが忘れ去られていってしまいます。それではダメで、会社全体で発想して絶対実現するという意欲と仕掛けが重要です。
孝忠:「研修」という言葉は本当に良くないですよね。その場限りの雰囲気のように聞こえてしまいますから。そうした認識を変えていくのも、DXを進める上で重要なテーマかもしれません。
岸氏:弊社のZ世代社員がワークショップの講師を担当することもあるんです。彼らにとっては誰かに教えることが最高の学びになりますし、講師を務めるとなったら、教える立場なのにわからないことだらけだと恥ずかしいと勉強します。そうした緊張感がDX人材の育成にも繋がっていると感じます。
孝忠:若手が教えることはすごく良いことですね。どうしても教える側というのは、一般的には年配・中年で、過去の栄光を語るという立て付けが多いです。そこを脱却して、逆に若手に任せるというのは、企業が発展していくひとつの道なのかなと思いました。
岸氏:ベテランや中堅は忙しくて講師を断りがちですが、若手に「やってみる?」と誘うと前向きに「やります!」と言ってくれることが多いです。彼ら、彼女らも上司が決めた仕事の一部分だけをこなしていると、その仕事が何のためになっているのかわからない。それが研修の講師を担当するとなると、部分的な仕事でないので喜んで、顔色がまったく変わってきますから。
孝忠:「BluStellar Academy for AI」の中でも中核をなすプログラムである「入学コース」は、メンターに付いてAI人材に必要な考えとスキルを学んでいくという伝統的なフレームワークです。参加者の方々は1年ほどメンターからの指導を受けていくなかで知識やノウハウを身に付けて、それぞれの職場に戻っていきます。いまはDXの実案件が豊富にありますし、実践の中で学ぶことができるのは昔との大きな違いです。
岸氏:ワークショップではマインドセットは変わりますが、技能が必要なところは一朝一夕ではどうにもならない。プロフェッショナルを育てていくには実践で経験を積んでいくことが必要不可欠ですね。
孝忠:NECでは地方のデジタル化も進めていますが、私は「地方にはDXを教える人が足りていないのでは?」と考えています。DXを学びたい人はいますが、教える人は東京に一極集中している。これだけデジタルが進展した時代なので、リモートでもできるとは思いますが、やはり対面で得られる手触り感のようなものも必要だと感じているんですね。私たちは日本全国のNECの販売特約店 や企業に教育プログラムを配ることで、彼らに地産地消型のデジタル教育の活性化を進めていただこうと計画しています。
岸氏:その点について、私たちもいま、全国に散らばっている地方銀行や信用金庫向けにリアルイベントのワークショップを開催しているのですが、やはり数が多すぎてすべてを周りきれないんです。そこで考えているのが、私のツインをつくること。いまは私の書籍の内容や知識をAIに学ばせています。そこに画像も組み込めば、簡単にインタラクティブな研修ができる時代になってきました。
DX人材、デジタル人材の呼び名がなくなる社会に
――DX人材の育成において直面している問題があれば、教えてください。
孝忠:シニア世代やベテラン世代の中でDX人材の育成をどうするか、という問題があります。リテラシーの問題もありますし、岸さんがおっしゃるように若手が教えるのもいいと思うのですが、若手が講師を務める場合、上の世代には柔軟な考えをもつ人もいれば、そうではない人もいます。
岸氏:そうですね。でも、シニア世代やベテラン世代も能力は高いんですよね。ただ、すべての業務がデジタルに変わっていくと、わからないことが増えて疎外感が出てくるかもしれない。加えて、デジタル用語もわかりませんし、例えば、データサイエンティストは彼らから見ると良くわからない職業です。そこで「データを活用するのが好きな人たちですよ」と伝えると、「なるほどね」と安心していただけることが多い。
孝忠:言葉を咀嚼して伝えることは本当に大事ですね。ビジネスにおけるほとんどの意思決定は上層部の役割ですから、彼らが理解しないことには物事が進みませんし、全員が同じ方向を向かなければ、会社として強くならないと思います。
岸氏:いくら下からDXを突き上げても、相手にされないうちに気持ちが萎えてしまうこともあります。これからもっと、ビジネスも仕事環境も目まぐるしく変化し続けていきます。そこで不必要になるのは、過去の組織体制やルールなどを理由に、新しい取り組みやイノベーションを自制してしまう体質ですね。
孝忠:デジタルに関していえば、若手を中心にDXの博識になるという逆転現象も起きていますし、上層部がそれを判断できないという問題もあります。「現代における上司の存在意義とは?」という問いも議論していくべきだと思います。
岸氏:「自分たちだけでDXはできない」と決めつけている企業も多いと思います。DX人材の育成はマインドセットひとつで大きく変わっていくので、まずはワークショップへの参加から始めていくことをおすすめします。
――DX人材がさらに増えていくと、どんな未来が待っていると考えますか?
孝忠:日本は停滞している時代が長いですが、さらにDX人材が増えることで、もう一度立ち上がって、新しいことにチャレンジしていこうという機運が高まっていくと思います。現在、小・中・高等学校でも情報教育が進んでおり、彼らが社会人になったときは非常に高いデジタルリテラシーが備わっていると思いますし、何も心配していません。それよりもやはり、上の世代がどう変わるかが重要だと思います。いまはDX人材やデジタル人材と呼ばれていますが、少し先の未来ではそのような言葉はなくなり、どんな会社でも当たり前のようにデジタルスキルをもつ人材が存在する社会をつくっていきたいです。
岸氏:Z世代は上司に聞かずとも生成AIを使っていろいろなことを自分で考えて、解決できるスキルをもっています。冒頭でもお伝えしたとおり、これからは個人の時代ですから、その価値観を会社の価値観に染めないようにすることが大事です。DXのリテラシーを高めると同時に、新しいことにチャレンジできる風土が私たちの人材教育を通して広まっていけばいいですね。