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2014年11月21日

『テクニウム~テクノロジーはどこへ向かうのか?』 ケヴィン・ケリー氏インタビュー
~『WIRED』創刊編集長が語るテクノロジーの進化と日本の未来

テクノロジーの雇い主でもあり、奴隷でもある

──『テクニウム』では、「テクノロジーは自律的に進化する」と主張されています。

ケリー氏:
 インターネットはシステムです。工場も、国の官僚制度も、郵便局もシステムです。牧草地や熱帯雨林も、あなたの体もシステムです。そしてあなたの考え方もシステムです。パーツがあるもので、その集合体がパーツ以上のものであれば、それはシステムなのです。そしてすべてのシステムの働きとして、得てして自身を保護する傾向にあります。あなたが怪我をしたり、どこかを打ったりしたとき、システムは自らそれを修復しようとします。それが私の言う利己的の意味です。なぜなら自分を守ろうとするということは、自我を持っているといえるからです。ですから我々が造るすべてのものがシステムである限り、それはテクニウムなのです。実際それらは、この世界を自分たち自身に向けて促す、言い換えれば世界を拡張して自分たちが存続しやすいようにしようとしています。そういうことから、利己的だと言えるのです。

──なるほど。

ケリー氏:
 ほとんどの人がソーシャルメディアなどを利用するとき、テクノロジーのために我々が働いていると感じられるのではないでしょうか。ソーシャルメディアがあるから、我々はさまざまなことをネット上に投稿します。物を買うときにも感じられるかもしれません。物を買えば買うほど必要な物が増えていきます。例えば車を買ったとすれば、ガレージをその車のために建てないといけない。さらに車のためのメンテナンスも必要になる。つまり、テクノロジーを支えるためのテクノロジーが必要になってくるのです。そのように見れば、テクノロジーのために我々が働いていると感じられるのではないでしょうか。

──ならば我々はテクノロジーに対し、どのように向き合っていけばいいのでしょうか?

ケリー氏:
 どのような関係を持てばいいのか、まさに私が最初にスタートした課題です。我々はテクノロジーの創造者です。しかし、一方でテクノロジーも我々を造るのです。我々は親でもあり、子でもあります。我々は雇い主でもあり、同時に彼らの奴隷でもあります。我々とテクノロジーとの関係ではそのような不一致が常に存在し続けるのです。そのため、とても心地の悪い関係性となりますが、それは永遠に続くのです。

──テクノロジーによって人間が支配されてしまうのではないかと恐怖する人もいると思います。

ケリー氏:
 テクノロジーの恐怖に打ち勝つには、試しに少しの間テクノロジーのない生活をしてみることが最善だと思います。私は最低週に一回、テクノロジーからの休暇を取ります。テクノロジーから避難するのです。実際に離れてみると、テクノロジーによって得られるものがコスト以上のものであることに気付くので、立ち返ることができます。ですから私の答えとしては、恐れずに、信じることによって、テクノロジーに立ち返ることができるということです。我々は常にそれが良いことであると信じ、確認し続けることが大事です。一方で、テクノロジーを完全に禁じたり、使用しなくしたりすることは逆効果だと私は考えます。我々はテクノロジーを実際に利用することによって、それを評価し続ける必要があります。テクノロジーが有用であるかどうかを見極めるには、実際にそれを利用することが唯一の方法なのです。

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