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次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国全土に6万店。世界最大の外食集団に見る商売の流儀
~中国社会に横たわる地縁血縁の論理を考える~

中国は「中国ファースト」の国

 発想を大胆に飛躍させて、沙県政府を中国政府に、沙県の人々を中国の国民に置き換えてみれば、中国経済の成長も実は似たような構造と言えるかもしれない。かつて文化大革命でどん底に陥った人々の生活再建のため主導的役割を担ったのは政府であった。政府は「改革開放」「中華の復興」といった大義名分を打ち立て、人々が豊かになることを奨励した。そのためのさまざまなお膳立てを用意した。

 人々は、とりあえず食わねばならないので政府の号令に従い、何でもやった。役人を辞めて商売を始めた人もいた。政府は「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫が良い猫である」と、豊かになるためなら細部は問わず、思い切って人々の自主性に任せた。そういう中国人の土壇場の柔軟性や楽観主義、割り切りの良さが成長の原動力だった。

 地縁血縁も同様である。中国という国は、口でどう言うかはともかく、その実、徹底した「中国ファースト」の国であり、すべては「この国の人々をいかに食わせるか」から出発している。商売は基本的に中国人(とその身内)のための生業であって、根底には地縁血縁が横たわる。だから外国人や外国の企業は必要な時に利用はするけれども、本当の利益共同体に入るのは非常に難しい。

 「身内」になるためには、それこそ中国人と結婚するか、ネイティブ並みの中国語を話し、社会の論理に従って長年の苦楽を共にしなければならない。最近、中国が強国になるにつれ、「中国では外国人が差別されている」という苦情を述べる外国人が増えているけれども、中国社会の観念では「世の中はそういうもの」であって、異境の社会に溶け込むのは難しい。だから中国人は海外に出ると身内で固まるのである。

「身内でない」外国企業の生きる道

 冒頭にKFCとマクドナルドの中国事業投資に対する姿勢の変化に触れた。この両者は30年近くにわたり中国で商売をし、社会に大きな影響を与え、巨額の利益を得た。けれども結局「中国の会社」にはならなかったし、それを望みもしなかった。それは彼らが「地元民のための生業」を営む企業ではないからである。まさにグローバル企業としての「役割を終えた」と感じたのであろう。中国のKFCとマクドナルドは、これから中国の企業として中国の人々のための新しいファーストフード文化を生んでいくことになるはずだ。

 中国で事業を展開する日本企業は多いが、「沙県小吃」の事例が示唆するように、中国では「身内」の会社にならない限り、大きな成功は難しいと私は思う。そして、その「身内」になるハードルは近年どんどん上がっている。特に製造業のような目に見える「モノ」がないサービス業では、その傾向が強い。逆に言えば、中国で大きな成功を果たした、例えば「味千ラーメン」(正確には日本の資本ではないが、ここでは論じない)やユニクロといったブランドは、中国の人々から身内同様に扱われるための多大な努力をしたということだろう。

根深い「身内ファースト」の論理

 もちろん中国社会は変化している。全体の所得が伸び、教育水準が上がり、海外渡航経験のある人が増えた。政治的な統制を別にすれば、社会の開放度は上がっている。当の「沙県小吃」からして近年、県政府とは別の運営会社をつくり、海外からも資金を入れてオープンな外食チェーンとして再編成しようと試みている。

 そうした流れがあることは事実だが、中国社会の体質が「身内主義」から、(かつての?)米国のようなオープンなプラットフォームに変わるのは難しいだろう。少なくとも途方もない時間がかかるに違いない。「沙県小吃」の自己変革の取り組みも困難重々、遅々として進んでいないと聞く。

 中国社会に横たわる「身内ファースト」の観念は深く、根強い。グーグルやフェイスブック、ツイッターなどを中国が排除しているのも、政治的理由というより「身内主義」によるところが大きいのではないかと勘繰りたくなる。中国でのビジネスの難しさもさることながら、こうした論理を根底に持つ国が強大な影響力を持ちつつある状況は、世界の国々、とりわけ中国の近隣諸国にとってはなかなか容易ならざる事態だと思うのである。