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次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国のシェア自転車はなぜ失速したのか
~投資偏重「中国的経営」の限界

プライバシー意識の高まりも逆風に

 個人の移動データの活用も進んでいない。シェア自転車のビジネスが構想された15~16年頃、中国社会はまだプライバシーに対する意識が薄く、シェア自転車が収集した個人データに対する関心も低かった。しかしこの連載の「覚醒する中国人のプライバシー~デジタル実名社会で揺れる個人の権利意識」で紹介したように、17年後半あたりから中国社会で個人情報の流用に対する世論の警戒心が急激に高まり、企業は個人データの収集と第三者への提供に慎重にならざるを得なくなっている。シェア自転車企業による「個人情報ビジネス」も表立った動きが取れない状態になった。

 そして有力な収益源と期待された車両本体の広告掲載も、一部では行われたが、違法な放置自転車の増加や、薄汚れた状態で街角に晒される自転車が多かったことなどからイメージが悪化、広告媒体としての価値も低下してしまった。

モバイクは「身売り」、ofoは事業縮小

 こうしたことからシェア自転車の事業そのものの収益性はますます不透明感が強まっている。それが新規投資資金の流入減少となって表れ、シェア自転車企業の資金繰りを直撃している。もともと冒頭のインタビューで王暁峰が認めるように、新規の投資資金が入らなければ倒れる「自転車創業」なのだから、これは苦しい。

 そんな状況を受けてモバイクは18年4月、創業者や投資家らが持つすべての株式を中国のインターネット企業大手「美団点評」に売却、社会に衝撃を与えた。2人の共同創業者はそれぞれ日本円で200億円強の売却益を手にしたという。2人のうち胡瑋煒はそのまま「雇われCEO」として残ったが、CEOだった王暁峰はモバイクを離れた。

 一方、ofoは創業者の戴威がもともと「社会問題の解決」を原点に事業を立ち上げた経緯があり、シェア自転車の未来に希望を捨てていないかに見える。過剰だった車両数を削り、「株価対策」の意味が強く、収益性の低かった海外事業から順次撤退するなどの再建策を実行し、自力での生き残りを模索している。しかし時価総額はピーク時の数分の一まで縮小しているとされ、「いずれどこかの傘下に入るしかない」との悲観的な見方が強い。

「一攫千金」とは無縁のビジネス

 先にも述べたように、シェア自転車のビジネス自体は儲かる商売ではない。庶民を対象にした一種のインフラ事業で、公共性が高い。路線バスや地下鉄など政府が経営する公共交通機関が政策的に低い運賃で運行している中、シェア自転車が徴収できる料金は低いものにならざるを得ない。加えて膨大な現場のオペレーションが求められ、もともと「一攫千金」とは無縁の、地道で根気のいる商売のはずである。

 企業である以上、投資のリターンを求めるのは当然だ。しかしその「投資」が成功するためには、現場での日々の仕事が不可欠である。利用者に提供するサービスが本当に便利で、人々の生活に継続的に価値がある存在であり続けるからこそ、企業価値が増大し、投資が成功する。その意味で「現場」は「投資」の前提条件である。

 しかしながら現実の中国のシェア自転車のビジネスを見た時、経営者や投資家はリアルの「仕事」を軽視し、「投資」しか念頭になかったと判断せざるを得ない。全国で数百万、数千万台の自転車を日々オペレーションし、億を超える人々の日常の移動に関係するビジネスの当事者としては発想があまりに安直、容易に過ぎる。「何があっても自分はこの事業に一生を賭ける」という悲壮なまでの覚悟なしに、こんな大きな社会的影響のある仕事が継続できるわけがない。

「投資」で稼ぐか、「仕事」で稼ぐか

 何度も書いたように、中国のシェア自転車の仕組み自体は素晴らしいものである。中国でしか実現できないユニークな移動の仕組みを構築できる可能性があった。しかしこのように近視眼的で粗雑な投資、経営では、いかに優れたアイデアや技術があっても一過性の「投資ブーム」に終わり、まっとうな事業として定着していくのは難しいだろう。

 その点でofoの創業者、戴威が最後まで企業理念の実現に強い執着を見せ、孤軍奮闘、シェア自転車の生き残りに全力を傾けている姿は創業者として筋を通した生き方で、中国国内でも称賛の声がある。もちろんその経営責任は逃れられるものではなく、状況は予断を許さないが、少なくとも彼は社会的な名誉を勝ち得つつある。

 また失速が明らかな既存のシェア自転車企業以外に、アリババグループが出資する「ハローバイク(Hellobike、哈羅単車)」、より充実したインテリジェント機能を掲げる「智享単車」といった新興勢力が先行他社の教訓を踏まえ、新たな局面を切り開く可能性もないではない。しかし、いずれにしてもこのあたりで、この2年あまり続いた「シェア自転車狂想曲」を振り返っておくことは意味があると思う。

 翻って考えれば、このあたりに日本企業の中国での勝機(商機?)があるかもしれない。派手な投資話をぶち上げて右から左に売り抜ける商売は日本人の得意とするところではないが、利幅は薄くとも、社会に役立つ仕事を根気よく、丹念に継続し、しぶとく改善して利益を上げていくという仕事は日本人の能くするところである。

 「投資」で稼ぐか、「仕事」で稼ぐか。中国という巨大市場を前に、このあたりの向き合い方はじっくり考えてみる価値がある。