行政ビッグデータで拡がる、これからのまちづくりの可能性
2017年の個人情報保護法の改正により、官公庁や地方公共団体※1が持つ行政データも匿名加工(個人が特定できないようなデータ加工)を施した匿名加工情報(以下、行政ビッグデータ)とすることで民間活用が可能となった。行政ビッグデータは個人単位に必要な項目がまとまっており、自由に集計・分析・加工を行うことでオープンデータとは比較にならないほどの価値を生み出すと期待されている。それでは実際に行政ビッグデータにはどのような可能性があるのか。その活用推進を加速させるためには何をすればいいのか――行政ビッグデータの動向に詳しい各界のキーパーソンに話を聞いた。
- ※1 地方公共団体が非識別加工情報を提供するには条例改正が必要
企業が使える住民データ「行政ビッグデータ」とは
今、民間企業では、デジタル技術でビジネスに変革をもたらすDX(デジタルトランスフォーメーション)が進行している。そのカギを握るのが、重要な情報資源であるビッグデータの利活用だ。ビジネス現場や人々の生活から日々リアルタイムに生成される膨大なデータを、AIなどを活用してスピーディに分析することで、戦略的な意思決定や革新的なサービスの創出へとつながる深い洞察を導き出すことができるからだ。
だが現在、実際に活用されているのはビッグデータのごく一部にすぎない。例えば、官公庁や地方公共団体が保有する「行政ビッグデータ」も、まだ民間活用があまり進んでいない“未知なるデータレイク※2”の1つだ。
- ※2 さまざまなデータソースから集められたビッグデータを元のまま管理し、格納する場所、活用のための前処理を行える環境
2017年の個人情報保護法の改正によって民間活用が可能となった行政ビッグデータは、個人を特定できない加工を施した情報である。この情報の基となるデータは行政がサービスで取り扱う情報であるため、網羅性、鮮度、信頼性を兼ね備え、フェイク情報のようにその信憑性を疑う必要はない。そのため、高い利用価値と可能性を秘めたデータといえるだろう。
つくば市の政策イノベーション部に所属する家中 賢作氏も、「市役所の中には個人情報を含んだ重要なデータがたくさんあります。私は、まさに“宝の山”だと考えています。現状、それを活用できるのは市役所だけですが、もっとうまく活用できる手段があれば、民間企業にもさまざまなメリットを生み出すでしょう」と話す。
ところが実際には、思うほど民間活用が進んでいない。その大きな理由の1つが、純度の高い精製されたデータであればあるほど、漏えいした際の責任が重くなるため、「ここまで個人を特定できない加工をすれば大丈夫」という基準を誰も作りたがらないことにある。
筑波大学の川島 宏一教授は、「民間企業に比べてカネやモノを動かすことが難しい行政機関にとって、唯一残された資源が情報です。官公庁や地方公共団体の手元には、多種多様な情報があり、それを機動的に使うことによって、今までとは異なる視点から、新しいサービスを提供できる可能性があります。しかし世の中のニーズがどんどん変化していく状況にあっても、まだ行政側のサービスがそれに対応できていないのが現状です」と語る。
オープンデータとは異なり、多種多様な個人に係るデータを個人単位で必要なデータとして活用できる
一方、官公庁や地方公共団体、企業などが持つ公共性の高い情報を、二次利用可能な形式で提供するオープンデータの活用はそれなりに浸透してきている。こうした公開情報と、匿名加工を施した行政ビッグデータとの違いは、どこにあるのだろうか。
独自のノウハウで、国内最大級の社会資源情報プラットフォームを構築し、介護関連サービスなどで注目を集めているウェルモの今泉 理良香氏は、次のように語る。
「当社は地域ケア情報の見える化サイトであるミルモネットの運営をはじめ、介護分野におけるさまざまなオープンデータを、研究から商用のための可視化に至るまで、多様な分析に利活用しています。しかしオープンデータは複数人の個人情報を分類して集計したもので、集計の粒度も合致しないケースが多いため、マクロ的な推計にしか使えません。一方、行政ビッグデータは匿名加工されていますが、個人単位で必要なデータ項目がまとまっているので、個々に寄り添うサービス展開に合わせた集計や分析が可能です。その意味で行政ビッグデータの価値やポテンシャルは、非常に高いものだと考えています。現状は、オープンデータの利活用が進んでいるというより、それしか入手できないから使っている。ほかの企業もそんな状況なのではないでしょうか」
ユースケースに見る行政ビッグデータを使うメリットとは
それでは、行政ビッグデータを活用すると、どのようなことが可能になるのか。既にいくつかの民間企業や地方公共団体は、住民票、介護保険、医療レセプトデータなどを起点としたアプローチによって、観光、農業、介護、医療、行政(EBPM『Evidence-based Policy Making:証拠に基づく政策立案・形成』)分野への活用を進めようとしている。
例えば、つくば市では住民と行政が相互に補完できる地域コミュニティの再生に向け、EBPMを積極的に推進している。
「つくば市はNECユーザー会(NUA)に属するパーソナルデータ活用研究会へのオブザーバ参画以外に、総務省の実証事業においても、協力地方公共団体の立場で参画させていただきました。また、住民参加型で地域社会に役立つ解決策を考えるアイデアソンである“Hack My Tsukuba”という催しも川島教授の協力を得ながら、毎年開催しています」と家中氏は語る。
そうしたなかで見られるデータ分析の傾向は大きく2つに分けられるという。1つは、現時点の静的なデータを起点に、住民の年齢や家族、国籍、健康、疾病、介護などに関する現在の状態がどうなのかを分析する観点。もう1つは、ある時点からある時点までの経年データを起点として、それらの動的な変化について分析する観点だ。
「EBPMにおいて静的な分析は“現状把握”に必要で、動的な分析は“将来予測や政策効果の測定”などに有用です。例えば、日々の買い物に必要なスーパーが地域のどこに分布しているのか、ご自分で移動手段を持たない高齢者の方がどこに住んでいて、そのスーパーからどれだけ離れているのかを分析すれば、週に何回か、そこに移動販売車を走らせることで“買い物弱者”を解消できる施策が展開できるかもしれません」(家中氏)
一方、川島教授は、人命に直結する社会課題の解決に行政ビッグデータが役立つと訴える。
「救急医療や災害避難、認知症の徘徊といった問題において、人の命を救うために行政ビッグデータが活用できる点も非常に大きなポイントです。例えば大規模な水害が起こり、逃げ遅れた多数の住民が亡くなられるという痛ましい事故をなくしていくために、避難基準となる河川水位とこれまでの破堤ポイント、雨量、周辺の消防団の配置などを事前にシミュレーションすることで、それぞれの地域で住民が安全に避難できる体制を確認することができます。逃げ遅れる方の多くは避難行動要支援者で、身体が不自由な方や高齢者の方が多い。その方々をいざというときにどう助けるかのシミュレーションができていない。このため、どうしても突発的な災害時には助けられないケースが出てしまいます。そこで日ごろから支援が必要な方がどこに分布、集中しているのか、どのような状態なのかをデータで把握し、どう助けられるのかをシミュレーションしておけばいいのです。これも行政ビッグデータならではの有効な活用法となります」(川島教授)
大量の介護データや医療データを使った民間の支援サービスも既に動き出している。介護サービスの利用計画などを記載したケアプランを福岡市の協力を得ながら活用し、「ケアプラン作成支援AI」の実証実験を行ったウェルモは、官民連携によってデータ利活用を推進している好事例の1つだ。
「もともと介護現場には、多くの要介護者を担当するケアマネジャーが、一人ひとりのニーズに合ったケアプランの作成に多大な労力を費やしたり、医療やリハビリといった専門知識をどう補えばいいのかに悩んでいたりするという課題がありました。そこで福岡市内の居宅介護支援事業所から提供を受けた膨大なデータを学習したAIエンジンにより、要介護者の状態に基づいた最適なプランを提示、選択できるサービスを提供できないかと考えたのです。実証の結果、専門知識を補完したAIでケアプラン作成を補助することで、新任ケアマネジャーの基礎力の底上げや業務の効率化、ケアマネジメントの質向上などで一定の効果が得られることが確認できました」(今泉氏)
さらに、介護や医療領域の行政ビッグデータを活用すれば、個人がどのようなケアや医療を受けると、その後どのような状態になるかが高い精度で予測でき、地域ごとに必要とされる予防方策の立案や、介護給付費の削減につながるソリューションも提示できるようになるという(図1)。
期待が高まる「データ利活用型スマートシティ」
こうした各分野における行政ビッグデータの利活用により、地域が抱える多様な問題を地域で解決できる「データ利活用型スマートシティ」の実現も期待されている。
もともとスマートシティのコンセプトは、都市が抱えるさまざまな課題に対し、ICT技術を活用した適切なマネジメントを行い、交通や自然との共生、省エネルギー、安全・安心、資源循環といった全体最適化が図られる持続可能な都市を実現すること。最近では、さらに医療・健康なども加えた幅広く横断的な取り組みを目指す考え方に変化している。それは、それぞれの分野が密接にかかわりあっているからだ。
例えば、食品、商品、エネルギーといった分野でも、需要を上回る供給は廃棄物となる。その生成から廃棄までのライフサイクルには、さまざまなムダが発生し、処理するためのコストも発生してくる。そこにビッグデータ分析によるマネジメントが実施されれば、需要と供給のバランスが保たれ、さまざまな工程でのムダもなくなっていく。そこでかかっていたコストを、福祉や介護といった別分野に振り向けることができるようになるわけだ(図2)。
「大量のデータがあるということは、そこから何らかの“問題”を発見できることを意味します。いつ、どこで、どのような問題が起こるかを高い精度で予測できれば、その予防策を講じることで多くの損失を回避することができます。どこかで交通渋滞が発生しているのなら、それが信号制御の問題なのか、道幅や交通規制の問題なのかをデータ分析で可視化すればいいのです。そのなかで最も影響の大きい問題から対処していけば、早い改善につながりますし、今まで想定もしていなかった“新しい道を作る”という判断も出てくることがあります」(川島教授)
利活用の推進に向け、クリアすべき課題とは
このようにさまざまな可能性が広がる行政ビッグデータだが、利活用を推進していくには、クリアすべき課題もある。その1つが、入手できるデータのイメージが、事前に把握しづらいことだ。
「官公庁や地方公共団体が公開している個人情報ファイル簿を見ても、記載の粒度も違えば、データ項目の意味がパッと見ただけではわからないものが多いのが実情。例えば今回の実証実験で、高齢者が犬などのペットを飼っていた場合、認知症の予防効果があるのか、その方の介護度はどれくらいかの相関関係を調べたいと考えていました。最初は独居の高齢者の方でないと因果関係を追えないと考え、住民基本台帳のファイルから世帯主が65歳以上で独居かどうかを調べていきました。しかし後になって、最初から独居の方のデータが別にあったことがわかりました。つまり、欲しい情報は明確にあるものの、そのデータがどこにあるのか、どのデータとどのデータを掛け合わせればいいのかが非常にわかりづらい。これでは普通の企業は、行政ビッグデータを入手するためのアクションを起こす気にならないのではないかと思いました」(今泉氏)
仮に、個人情報ファイル簿の内容が理解できたとしても、最終的に民間企業が入手できるのは個人情報ではなく、行政ビッグデータとなる。「入手するための提案書も、かなりの知識がなければ書くのが難しいのが現状です。個人情報ファイル簿の記載からデータの中身を推察し、どのように提案書を書くのか。その結果としてどのような加工がされたデータが入手できるのか。それがまったく不明なため、苦労してデータを手に入れたのは良いが、目的に合わないといったことが生じる可能性もあるでしょう」と今泉氏は付け加える。
データの加工方法や運用・制度の問題もある
「地方公共団体によってデータのフォーマットが違うのも大きな問題です。同じ住民基本台帳の業務データであっても、つくば市と他市とでは、使っている業務システムが違えばデータ形式も違い、互いにそれを抽出して比較するとなると、データを標準化する仕組みやルールが必要になります。データ統一のための標準的な仕様やプラットフォームさえ決まれば、データ変換のみ意識すればよくなります。変換に誤りがないようにするには、何が標準なのかを分野の枠を超え、高い視点から検討することが大切だと思います」(家中氏)
データを取得する際には、現時点の静的状態を捉えたいというニーズだけでなく、経年変化のような動的状態を捉えたいというニーズもある。利活用する事業者が、入手したいタイミングやニーズにあわせて、行政ビッグデータを取得できるような制度や仕組みを作ることも必要だろう。
「特に人の命にかかわる救急医療や災害避難などのデータについては、国が法律で義務化して提供することも1つの方法でしょう。これに比べれば緊急性がそれほど高くない医療や健康、介護などについては、民間がもっと積極的に必要なデータを取りに行って、創意工夫を凝らしながら新たな価値を創出していくことが大切です」(川島教授)
NECが進める、行政ビッグデータ利活用に向けた解決策とは
こうした行政ビッグデータの利活用に向け、どのような解決法があるのか。NEC デジタル・ガバメント推進本部 シニアエキスパートの岩田 孝一は、次のように説明する。
「個人情報ファイル簿に関しては、利活用事業者へのインプット情報が圧倒的に足りていないという声が多く聞かれます。そこで、総務省の実証事業において、NECは地方公共団体のシステムを開発している知見を活かし、『データに関する属性や桁数』、『データ項目に関する補足説明』、『格納データ形式のサンプル』、『匿名加工後のデータ状態に関する説明』などを示したデータカタログを整備しました。利活用事業者では、入手する行政ビッグデータが、どのような状態で加工されたのかが容易にわかる仕組みが必要です。そこでデータカタログに匿名加工の仕様を記載することで、削除されるデータ項目や一般化などによって置換されるデータ項目の仕様を明らかにしました。これにより、ほとんどの事業者の方からデータ内容を納得・理解できたとの評価をいただくことができました」
目指すべきは、データを活用した社会問題の解決
今後の行政ビッグデータの利活用に向け、どういう取り組みを進めていくべきなのだろうか。
「先述したように国全体で一気に標準化を進めていこうとすると、どうしても無理が出てきます。救急医療や災害避難といった一部のデータについては、早急に標準化をする必要がありますが、それ以外は、まず合意形成を行える範囲内の地方公共団体で、どんどんデータ活用による問題解決を進めるべきだと考えます。筑波大学とつくば市が一緒に進めている取り組みもその具体例といえるでしょう」(川島教授)
一方、住民サービスの継続性や発展という観点から、家中氏は次のように述べる。「これまでは地方公共団体が主体となって住民サービスを一手に引き受けていましたが、もはや予算的にも人的にも地方公共団体だけでは対応が難しい時代になっています。今後は行政だけでデータを抱え込まず、地域の企業や支援していただける団体と一緒にアイデアを出し合い、さまざまな施策を展開していく方が、いい効果を生み出せると考えています。そのためにも民間企業やICTベンダーの積極的なサポートを期待しています」
こうした期待に応えるため、NECはこれからも「データ駆動型行政」の戦略策定支援や、データ連携基盤技術の社会実装の迅速化などを積極的に推進し、行政ビッグデータを活用した都市・地域マネジメントの整備に貢献していく。