VUCA時代に勝つDX戦略、三井住友信託銀行が実践するAI活用の勘所
価値観が多様化し、不確実性が増すVUCA時代において、企業におけるデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進はもはや必要不可欠になったといえるだろう。市場や顧客ニーズが急速かつ劇的に変化するため、従来のやり方で対応することは難しいからだ。このため、データ収集や分析、意思決定や実行のサイクルを高速化し、継続的に価値を創出できる仕組みづくりが求められる。三井住友信託銀行も最新デジタル技術を積極活用し、業務変革に取り組む企業の1つだ。同行では、個人顧客のターゲティングの精度向上を目的に予測分析自動化AI「dotData」を導入。金融商品の成約率が高いと思われる顧客をAIが導き出すことで、成約率向上を実現した。特に注目したいのは、データサイエンスの高度なスキルを持たない担当者でもAIモデルの構築が可能になった点だ。ここではAIを活用した同行のDX推進のアプローチとその成果について紹介したい。
SPEAKER 話し手
三井住友信託銀行株式会社
長尾 将宏 氏
デジタル企画部(NECから出向)
近藤 敬佑 氏
個人企画部 データ・マネジメントチーム
調査役
AI活用の最大のハードルとなる「AI人材の不足」
デジタルトランスフォーメーション(DX)の実現に向け、AIの期待がますます高まっている。画像や音声の解析はもちろんのこと、顧客行動が生み出す膨大なデータの分析や、各種センサーデータの活用による工場の生産性向上など、さまざまな領域においてニーズが拡大している。
ただし、AIを活用すれば、必ず成果が上がるわけではない。AIを活用し、ビジネスやプロジェクトを成功させるためには、さまざまなハードルが存在するからだ。その最たるものの1つがAI人材の不足だ。
実際、独立行政法人情報処理推進機構(IPA)が公開した「DX白書2023」によると、AI導入課題として「AI人材の不足」を挙げた企業は49.7%に上り、もっとも多い回答となっている。
ニーズが多様化する中でターゲティング精度をいかに向上させるか
人材が不足する中で、いかにAIを効果的に活用し、変化の激しい時代に対応していくか――。これは多くの企業にとって共通したテーマだといえるだろう。
このテーマに果敢に挑戦している企業がある。三井住友トラスト・グループの中核を成す三井住友信託銀行だ。同行は「個人のお客さま向け」「法人のお客さま向け」「投資家向け」「資産管理」「不動産」など、銀行業務と信託業務を一体的に手掛ける専業信託銀行として、幅広い事業を展開している。
近年ではDXにも積極的に取り組んでおり、中期経営計画においては「デジタル技術の活用」と「デジタル人材の育成」を大きな柱に掲げている。「『新技術への挑戦』『データサイエンスの高度化と活用拡大』『業務インフラの高度化』『人材のリスキリング』の4つの戦略を掲げて、デジタル戦略を加速させています」と説明するのは、同行でデジタル企画部に所属する長尾 将宏氏だ。
そうした取り組みの1つに、個人事業におけるAIの活用がある。個人事業のメインターゲットは、相続や遺言信託など次世代に財産・事業を引き継いでいく「高齢層」だ。その一方で、近年はスマホアプリをはじめとしたデジタルチャネルを展開し、これから資産を形成していこうとする「資産形成層」へのアプローチにも注力。こちらはミドルからシニアまで世代別コンサルティングを実施することで、金融のトータルソリューションを提供している。
こうした個人顧客向け商品の営業活動を支援するため、同行では早くからAIを活用してきたという。
「どのお客さまに、どういった商品を提案すべきかを営業担当者に示す際、これまでは過去の経験則に基づいて『定期預金の満期を迎えるお客さま』『運用商品をお持ちのお客さま』などを中心に『ターゲットリスト』を作成していました。しかし、お客さまのニーズや属性が多様化し、その変化のスピードも加速する中で、各お客さまのニーズにより的確にお応えするには、ターゲットリストの精度をより高める必要があります。そのための手段の1つがAIの活用です」と同行で個人企画部に所属する近藤 敬佑氏は説明する。
顧客行動のより深い理解へ カギを握る「特徴量自動設計」
三井住友信託銀行は2016年ごろから、顧客の動向や属性に関するデータをより詳細に分析し、その結果をターゲティングに反映させる目的で、AIの機械学習を用いた統計ツールを試験的に導入。その結果、一定の効果は得られたものの、同時にさまざまな課題が浮かび上がった。
「優れたAIモデルを作成するためには、お客さまの行動を深く理解し、有効なパターンをAIに入力する必要がありますが、これには高度なスキルを要し、作業負荷もかなり高く分析に時間がかかり過ぎていました。限られた人的リソースの中で、ターゲットリストを継続的に高度化するには、既存のAIツールでは難しいと考えました」(近藤氏)
こうした課題を解決するために着目したのが、データから隠れたパターン(特徴量)を自動的に発見可能なAI技術である「dotData」だ。特徴量自動設計によってターゲティングすべき顧客の行動を理解し、またAutoML(機械学習自動化)によってAIのモデリングも自動化できるため、課題解決に向け最適なソリューションだと評価したという。
「多くのAIツール・製品は特徴量がブラックボックス化されています。そのため、分析スキルが属人化しがちで、AIが導き出したリストを営業担当者にわかりやすく説明できません。その点、dotDataはデータサイエンスの高度なスキルがなくても複雑なAIモデルを短期間で開発できる上、ビジネスで役に立つ特徴量を発見し、誰でも理解できる形で可視化できるのが魅力的でした」(近藤氏)。
dotDataを試験的に導入し、ターゲットリスト作成などいくつかの業務シナリオに沿って評価したところ、期待通りの効果が得られ、正式採用に至った。
dotDataの分析で成約率に20倍の差が
dotDataの導入後、同行ではdotDataを使ったターゲットリストの作成作業を開始。管理している顧客の年齢・職業の属性情報や預金・投資信託・保険の過去の取引履歴など、500万件に及ぶ大量のデータを分析にかけ、より高い成約率を見込める金融商品を割り出すAIモデルを構築していった。その過程で、思いもよらぬ特徴量が抽出されることもあったという。
「例えば運用商品の提案先をターゲティングする際に『住宅ローンの残高』『相続関連商品の保有状況』『定期預金の解約回数』といった、従来は運用商品と直接関係ないと思っていた特徴量も数多く見いだされました。ベテランの営業担当者の中にはそうした傾向を把握していた人もいたかもしれませんが、明確に可視化されたことで若手や新人にもナレッジとして広く共有できるようになりました。dotDataによる分析は、営業力の底上げにつながると考えています」(近藤氏)。
AIが提示した内容を基に、顧客に提案すべき商品を「商品別ニーズフラグ」としてターゲットリストに含めて営業担当者に提供したが、当初は戸惑いや抵抗も見られた。しかし、dotDataが提示する特徴量に関する情報に基づいて、それぞれの商品別ニーズフラグの根拠をわかりやすく説明する資料を作成したところ、時間がかからず理解が得られるようになったという。
何より、商品別ニーズフラグの運用を続けるうちに「成約率」という目に見える形で効果が実証されていき、営業担当者からの信頼感が大きく変わっていった。今ではこの情報をベースにした営業スタイルがすっかり定着している。
「商品別ニーズフラグで『ニーズあり』と示されているお客さまと『ニーズなし』と示されているお客さまを比較すると、成約率に約20倍もの差があることがわかりました。こうした具体的な効果が出たことで、営業担当者からの信頼も得られています」(近藤氏)。
今後はより幅広い業務にdotDataの導入を計画
ターゲットリスト作成の成果を踏まえて、同行ではほかの業務にもdotDataを導入する取り組みを進めている。個人事業においては、既にダイレクトメールの送付先をAIで絞り込むために活用している。そのほかの事業においても導入が検討されているという。
「マーケットの分野では、キャンペーンの効果分析における活用を考えています。また、コールセンターにおける受電量をAIで予測する取り組みでも活用を検討しています」(長尾氏)。
さらに、個人事業におけるターゲットリストと同様の取り組みを、法人顧客向けに適用する計画も視野に入れている。より多くの事業で導入メリットを享受すべく、デジタル企画部が中心となってハンズオン形式でdotDataの研修を実施しており、「各事業が独力でAIモデルの構築やチューニングをできるようにするのが最終目標です」と長尾氏は将来構想を語る。
無論、個人事業におけるターゲットリストの施策も、いったんAIモデルを構築して終わりではなく、今後もチューニングを繰り返しながらより精度を高めていく予定だ。
「AIモデルをチューニングする際、dotDataのように特徴量がわかりやすい形で可視化されると専門スキルがないユーザでも仮説を検証しやすく、トライアル&エラーによるチューニングを進めやすいのです。そういう意味で、dotDataは各事業によるAI活用を進める上で非常に有用なツールです」(近藤氏)。
同行では今後もdotDataの活用により、急激に変化する市場や多様化する顧客ニーズに機敏に対応していく考えだ。