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生体認証の新しい幕開け。完売したヒアラブルデバイスの舞台裏

 NECはヒアラブルソリューションの利用拡大に向けて、マクアケが運営する応援購入サービス「Makuake」を活用。2020年10月中旬、フォスター電機との共同開発による「トゥルーワイヤレス型ヒアラブルデバイス」の先行予約販売を行い、500台をわずか1カ月半で完売。社内外にその商品価値を見出す人や組織が増えるとともに、新しい市場創出に向けた地平を拓きつつある。今回のプロジェクトを成功に導いた要因とは何か。Makuakeでの経験は、ヒアラブルの可能性をどのように広げたのか。このプロジェクトを主導したNECの青木とマクアケの北原氏に話を聞いた。

SPEAKER 話し手

株式会社マクアケ

北原 成憲 氏

R&Dプロデューサー/クリエイティブディレクター

NEC

青木 規至

デジタルプラットフォーム事業部
エキスパート

Makuakeで製品を完売させることがゴールではない

 ──今回のプロジェクトのきっかけや経緯について教えてください。

青木:当社で開発した新しい「ヒアラブルデバイス」の市場性を見極めるため、クラウドファンディングの検討を始めたところ、社内の別プロジェクトで、Makuakeを活用していたことがわかりました。そのプロジェクトの成果報告を兼ねた勉強会へ参加し、北原さんに話を聞いてもらったのがきっかけです。

Makuakeで販売されたトゥルーワイヤレス型ヒアラブルデバイス

北原氏:勉強会には40名ほど参加されたのですが、質疑応答で真っ先に手を挙げてくれたのが青木さんでした。その後、青木さんに製品の説明をしていただき、この製品にかける大変な熱意を感じたので、プロジェクトのお手伝いをさせていただくことになりました。

 別プロジェクトを担当させていただいた関係で、NECが生体認証の分野では世界的に評価されていること、その事業が「安全・安心・公平・効率な社会の実現」にひも付いていることは理解していました。そうした経緯から、「耳音響認証(耳をカギとして使う生体認証)」を使ったヒアラブルデバイスが、非常にユニークな製品であるということがわかったので、「これは世の中に価値として届けなければいけない」という使命感を感じたことを今でも鮮明に覚えています。

 ――Makuakeでヒアラブルデバイスを販売するに当たり、どのようなプロセスで検討を進めたのでしょうか。

北原氏:ヒアラブルデバイスの価値設計や販売戦略を創るに当たっては、「皆さんがどんな想いでその製品を生み出したのか」「なぜ、こういう技術がNECの中で生まれたのか」を知るため、開発に携われた方々にさまざまなインタビューをさせていただくところから始めました。

 もう1つ重要だと考えたのは、NECにとって「Makuakeで製品を完売すること」がゴールではない、ということです。多くの人が携わっているプロジェクトが新規事業として認められるためには、おそらく年間数十~数百億円の事業規模が必要だと思います。それにはビジネスの裾野を広げる必要があります。B2Cで売れることを証明し、B2Bにつなげていくためには、「NECがこの製品によってどんな社会を実現したいのか」を翻訳し、広報するためにメディアにも訴えていかなければならない。つまり、Makuakeを呼び水として、この技術が世の中のインフラとして認められるためのシナリオをつくる必要がある、と考えたのです。

青木:勉強会で北原さんと知り合ったとき、「この人は、手放してはいけない人だ」と直感しました(笑)。キックオフの時点で、Makuakeで売り出すというゴールは見えていたので、コロナ禍による時代の変化を汲み取りながら、何をコアとして訴求するかを絞り込んでいきました。

「5万円でも買うよ」という社員の言葉がすべてを変えた

北原氏:今回のプロジェクトに関していえば、通話アクティブノイズキャンセリング機能にフォーカスを当てること(※)によって「会議室を持ち運ぶような体験」を提供する、というストーリーは、早い段階でつくることができました。そこで、まずはNECグループの社員の方数人にインタビューを行い、ニーズの深堀を行っていきました。前例のない製品のプロジェクトにチャレンジするに当たっては、「100人の『欲しい』よりも1人の『買いたい』を見つける」ことが重要だと考えたからです。

 新しい技術の場合、「誰にとって、どんな価値があるか」を翻訳して伝えるのがとても難しいのです。ターゲットを狭めれば、価値は翻訳しやすくなるけれども、それでは市場が広がらない。しかし、世の中のニーズが一致するタイミングというのがあって、そこにうまくマッチすれば、潮流を捉えることができる。その意味では、まさにコロナ禍によって世の中の働き方が大きく変わったということが、今回の技術を活かせるトリガーになるのではないかと考えました。

  • 通話アクティブノイズキャンセリング機能:発話音声(自分が話す声)は内部マイクで拾い、周囲の騒音は外部マイクで拾って打ち消し処理を行う技術のこと。これにより、騒音の中でもクリアな発話を実現している

青木:2020年6月にキックオフミーティングを行い、「持ち運べる会議室」という点にフォーカスすることも決まったのですが、当時は緊急事態宣言が解除されて間もない頃だったので、オンライン会議の課題がまだそれほど実感されていなかったのかもしれません。

 NECの社員に「こういう製品があったら、買いますか」とインタビューしたのですが、「別に必要ないし、3万円も出せないよ」と言われてしまうことが重なり、心が折れそうになりました。ところが、7月に入った辺りから、潮目が変わりました。「自分が発言するときに、周囲の雑音まで聞こえてしまい、このままだとまずい」と実感する場面が増えてきたわけです。

北原氏:当初は、この製品をイヤホンとして捉える方が多かったのですが、それだと「1万円以下で買えるイヤホンマイクと何が違うの」ということになってしまう。そこで、潮目が変わったタイミングで、「これ、実はイヤホンの形をした会議室なのです」というメッセージを打ち出しました。

 オンライン会議用にサテライトオフィスを契約したり、社内に会議室を増設したりすれば、それなりにお金がかかる。このデバイスを持つだけで、快適な空間が得られるのであれば、3万円という価格を超える体験価値が提供できるのではないか、と考えたわけです。

青木:「そういう製品があるなら、5万円でも買うよ」と言ってくれる社員が現れたのは、そんなときでした。やはり「オンライン会議中の周囲の騒音に悩まされているので、このデバイスをメンバーに持たせて環境を整えたい」という趣旨でした。

 「5万円でも買う、という人が見つかりました」とチームに伝えた瞬間、すべてが変わりました。それまでは、「こんなプロジェクト、本当に成功するのか」と半信半疑だったメンバーたちも「いけるぞ」と言い出したのです。それ以後は、自分たちの直感を信じて突き進みました。

Makuakeで取り上げられたヒアラブルデバイスのサイト

ヒアラブルの価値を信じ続けたことが成功につながった

 ――Makuakeでは、多くのユーザーさんから応援コメントが寄せられたと伺っています。そこから、どんな気付きを得たのでしょうか。

北原氏:応援コメントについては、3つのポイントがあったと思います。1つ目は、「オンライン会議の救世主」という言葉が寄せられたことです。これは、B2C向けにしっかり価値が伝わったことを意味しています。

 2つ目は、「ヒアラブルデバイスが創り出す世界に期待」という言葉です。この製品を単なるイヤホンマイクと捉えず、その先に広がるビジョンに期待してくださるユーザーがいるのだな、と感じました。

 3つ目は、「こういうものを待っていました」「NEC の技術力に期待です」というコメントです。攻めているNECに世の中がワクワクしている。この3つが、応援コメントとして有意義だと感じましたね。

青木:プロジェクトが順調に進み、Makuakeでの購入者が増えるとともに、社内からの問い合わせも、明らかに変わりました。それまでは、社内の認知度を上げるのに苦労していたのですが、「うちの事業部と一緒に、こういうことをやりませんか」という問い合わせが増えたのです。

北原氏:それは、一番大事なポイントだったと思います。社内スタートアップ的に独立した動きをしていると、社内シナジーを起こすのに時間がかかるのですが、今回は「ぜひ、自分のお客さんに紹介したい」という“チームNEC”としての動きが生まれている。それは非常に心強いですね。

 今回、プロジェクトが成功した一番のポイントは、チームの皆さんが、ヒアラブルの価値を信じ続けることができたということです。私たちも、それを実績として証明するためのお手伝いができた。双方の歯車がかみ合ったことが、世の中に認められるという結果につながったのかなと思います。

ヒアラブルを通じて「スマートフォンの次の未来」を創る

 ――今後、ヒアラブルの世界ではどのようなユースケースを想定していますか。

青木:1つは、ヒアラブルソリューションをコアとした、在宅勤務における働き方改革です。在宅勤務では、家族や隣人への情報漏えいや、本人以外の人にパソコンを操作されてしまうという、なりすましのリスクがあります。しかし、NECのヒアラブルデバイスには耳音響認証が搭載されているので、在宅勤務時のセキュリティ対策として活用することができ、在宅勤務中の社員マネジメントをしたいという企業の間で、ヒアラブルがかなり注目されています。

 もう1つ、教育に関しては、今後は講義だけでなく試験もオンライン化していくのではないかと思います。なりすましによる替え玉受験の問題も、生体認証を使えば解消できますし、学生ごとに問題の出題から回答までを完結することができる。ヒアラブルを入り口として、結果を出すまでをNECトータルで保証するようなビジネスができるのではないかと思います。

北原氏:つまり、耳音響認証で個人が特定できるので、このデバイスを身につけるだけで、決済をしたり試験を受けたりと、さまざまなパーソナルコンテンツが手軽に利用できるわけですね。ヒアラブルデバイスが体の一部となり、さまざまなサービスを起動させる1つのスイッチとして機能すれば、日々の生活がとても豊かになる。それこそ、企業メッセージとなる「安全・安心・公平・効率な社会価値創造」にひも付いてくるものだと思います。

青木:また、エンターテインメントの世界でも価値を提供できるのではと考えています。ヒアラブルを活用すれば、リアルな世界とマッチングしながら、音のバーチャル世界を楽しむ方法を世の中に提供することができます。

 例えば、浅草で行った実証実験では、浅草寺の参道入り口にいる狛犬から「こんにちは」と話しかけられる。その声が、最初は遠くから聞こえてきて、近づくにつれてだんだん大きくなるわけです。

 同じように、ヒアラブルデバイスを使って、スーパーのタイムセールを知らせることも可能ですし、観光客に地域の隠れた観光スポットを紹介し、同時通訳を提供することも可能になる。B2BとB2Cの両面で、さまざまなサービスを提供できると考えています。

北原氏:このプロジェクトが始まった頃、青木さんに「皆さんはどんな世界を実現したいのですか」と質問すると、少年のような笑顔で、「新しいコミュニケーションの価値を創造したいのです」と答えてくれたのです。NECが創ろうとしているのは「スマートフォンの次の未来」で、ヒアラブルデバイスを通じて必要なコンテンツが耳から提供されれば、ノールック・ハンズフリーの便利な暮らしが実現できる、というお話でした。

 「それを、NECはどうやって実現するのですか」とお尋ねすると、「生体認証と音響処理の技術を両方持っている会社は、世界でも珍しく、それを適用する」とのこと。生体認証と音響処理とが掛け算になって、全く新しい技術が生まれる――それを聞いて非常にワクワクしましたし、ビジョンと実行がひも付いているという意味でも、NECでなければ実現しえない未来なのかもしれないな、と思いました。

青木:その未来を目指して、今後も走り続けたいですね。今はおかげさまでデバイスの開発メーカーなど多方面からさまざまな問い合わせをいただいています。来年の今頃には、さらにもう一歩進んだソリューションを具現化できるのではないかと思います。

北原氏:今回のように製品が売れて大きな反響があると、社内でも自信をもって意思決定ができるでしょうし、Makuakeのビジョンでもある「生まれるべきものが生まれ 広がるべきものが広がり 残るべきものが残る世界の実現」という世界もつくれるのではないかと思います。

 日本には年間約19兆円といわれる研究開発費があり、NECには世の中を変えられるさまざまな技術がある。1つでも多くの技術を世の中に送り出し、社会が豊かになるように変えていきたいと思いますし、その先頭を走られている皆さんに、引き続き伴走し続けたいと思っています。

まとめ

 耳音響認証やノイズキャンセリングといった最新技術を搭載するヒアラブルデバイス。しかし最新技術が実装されていたとしても、それが市場に受け入れられるかは別問題である。その価値はどこにあるのか、どんな世界観を創りたいのか、「開発側の想い」と「市場のニーズ」を的確に結び付けなければ、製品としてブレークスルーを果たすことは難しいからだ。新しい技術がこれまでにない製品を生み、市場ニーズとひも付いてイノベーションとなり、新しい働き方や社会、世界を創造していく。まだ胎動を始めたばかりだが、この新しいデバイスを通じ、多くの関係者が既に新しい未来を感じているようだ。