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米Goldman Sachsが大切にするCX、その先にあるDigital Bankingとは

 普通預金よりも高い利息を求めて貯蓄預金や定期預金を利用されている方も多いかと思いますが、実際、年間いくら利息がもらえるのか把握できていますか?また、ローンを組んでいる方は、取組手数料や複雑な返済プロセスにストレスを感じていませんか?お金について、うまくコントロールしたいと思いながらも、どこか不透明のまま過ごしている方も多いのではないでしょうか。

 そんな中、米国で注目を集めているのが世界有数の投資銀行Goldman Sachsが提供する「Marcus」という一般個人向け金融サービスです。Marcusではシンプルで透明性のある金融サービスを提供し、高い顧客満足を獲得しています。Marcusが掲げるテーマは“Delightful banking experience(楽しい銀行体験)”。Goldman Sachs、そしてMarcusのレポートから“これからの銀行体験”について考察していきます。

山口 博司 氏

NEC Corporation of America
Senior Manager

システムエンジニアとして金融機関向け業務アプリケーション開発・システム企画を経て、2016年6月よりシリコンバレーにて米国発の新技術・サービスの調査、活用の企画・推進に従事。

Marcusとは

 世界的な金融危機以降、最新のITを活用して金融サービスを変革するFinTech企業が台頭し、ミレニアル世代を中心に人気を博しました。大手金融機関も積極的にIT活用に乗り出し、FinTech企業とときには協力、ときには競合することでサービス向上を図ってきました。また2018年ごろから、JP Morgan ChaseのFinn※1や、Wells Fargoのgreenhouseのように、大手金融機関がデジタルオンリーのバンキングサービスを開始するなど新たな動きもみられています。(Finn、greenhouseについては、過去記事を参照)

 Marcusは、Goldman Sachsが2016年10月より開始したデジタルオンリーのバンキングサービスで、一般個人向け融資サービスや高金利の貯蓄口座などを提供しています。信用力のある借り手は、2~6年の期間で最大3万ドル※2(約323万円)までを取組手数料なし、固定金利・無担保で借りることができるサービスとして開始されました。特に金利の変動に悩みローンの借り換えを検討している人や、金融機関が融資の際に求める複雑で見えない手数料を嫌う人、特定の将来の目標(新しい車、住宅の頭金、家族との旅行など)の為に資金を計画的に貯めたい人々の取り込みが狙いです。

 開始から3年間で利用者数は500万人、融資残高は50億ドルまで増加しました。融資の元となる資金は年率1.30%※3と、全米平均の0.25 %※2と比較すると高い金利を設定することで預金者から集めており、2019年末時点で600億ドルにまで積み上がっています。

画像:Goldman Sachs Investor Day 2020での情報を元に筆者作成

 Marcusの商品開発チームは、何千人もの消費者からヒアリングした負債の管理についての経験談をもとに、商品内容とCX (customer experience:顧客体験)を設計したそうです。「未来の消費者銀行を構築し、何百万人ものお客様の支出、借入、貯蓄のニーズに対応し、お客様の金融生活のコントロールを支援する。」ことをビジョンに掲げており、「シンプルで透明性があり、パーソナライズされた価値ある製品を通じて、私たちが『あなたの味方』であることを証明する」ことをバリュープロポジションとして定義しています。

 実際、Marcusの貯蓄口座はForbesの「The Best Online Savings Accounts Of 2020※4」の一つとして選出されたほか、個人ローンにおいてはJ.D. Powerの「2019年 米国個人向けローン顧客満足度調査※5」で第1位に選出されています。この調査では、CitiやWells Fargoといったメガバンクより上位なだけでなく、SoFiやLending ClubといったFinTech企業よりも高い評価を得ていることが分かります。

 “透明性”の観点で、筆者も気に入っている機能の1つに利息計算機能があります。これは口座作成を検討している方が誰でも利用できる機能で、どれくらいの頻度(毎週・隔週・毎月)・金額で貯金をすると、何年後にはどれくらいの利息を得ることができるのか、を全国平均のAPYと比較して計算してくれるものです。例えば、Marcusの貯蓄口座に2,000ドルを初回入金し、毎月300ドルを現在のAPY1.30%で貯金した場合、5年間で719ドルの利息が貯金から得られることが分かります。

画像引用元:Marcus by Goldman Sachs

モバイルアプリの提供開始

 Goldman SachsはMarcusを立ち上げてから約3年後の2020年1月、モバイルアプリの提供を開始しました。Marcusユーザーにとっては待望のモバイルアプリでしたが、Goldman Sachsの広報担当者Kristen Greco氏は「顧客からの要望の中で最も多かったのがアプリを立ち上げてほしいというもの」であったと述べています※6

 では、なぜモバイルアプリの提供まで3年もの期間があいたのでしょうか。その問いには、Marcusのプロダクトヘッド、Adam Dell氏は米メディアAmerican Bankerのインタビューで次のように回答しています。「私たちは既存のお客様の声に耳を傾け、より良いサービスを提供したいと考えていました。当行はデジタルオンリーの銀行なので、お客様とのやり取りはバーチャルなものしかありません。<中略>そのため、デジタル商品が本当に輝くことが不可欠なのです。そこで私たちは、文字通り何千人もの見込み客や既存顧客を対象に、定性と定量の両方の調査を行い、Marcusアプリのあるべき姿を定義しました。※7

 しかしながら、より良いサービス提供のためとはいえ、モバイルバンキングの利用者も多い昨今において、サービス開始から3年間という期間は長すぎるのでは?と疑問を感じるかもしれません。Marcus自体がゼロからのスタートであれば、リーンスタートアップの手法でもう少し早い時期から顧客にモバイルアプリを提供することも可能であったかと思われます。しかしMarcusは、2016年4月に買収を完了したGE Capital Bank(後の、GS Bank)が前身であるため、15万件以上の口座をすでに抱えていました。スピード重視で既存顧客のニーズを満たせないモバイルアプリを提供することによる顧客離れを懸念したのかもしれません。また、新規参入となるリテール銀行の業務ノウハウ取得や商品設計等で、モバイルアプリの開発に割り当てる十分なリソースが確保できなかった可能性も考えられます。実際、Marcusのモバイルアプリ開発は2018年に買収したFintech系スタートアップClarity Moneyのエンジニアによって行われており、「2019年の大部分を費やして開発した」と本格的に取り組み始めた時期は2019年に入ってからであることをGreco氏は示唆しています。

 このモバイルアプリの登場により、顧客獲得とエンゲージメントを後押しする可能性があります。デジタルオンリーの銀行を利用することに興味を持っていた消費者の中には、Marcusには簡単に利用ができるモバイルアプリがなかったことが阻害要因になっていた可能性があるからです。App Storeをみると、アプリ提供開始から4か月で約25,000人以上が評価をつけていますが、その平均は4.9と非常に高い評価を得ていることが分かります。また、Marcus口座とのやりとりが非常に簡単に行えるようになったことで、既存ユーザーの利用増加も期待できます。実際にモバイルアプリ提供後の2020年第一四半期(3月)の預金残高は、昨年末から3カ月間で120億ドル増加の720億ドル※8となり、より強固な預金残高を確保することができるようになったといえるでしょう。

 Dell氏は「今日、顧客が残高を確認したり、定期的な取引を設定したりすることができるこのポータルは、いつの日か、銀行のDigital storefront(店頭)となり、(他社を含め)さまざまなデジタルバンキングサービスのワンストップショップとしての役割を果たすことになる。」と述べています。

モバイルアプリの機能 。“楽しい銀行体験”の実現

画像引用元:Marcus by Goldman Sachs

 Marcusのモバイルアプリでは、ローン利用者の場合は自動支払いの設定や、預金利用者の場合は定期預金の設定といった、既存の顧客から最もリクエストの多かったという機能が利用出来ます。画面下部には3つのアイコンによるシンプルなナビゲーションがあり、数回タップするだけで口座情報や個人設定の詳細画面に簡単にアクセスできます。

 ログイン直後のホーム画面(画像左側)では保有口座のスナップショットが確認できますが、画面上部にはMarcusのユニークな点の1つである、利用者を鼓舞する名言シリーズが表示されています。アメリカ合衆国の政治家ベンジャミン・フランクリンや、ローマ帝国時代の哲学者セネカなどが残した名言・格言が定期的に更新されるこの機能は、「Delightful banking experience(楽しい銀行体験)」として、Marcusの取り組みの中核を体現しています。

 画面を下にスクロールしていくと、預金計画に影響を与える可能性のある記事や、納税についてのお知らせ、お金を最大限に活用するためのヒント、Goldman Sachsで起こっていることについてのチームの考えなど、利用者の関心やニーズに合わせたお金に関する様々な洞察を得ることもできます。

 ホーム画面で確認したい口座をタップすると、送金や預金の取引履歴のほか、今年度獲得した利息の合計など、より詳細な口座情報(画像中央)が確認できます。この画面では月ごとの残高の推移を表示するためにアニメーションが用いられていますが、これには「お金は私たちの日常生活の重要な部分なので、Goldman Sachsのデザイナーはあなたの財政に生命をもたらす方法を表現したかった」という想いが込められています。これも、「Delightful banking experience(楽しい銀行体験)」の1つといえるでしょう。

 別の銀行口座からMarcusへ資金を移動する場合は、送金状況を確認できる機能(画像右側)も備わっています。送金したお金がいつMarcusへ入金されるのか、利息はいつから発生するのかなどが明確に分かり、透明性と安心感を与えようとするMarcusの想いを感じることが出来ます。

 ここで紹介したものはモバイルアプリで利用できる機能の一部ですが、アプリ全体の作りはとてもシンプルで直感的に分かり易く、透明性と使いやすさを追求したこのモバイルアプリの顧客満足度が高いことも頷けます。

Marcusの今後 、そしてこれからの銀行体験

 Goldman Sachsは顧客を中心とした組織化への継続的な取り組みの一環として、1月7日に「Consumer & Wealth Management」部門を新設しました※9。この部門にはMarcusや、去年サービスが開始されたAppleと共同展開するクレジットカードといった注目度の高い事業が含まれていますが、2019年9月末時点での消費者向け事業の収益はGoldman Sachs全体収益のわずか2.4%でした※10。そのような状況の中で、消費者向け事業を1つの部門として組織化しことには、Goldman Sachsが今後消費者向けビジネスにどれだけ注力していくか、という強い意志を感じることができます。

 Dell氏は先のインタビューで「Marcusアプリは今後も進化し続け、お客様に喜んでいただける機能を追加していく予定」と述べていました。その言葉どおり、Marcusは今年4月に航空会社JetBlueと提携し、割賦ローン商品Marcus Payで消費者向けビジネスの拡大に向け新たな一歩を踏み出しました。また、投資・資産運用商品を2020年中に、当座預金を2021年に提供する計画もすでに発表しています。Marcusがデジタルバンキングサービスのワンストップショップとなる日も、そう遠くはないのかもしれません。

 Marcusが実現した“楽しい”銀行体験。徹底した消費者目線にたった商品開発が銀行の新しいCXへと導きました。「人の思い」や「共感」を大切にするMarcusの姿勢はNECが推進する「金融機能のデジタル化(Digital Finance)」に通じるものがあります。「人を中心」に考えることが、これからの銀行体験に繋がるのではないでしょうか。
NECもDigital Bankingの検討を進めており、ビジネスの共創パートナーとしてこうした事例からの学びを皆さまと共有し、今後のDigital Financeへの取り組みにつなげていきたいです。

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