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なぜ、行政の「テレワーク」や「デジタル化」は進まないのか?
~出版物のデジタル化が行政DXの突破口の1つに~

 コロナ禍でデジタル化が急速に加速している。既に多くの企業では、何らかのかたちでテレワークを取り入れ、オンラインによるミーティングも一般化しつつある。その一方、地方公共団体をはじめとする行政のデジタル化は緒に就いたばかりというのが現状だ。なぜ行政ではデジタル化が進みづらいのか。課題解決に向けた糸口はどこにあるのか。デジタル化やデジタル変革(DX)によってどのようなメリットが生まれるのか。NEC主催のパーソナルデータ活用研究会の参画メンバーから、行政やIT分野で高度な知見を持つ水町 雅子氏、出版物のデジタル化に専門的な知見を持つ共同印刷、さらにはNECで地方公共団体などのDX推進を支援する岩田に、行政におけるデジタル化の課題と展望について話を聞いた。

SPEAKER 話し手

宮内・水町IT法律事務所

水町 雅子 氏

弁護士
アプリケーションエンジニア

NEC

岩田 孝一

デジタル・ガバメント推進本部
シニアエキスパート

共同印刷株式会社

齋藤 智仁 氏

トータルソリューションオフィス
課長

青木 公爾 氏

ビジネスメディア事業部
営業企画部
担当課長

行政DXを阻害するペーパーレス化の遅れと「前例主義」

 ――コロナ禍を機に、多くの企業がテレワークへ移行しました。その一方で、地方公共団体などの行政機関では、テレワーク対応の遅れが指摘されています。その背景には何があるのでしょうか。

岩田:国のレポートによると、地方公共団体などのテレワーク対応が遅れている理由としてまず挙げられているのが、「情報セキュリティの確保に対する不安」と「導入コスト」の問題です。このほか、「業務で扱う個人情報を外に持ち出せない」「窓口での対面業務・相談業務がそもそもテレワークになじまない」「業務がテレワークになじまない」といった理由も挙げられています。

 テレワーク導入にあたっては、BPR(Business Process Re-engineering:業務改革)も含めた業務ICT化を推進することが既定方針となっているようですが、テレワークを推進するためには、まずペーパーレス化をやらなければならない。とはいうものの、これまでは紙の資料をベースに業務を行ってきたわけで、コロナ禍になったから急にテレワークをするようにいわれても、業務に必要な資料が電子化できていない。このことが、地方公共団体にとっては高いハードルになっているのではないかと思います。

水町氏:私は国や地方公共団体で有識者会議などの委員をしている関係で、DXの相談を受けることも多いのですが、テレワークやDXの進み具合は、地方公共団体によってかなり差があるのが現実です。

 また従来のやり方を踏襲する傾向が非常に強い前例主義もDXの阻害要因になっているようです。

齋藤氏:私は印刷会社で運用設計などに携わってきたのですが、コンテンツのデジタル化は、ここ10年でかなり進みました。公共の分野では、国会図書館や教科書のデジタル化などに携わってきました。2019年度にデジタル教科書に関する法整備が行われ、デジタル教科書が「教科書」として認められました。これでコロナ禍での教育現場において環境さえ整えば、オンライン授業を実践することも可能になったともいえます。

 一方、行政に関しては、近年の変化もありますが、紙やハンコを求める文化が習慣であり、常態化しています。提出書類をデジタル化するためには、マイナンバーなど個人情報にひも付くシステムとも連携する必要もあります。行政のデジタル化は、その辺りが今後、運用とシステムの課題となってくるのではないかと思います。

青木氏:地方公共団体のお客様からは、「旗振り役がいない」「縦割りである」「庁舎全体の最適化を考えてDXを進めていない」といった声をよく聞きます。それに加えて、岩田さんが指摘されたように、「個人情報保護のハードルが高い」ことも、行政DXが進まない要因の1つだと感じています。

 我々も、デジタル化のお手伝いを部分的にするのではなく、庁舎全体の最適化や最終的なゴールを見据えた上で、ツールを提供していければと考えています。

専門書の膨大な記述の中からAIで必要な情報を検索

 ――こうした課題を解消する1つのアプローチとして、NECでは、法規集・事例集・専門書籍などのAI検索を実現するため、三重県と連携して実証実験を進めています。その概要と目的、成果についてお聞かせください。

岩田:地方公共団体では、法令解釈に関する問い合わせが来たとき、職員が法規集や事例集などを調べて回答を行っています。しかし、膨大な記述の中から該当箇所を探し出すのは容易ではなく、職員にとって大きな負担となっています。そこで、NECのAI「NEC the WISE」を活用して、三重県の選挙事務における法規集・事例集などの検索作業をサポートし、事務効率化とDXを支援しようというのが、今回の実証実験の目的です。

三重県の実証実験のイメージ
三重県の実証実験のイメージ
NECは、大量のテキストデータを高速・高精度に検索可能なAI「テキスト含意認識技術」を活用し、地方公共団体で専門書の検索を支援するシステムの開発に取り組んでいる。2021年1~3月、三重県と連携し、選挙事務で法規集・事例集などの検索を支援するAI検索システムの実証実験を行った

 このプロジェクトが発足したのはコロナ禍以前ですが、来るべきテレワーク時代に備えて効率よく仕事ができる環境をつくるためにはどうしたらいいか、という問題意識が発端となっています。

 NECがテレワークにあたって最も懸念しているのが、ネットワークへの不正アクセスや情報漏えいです。そこで、USBメモリへのデータ保存や、自宅のプリンターへのデータ出力は一切できない仕組みにしました。つまり、仕事をPC画面の中だけで完結させなければならないわけです。

 しかし、PCのディスプレイは小さいので、机の上に必要な資料をすべて並べるような仕事の仕方はできません。

 そこで私たちは、限られたディスプレイの中でも効率的に仕事をするためのツールが必要だと考え、「必要な資料の必要なページだけを、まとめて表示できる検索ツール」の開発に着手しました。昨年度末、三重県で、選挙事務における法規集・事例集などの検索作業を支援する実証実験を行い、現在は二次実証実験を行っているところです。

 今回採用した、「テキスト含意認識技術」による検索は、入力したキーワードに完全に合致しなくても、それに近いものをAIが拾ってきてくれます。いわば、人間の頭脳に近い動作をするのがこのAIの特長で、検索した内容を画面に効率よく並べることができれば、テレワーク環境は非常に快適になると考えています。テレワークに限らず庁内でも、資料を開かずPCで仕事を済ませることができるようになります。

デジタル化で誰でも働ける環境を実現

 ――こうした専門書籍のデジタル化やAIの活用は、地方公共団体に、どのようなメリットをもたらすのでしょうか。

齋藤氏:国会図書館の例でいうと、デジタル化によって、書籍を探すときのアプローチは圧倒的に早くなります。できるだけ速く情報にアクセスできる、探しものを速く見つけて、正しい答えにたどり着ける、という意味では、業務を問わず一定の効果はあるように思います。

 出版社にしてみれば、専門書は利用件数が少ないので、印刷部数も少なく、1冊当たりが高額になってしまう。しかし、新しいマーケットで利用費の回収が見込めるのであれば、新しい収入源としての価値を提示することによって、デジタル化が推進できる可能性もあるのではないかと感じています。

青木氏:直接的なメリットも少なくないと思います。具体的には、資料の保管スペースの削減がその1つです。地方公共団体によっては、庁内にスペースがなく、外部倉庫を借りているところもあるため、コスト削減につながるのではないでしょうか。

水町氏:法律書を執筆する著者の立場からいいますと、専門書はそうそう売れるものではないし、大して原稿料がもらえるわけでもありません。それでも大変な労力をかけて書いているのは、「多くの人に読んでもらって、役立ててもらいたい」という思いがあるからです。その意味では、AI検索はとてもよいツールだと思います。

 膨大な量の法律や政令規則、告示通達ガイドラインを一括検索できるだけでもありがたいし、AI検索を使えば、何かを調べたいときに、複数の専門書や例規集、判例集などをしらみつぶしに調べて、索引に乗っていない該当箇所も探してくれる。それを手作業でやるのは大変ですが、AIでピッと検索できれば、効率的に短時間で必要な情報にたどり着ける。

 今は、分析や執筆の前段階に、多くの時間を費やしているのが実情ですが、このAI検索を使えば本業に専念できる。その意味でも、このAIシステムは非常に有意義だと思います。

岩田:システムをつくる立場からいえば、デジタルデータならではの付加価値を付ければ、メリットを生み出すことは十分に可能です。

 例えば、検索ツールに音声機能を付ければ、キーボードを叩かなくても音声で検索したり、文章を音声で読み上げてもらったりと、さまざまなことが可能になる。それは、職場のバリアフリー化とインクルージョン(誰でも働ける環境の実現)につながります。デジタルデータならではの付加価値を付けることで、SDGsに貢献していければと考えています。

デジタル化と個人情報保護をいかに両立させるか

 ――さまざまなメリットがある法規集や事例集、専門書籍などのデジタル化ですが、これまでなぜ進まなかったのでしょうか。

水町氏:まず、出版物をデジタル化するときには、原則として著者から許諾を得る必要があるのですが、これが実務上のハードルになっています。昔ながらの出版契約にはデジタル化の許諾が含まれていないことが多く、許諾を取り直さないといけない。ところが、専門書の著者は本業が忙しいことも多く、出版社が許諾依頼を送っても、開封すらされないまま放置されるケースもあります。著者が故人の場合は、遺族などに許諾をもらう必要があるのですが、その場合も「よくわからないので」と、なかなかサインしてもらえないとも聞きます。

 それから、弁護士業務の観点でいえば、弁護士は法規集と裁判例がデジタル化されたツールを契約して参照しているのですが、こうしたデータは、たとえそれが公的なものであったとしても、内容によっては個人情報保護の問題が出てきます。

 例えば、裁判の判決文の中に、他人にみだりに知られたくない情報が含まれる場合がその1つです。従来、紙の裁判例集や法律雑誌では、判決文に記載された名前を、「甲乙丙」やアルファベットに置き換えて掲載してきました。ただし、経歴や職業、ニックネームや会社の業態、トラブルの内容や経緯の説明を読めばわかってしまうこともあります。いわゆる「特異な情報」があると匿名加工が難しく、プライバシー侵害が成立するケースもあります。紙よりも瞬時に大多数への伝播が可能なデジタル化では、これがハードルになることも考えられます。

 とはいえ、デジタル化は非常に重要なことだと思うので、DXを進めるにあたってはプライバシー侵害が発生しないよう、個人情報保護と両立させる方法を丁寧に検討することが必要だと思います。

齋藤氏:印刷のデジタル化については、ここ20年間でかなり進展し、印刷用の版はデジタル化できています。ただし、データのつくり方が特殊で、古いシステムが使用されている場合、安易に加工すると不都合が生じる可能性があります。

 マンガは画像データでの活用・配信ができるためデータの加工も問題なく広く浸透しましたが、日本語をテキスト利用する法規集や事例集はまだデータでの活用モデルが少ない状況です。これらは、情報および言葉の使い方が正しい状態で配付されることに重きを置いてきた背景もあり※、活用モデルと加工コストが課題でデジタル化が進まず、実利用が遅れている状態です。

  • 法規集や事例集は、加除式書籍という、中身の差し替え(加除)が可能な形態が多く用いられている。出版社は更新部分を随時、利用者に配付する。利用者は台本から変更のあった古いページを除去し、配付された新しいページを加えることで、常に最新の状態とすることができる。また近年書誌は、文字だけでなく図版や注釈などレイアウトが多彩になっているためデータの作り方も多種多様な状態にある。

岩田:出版物の中でも専門書は特に、高価で出版部数が少ないので、役所の図書室あるいは部署ごとに保管し、皆で閲覧するかたちが多いという印象です。ところが、新型コロナウイルスの感染拡大で、地方公共団体もいよいよテレワークせざるを得なくなった。さまざまな課題が表面化している中で、これからは専門書のデジタル化も動き出すのではないかと思います。

 その意味では、今回のコロナ禍で、「テレワークを進めるにはペーパーレス化やデジタル化が重要だ」という認識が地方公共団体に広まっただけでも、大きな進歩だと感じています。

 今後、権利関係やバリューチェーンの整備が進み、著者や出版社の収益が見込めるようになれば、出版物のデジタル化がさらに進むのではないかと期待しています。

必要な法整備を進めることで行政DXは加速する

 ――行政DXをはじめ、専門領域の効率化は重要性を増す一方です。今後、この分野でどのような挑戦をしたいとお考えでしょうか。

岩田:紙資料をデジタルデータ化すれば、紛失や劣化が防止できるだけでなく、翻訳機能を使って外国語の資料も読むことや、AIを利用したデータ解析やデータ活用などにも容易に対応できる。こうしたデジタルの魅力を、マーケットにかかわる著者や出版社、印刷会社に伝えることで、デジタル市場の活性化と拡大を目指していきたいと考えています。

齋藤氏:書籍のデジタル化に携わってきて思うのは、コンテンツのデータ化にあたっては、運用面とマーケットをセットで考えないといけないということです。本来、効率化やデータ利活用を最大限に活かすには、「こういう人がこんな使い方をするから、データ化するとこういうメリットがある」といった運用目的を明確にして最適化を行うことが必要と考えます。その結果、「こういうつくり方やデータの持ち方をするべきだ」となるべきです。印刷用のデータもその1つであるため、これらも含めてデータの構造全体を最適化することが必要です。それを考えないでつくられたものは、利用者から使いにくい印象を持たれすぐに使われなくなってしまうため、運用者や利用者の両面を常に見据えながら考えていくことが大切だと思います。

青木氏:私も、全体最適化を軸に取り組んでいきたいと思います。デジタル化された資料の検索や、庁内・住民向けの情報発信など、地方公共団体のノンコア業務を効率化するようなソリューションを印刷会社として提供していきたい。業務プロセス全体を最適化するためのご支援ができれば、と考えています。

水町氏:ノンコア業務の効率化というのは、大変重要だと思います。行政事務はどんどん高度化・複雑化しているのに、予算の削減で行政職員の数は減らされる一方です。庶務作業のあまりの多さに疲弊して、離職する若手の国家公務員も増えていると聞いています。

 情報収集など、機械が得意なことは機械に任せて、人間は人間にしかできない仕事をすれば、公共の仕事の質も上がり、それが国民や住民のメリットにもなる。その意味でも、DXの活用は非常に重要です。

 今、行政DXでは、署名押印をなくす「ハンコレス」や、役所に来なくても手続きが完結する「来庁レス」が求められています。しかし、デジタルで手続きを完結することには「なりすまし」のリスクもつきまとう。デジタルと対面、両方のベネフィットを考えながら、必要な法整備を進める必要があります。それがきちんと行われれば、今後、行政DXはどんどん進展していくのではないでしょうか。