地域の元気力につながる「健康長寿」の実現へ
~京都市とNECの「フレイル」への挑戦~
急速に進む少子高齢化。そこで起こるさまざまな課題と寄り添いながら、いかに健康長寿の社会を実現するか――。このことは、高齢者はもちろん、それを支える地域社会、地方公共団体にとっても大きな関心事といえるだろう。こうした中、近年注目されているのが「フレイル」だ。フレイル(虚弱)とは、高齢者が介護を必要とする少し手前の状態のことで、加齢などに伴って、心や体の働きが弱くなってきた状態を指す。特筆すべきは、フレイルには可逆性があるとされており、一度フレイルになってしまったとしても、回復に努めることによって、元気な状態に戻ることが可能な点である。高齢者のフレイルの兆候を早期に把握し、適切な対策を講じることが、要介護状態となることを予防する上での大きなポイントとなっているわけだ。これに対し先駆的な取り組みを行っている、京都市とNECの共創について、キーパーソンたちに話を聞いた。
社会の仕組みを維持するために必要な「フレイル対策」
2030年の日本の総人口予測は約1億1,912万人まで減少し、そのうちの約3,715万人が65歳以上の高齢者になると予測されている。それを端的にあらわすのが「2030年問題」だ。ほぼ3人に1人が65歳以上という、世界でも類を見ない超高齢社会の訪れはもうすぐそこだ。
この「2030年問題」は社会にさまざまな影響を及ぼすとされているが、ここでは2つの問題に着目したい。1つは労働人口減少による経済活動の低迷。もう1つは社会保障費の不足だ。平均寿命の延伸により、現役を退いてから社会保障制度(医療・介護)に頼って生活する1人当たりの期間が延びるとともに、給付を受ける高齢者の数が増えると、給付と負担のバランスの崩れから、社会保障制度そのものが成立しなくなる恐れがある。
その対策の1つが、医療・介護に依存せず、高齢者が自立して生活ができる期間(健康寿命)を延ばし、社会保障費の不足、制度の崩壊を防ぐこと。その実現のため、厚生労働省が重要キーワードとしているのがフレイルであり、そうした中で地方公共団体には「高齢者の保健事業と介護予防の一体的実施」が求められている。
多くの場合、高齢者はある日を境に突然、医療・介護が必要になるわけではない。疲れやすくなったり、気持ちが前向きにならなかったり。階段を一歩ずつおりるように心身の状態が衰えていき、やがて要支援、要介護を迎える。この、階段を一歩ずつおりるように、心身が衰える過程にフレイルがあるため、運動、栄養、口腔、社会参加の視点から心身の衰えを抑え、早期にフレイルの対策をすることが健康長寿の延伸につながるのだ。
それでは、地方公共団体の現場はどんな課題に直面しているのか。京都市の野村氏は次のように語る。
「京都市では、少子高齢化が進む今、高齢者の健康長寿の実現は地域の元気力・活力に直結する問題であると考えています。そこで、平成29年(2017年)4月から、総合事業(介護予防・日常生活支援総合事業)を開始し、主に要支援の方を支えるサービスを充実させ、一定の成果を上げてきました。しかし、その一方で課題も少なからず感じてきました。運動プログラムなど、元気になってもらうための手段を提供できても、それは一時的なもの。プログラム提供後も『元気を維持する仕組み』までつくらないと、地域の元気力・活力の維持、向上にはつながりません。それには地方公共団体だけでなく、高齢者の方や地域社会の主体的な取り組みが必要ですが、どうしても『提供する側』と『受ける側』という意識が残り、一方通行になりがちでした」
フレイルへの挑戦で出会ったNECのソリューション
「高齢者の保健事業と介護予防の一体的実施」は始まったばかりで、フレイル対策にどう取り組むべきか、ほかの地方公共団体も手探りの状態だ。「フレイルという言葉自体も新しいため、健常な人がどういうプロセスで要介護になるか、フレイルの過程については情報を蓄積している段階である地方公共団体が多いのではないでしょうか」とNECの竹下 瑞穂は推察する。
フレイル対策のためには高齢者の状態を観察し続けることが必要だが、個人情報保護の問題もある。地方公共団体内の規則や情報管理の仕組み、組織間の隔たりなどから情報共有が難しく、個人の情報を統合し、さかのぼることは容易ではない。これに加え、多くの地方公共団体では、「保健」と「介護」を主管する部門が異なることが多く、どちらがこの新しい事業の主体となって、どのように連携していくべきか、仕組みづくりの検討から始めなければならないことも、取り組みを遅らせる要因となっていることが多いという。
京都市では、平成30年(2018年)3月に策定した「健康長寿・笑顔のまち・京都推進プラン」において、地域の介護予防拠点として設置している地域介護予防推進センターでフレイル対策に取り組むことを明確化。同年4月には、庁内の介護予防推進担当を介護保険部門から健康づくり部門に移管した。
フレイルを踏まえることで、これまでの介護予防とどんな違いが生じるのか。
「以前の介護予防は、高齢者に地域介護予防推進センターに来てもらい、運動、栄養、口腔などからなる特定のプログラムに一定期間取り組んでもらうもの。プログラムに参加してもらっている期間の健康状態については把握できても、終了後も習慣として継続し、健康が維持されているか追跡する手段はありませんでした。それに対して現在進めている「フレイル対策モデル事業」では、『特定の身体機能の訓練ではなく、総合的なアプローチをすること』、『取り組みの効果を検証するために、体力測定を行うこと』、『高齢者の主体的な取り組みに着目して、それを後押しすること』を重視している点が大きな違いだと思います」(野村氏)
とはいえ、これは言葉で表現するほど簡単なことではない。効果検証1つをとっても、対象となる高齢者数が多く、職員が1人ずつ心身の状態を計測し、その結果を手作業でデータ化、集計、分析するのは負担が大きすぎるため現実的ではない。そこで浮かんだのがICTの活用である。京都市はICT技術の情報収集を進め、NECをはじめいくつかのICTベンダーにも技術の紹介を呼びかけたという。
これを受け、NECから提案されたものの1つが「歩行姿勢測定システム」だった。特別な器具を身に付けずに、3Dセンサに向かって歩くだけで、「歩行速度」「歩幅」「足の上り確度」など36項目を数値化し、年齢と性別に応じた基準で歩行動作に関わる身体機能を評価することができる。大がかりな機器やノウハウは必要なく、歩行者に負担をかけずに測定できるところが大きな特長だ。
「ICT機器の導入に当たっては、高齢者が抵抗を示されないか、現場の作業に馴染むかなどを確認していく必要があります」と、京都市の明道 里穂氏は指摘する。歩行姿勢測定システムについても、まずプレ検証として、地域介護予防推進センターの介護予防教室など2つの会場に機器を持ち込み、主に受容性(対象者が拒絶せず、受け入れられるか)を確認するための測定体験会を行うことから始めた。
「グループメンバーのほとんどは75歳以上で、ICT機器に馴染みのない方もいらっしゃるだろうとの考えから、敬遠されるのではないかという懸念がありました。身体機能を数値化して収集しようにも、当事者である高齢者が納得して受け入れてくれなければ、継続的に測定データを蓄積するのは難しく、効果の検証まで至らない可能性があると考えたからです。ただ、それは体験会を始めてみてすぐに杞憂であることがわかりました。参加者の方々からは、普段の活動の成果が定量的に評価されることに喜びや驚きの声を頂けたり、仲間同士で測定結果を見せ合って話に花を咲かせていたりする方がほとんどだったからです」とNECの角田 歩は話す。
これに続き、京都市が開催する「市民すこやかフェア」では、京都市、地域介護予防推進センターの協力のもと、来場者が希望すれば、誰でも歩行姿勢測定システムを体験できる場を提供。その際は、ブースの前に行列ができるほどに高齢者が集まり、「歩行姿勢測定システムには、身体機能を測定するだけでなく、高齢者に興味や関心を持ってもらう大きな効果がある」と気付いたという。
ICTによる「見える化」が高齢者や職員に「気付き」を促す
プレ検証の手応えも踏まえ、京都市ではフレイル対策モデル事業において、ICT技術を積極的に取り入れている。モデル事業は、平成31年(2019年)2月に自主的に介護予防に取り組むグループ1つを対象とした試行実施に始まり、同年10月からは京都市東山区を、さらに翌年10月からは左京区、右京区を対象に加えて取り組みを進めているが、その中で本格的なICT技術の導入に向けた検証を、NECと共に行っている。
検証の際にポイントとしているのが、ICT技術の「受容性」に加え、「有用性(得られた体力測定データなどを、各専門職が適切な指導に活用できるか/高齢者から納得してもらえるか)」と「運用性(体力測定によるデータ収集が現場の職員の負担にならないか)」の3つの観点である。
モデル事業は、地域で自主的に介護予防に取り組むグループを対象に体力測定を行い、その後、リハビリテーション専門職、管理栄養士、歯科衛生士ら(以下、専門職)が、運動、栄養、口腔にかかわる支援を一定期間実施、再度体力測定を行うことを基本的なスキームとしている。この際、最初のグループの選定や専門職支援に当たっての基本情報、前後の効果測定などに体力測定値を利用しており、その測定や集約などに歩行姿勢測定システムなどのNECのソリューションが活用されている。そして、参加した高齢者に結果をフィードバックする際や専門職の支援終了後などに関係者に対してインタビューを行うなどして、検証を進めている状況だ。
検証を通じて、何が見えてきたのか。「効果の大きさを明確に示したのは有用性でした」とNECの竹下は述べる。「フレイルは病気ではなく、要介護状態でもありません。以前より少し調子が悪い、という曖昧な領域で、普段の生活の中では気付きにくいもの。ICTで見える化したことで、高齢者にも地方公共団体の職員にも、新たな気付きをうながす効果がありました」
高齢者に対するヒアリングでは、「今の状態を知ることができるのはいい」「同性同年齢との相対比較で評価されるのはわかりやすい」「毎朝の運動など、日頃健康のために心がけていることが、数字となって見えるのはうれしい」など、好意的な評価が多かったという。
専門職の反応も、ICTによる見える化を高く評価するものだった。データを基にした指導にしても、「今まで気付かなかった高齢者一人ひとりの歩き方の特徴をとらえて指導できる」「見える化されたものを高齢者と一緒に眺めることで、共通理解が得やすい」など、有用性を実感している。
一方、運用性に関しても、十分、実用に耐えるものだという評価を得た。「京都市の事業では、歩行姿勢だけでなく、栄養や口腔などさまざまな測定項目があり、これほどの数の体力測定値の収集は今までに行われてこなかった新しい試みですが、今回の実証で用いたOCR(光学文字認識)機器を利用することで、現場で対応する職員に大きな負荷を与えずに運用できることが検証できました」と角田は話す。
京都市との共創を軸に健康長寿に向けた未来を切り拓く
京都市はNECとの共創を通じて、自治体と企業連携の新たな可能性を感じている。「NECは、フレイルの重要性を理解し、一緒に考え、取り組もうという意識が明確でした。課題の抽出から提案まで、ICTベンダーとしてではなく、パートナーとしての立ち位置で向き合ってくれました」と野村氏は評価する。
とはいえ、フレイル対策における、京都市とNECの共創は始まったばかりだ。今後の展望を考えるとき、重要なのはデータ利活用だが、効率よく収集しながら、それを読み解き、活用できる人材の育成も必要になっていく。「データに基づいたステークホルダーの連携もデータの利活用にあたっては重要なポイントです。地域介護予防推進センターを中心に、京都市、専門職、高齢者が連携し、それぞれが価値を共有できる仕組みづくりを目指していきたい」と明道氏は前を向く。
NECにとっても、京都市と共創するフレイル対策は大きな意味を持つ。京都市で培ったノウハウをほかの地方公共団体に共有する。そこでさらに得た知見を京都市へと還元する。そうしたサイクルを構築しつつ、地方公共団体、企業などが連携していくことができれば、「みんなで助け合える、健康長寿の社会」を実現することも夢ではないはずだ。