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誰もが「あなたらしく」生きる社会の実現に向けて
~ヘルスケア領域にかかわる有識者からの提言~

 医療の発達によって寿命が延びるのは望ましいが、真に重要なのは健康寿命を延伸することだ。その方策を探るべく、「NECヘルスケア・ライフサイエンス有識者会議」の「Lifestyle Support WG(ワーキング・グループ)」が、2022年6月から3回にわたり開かれた。そこで確認されたのは、人々が自らの健康状態を常にセルフモニタリングし、その結果に基づいて健康維持につながる行動変容を起こすことの大切さだが、これはどうすれば実現できるのか、ここでは、さまざまな立場で医療の現場にかかわる有識者たちからの提言を紹介したい。

SPEAKER 話し手

米田 隆 氏

国立大学法人金沢大学 学長補佐(国際・産学連携・研究支援推進担当)
金沢大学大学院 医薬保健学総合研究科 未来型健康増進医学分野 教授
メディカルイノベーションコース 教授
金沢大学 融合研究域融合科学系 教授
高度モビリティ研究所 教授
金沢大学附属病院 内分泌代謝内科 教授

鎮西 清行 氏

国立研究開発法人産業技術総合研究所
健康医工学研究部門 副研究部門長

藤本 康二 氏

国立大学法人東京医科歯科大学
産学連携研究センター 特任教授

橋本 千香 氏

ガラサス合同会社
代表

北瀬 聖光

NEC 執行役員

本格化する超高齢社会にどう向き合えばよいのか

 ハイペースで高齢化が進む日本では、2030年に国民のおよそ3分の1が65歳以上になると見込まれている。少子高齢化に伴って生産年齢人口が減少すれば医療財政にも重大な影響を与え、高齢者を支える社会保障システムが破綻することにもなりかねない――。こうした2030年問題と呼ばれる課題に、私たちはどう立ち向かえばよいのだろうか。

 「日本人の平均寿命は男性81歳・女性88歳ですが、健康寿命は男性71歳・女性74歳です(※1)。この差を減らして健康寿命を延伸することが重要で、そのために必要なのは個々の人が自分の生活に注意し、行動変容を起こすことです」と金沢大学 学長補佐の米田 隆氏は指摘する。健康寿命が延び、年齢にかかわらずに働くことを希望する人が増えれば不足する労働力が補われ、2030年問題にまつわるリスクを低減することも期待できる。

 「健康寿命」とはWHO(世界保健機関)が提唱する健康指標で、寝たきりや認知症などで介護される期間を平均寿命から差し引いた「日常生活に制限のない期間」を指す。すなわち「健康寿命の延伸」とは、人があなたらしく過ごせる時間を延ばすことにほかならない。

 これを実現するのに不可欠なのが、健康に過ごしている現在のクオリティ オブ ライフ(※2)をしっかり保つことだ。そのためには、自身の体の状態を常にモニタリングし、異状や異変をいち早く察知して対策を講じる必要がある。しかし、多くの人は定期健康診断くらいしか健康チェックをする機会を持たないのが実情だ。

 「特定健診・特定保健指導(生活習慣病の発症リスクが高い40歳から74歳の公的医療保険加入者が対象)も実施されていますが、これには視力・聴力・嚥下能力・筋力などの身体機能低下を測定する項目が含まれておらず、加齢に伴う認知関連の低下や疾病の発見に繋がりません」と産業技術総合研究所 健康医工学研究部門 副研究部門長の鎮西 清行氏は問題を提起する。

  • ※1: 「令和2年版厚生労働白書 本文掲載図表1-2-6 平均寿命と健康寿命の推移」(厚生労働省)
  • ※2: 患者の肉体的、精神的、社会的、経済的、すべてを含めた生活の質。病気の症状や副作用などによって患者は治療前と同じ生活ができなくなる場合でも自分らしく納得のいく生活の質の維持を目指すという考え方。(英語名Quality of Life)。「がん情報サービス用語集」(国立がん研究センター)

日常的なセルフモニタリングで疾病を予防

 それでは私たちは、日頃から自らの体に関するどんなデータを、いかなる方法で把握すればよいのだろうか。

 東京医科歯科大学 特任教授の藤本 康二氏は、「健康向上のためには、ある人がもつ食事・運動・休息のその人なりの循環するパターンからの“ズレ”を把握できる科学的な仕組みと、評価する基準に合わせた介入の組み合わせが必要で、これらがうまく回ることで多くの疾患の発症は回避できると思います」と話す。

 米田氏も「かつては日本人の死因のトップだった脳卒中が減少した理由の1つとして家庭用血圧計の普及が挙げられますが、これは日常的なセルフモニタリングが疾病予防に大きな効果を発揮する一例だと言えます」と語る。

 血圧のように体のさまざまな状態をいつでも手軽に可視化できれば、健康のセルフコントロールがしやすくなり、健康寿命の延伸に向けた「行動変容」を促せるようになるはずだ。「人間には免疫力や代謝など、生物として本来持っている身体を健康に保つ能力があります。不調が自覚できた時にこの自らの能力をよく発揮させ、よい状態に戻せるように早期に対処することが、まさに予防だといえるでしょう。また、これらのデータが蓄積されれば万人向けのナレッジにもなります」と藤本氏は続ける。

 体重計、体温計、血圧計、血糖値測定器といったセルフモニタリング用のデバイスは既に家庭に広く普及しているが、スマートフォンやウェアラブル機器の発達とともに、これまで個人で計測することが困難あるいは不可能だったデータを、簡単に収集することができるようになりつつある。

 例えば腸内細菌やホルモンの分泌状況、細胞代謝の状態といった生体パラメーターを測れば、体調の良し悪しや免疫力、認知能力などを把握することも可能だ。幸福度の指標となり得るとされるドーパミンやオキシトシンの分泌量を可視化すれば、「あなたらしさ」がどの程度実現できているかを、いつでもセルフチェックできるようになるかもしれない。

医療ビッグデータ活用に必要なのは健康の評価基準

 先進的なセンシング技術を駆使すれば、体の状態に関する多様な情報を集めて見えるようにすること自体はそれほど難しくない。だが、そのデータを基に各人が健康を自己管理できるようにするには、なお課題は残る。これについて、ガラサス代表の橋本 千香氏は次のように述べる。

 「医療系ベンチャーに投資が集まり、最先端テクノロジーを使ったデバイスや治療薬が供給される一方で、一人ひとりの健康や疾病に対するトータル・ヘルスケア・マネジメントというアプローチが不足しています。今の課題は『健康状態の総合的な評価基準がない』、『自分に最適な治療選択が難しい』、『老化に伴う複数疾病の総合的な診察先がない』といったことが挙げられます。そんな中、健康の評価基準を見つけるためのリアルワールドデータへのニーズが高まっています」

 リアルワールドデータとは、現場で得られる医療ビッグデータのこと。そこから健康の条件定義や疾病になる状態などを収集し、AIで解析することで適切な対策に活かそうとする動きが、最近ようやく見られるようになってきたという。

 こうした状態を踏まえて米田氏が提案するのは、生体パラメーターの数値と免疫力をあげる食事・睡眠・運動などを組み合わせたものを指標とし、『今の私の健康状態は“8”』などと、その人の健康状態がわかりやすい形で見えるようになることだ。鎮西氏はそれに加え、「身体・精神そして社会性その3つが揃って健康であるというWHOの健康の定義の通り、今の医療の考え方では見逃されがちな精神的な自立や社会参加など、主観的な要素も健康の指標として重要です」と指摘する。

行動変容を後押しする仕組みを提供することも重要

 日々の健康状態の把握が健康寿命を延ばすのに必要だということをいくら訴えても、その実践に手間がかかるようでは実際に行動変容を起こすのは容易ではない。「一人ひとりが恒常的に健康状態をセルフチェックするのが当たり前」という状況をつくるうえでまず求められるのは、「ウェアラブル機器を装着するだけで無意識のうちに計測できる」といった手軽さだ。次に大切なのは「測定した値をいつでも本人が見られるようにするとともに、何らかの指標と簡単に照らし合わせるようにすること」である。

 しかし、体の状態を知るためのデータを収集・蓄積・分析して指標と照らし合わせるだけではまだ足りない。本当に肝心なのは、計測したデータに基づいて、各人が自分に最適な食事や睡眠の取り方、また運動の仕方を実践し、しっかり習慣化することだ。行動変容とは、まさにそのことを意味するのである。したがって、データを基に「各人にマッチするどんなメニューを提示するか」も重要な要素となる。そのような仕組みづくりが進めば、健康に関心の薄い層にも疾病予防への行動を促せるはずだ。

 セルフモニタリングにさりげない励まし(後押しする工夫)と小さな成功体験を組み込むことも求められる。例えばスマートフォンへの通知があまり頻繁だと、無視されたり通知機能を停止させられたりしてしまう。逆に少な過ぎても、行動を習慣化することは難しい。

 ウェアラブル装置やIoT技術がさらに進化するとともに、その人の健康につながるよい行動を、Easy(簡単・簡潔)・Attractive(魅力的・印象的)・Social(社会的)・Timely(タイムリー・即時的)に、そしてさりげなく促進する手法が開発されることに大きな期待が寄せられている。

鍵となるのはセンサー技術やAIのさらなる発達

 誰もが常に健康状態をセルフチェックしながら生活する社会を構築するためには、解決すべき技術的課題も少なくない。

 その1つが、遺伝子や酵素、抗体、核酸、微生物などのバイオマーカーを検出するバイオセンサー技術だ。スマートウォッチに搭載されている接触型センサーの多くは、血管などから発する光により生体反応を読み取るものである。微妙な光の変化から脈拍や血中酸素飽和度を計測する技術は既に確立され、現在はさらに多くの生体情報を読み取るための技術開発が進められている。センサーを身体の内外に取り付ける小型軽量のウェアラブル方式の利点は、何といっても人が負荷を感じることなく多くの生体情報を集められることだ。

 橋本氏は、「将来的には極小の装置を注射などで身体の中に入れて、血管内を回りながら悪いところを診断、あるいは手術をし、または疾患のあるところに医薬品を届けるナノボットが実現されるのではないでしょうか」と予測する。

 先に触れたヘルスケアのデータ量は日を追うごとに増大している。大量のデータを高速処理する記憶装置や演算回路の性能と、AIによる解析技術の向上も求められるだろう。また、遺伝子や病歴などを含む個人情報を堅固に保護するセキュリティ対策も欠かせない。

一人ひとりの日常生活に寄り添いたい

 2030年の「ありたい社会」を現実のものにするべく、NECグループでもさまざまな研究開発や事業をスタートさせている。

 少量の血液で約7,000 種のタンパク質を一度に測定することで、現在の体の状態と予測される将来の疾患リスクを把握できる検査サービス「フォーネスビジュアス」はその一例だ。検査を受けた人が医療機関を通じて提供される専用アプリでは生活習慣を改善するための多彩なメニューを利用でき、歩数や消費カロリーなど毎日の健康データの記録や、健康づくりのための目標設定とその取り組みの管理も行える。

 「歩行センシング・ウェルネスソリューション」は、約13gの歩行分析センサーを搭載した専用インソールを靴に入れるだけで、歩行速度、歩幅、接地角度など20項目以上のデータを収集する。足の健康状態を推定する独自の歩容分析AI技術によって、歩行を通じた健康増進を支援。蓄積されたデータは、医学系研究機関や靴メーカーなどとの共創活動にも活かされる。

 NECは2030年に目指す姿を定義した「NEC 2030VISION」の中で、ヘルスケア・ライフサイエンス事業を成長戦略の柱の1つに位置付けている。そのヘルスケア・ライフサイエンス事業の中心に据えられているのが、「live as you。あなたを知り、あなたらしく選ぶ」というコンセプトだ。

 「平均寿命が延びるとともに、一人ひとりが『自分らしく』生きることを支えるテクノロジーへの期待がますます高まっています。私たちは一人ひとりの日常生活に寄り添うサービスや製品を提供することで、その期待に応えようとしています」とNECの北瀬 聖光は話す。

 幸いにも、医学の発展やさまざまな技術の進歩により健康寿命が延びた。加齢等に伴う身体の機能低下も、日常データの可視化、健康に対する良い習慣と早期からの適切なサポートがあれば、尊厳ある生活を維持することも可能だ。

 NECが思い描く2030年とは、「意識せずに健康でいられる」、「あなたのデータが誰かのためになる」、「あなたに最適な医療が受けられる」といった目標が具現化された社会――。それらは決して夢物語ではなく、私たち一人ひとりがそうなりたいと本気で願い、知恵と技術を結集することで、必ず実現できるはずだ。