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人事戦略に欠かせない従業員ウェルビーイングの視点
人事部と共に、AIが従業員に寄り添う

 人々が求める働き方や生き方の価値観が大きく変わり、企業の人事は大きな変革期を迎えている。重要なキーワードとなるのがウェルビーイングだ。いかに従業員の幸せと向き合うかは、従業員のエンゲージメントやパフォーマンス、企業の評価や価値を大きく左右するだろう。しかし、幸せと感じる状態は人それぞれ。どうすれば従業員のウェルビーイングに適切にアプローチできるのか。それに対して慶應義塾大学 前野 隆司研究室とNECは、AIを活用した方法を提案している。

SPEAKER 話し手

NEC

青木 勝 氏

AI・アナリティクス事業統括部
マネージャー

ウェルビーイングがなければ健全な対立は成立しない

 少子化に伴い生産年齢人口が減少する中、いかに優秀な人材を確保し、その離職を防止していくか。企業において人事の重要性は、さらに高まっている。例えば、人的資本の情報開示に関するガイドラインとして注目されているISO30414は、人間が持つ能力を資本としてとらえる経済学の概念に立脚している。普及が進めば、人事戦略がこれまで以上に、その企業の評価や価値を左右することになる。

 一方、新卒一括採用から通年採用へのシフト、働き方の急激な変化に対応した勤務規定や評価制度の改定、最適配置を目指すことで頻発する人事異動など、人事部の業務はますます忙しさを増している。新しい人事戦略や施策を検討したり、それを実践したりしていく余裕はない、というのが実情ではないだろうか。

 そうした中、人事部に課されている新しいテーマが「ウェルビーイング」である。厚生労働省は、この言葉を「個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」と定義している。個人の働き方や勤務する企業に対する考え方が大きく変わっていることを受け、多くの企業が従業員との関係性を見直しているが、その一環としてウェルビーイングを経営に取り込む企業が増えてきている。

 「ウェルビーイングは、これからの企業の成功に欠かせません。短期的な成果だけを評価し、従業員の幸せに無関心な企業を、働く場所として選ぶ人はどんどん少なくなっていくでしょう。反対に、従業員ウェルビーイングを経営課題と認識して、従業員の幸せに取り組む企業は、多くの人から選ばれるようになります。人事の視点では、優秀な人材の確保、採用コストの削減、休職者・退職者の減少につながります」とNECの青木 勝氏は言う。

 メリットは人材の確保だけではないと青木氏は続ける。

 「幸福度が高い人は創造性、生産性が高く、ミスも少ない、という調査結果があります。また、近年、多くの企業が取り組んでいるダイバーシティ&インクルージョンにもよい影響があります。ダイバーシティ&インクルージョンは、異なるスキルや個性を持つ多様な人材のぶつかり合いによって、イノベーションの創出を促すのが狙いですが、ぶつかり合いはあくまでも健全な対立でなければなりません。悪意が介在するような不健全な対立は、むしろ組織の力を低下させます。その健全な対立を支えるのがウェルビーイングです。一人ひとりが自分のウェルビーイングを感じ、大切にしているからこそ、相手を尊重し、相手のウェルビーイングを大事に扱い、前向きな意見の交換が行なえるのです」(青木氏)

人事部の一員としてAIがウェルビーイング向上を担う

 しかし、前述したように人事部は多忙を極めている。とても、従業員ひとり一人のウェルビーイングに配慮し続けられる状況ではない。タレントマネジメントの仕組みは普及してきたが、従業員の情報を集約・可視化するメリットがあっても、具体的にどのような対策に取り組むべきか、悩む企業が多いと聞く。ウェルビーイングの観点では、結局一人ひとりに個別にアプローチを行う必要があり、解決策は単純ではない。

 そこで新しい提案をしているのがNECだ。

 「NECが提案しているのがAIチャットボットの活用です。AIチャットボットが従業員に負担のない距離で個人に寄り添い、対話を行いながら、ウェルビーイング向上の最適なパートナーを務めます」と青木氏は紹介する。つまりAIが人事部の一員として、ウェルビーイング向上施策の一部を担ってくれるのである。

 もちろん対話の内容はやみくもではない。学術的な裏付けがある。

 NECは、ウェルビーイングに関して慶應義塾大学 前野 隆司研究室との共同研究に取り組んでいる。前野教授は、日本の幸福学、ウェルビーイング研究の第一人者である。

 前野教授は、幸せとはどんな状態か、どんな状態にある人が幸せを感じているかを調査して、幸せを「やってみよう!」「ありがとう!」「なんとかなる!」「ありのままに!」という4つの因子で可視化した。ポイントは4つの因子が他人の行動や発言に左右されるものではなく、「相手に感謝を伝えた」「経験のないことに挑戦した」など、自発的な行動であること。つまり、これらの行動を自然に行っている人はウェルビーイングが高く、このような行動を起こすことで、人はウェルビーイングを向上させることができるわけだ。

 NECは、この定義に基づいて幸福度と働き方を相関分析し、対話と行動変容提案のロジックを構築し、「NEC Digital Assistant AIチャットボット」に実装した。「社内では、「Digital Well-being Assistant」と呼ばれており、AIチャットボットとの対話の内容を分析して、その人の幸福度のタイプを把握。『チームの誰かを助けてみよう』『今日は、チーム外の人に話しかけてみよう』『これまで学んできたことを振り返ってみよう』など、そのタイプに応じた行動変容の提案を行い、自分の気持ちと向き合わせることで、ウェルビーイングの向上に働きかけます」(青木氏)。

図1 前野教授による幸せの定義
幸せとはどんな状態か、どんな状態にある人が幸せを感じているかを調査して、幸せを「やってみよう!」「ありがとう!」「なんとかなる!」「ありのままに!」という4つの因子で可視化している

各社の働き方や幸せの定義に合わせてロジックをカスタム

 NECと前野研究室は、まずNECグループで働く従業員を対象にDigital Well-being AssistantのPoC(概念検証)を行った。結果は良好。上司の働きかけは身構えてしまうし、同僚からの勧めでもむげに断ることはできないが、AIチャットボットなら気軽に対話ができる。そうして対話を繰り返すうちに、次第に親近感がわき、親友のような存在になっていく。検証期間中に、メンテナンスでAIチャットボットを停止させた際には「今日は話しかけてこなかったけど、調子が悪いのか」と、あたかも友人を心配するような問い合わせもあったという。

 また、誰かが『私のことを気にかけてくれている』という状態は、その人の意識を自然とほかのメンバーに向けさせ、相手を気にして声をかけるなど、チーム内のコミュニケーションの活性化につながった。ウェルビーイングの変化に関する調査でも、Digital Well-being Assistantを積極的に利用し、意識して行動を変容させた従業員には、はっきりとしたウェルビーイングの維持・向上効果が表われた。

図2  Digital Well-being Assistantとの対話イメージ
対話を通じて幸福度のタイプを把握したり、ウェルビーイングの向上につながる行動変容の提案を行ったりする

 この成果を聞いて、いち早くトライアルを開始した企業もある。「複数のお客様とトライアルを開始しています※。業種や職種、働き方などによって会話や行動変容提案ロジックは変わります。まずはNECのロジックをベースにした標準的な仕様でトライアルを開始し、レスポンスを見ながら、徐々にお客様企業の働き方や個性に合わせた仕様にしていくことを考えています。対話を通じてデータを集め、提案がウェルビーイングの向上にどう影響したかを可視化しながら、最適なロジックに仕上げていく。Digital Well-being Assistantで、この好循環を実現したいと考えています。また、身近な親友のような存在に育てていくわけですからキャラクターも重要。トライアルサービスでは、NECの『PaPeRo(パペロ)』をアイコンに使用しました。今後は、お客様のご要望に応じたキャラクターへの変更も検討していきたいと思います」と青木氏は話す。

  • トライアルサービスの募集は既に終了

 現在、NECはデジタル技術で顧客企業の経営課題を解決するために、業種ノウハウやテクノロジーなどに関する知見を目的別に整理した「DXオファリング」という価値提供モデルを発表している。ウェルビーイングを中心とした人事施策支援についてもメニューを発表する予定だ。

 これからの人事戦略においてウェルビーイングを避けて通ることはできない。人事は、人の事を扱うのでAIでは対応が難しいのではないか? そんな疑問があるかもしれない。しかし、見方を変えればAIだからこそ、人では難しいサポートが可能なのかも知れない──。

  • Human Capital Online Special(日経BP)2023年1月~2月に掲載されたものです。禁無断転載。