国枝 慎吾氏と考える
活躍し続けるためのキャリア形成と「リスキリング」の重要性!
時代や環境の変化に合わせて新しい知識やスキルを修得する「リスキリング」が注目されている。「プロ車いすテニスの絶対王者」として君臨した国枝 慎吾氏は、2023年1月に世界ランキング1位のまま現役を引退。次なるライフステージに向けて、新たな挑戦の時を迎えている。これからも、第一線で活躍し続けるためのキャリア形成とはどうあるべきか。そして、リスキリングにより新たなステージで輝くためのポイントとは――。国枝氏と、NECのマーケティング部門をけん引してきた東海林 直子に話を聞いた。
- ※ 本コンテンツは、NEC Future Creation Community主催のスペシャルミートアップとして開催された「国枝慎吾氏と考える 活躍し続けるためのキャリア形成と「リスキリング」の重要性!」を基に再編集したものです。
リスキリングでアスリートが経験と知識を活かして活躍するには?
リスキリングへの関心が世界的な高まりを見せている。2020年、世界経済フォーラムのダボス会議では、「2030年までに全世界で10億人をリスキリングする」という目標を設定。日本でも2022年に、岸田首相が「今後5年間でリスキリング支援に1兆円を投じる」という方針を打ち出し、国を挙げてリスキリングに取り組む姿勢を鮮明にした。
だが、リスキリングの主眼は、新たなスキルの習得だけではなく、個人が主体的にキャリア形成に取り組む「キャリア自律」でもある。
それでは、環境変化に柔軟に対応しながら、一人ひとりが自律的にキャリアを形成し、第一線で活躍し続けるためにはどうしたらいいのか。国枝 慎吾氏は、アスリートとしての立場からこう語る。
「アスリートが引退した後に、いかに活躍できる環境を用意するかという点は、スポーツ界全体での課題でもあります。僕も引退して約1年経ちましたが、今後のことは何も見えていないのが実情です。自分にどんな仕事がフィットするかわからないので、『まずは受けよう』と決め、大学で講義を担当したり、講演会やメディアでの対談、大会イベントなど、さまざまな仕事に挑戦しています。2024年はリスキリングも意識して、1年ほどアメリカに滞在し、現地のテニス協会でコーチの仕事をする予定です。午前中は大学付属の語学学校で英語を勉強し、午後はコーチング、というライフスタイルになると思います」
転機となった、2016年リオ・パラリンピックでの挫折
国枝氏が車いすテニスを始めたのは、9歳の時に脊髄腫瘍を患い、車いす生活となったのがきっかけだ。11歳で車いすテニスを始めると、徐々に頭角を現し、2006年にはアジア初の世界ランキング1位となった。翌2007年には、車いすテニス史上初となる年間グランドスラム(※1)を達成し、2009年にプロに転向。パラリンピックでも、2008年北京大会と2012年ロンドン大会の男子シングルスで連続優勝を果たし、「プロ車いすテニスの絶対王者」として世界に名を轟かせた。
- ※1: 年間グランドスラム:全豪オープン、全仏オープン、全米オープンのシングルスの3大大会に優勝すること(ウィンブルドンは、車いすテニスのシングルス大会がなかったが2016年より開催されるようになった)
パラアスリートとして世界の頂点を極めた国枝氏だが、常に順風満帆だったわけではない。世界トップの座に着いた後、目標を見失いかけたこともあったという。
「トップになるまでは、1位の選手を攻略するという目標があるので、ある意味楽なんです。でも、いざ1位になってみると、目標を見失って3カ月ほどスランプに陥り、『なんで俺はテニスをやってるんだろう』と迷った時期がありました。そんなとき、ある大会の1回戦で6×0、6×0というスコアで圧勝したのですが、試合の内容を見れば、ミスショットも、まだまだ打てていないコースもある。『ランキング1位でも、まだまだ伸ばすべきところはある』と気付いて、勝敗よりも『自分の中で何を変えたいのか』に集中するようになりました。『次に何をすべきなのか』さえ決まっていれば、コートの中でも自分をモチベートできますから、そこはすごくこだわりましたね。それに現状維持のままだと、下位の選手が僕の背中を見ながら一気に上がってくるので、油断はできないんです。常にアクセルを踏み、自分をアップデートし続けることを大切にしてきました」(国枝氏)。
持ち前の技術とパワーで、世界にひしめく強豪との試合を制し、パラリンピックの北京大会とロンドン大会を連覇。誰もが認める世界王者となった国枝氏だが、2016年のリオ大会ではベスト8敗退と苦杯をなめた。大会直前に右ひじの手術を受けたことが、苦戦した大きな原因の1つだった。
「手術した後は、ボールを打つたびに右ひじが痛むという状態でした。ベスト8で敗れて、世界ランキングも25位まで後退。絶対王者だった自分が完全にチャンピオンの座を奪われたと感じて、大きな挫折感を覚えました。そこから這い上がるためには、肘の痛みを克服しないといけない。バックハンドのラケットの握り方を変えたことで痛みはなくなったものの、ネットまで届かないようなボールしか打てず、本当に初心者から始めたような状態でした。試合では前の打ち方に戻ってしまうので、また肘が痛み出す。『1歩進んで2歩下がる』という状態で、『もう引退かな』と思ったことが何度もありました」(国枝氏)。
座右の銘は Small Changes Make a Big Difference
テニス人生で初めて経験した、大きな挫折。そんなとき折れそうになる心を支えたのが、「東京でのオリンピック・パラリンピック開催」への出場が新たな目標だった。そこで、どうすれば、東京大会で再び輝きを取り戻せるのか。奇跡の復活をもたらしたのは、「自分を変える」という強い意志だった、と国枝氏は語る。
「リオまでは『負けちゃいけない』と思っていたし、自分を変えるリスクをとるのも怖かった。でも、挑戦者になった瞬間、『自分を変えないと勝てない』とマインドチェンジすることができた。負けたことで変化に対する恐れがなくなり、再び1位になっても、大胆に自分を変えられるようになった。もちろん、打ち方を変えたことによってショットの威力が落ちたこともありますし、失敗は多々あります。それでも、失敗したらいったん元に戻って、また違う方向に進み出せばいい。『負けは自分を変えるチャンスだ』と考え、実践してきたことが、東京大会での結果につながったと感じています」。
2021年の東京2020では、シングルスでみごと金メダルを獲得。その瞬間、「これで自分の夢を完全に達成できた」という思いがこみ上げてきた、と国枝氏は振り返る。
「自分自身、『車椅子でもここまでできる』というのを見せたかったし、車椅子テニスを多くの方々に知ってもらうことが、僕にとって最大のチャレンジでした。それが多くの方々に伝わった。もう戦わなくていいんだな、と思った瞬間、燃え尽きたような感覚があったんです」。
2022年にはウィンブルドン選手権を初制覇し、車いすテニスのシングルス史上初の「生涯グランドスラム(※2)」と「生涯ゴールデンスラム(※3)」を達成。翌2023年1月、国枝氏は世界ランキング1位のまま、ついに引退の日を迎えた。
- ※2: 生涯グランドスラム:テニスの4大大会を全制覇すること
- ※3: 生涯ゴールデンスラム:4大大会およびパラリンピックを制すること
国枝氏を支えた座右の銘の1つに、こんな言葉がある。Small Changes Make a Big Difference 「小さな違いが大きな違いを生む」という意味だ。「小さな違いでも、それが積み重なれば大きな違いになるし、それを365日積み重ねると、試合に大きな変化をもたらす。メンタルトレーナーの方から何度も言われたこの言葉が、自分自身の競技生活を支える軸となりました」。
日々のプレーの中で、小さな違いが大きな違いを生み、自らの成長につながることを実感した、と国枝氏は語る。
リスキリングのポイントは「好きなことにフォーカスすること」
「小さな違いが大きな違いを生む」のは、スポーツに限った話ではない。それはビジネスの世界でも共通するところがある、とNECの東海林 直子は語る。
「会社が掲げる目標は大きく、自分だけでは達成できないことが多いので、なかなか自分事になりにくい。『小さなことを変えていく』、『自分なりに小さな課題や目標をつくって、1つずつ達成していく』というモチベーションの持ち方は、企業の人間にも共感できる点が大きいと感じます」。
NECは2024年度に、全社員を対象としたジョブ型人材マネジメントの導入を予定している。これを機に、同社は、社員一人ひとりのスキルを最大限活用する経営スタイルに大きく舵を切ることとなった。東海林はこう説明する。
「ジョブ型の導入にあたって強調しているのが、『自分のキャリアに自分で責任を持つ』というキャリア自律の考え方です。私たちはこれまで、会社から与えられた場や仕事を通して、自分なりにスキルアップをしてきました。しかし、これからは、自らスキルをデザインするような環境をつくっていかなければいけない。これは、大きなマインドチェンジになると考えています。その際に問われるのは、『自分の強みとは何か』、『自分の強みをいかに増やしていくのか』ということです。といっても、最初のうちは、何が自分の強みなのかわからない人も多いと思います。その意味で、国枝さんが言われた『何でも恐れずやってみる』というやり方は、チャンスを広げるという意味ではとても素晴らしい方法だと思います」。
東海林はNECのインテグレイテッドマーケティング統括部長として、現在約200人の社員のマネジメントを担当。社員が自らのコンピテンシーを見つけるためのサポートを行ってきた。それでは、企業の中でリスキリングを成功させるためのポイントとは何なのだろうか。
「リスキリングには、大きくスキルチェンジするパターンと、自分の得意領域を拡大してスキルチェンジやスキルアップをするパターンの2つがあります。そして、一人ひとりが持つマルチな才能の中から、自分が特に好きなことを選んでフォーカスすることが、リスキリングのポイントではないでしょうか」。
時代の変化に対応して、自分をアップデートさせていくためには、「自分は何が好きか」という軸を明確にすることが重要、と東海林は言う。
「例えば、人を喜ばせることが好きな人もいれば、人とコミュニケーションするのが好きな人、ありがとうと言ってもらうことが好きな人もいる。私自身は盛り上がることが好きで、仕組みをつくって皆が盛り上がってくれたりすると、大きな喜びを感じます。『自分はこれが好き』という軸があれば、自分らしさを活かした、無理のないキャリアチェンジができると思います」。
新しい目標を見つけることが人生の楽しみを生む
とはいえ、言うは易く行うは難しで、新しいことを学び続けるにはそれなりの努力を要する。どのようなマインドセットを持てば、それを無理なく実践できるのか。国枝氏は語る。
「一度きりの人生、いかに楽しく生きるかということに尽きると思います。僕自身、これまでもターニングポイントは数多くありましたが、とにかく『後悔しない選択をする』ことに徹してきました。アメリカ行きも、このタイミングを逃せばチャンスを逃がしてしまうかもしれない。新しいことを学ぶことも含めて、後悔しないための選択を自分はしたということです」。
競技で勝敗を競うアスリートから、世界を舞台に戦う選手を育てる指導者へ。新しい挑戦を前にした心境を、国枝氏はこう語る。
「現役時代は年に4カ月は海外遠征していたのですが、なかなか英語が上達しなかったので、英語がしっかり話せるようになって帰ってきたい。1年間でさまざまな人とのつながりをつくり、自分の価値観を広げていきたいと思います。自分が今までやってきたことが、自分以外の選手にとってどれだけ有効なのか。それを見極めたいと思いますし、楽しみにしています」。
だが、今回のアメリカ行きは、国枝氏にとっては序章に過ぎない。国枝氏は今、ある夢を胸の内で温めている。それは、パラアスリートと健常者選手が一体となって、テニスというスポーツを盛り上げていくという夢だ。
「今、パラスポーツの中で、車いすテニスは注目されています。なぜなら、テニスの世界4大大会といわれるグランドスラムには車いす部門があり、我々パラアスリートも健常者選手と一緒に参加しているからです。僕らは、グランドスラム以外の大会にも、車いすでどんどん参加していきたい。そう考え、ATP(男子プロテニス協会)に何度も働きかけた結果、ATPツアーのジャパン・オープンでも2019年に車いすテニス部門が新設されました。この活動をもっと世界に広げて、世界中のテニス・ファンを車いすテニスにも取り込んでいきたい」。
こう抱負を語る国枝氏。その言葉を受けて、東海林は最後にこう思いを語った。
「国枝さんのお話を伺って、『自分もまだまだやれるのではないか』と、あらためて感じました。新しい目標を見つけることが、スキルアップや人生を楽しむことにつながるといいな、と感じます。会社という枠組みの中で、できること・できないこともあるかもしれませんが、仕事だけに限らず人生の中で見つけていくという形でもいいのかな、と思いました。本日はありがとうございました」。