イノベーションの起こし方(前編)
Text:太刀川英輔
アイデア創出やイノベーションを起こす!というとかなり難しく感じませんか?
イノベーションを起こすには、
- 常識に縛られず、アイデアを大量に生み出すこと(変異的思考)
- 生み出したアイデアを繋ぎ合わせ、取捨選択・検証していくこと(関係的思考)
この「発想」と「検証」の2つの側面を持つ思考を、高速で往復させることで、起こせると考えている。
と、NOSINER代表、太刀川氏。
筆者の提唱する「進化思考」をぜひご覧ください。
創造とは、一体なにをすることなのだろう。その意味を、本当に私たちは理解しているのだろうか。もちろん私たちは創造という言葉を日頃から使っているし、辞書どおりの意味ならば「新しいものを作り出すこと」ということになる。けれども、創造という現象を改めて正確に説明しようとしたら、その現象を捉えるのは、とても難しい。
SUMMARY サマリー
NOSIGNER CEO 太刀川 英輔 氏
1981年生まれ。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。2006年、NOSIGNERを創業。「社会に良い変化をもたらすためのデザイン」を理念に、グラフィックからプロダクト、空間デザインまで総合的なデザイン戦略を手がけている。
Design for Asia Award大賞、PENTAWARDS PLATINUM、SDA 最優秀賞、DSA 空間デザイン優秀賞など多数受賞。また、福岡地域戦略推進協議会(FDC)シニアフェロー、慶應義塾大学大学院SDM 特別招聘准教授、静岡市 文化庁芸術拠点形成事業 ブランディングディレクター、グッドデザイン賞審査委員など社外活動にも勢力的。複数企業の社外取締役も務める。
天才と秀才とバカ
創造性は、しばしば先天的な能力や才能の問題として語られる。あの人は才能があるからね、そんな諦めの混じった話をする声が、今日も数千万回と世界中の街で響いているのだろう。なれるものなら誰だって天才になりたいが、生まれながらの才能がなければ、彼らのような優れた創造性は発揮できないだろうか。本当に?
天才はバカなのか
天才について語られた言説や天才自身の言葉に注目すると、そこに創造の秘密に近づくヒントがあるかもしれない。「極度の才気は、極度の狂気すれすれである。」というブレーズ・パスカルの発言や、Appleを創業した現代の誇る天才スティーブ・ジョブズが「Stay Hungry, Stay foolish.(ハングリーであれ、バカであれ。)」という言葉を残したのは記憶に新しい。歴史上の様々な天才たちを見ると、どうやら人は有史以前より現在まで「天才はバカである」と考え続けてきているようなのだ。
天才は秀才なのか
一方で「天才は1%のひらめきと、99%の努力。」というエジソンの有名な言説のように、天才はある領域で卓越した知を培った努力の人、すなわち秀才であると語られることもよくある。やはりバカなだけではダメなのか。知識を身につけるならば学問という誰にでも開かれた道があるが、現在の学校教育は知を探求する行為というよりは、苦行めいたものになってしまっていて、創造性からは程遠い感覚がある。
変異性と関係性
二律背反のような、天才をめぐるバカと秀才の議論は、歴史の中で数え切れないほど語られ、戦わされ続けてきた。天才は孤独な狂人なのか、努力を惜しまない秀才なのか。実際には、これらの概念は全く相反していない。エジソンやテスラのように「努力によって培った知識や実証を武器に、前例のない行動に踏み込む人達」は上の定義で言えばどう考えても狂人的秀才であり、2つの資質の両立ができている。バカ性=変異性と秀才性=関係性、この二面性のある思考の両方が、創造性には常に存在すると考えることはできないだろうか。
右脳と左脳の往復
この狂人性と秀才性に表せるような往復的なプロセスは、実は脳の構造にもよく現れている。脳科学者マイケル・S・ガザニガは、左脳と右脳の間の脳梁が切断された人(分離脳)を研究し、それぞれの働きを分析したところ、右脳と左脳には部位ごとに別の働きがあり、互いに往復しながら思考を補い合っていることが分かった。脳内の天使と悪魔のように、変異的な右脳=狂人的な思考と、関係的な左脳=秀才的な思考とが、脳には別々の部位の働きとして存在している。このように絶えず狂人性と秀才性を葛藤させるサイクルによって、初めて人は思考することができると考えるのが、脳科学的に見た思考の自然状態と言えそうだ。
脳の構造と現代教育の矛盾
バカ性と秀才性、これらの思考を両立すれば、天才的な創造性を発揮できるのかもしれない。そう思って挑戦してみると、変異的な狂人型思考と関係的な秀才型思考というこの2つの全く違うタイプの思考を、高いレベルで両立するのはなかなか難しいことがわかる。なぜなら狂人型の思考は秀才型の思考にいつも邪魔されてしまい、秀才型の思考の出現を狂人型の思考は不自由と感じて望まないからだ。そして考えてみれば、私たちはその2つの思考を両立するための教育を提供されてこなかったことにも気づく。現代の教育は前例がある問題しか教えず、管理的都合によって評価軸も一律であり、生徒は極度に平均化され、秀才性を目指すものになっているため、前例のないことを目指す狂人的な思考は全く推奨されない。学校に狂人なんてもってのほかだ。人と違うことをすれば白い目で見られ、違いが原因でいじめに会うかもしれない(いじめの方が犯罪性があるにも関わらずだ)。しかし、それが不自然だからこそ子供たちは、思考の自然状態を求めて、学校で暴れたがるのかもしれない。そしてもちろん、暴れてしまった子供たちは教育の仕組みからドロップアウトしてしまう。
こうして、この世に生を受けてから全てが新しい挑戦であったはずの子供たち誰もが持っていたバカ性=チャレンジャー精神の牙は、現代の教育を受ければ受けるほど鈍っていく。現代の教育環境において、バカで居続けるのはリスクなのだ。
そうして学校を出て社会の環境に慣れるプロセスで、求められるような秀才だけが選りすぐられ、数十年経ってそれが評価として認められるようになったときに突然「斬新な発想で新規事業を考えてほしい。」とか「全く新しい研究テーマを考えてくれ。」なんて言われようものなら、彼らがパニックになるのも無理はない。そのバランスを補うためには、幼稚園くらいから定期的に「人とは違う変なことを考える狂人性」を忘れないための授業があればよいのだろうが、そんな授業を受けたことは私の記憶には一度もない。もし創造性の関係変異バランスの仮説が正しいのなら、生徒の創造的な知性が出現するために必要な教育を、我々の時代は本質的には提供できていないということになる。
天才の中にある往復的思考
狂人性=変異型思考に示されるように、固定観念をいつでも外して馬鹿のように考えるにはどうしたらいいだろう。そこにはなにかのコツがあるのだろうか。また前例のない行動には勇気か無謀さが不可欠だ。前例のない行動に対する心理的バイアスを踏み越え、恐れを手放して常識の線を越える考え方に至ることができるのだろうか。
秀才性=関係型思考に示されるように、常識と照らし合わせて努力し、知識を蓄える力は社会で頻繁に問われる。しかし努力は苦行とは違う。むしろそれに没頭して楽しむ人の方が上手くいっていることを私たちは経験的に知っている。現在の教育システムは本当に、関係性を理解する方法を教えることができているのだろうか。
こうした考察を通して私は、創造性は狂人性=変異型思考と秀才性=関係型思考という2つの違う性質の思考が往復し、ちょうどよくバランスしたときにだけ、その2つの間に発生する波のように、うねりとして伝播するのだと考えるようになった。歴史上の天才と呼ばれる発想豊かな人達は、時には常人の数万倍とも言える偉業を成し遂げることがある。しかし、彼らだって身体や脳の構造は、私たちと大きく変わるわけではない。天才の頭の中で起こっていることは表側には見えないけれど、もしそれが狂人的な変異型思考で前例のない発想を無数に出しながら、秀才的な関係型思考によってそれらの取捨選択をする、この発想と検証の高速度の繰り返しだと考えるならば、天才に秘められた創造性もまた魔法ではなく、練習可能な技術のように考えることができるかもしれない。デザイナーとして日頃から創造性を仕事としている私の実感としても、この変異と関係の往復が、アイデアやデザインを考える上でつねに頭の中で起こっている感覚が確かにある。その感覚は、きっとあなたの中にもあるのではないだろうか。
この関係と変異の往復に、創造という現象を含めた、あらゆる知性の構造に対する普遍的なヒントが隠れているのではないか。こうして、進化思考という考えの基盤ができていった。
創造的な人を増やすために
創造的発想に至る道筋を理論として体系化し、それを広く教育として提供できれば、創造的な人を、今よりも格段に増やせるかもしれない。辺境の小さな村からも世界を変えるような発明家が出現して、世界中に数多ある課題を光で照らし共振を広げる世界になれるとしたら、それは今よりもまともで素敵な世界のような気がした。こうして私は10年ほど前から、自分が修士論文の執筆やデザインの実践を通して気づいた秘伝のタレである創造性の構造を公開し、様々な人に伝える活動を始めた。最初は「デザインの文法」、昨今では「進化思考」と呼んでいる私の手法は、HONDA・DAIWA HOUSE GROUP・パナソニック・富士通・NEC等のグローバル企業でイノベーション教育プロセスとして採用され、そこから様々な新規事業が生まれている。
進化思考による発想
進化思考によってどのような発想が実現できるのかを、一つくらい実例を交えて話してみたいと思う。大手の色材メーカーである東洋インキグループは、カーボンナノチューブやグラファイトのナノ化などの技術によって、世界トップクラスの品質の黒色を生み出す技術が優れていた。しかし、それをどのように伝えていいのかがわからなかった。そこで私たちがコンサルティングに入り、日本一の合成漆器の生産量を誇る福井県鯖江市を少量生産の塗料の開発のためのコラボレーターとして、世界一の黒を実現するためのプロジェクト「ZENBLACK」が始まった。そのコラボレーションの結果として、漆伝来からの1200年で1番黒い漆器などが実現した。
しかし話はこれだけでは終わらず、黒という光学的な特性を生かして、全く違う産業を発案することになった。日本では、国内で処理しきれない年間約100,000トンものプラスチックゴミが世界に輸出されている。もちろん、輸出先で充分に再利用される事はなく、海を汚染するマイクロプラスチックの問題などに直結している。特に色付きのプラスチックが問題で、なぜリサイクルができないのかと言えば、リサイクルすると濁った色になってしまうからだ。ZENBLACKのプロジェクトを通して黒の特性に気づいた私たちは、この問題を黒色で解決できるのではないかと考えた。つまり、プラスチックをリサイクルするときに、特殊な黒の色材を一緒に入れることによって、アップサイクルされる樹脂を黒に染めてしまえば、今までのような色を理由としてのリサイクルの難しさを超えられるのではないか。今、東洋インキグループではまさにこの技術の実現に向けた研究が加速している。
こういった例では、かなり複合的に関係と変異の思考を駆使しているが、大きな構造を言えば、「黒をどのように転移させるか」という変異と、「解剖によって見えた黒の特性は、どのように社会の生態系のためになるのか」という関係の視点が駆使されて、このような企画になっている。次回、少しだけ進化思考の内容に触れてみよう。
(後編はこちら)