多様な人々が自由に活動する枠組みをつくるために、「マーケットデザイン」は何ができるのか
~NEC未来創造会議 2021年度第5回有識者会議レポート~
今年で5年目を迎えた「NEC未来創造会議」。2050年の未来を見据えて人が豊かに生きる社会の実現を目指すこのプロジェクトは、コモンズのような共同資源や共同体のあり方を再発明することで、これからの社会を支える新たなコミュニティやコミュニケーションの形を模索している。
これからのコミュニティを考えることは、これからの意志決定や制度設計について考えることでもあるはずだ。多様な人々が集まるコミュニティをつくるためには異なる意見のコンフリクトを防いでいく必要があり、同じ資源を共有するためには公平性を担保するための制度が求められるだろう。これからの意思決定を考えるうえでも、現代のマーケットや制度がどのようにデザインされているのか、そこにどんな可能性があるのか知ることは重要だ。
「マーケット」をテーマに開催された第5回有識者会議には、ゲストとして慶應義塾大学経済学部教授の坂井豊貴氏が参加。マーケットデザインとメカニズムデザインを専門とし、投票システムや暗号通貨にも精通する同氏は、近年自身で起業し経済学のビジネス実装にも取り組んでいる。『WIRED』日本版編集長・松島倫明がモデレーターを務め、NECフェロー・江村克己とともに行われた議論は、多様な人々がよりよく生きられる社会をつくるために、どこでどのような制度をつくっていく必要があるのかを問うものとなった。
現実は経済学の世界に近づいている
「NEC未来創造会議はわたしたちが目指していく社会について論じていますが、どんな社会を目指したいのかは人によってかなり差異が大きいように思います。たとえばわたしとネトウヨの人が好む社会は異なっていますし、議論しても合意はできないでしょう。だからひとつの理想像を提示するのではなく、それぞれが自分の好きなように生きられる社会の土台をつくることしかできないのではないでしょうか」
初めに坂井氏はそう語り、ひとつの理想を目指すのではなく一人ひとりの自由を担保する枠組みづくりが重要だと続ける。飢餓や貧困の根絶といった目標ならほとんどの人が同意するかもしれないが、それ以外の部分で多くの人の意志を統一することなど不可能だろう。江村も過去の有識者会議を振り返りながら、次のように語る。
「NEC未来創造会議でも以前マズローの欲求5段階説を挙げながら、コンバージェンス(収束)とダイバージェンス(発散)について議論していました。多くの人に共通する生理的欲求は少ない選択肢で効率を高めるコンバージェンスによって、人それぞれ大きく異なる自己実現欲求は多様な選択肢を提示するダイバージェンスの観点から対応していくべきでしょう。わたしたちとしても一人ひとりが異なる意見をもちながら自分を活かせる社会をつくるべきですね」
マーケットの仕組みは、人々の自由な活動を支えうるものでもある。たとえばデジタル化により個人間の取引が容易になったことや人々をつなぐプラットフォームが整備されたことで、さまざまなものがサービスや商品として取引されるようになった。結果としてかつてより自身の得意なことを通じて価値を生み出しやすい環境が整っているといえるだろう。坂井氏はこの状態を経済学者のアマルティア・センが「ケイパビリティ」と呼ぶものが発揮されている状態だと言い、たくさんのものがマーケットで円滑に取引できる環境をつくることは自由にとっても価値があることなのだと語る。
さらに坂井氏は「いまの世の中はどんどん経済学の教科書の世界に近づいています」と続ける。経済学は現実と乖離した机上の空論だと批判されることもあるが、デジタル化や情報化によって取引のフリクションが減ったことで、この社会は経済学が想定しているような世界に近づいているのだ、と。
「たとえばかつて消費者は経済学の理論が想定しているほど合理的な存在ではないと批判されましたが、いまや多くの人が価格コムのようなサイトを見て合理的な選択を取れるようになりました。経済学は売り手と買い手の関数としてマーケットを捉えているので、オンライン取引やコンピューターとの相性がいいんです。ブロックチェーンやWEB3など分散的なテクノロジーが広がれば、さらに資本主義は強化されていくのではないでしょうか」
マーケットの仕組みづくりをコモンズへ
マーケットの仕組みや制度づくりは、コミュニティにおける意思決定とも関わっている。たとえばある地域に原子力発電所をつくるか否かなど、環境問題や地域の未来と関わる問題については慎重な意思決定が必要となるだろう。坂井氏は例としてゴミ処分場誘致のメカニズムを挙げる。
「ゴミ処分場の建設においてはオークション的なメカニズムが適しています。いろいろな地域を対象として、いくらお金がもらえたらゴミ処理場を引き受けられるか入札してもらい、最も安い金額を提示した地域に建設する。地域に迷惑をかける側が分担してお金を払うわけです。お金をもっている側が優位に立てる仕組みだと批判されることもありますが、お金さえもらえずに施設を押し付けられるより、オープンな手続きによって意思決定が行われて、フェアな補償金も出るほうがいいですよね」
オープンなマーケットの論理に乗ることで、公平性が担保されるというわけだ。同じような考え方は、コモンズのような共有資源においても適用できるのかもしれない。今年度第1回有識者会議で松田法子氏が温泉資源の管理による温泉地の発展について語っていたように、どんな仕組みを使うかによってコモンズの未来も変わっていくだろう。
「コモンズと言われるとわたしはマグロの乱獲のような現象を思い浮かべます。この場合、海がコモンズにあたるわけですが、漁師たちを束ねる団体がないことが問題のひとつでしょう。たとえばマグロを1匹釣る権利を証券化することで、乱獲を抑止できるかもしれません。釣る権利で状況をコントロールできてないから乱獲が起こるわけです」
そう坂井氏が語るように、権利を通じたコントロールは、コモンズ管理の手段のひとつと言えるかもしれない。とりわけ牧草地や里山などコモンズの中で共有される天然資源は総量が明確でないことも多く限られた共同体の中で使用されるため所有権が曖昧になっていることもあるが、管理の仕組みがつくられないままでは資源の乱用や独占につながってしまう恐れもある。コモンズを考えるうえではその規模や共同体の構成員を明確にすることが重要だと言われるが、それは権利の所在を明確にし、円滑な資源管理にもつながっていくからなのだろう。
「教育」と「金融」から社会を変える
「ここまでの議論は現実空間を中心としたものでしたが、メタバースなど仮想空間の活用が進みコミュニティも多様化していくと、権利をもつ集団も多様になっていくような気がします。これまでわたしたちは現実空間の地域や国に軸足を置いて生きてきましたが、仮想空間が広がると現実空間とはべつの顔でべつの場所で生きていけるようになっていきます。現実空間の場合はマーケットのような機能を通じてお金と価値のやりとりをすることで社会が回っていましたが、仮想空間ならそれとは異なるあり方が出てくるのかもしれません」
そう江村が指摘するように、わたしたちの活動が現実空間から仮想空間へと広がっていくことで、これまでとは異なる仕組みがつくられていくのだろう。松島も江村の発言を聞いて頷きながら「いま地球規模で起きている問題を国連のような国家の集合体が解決できないからこそ、情報の世界を通じて現実空間の問題へアクセスする方法がありうる」と述べる。ふたりの発言に対して、坂井氏は「教育」と「金融」の変革に期待していると語った。
「教育は人間が直接対面せずとも、情報の伝達だけである程度の領域をカバーできる。いまの高等教育は非常にお金がかかるもので、たとえばアメリカだと年間400〜500万円かかり、階級の再生産が加速してしまっている。情報空間を使うことで、誰でもアクセスできる教育機関をつくれるかもしれません」
さらに坂井氏は、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌスが「マイクロクレジット」を提唱して新たな貧困対策を生み出したことを紹介しながら、金融サービスへのアクセシビリティによって社会は変わりうると続ける。
「マイクロクレジットだけでなく奨学金も同じような仕組みで、金融は将来の自分からお金を借りるようなお金の動きを実現するんですよね。再分配も大事ですが、どこまで日本の政府に期待できるかは怪しいですし、もっとマーケットに頼りやすい仕組みがあってもいいと思うんです。金融へのアクセスを容易にすることで、貧しくて教育を受けられない状況が生まれないようにしたいですね」
教育も金融も、社会へ開いていくことで階級や貧困の連鎖を防いでいくだろう。「金融を毛嫌いする人は多いですが、マーケット的な仕組みはお金を受け取る側だけでなくお金を出す側のメリットも設定されているので、持続性が高いものになります。困っている人を助ける善意だけでは物事は続かないんです。助ける側にメリットがないと続けられない」と坂井氏が語るように、マーケットの仕組みを活用することで社会をより公平なものへ変えていけるのかもしれない。
人は無数の関係性のなかで生きている
ここまでの議論は「価値」と「お金」を交換することを前提としながらマーケットやその仕組みを活用していく可能性について論じてきたが、坂井氏は「いまお金の地位は非常に下がっている」と語る。いま重要なのはお金ではなく能力や誠実さなのだ、と。
「金融が発達してお金へのアクセスが容易になったからこそ、お金以外の価値が高まっているのでしょう。いまは高い能力をもち行動力もある人がお金も名誉も得られるような社会になっていて、どんどんフェアになっていると同時に、どんどん厳しい世の中になっているとも思います」
すでに多くの人は社会関係資本が重要だと気づいているはずだと坂井氏は続ける。多くの人がSNSを運用し情報発信や他者とのコミュニケーションに注力するのも、そこで得られる信用が重要だと考えている人が多いからだ。他方で松島が「インフルエンサーマーケティングのように、信頼がフォロワー数のような数で表現できるものになるとおかしなことになってしまうのかもしれません」と語るように、信頼の数値化には注意が必要だ。
坂井氏も「フォロワー数は信頼についてのある種のパラメータではあるでしょうが、非常に不十分です。『濃さ』の情報がないからです」と語る。少数だが濃いファンをもつ人の方が、有利な状況は多々あるからだ。
「かつてケヴィン・ケリーも『1,000人の忠実なファン(1,000 True Fans)』というエッセイで同じことを語っていました。100万人のファンを得られなくても、1,000人の濃いファンがいればクリエイターとして生きていけるのだ、と。フォロワー数のような指標は非常に一面的なものだといえそうです」
そう松島が語るように、フォロワー数のような数値がすべてを決めるわけではないのだ。坂井氏も松島の発言を受け「すべてをマーケットで解決できるわけではありません」と語る。「市場を通じた取引関係が機能することもあれば、贈与ベースの関係をつくった方がいい場合もある。家族や隣人とは、取引関係では上手く付き合えませんよね。わたしたちは無数の人間関係のなかで生きています。結局、一人の人間が自分をどうつくるか、そして他者とどういう人間関係をつくるかが、人間活動のほぼすべてなのだと思います」。
デジタル化や情報化によって、わたしたちが生きる世界はこれからますます経済学の世界へと近づいていくかもしれないが、それはすべてがマーケット化していくことを意味するわけではない。坂井氏が指摘するようにマーケットとはあくまでも価値とお金の交換を行うものであり、つねにオプションとなる関係性も必要なのだ。NEC未来創造会議が目指す「ニュー・コモンズ」も、適切にマーケットデザインやメカニズムデザインを取り入れながら、すべての人が自由に活躍できる枠組みを目指していくことになるのだろう。