北米で活用が進むピープルアナリティクスの最前線
~人事データを統合し、企業の目標達成に向けた人材採用・育成の高度化を図る~
Text:織田 浩一
採用や人材育成、労務などあらゆる人事データを活用するピープルアナリティクスが使われつつある。戦略的な人材確保と組織構成のためのデータ活用がどのように北米で進んでいるかを解説したい。
SUMMARY サマリー
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
普及するピープルアナリティクス
ピープルアナリティクスとは、社員や採用候補者、採用プロセスなどの人事分野のデータを統合し、分析・活用するもので、HR(Human Resourc:ヒューマンリソース)アナリティクスや、人材に特化した分析を行う人材アナリティクス(Talent Analytics)なども含めた概念である。米企業人事情報誌『Human Resource Executive』2019年3月の記事によると、同誌のアナリストがFortune100レベルの大企業に勤務するHRテクノロジー担当幹部50人に問い合わせたところ、60%が「自社でピープルアナリティクスのチームがある」と回答したという。大企業ではその専門部署が存在することが当たり前になりつつあることが分かる。
会計・コンサルティング企業デロイトでは、傘下に人事分野のコンサルティング会社Bersinを抱えており、日本の228社を含む世界約9,000社を対象に人事関連のアンケート調査とヒアリングを行い、世界の人事分野のトレンドをまとめた年次レポート「Deloitte Global Human Capital Trends」を発行している。人事分野のトレンド、新しいテーマ、課題などの調査内容を同社のアナリストがまとめており、ここ数年のテーマは、社会性や社会問題に対して積極的な態度を持つ企業になることが必要という「Social Enterprise」が中心になることが多い。2020年5月に発行されたレポートに、過去10年間の様々な分野における状況をまとめたチャートが掲載されている。その中から「ピープルアナリティクス」の部分を抜き出し、和訳したのが下図だ。2011年以降の各年の傾向をキーワード化してまとめたものである。
これによると2010年代はじめには労働力の分析やリスクなどに焦点が当てられ、2014年あたりから実務化していった様子が伺える。2017年にはメインストリーム化が進み、大手企業ではピープルアナリティクスは当たり前の存在になっていった。
2018年には反対に、社員・採用候補者のデータの利用についての倫理や透明性、セキュリティが課題となっている。特にこの年にヨーロッパで消費者プライバシー規制法案「GDPR」が実施され、その中には社員データ保護規定も盛り込まれていたため、非常に重要視されるようになったのだろう。
2019年にはこの分野では特にテーマがなかったようだ。しかし、2020年には組織やチームを構成する際にどのような人材が何人必要なのか示す労働力戦略への対応とその測定、そしてコロナ禍の影響による新しい生活や顧客ニーズに対応すべく、早急にEコマースへ対応することや、企業が製品やサービスの提供方法を変革していくことが求められる中、どのように人事戦略を柔軟に適用していくべきか、模索している段階に入っているようだ。
地域間でも、普及レベルの違い、または段階があることがわかる調査も含まれている。いくつかのトレンドがある中で、下図は「労働力戦略の測定」をどれだけ重要に考えているかを地域別に示したものである。ヨーロッパや北米では比較的低いが、これはある程度この分野での普及が進み興味が他の分野に移っていることの現れだろう。重要度が高いアジア、ラテン・南アメリカではこれから進んでいくのではないかと考えられる。
ピープルアナリティクスの取り組み事例
次にどのようなデータを使い、どのような分析をするかを考えてみたい。
取り込むデータと利用ケースを見てみよう。「デモグラフィックス」「給与・福利厚生」「エンゲージメント」「パフォーマンス」「採用・社員保持」などの分野からデータを取得することが多い。
まず「デモグラフィックス」。どの部署にどのような人材がおり、どのような部署構成なのか、昇進状態はどのような傾向があるのか、などの現状のトラッキングである。長い間同じポジションにいると、モチベーションが下がったり、退社したりする可能性も出てくるので、そのような状況に対処するために利用できる。
また、昨今世界でBlack Lives Matter(黒人差別抗議運動)の盛り上がりもあり、人種、そしてジェンダーにおけるダイバーシティ(多様性)を社員構成、幹部構成で企業目標として掲げる企業も多い。それを達成するための採用・昇進・メンター戦略などに利用が可能だ。
次に「給与・福利厚生」。社内の給与レベルなどをトラッキングすることも必要であるが、業界・職種・地域での外部給与データと比較することで、引き抜き・転職のリスクなどへの対応を可能にするものである。
「エンゲージメント」は、昨今、欧米では年一回の人事・上司とのパフォーマンスレビューから、週一で社員アンケート、その時期のプロジェクトなどの評価を上司やチーム間で行うようなパルス(「心拍」の意味で「頻繁に行う」ことを示す)調査を行うことが増えている。これら調査結果から、会社や業務、プロジェクトへのエンゲージメントを測り、エンゲージメントの低い指標を要因分析して改善する施策を行ったり、指標の高い項目を組織別に分解して平均値よりも低い組織の社員とコミュニケーションを図ったりすることが可能だ。
「パフォーマンス」では業務目標とその達成状況を上記のエンゲージメントと同様に短いサイクルで比較することが一般的になってきている。また社員平均収益なども重要な指標である。
最後に「採用・社員保持」は退職率や特定職種の採用にかかる期間などを見て人材計画を立てるために使っている。
これらのデータを使ってAIや機械学習で、退職リスクの予測や要因分析、各部署の人材ニーズの予測分析、シナリオプランニングする取り組みも出てきている。
人材データとATSとの接続
上記のような人材データが揃うと、ATS(Applicant Tracking Systems:人材採用システム)との接続で、採用効果をあげることができる。ATSは、求人情報を求人サイトに配信し、採用候補者や履歴書のトラッキングやアセスメントテストの管理、面接などのプロセスを管理するツールである。
ここで例えばダイバーシティ目標を達成するために、同じ条件を持つ採用候補者が複数いれば、女性やマイノリティ人種の面接を優先させたり、特定の求人サイトからの応募が特定職種採用に有効であれば、それを反映させたりすることが可能だ。
さらに、データを活用し優秀な人材の採用活動にも応用できる。例えば、優秀な社員のアセスメントテストと比較し、同じような傾向を示す採用候補者を優先的に検討するとか、面接の質問に優秀な社員の傾向を反映したものを加えるなどして候補者選びの精度を上げていくというものである。
Visierに見る提供機能
大手プラットフォーム企業Oracle、SAP、IBM、Workday、ADPなどがそれぞれピープルアナリティクスプラットフォームを提供している。SaaS利用者がサービスの評価を示すサイト「G2」で、評価が高いピープルアナリティクスプラットフォーム「Visier」の分析機能などを見てみよう。
Visierは2010年にカナダのバンクーバーで設立された会社で、世界75ヵ国でEAやBASF、ブリヂストンなど5,000社にピープルアナリティクスのSaaSプラットフォームを提供しており、社員は400人ほどに成長している。
提供しているプラットフォームは、社員採用・異動・退職など各プロセス関連データを取り込み、すでに用意されている各種の分析ダッシュボードが使えるというものである。そのダッシュボードをいくつか見てみよう。
まず下図は特定の期間での採用・退職分析で、組織別の分析も可能である。これにより企業規模や採用目標達成までの進捗をトラッキングできる。
ダイバーシティを強化するためのダッシュボードでは、マイノリティ人種や女性の比率を、採用の様々な段階ごとに目標との差を示しながら表示。どこのプロセスで、どの人材採用者がボトルネックになっているか、どこが上手くいっているかが示される。
そして、下図が退職に影響する要因をランキングしたものである。給料の金額水準や上昇率、職種、役職、年齢などで、どのセグメントでの退職率が高いのかを示すことで、未然にセグメントごとへピンポイントに施策を講じることが可能になる。また外部での特定職種の給与レベルや上昇率データを取り込むことで、予測分析や、給与をどれぐらい上げると退職率が下がるのか、などのシナリオプランニングも可能である。
同社では、企業のピープルアナリティクスの成熟段階についても解説している。第一レベルで通常の運用レポートを行っている企業が同社のクライアントで56%、第二レベルでベンチマーク比較や、採用・組織の意思決定に活用するレポートを利用しているところが30%、第三レベルで様々な人事の課題の根本的な原因を見つけるための分析を行っているところが10%、最後の第四レベルでシナリオプランニングや予測モデルを構築し予測分析を行っているところが4%であるという。
もちろんこの4%に上がっていくことが理想であるが、人材データはすでに揃っているので、このレベルに上がっていくには人事担当者がピープルアナリティクスを使いこなす必要がある。結果的にこの記事のはじめに紹介しているように、ピープルアナリティクス専門の部署が必須になりつつあることが示されていると言えよう。
日本でも昨今、転職が当たり前にになると同時にジョブ型雇用などが広がりつつある。優秀な人材を採用し確保していくために、このような部署ごとの人材データの利用やピープルアナリティクスのような業務がますます必要になっていくだろう。
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