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アメリカの次なるテックシティは地方都市
~GAFAのクリエイティブ人材を魅了する自然環境~

 今までアメリカのテックシティとしてよく知られていたのは、シリコンバレー・サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストン、シアトル、オースティンなどである。しかしコロナ禍の影響で、テック企業のリモートワークが進んだことも追い風になり、他の地方都市が一時の衰退を挽回、テックシティとして再興、成長しつつある。今回はそのようなアメリカの地方都市を3つ紹介したい。

織田 浩一(おりた こういち)氏

米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperza別ウィンドウで開きますの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。

クリエイティブ・クラスの台頭

 戦略コンサルティング企業Creative Class Groupの代表であり、トロント大学経営学教授およびニューヨーク大学フェローでもあるリチャード・フロリダ氏が、2002年に出版した「クリエイティブ資本論−新たな経済階級の台頭(原題:The Rise of Creative Class)」は、都市の経済成長を早める新たな労働者層であるクリエイティブ・クラスについて解説した書として、地方都市、地域の変革のためのツールになったのではないだろうか。全米の労働人口の12%にあたるスーパークリエイティブと考えられる科学、エンジニアリング、教育、プログラミング、リサーチ、アート、デザイン、メディアなどの業務に携わる層と、その周辺の医療、ビジネス、金融、法務などに携わっているクリエイティブプロフェッショナルと呼ばれる知的労働者層を総合してクリエイティブ・クラスと同氏は呼んでいる。アメリカでは労働人口の30%、約4000万人の労働者がこの層にあたると言っている。

クリエイティブ資本論−新たな経済階級の台頭
日本では2008年に出版された「クリエイティブ資本論−新たな経済階級の台頭」。リチャード・フロリダ 氏は、その後もクリエイティブ・クラスに関する書籍を複数著している

 今までのアメリカのトップテックシティと言われる場所は、確かにクリエイティブ・クラスの割合が高いことがわかっている。Bloomberg CityLab別ウィンドウで開きますが2017年のデータを使って分析し、ランキングを出しているが、シリコンバレー、サンフランシスコ、ワシントンDC、ボストン、オースティン、シアトルなどお馴染みのテックシティが並ぶ。

都市・地域におけるクリエイティブ・クラス層の率による米都市ランキング

 だが、これを成長率で見てみるとランキングがまったく変わる。2005年から2017年のクリエイティブ・クラスの成長率を示したのが下記のランキングだ。トップのソルトレイクシティ、ピッツバーグなど、今までテックシティとして認識されてこなかった地方都市が上がってくるのだ。

2005-2017年のクリエイティブ・クラスの率の成長率による米都市ランキング

 コロナ禍でリモートワークが一般化し、シリコンバレーやニューヨークなどの大都市から郊外や地方都市への引っ越しが増えている状況で、新たなテックシティとしてこれらのクリエイティブ・クラスの増加がどのように影響しているのかを知るべく、このランキングの中の3つの都市の関係者に話を聞いてみた。

人材のダイバーシティが力強さを生む
メリーランド州バルティモア

バルティモア市の経済開発エージェンシーBaltimore Development Corporation(BDC)のプレジデント・CEO Colin Tarbert 氏(下)とその傘下のインキュベーターETC BaltimoreのプレジデントDeborah Tillet 氏(左上)

 製鉄や製造業が日本や中国にシフトし寂れていくバルティモアでは、90年代の終わりに、当時の市長が産業振興のために市の経済開発エージェンシーBDCを設立した。市から毎年600万ドル程度のイノベーションファンドが提供され、その傘下にスタートアップインキュベーター組織ETCが設立された。年間150社程度のスタートアップを生み出し、2019年までに711社に23億ドルの投資が行われているという。これらのスタートアップ企業には、その後にTedcoというメリーランド州政府のベンチャーキャピタルがさらなる投資を行うことができる仕組みも用意している。

 バルティモアは研究大学で有名なジョンズ・ホプキンス大学やメリーランド大学など、周辺の11大学の研究成果を事業化することを支援しており、同時にテクノロジーや医療、科学などに関わる人材を生み出している。毎年この地域で約17,700人のテクノロジー人材が輩出され、2015年と比較して地域のテクノロジー人材を17%増やすことに貢献している。

ETC Baltimore
ETC Baltimoreのサイト別ウィンドウで開きます。多様な人たちがスタートアップ企業を興している

 バルティモアは、アメリカの首都ワシントンDCに電車で30分の近さの割に地価が安く、ウォーターフロントに面した良好な住職環境を有している。それを生かし、政府テック、サイバーセキュリティ、教育、データ、フィンテックなどの関連企業を集めている。大きな港を持つ街としてロジスティクス分野も伸ばしており、直近ではサプライチェーン企業Whiteboxが1600万ドルの投資を受けたという。

 またバルティモアはダイバーシティが特に進んだ場所でもある。Tillet氏は「私が1995年にABCとDisneyとのジョイントベンチャーのゲーム企業を立ち上げた時に、ITチーム20人のうち8人が若い黒人のエンジニアだった。今現在でもこのようなことは他の都市ではあり得ない」と自らの経験も含めて語っている。今では黒人幹部によって立ち上げられた、政府のテクノロジー支援を行う企業Fearless別ウィンドウで開きますも順調に伸びているという。

 バルティモア市などのスタートアップ支援の結果、下図のように2000年から着々と人口が増えている。昨今のコロナ禍による、テック企業の地方都市へのさらなる興味の高まりについて尋ねてみた。Tarbert氏は「フロリダ氏が言っていたクリエイティブ・クラスの増加トレンドはバルティモアではコロナ禍前にすでに始まっていた。ニューヨークやサンフランシスコは家の値段が高すぎるので、コロナ禍でバルティモアへの移動が加速している」と答える。すでに金融テック企業Stripe傘下のHelmやFacet Wealth、ロボティクス企業Galen Roboticsがシリコンバレーから移動してきているという。

 また、逆にバルティモアにあるCatalyteというさまざまなバックグラウンドの人たちをエンジニアとして育成する企業は、リモートワークの普及を生かし、地方からシリコンバレーなどにある企業へ人材を紹介しているという。

過去20年、バルティモアは年間約13,000人のペースで人口が増えている

製造業不況による人口半減から自動運転・ロボティクスシティへ
ペンシルバニア州ピッツバーグ

Pittsburgh Technology CouncilのプレジデントAudrey Russo 氏

 鉄鋼と電気メーカー工場の街であったピッツバーグは、これらの産業の衰退により、65万の人口が1980年代に31万までと半減したものの、現在新たなテックシティとして復活している。「ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学では自動運転トラックの研究・開発を40年続けている。世界からは一夜にして成功してきた街のように見えるだろうが、それまでの研究成果があってのことだ」とピッツバーグの産業団体Pittsburgh Technology CouncilのプレジデントRusso氏は語る。

 同団体は市の人口が激減した1983年にシリコンチップなど新たな産業を興すために設立された。現在ではBNY Melon、US Steelなど大手企業やスタートアップ企業1200社が参加。コラボレーションの推進やスタートアップの投資をサポートし、日本を含む海外への輸出を促進しているという。傘下にForty x 80というピッツバーグの緯度経度を示す名のスタートアップ支援組織を持ち、ワークショップやエンジェル投資家向けのピッチイベントなどを行っている。

Backstage Capitalとのスタートアップ支援イベント
Forty x 80では女子高生にSTEM(科学・技術・理系)分野へのキャリアを構築しもらうためのLaunchというプログラムも提供している

 研究大学であるカーネギーメロン大学やペンシルバニア大学など、80km圏内に60の大学がある。多数のテクノロジー人材を生み出したり、自動運転、オートメーション、ロボティクスのラボのテクノロジーがスタートアップ企業に結びついたりしている。

 その結果がテクノロジー企業の誘致にもつながっている。例えば、Uberがアドバンステクノロジーセンターというラボをカーネギーの教授達と共に設立し、ここから独立した人たちが新たなスタートアップ企業を次々に立ち上げているという。Google が15年前カーネギー周辺に10人規模で作ったラボは、同社の自動運転ビジネスの成長と共に、今では1,000人規模に育っているという。またFacebookがVR・AR(仮想・拡張現実)で知られるOculusの買収で同社のラボを受け取って作ったFacebook Reality Labsや、AmazonのAlexa音声AIのための自然言語分析の研究施設のほか、AppleのR&D施設もある。まさにGAFAの研究拠点の集中地域となっているわけである。

 自動運転、オートメーション、ロボティクスが主な分野ではあるものの、3Dプリンティングや医療デバイスにかかわる製造業やエネルギーの分野でもスタートアップが多数生まれている。

 コロナ禍の影響を尋ねたところ「今は家が1日で売れてしまうほど需要が高まっている」という。サイクリング好きには最高の街で、公園が充実しているため街中にいることを忘れてしまうのだという。そのような魅力的な環境に引かれ、仕事を求めている人たちが引っ越してくるのであろう。

ライフサイエンス・医療テックに焦点をあてる
ユタ州ソルトレイクシティ

Salt Lake City Corporation経済開発局のテクノロジー・イノベーションアドバイザーClark Cahoon 氏

 マーケティング・広告テック業界を長年見てきた筆者としては、ソルトレイクシティと言えばAdobeのイベント開催地、Domo誕生の地という印象が強いが、「世界最初の人工心臓はソルトレイクシティで生まれて、Jarvik Heartと呼ばれるものだったのだ」と語るのは同市の経済開発局のテクノロジー・イノベーションアドバイザーのClark Cahoon氏だ。すでに同市長の下、これから500日後、5,000日後の目標が掲げられ、ソルトレイクシティをバイオ・ライフサイエンス・デジタル医療の中心地とするためのプランニングが進行中である。この夏までにその具体的な計画案が発表されるという。医療テクノロジーは景気にあまり影響を受けない業種であることから、それに特化するメリットも大きい。

 この計画は非常に総合的で、長期的なものである。幼稚園、小・中・高校、ラボを持つコミュニティカレッジや職業専門学校、大学とパートナーシップを組み、STEM(科学・技術・理系)分野のキャリアを構築してもらうために医療機関、テクノロジー企業社員によるコーチングを行っている。ユタ大学などの研究成果がテクノロジーのシーズとなり、そのテクノロジーや特許を同大学のPIVOTセンターが事業化、スタートアップ企業を支援する。

 ユタ州には約1,100のバイオ・ライフサイエンス・デジタル医療企業がある。医療メーカーBiomerics、フランスの医療診断企業BioFireが研究所を設立したり、遺伝子診断のMyriad Geneticsや、薬品、治療法発見医療デジタルスタートアップ企業Recursionなどが誕生したりした例が代表的である。ユタ州のライフサイエンス業界団体BioUtahは業界企業、スタートアップを市と共に支援している。投資家とスタートアップを結びつける施策や、ユタ州のライフサイエンスの状況を外部へプロモーションする施策Biohiveを展開している。

最も速く成長しているライフサイエンスコミュニティであることを外向けに伝える施策Biohive
https://biohive.com/別ウィンドウで開きます

 ユタ州はすでに2012-2016年の期間にライフサイエンス業界で最も職の伸びている州であるが、Cahoon氏は「複数の東・西海岸の企業がソルトレイクシティへオフィス移転を検討し始めている。都会で生活しながら、雪山がすぐ近くにあり、夏もトレイルを楽しめる、ワークライフバランスの優れた街であることが魅力であるのだろう」と答えた。

 日本でもテック業界に働く人たちにサイクリングやトレイルランニング、スノーボードなどを楽しむ人が多いように思う。クリエイティブ・クラスを集め、その数を伸ばしている都市は、研究大学を有し、周りに豊かな自然のある優れた住環境が大切であるようだ。ピッツバーグやソルトレイクシティのように、焦点となる業種をある程度集中させることも重要な戦略になっていると考えられる。製造業のような一つの産業が衰退するなかで、次の施策をどのように打っていくかでその都市の先行きが決まる。そのことを実感するインタビューがたくさんあったことも付け加えたい。