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企業の人事戦略に変革を突き付ける「DE&I」
~HRテックカンファレンス&エキスポに見る一歩先の働き方改革~

  コロナ禍によるリモート業務の増加や、業務の急速な変化などにより、企業人事の体制や社員への対応に大きな変革が求められている。このような状況を受けて、アメリカ企業の人事部門はどのように対応し、どのようにテクノロジーを利用して働き方を改革しているのか。世界最大の人事テクノロジーイベントに参加し、専門家達の話を聞いた。

織田 浩一(おりた こういち)氏

米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperza別ウィンドウで開きますの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。

世界最大規模のHRテクノロジーイベント

 このカンファレンスはすでに20年以上続いており、人事テクノロジー分野では世界最大規模のイベントである。4日間にわたって人事トレンド・戦略、テクノロジートレンド、導入ケーススタディなどのキーノートやセッション、スタートアップや大手企業を含めた数百社の企業展示、スタートアップピッチコンテストなど盛り沢山の企画を実施。企業人事やHRテクノロジーの動向や将来を予測するため、またこれらの定点観測をするために多数の日本企業も利用している。世界から通常1万人以上を集客するが、今年は3月半ばにバーチャルイベントの形で開催された。200人の企業人事担当者、コンサルタントやテクノロジー企業の代表などが、160以上のキーノート講演やセッションで話をし、約100社がバーチャル企業展示の形で参加した。

コロナ禍が加速させる人材市場・人事政策の変革

 初日のキーノートセッションでは人事業界のアドバイザーとして名高いJosh Bersin氏が、コロナ後の人事・HRテクノロジートレンドについて語った

人事業界カンファレンスではすでにお馴染みの顔になったJosh Bersin氏。人事担当者向け教育機関Josh Bersin Academyの代表でもあり、デロイトの人事コンサルティング部門Bersin by Deloitteにも関わっている

 まず冒頭に、彼はこれまで10年にわたりDX(デジタルトランスフォーメーション)、AI・人材データ利用、収入格差や求人と人材のギャップの課題、アジャイル組織などについての話を業界カンファレンスなどでしてきたが、それがコロナ禍で昨年一気に加速した現状を指摘。社員のリモート業務や、Eコマースに売上をシフトしたことによって必要となったオンライン購買製品ピックアップのサポートなど、DXは待ったなしの状況が生まれた。社員の役割も刻々と変わっていく必要に迫られた1年だったが、企業人事やHRテクノロジー企業は比較的柔軟に対応してきたと語った。

 続いて、コロナ後の人事市場は非常に大きな成長市場になると、彼の見通しを示した。下図に見られるように、アメリカでの失業率は2020年に15%まで上がったものの、2022年初頭にはコロナ前の水準の3.5%まで下がると彼は予想し、人事担当者に速やかな対応を迫る。アメリカ人の40%が転職を考えており、新たに生まれる仕事の18%は、その業務に必要なスキルの伴わない人材を採用せざるを得なくなると予測している。

アメリカの失業率トレンド。2022年初頭にコロナ前の3.5%に戻るとBersin氏は予測する。出典:同氏のプレゼン

人材の流動化に伴い業務マーケットプレースが浸透

 新たな人材を集める必要性を背景に、同氏はいくつかのHRテクノロジーの進化についても解説した。その中で示したのは、コロナ後の新しい潮流として、社内の人材の動きが以前よりも流動的になっていくというトレンドである。

 これはGoogle社内でエンジニアが自分の業務の20%を自分の好きなプロジェクトに使えるという仕組みに似たものだ。SAPや保険会社、製造業企業などですでに見られるものである。下図にあるようなマーケットプレーステクノロジーを利用して社内に小型プロジェクトを公開し、新しい分野の業務に挑戦したい人や必要なスキルを持った人たちが希望する業務に参加することで、自分のキャリアを新たな方向へ進めていくことが可能になる。同時に必要なトレーニングやEラーニングも用意されているため、スキルを高めて、希望するプロジェクトに参加する準備をすることも可能だ。

 今までは、例えば製品開発、ソフトウェア開発、デザイン、ソーシャルメディアマーケティング、会計業務などを、マーケットプレースを利用して社外のフリーランス人材を外注する動きが大手企業でも多く見られた。これを社員へ副業的に行えるようするというわけである。

Bersin氏が紹介した人材マーケットプレース企業。社内向けにも使われている。出典:同氏のプレゼン

Facebookなど社員が使い慣れたテクノロジーのUIを活用

 ここ3~4年で、社員がすでに使い慣れたテクノロジーのユーザーインターフェース(UI)を利用し、HRテクノロジーの機能を提供するという方法が採用されはじめている。Facebookに慣れた社員に向けて、同社はFacebookとほぼ同じUIで利用できるWorkplaceをローンチした。これを使って人事機能を社員に提供する。他にもSlackのチャットUIやZoomのビデオ会議UIなどの利用がコロナ禍の影響で大きく進んでいる。社員が慣れ親しんだUIであるため、人事機能の利用度も高まるというわけだ。また、社員管理や社員アンケート、パフォーマンス管理、Eラーニングなどの機能も提供されている。作業状況などのデータも業務テクノロジーから取れるため、それを人事機能に取り込み、人材分析に利用することも可能である。

 業務テクノロジー分野では、MicrosoftのOfficeなどのツールが非常に普及している。同社が社員体験プラットフォームMicrosoft Vivaをローンチしたことで、HRテクノロジー分野でも主要なプレーヤーになっていくのではと同氏は予想している。

新しいHRテクノロジーのアーキテクチャでは、社員体験レイヤーとして業務テクノロジーのUIを利用する概念が示された。出典:同氏のプレゼンを基に翻訳

企業ビジョンと社員の全人格への考慮がなければ利用されないものに

 企業人事のデジタルトランスフォーメーションをコンサルティングする企業LeapgenのCEO Jason Averbook氏は、HRテクノロジーを導入するには、企業ビジョンと社員への全人格的な配慮がなければ利用が高まらないという、非常に熱いキーノート講演を行った。

Jason Averbook氏は企業ビジョンに基づくHRテクノロジー導入を推奨する

 コロナ禍により、在宅勤務など急な業務の変更に迫られた前線の社員は、自分の業務の重要性について認識できなくなっていたり、ただ目の前の業務だけで手一杯になっていたりすることが多い。そこで必要なのは、企業の存在意義、目的を外部に示す「ミッション」とともに、内部の社員に向けた「ビジョン」を改めて明確に示すことだという。前もって社員に対する公平さや、コロナに対応可能な会社の柔軟性などを共有しておくことで、業務変革に対応する体制がスムーズに作れるという。

 それを元にHRテクノロジー導入やカスタム化などを行う。その際に社員の全人格(身体的、感情的、社会的、精神的、知的な部分のすべて)に配慮することが求められる。社員が入社から社員教育、昇進、異動、退社までの社員ジャーニーに従って、これらをプロットしていくことで、導入プラットフォームの利用が高まり、社員の人事ニーズに対応していくことが可能だと語った。

求人から採用、入社後1ヶ月までの社員ジャーニーをプロット。どのような意見が出るか、どのような感情が起こるか、どのようなチャネルで対応するかを想定し、ツールをカスタム化していく。出典:同氏のプレゼンを基に翻訳

活躍できそうな環境なのか、社員も採用候補者も企業のDE&I対応を見ている

 最後に、今回のHRテックカンファレンスで最も大きなテーマDE&Iについて解説しよう。DE&IはDiversity, Equity and Inclusionの略であり、各単語には以下のような意味が込められている。

ダイバーシティ(Diversity)
人種や性別だけではなく、出身地域や年齢、考え方、働ける時間・期間なども含めた多様性を持った人材を集める。

エクイティ(Equity)
給与、評価、昇進、提供されるリソースなどの面で公平に取り扱う。

インクルージョン(Inclusion)
誰もが受け入れられ、自由に意見やアイデアを言えるような精神的、感情的に安全な環境や企業文化を提供する。

 今では人材を集めるダイバーシティだけではなく、その人材が活躍できるような環境も用意することにグローバル企業の人事部門は注力している。Black Lives Matter運動(黒人への暴力や人種差別への反対運動)の高まりや、コロナ禍で仕事を失った人たちの過半数が女性である状況に対応するため、DE&Iは今まさに必要なものとして、HRテックカンファレンスのほとんどのキーノートで言及された(2つのキーノートは共にDE&Iをメインテーマにしたものだった)。

 ダイバーシティ戦略家、著者として企業のダイバーシティ支援をしているTorin Ellis氏は、全米で仕事、給与、教育、住宅の面で人種差別を是正することにより、アメリカの経済が16兆ドル(約1744兆円)拡大することを示し、企業幹部がダイバーシティやエクイティを意識した企業運営をすべきというCitiBankのレポートを紹介した。また、全米の150都市で女性が男性と同じ仕事をする場合に、男性と同様の給与を支払うことで3兆ドル(約327兆円)の経済拡大が可能だという。

 ダイバーシティの必要性を感じている人々は多く、さまざまな企業でCDO(チーフダイバーシティオフィサー)などの人事担当者が生まれている。ただ、ほとんどが企業PR目的であり、彼らの上司がCEOや最高執行責任者でないことも多い。その企業がどれだけ本気で取り組んでいるかは、実際にどのような活動をしているかをよく見る必要がある。経営幹部は、社員や採用候補者から厳しく見られていることを理解する必要があるという。例えばSalesforce.comのChairman & CEOであるMarc Benioff氏は、社内の給与格差を調査するエクイティ調査を3回行っている。これは社員や採用候補者に対して、平等な扱いを保証することを企業トップが示している例であると語った。

企業内におけるDE&Iの推進をアドバイスするTorin Ellis氏
DE&I環境構築が妨げられると企業業績に影響が出ると警告するJackye Clayton氏

 AI採用プラットフォームSeekOutのDE&I戦略家であるJackye Clayton氏は、企業幹部が作る企業文化を変えなければダイバーシティは進まないと語った。人事担当者がDE&Iに関して無知であったり、DE&I環境構築を邪魔する幹部たちが社内人材の可能性を潰したりすることで、企業の業績に悪影響を与えているケースがあるという。その上で人事担当者に対し、下図のような最高執行責任者候補やハーバード大学法学部の卒業生のように、多様な採用候補者がいることを面接前に可視化し、イメージトレーニングして面接に臨むようにとメッセージを投げかけた。

最高執行責任者候補(左)とハーバード大学法学部卒業生(右)のビデオを見せながら、白人男性だけではなく、多様な人たちを面接するためのイメージトレーニングをしようとClayton氏は訴えた

 日本でも、責任あるポジションへの女性起用の重要さが謳われているが、グローバル企業の人事ではダイバーシティだけではなく、エクイティ、そしてインクルージョンまで考える段階に進んでいる。今やダイバーシティは企業競争力を生むものとして、このような人事テクノロジーカンファレンスでも当たり前のこととして語られている。企業にとって、こうした考え方の導入が急務であることが感じられたカンファレンスだった。