AI・ロボット本格時代のセーフティーネットになるか
~多数の米都市で実験が進むユニバーサル・ベーシック・インカム~
Text:織田 浩一
2019-2020年の米大統領民主党予備選により、広く知られることになったユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)。すでにアメリカの複数の都市や州で実験が進められている。その結果や将来導入の可能性について、アメリカでの現況をまとめてみたい。
織田 浩一(おりた こういち)氏
米シアトルを拠点とし、日本の広告・メディア企業、商社、調査会社に向けて、欧米での新広告手法・メディア・小売・AIテクノロジー調査・企業提携コンサルティングサービスを提供。著書には「TVCM崩壊」「リッチコンテンツマーケティングの時代」「次世代広告テクノロジー」など。現在、日本の製造業向けEコマースプラットフォーム提供企業Aperzaの欧米市場・テクノロジー調査担当も務める。
ローマ帝国時代からセーフティーネットとして存在
ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)は、政府が全市民、国民に一定の金額を定期的に支給し、最低所得を保障するものである。収入や資産、資格、ニーズに関係なく、誰にでも支払われることから「ユニバーサル」という言葉が付いている。少し歴史を振り返ってみよう。
筆者も今回調べてみて知ったことだが、その起源はローマ帝国の時代にまで遡る。元々ローマ帝国では、「女神Annonaの世話(Cura Annona)」と呼んで所得の低い市民約20万人にある程度の穀物やパンをセーフティーネットとして配っていたようだ。それに加えて紀元1-2世紀のローマ皇帝Trajan自身が、希望するローマ市民全員に650 デナリ(2002年時で260米ドルの価値)の金を配っていたことが示されている。
その後、16世紀になってイギリスの法律家・思想家のトマス・モアが著書『ユートピア』の中で誰もがUBIを受け取る社会について記述した。アメリカでも18世紀の政治活動家で、アメリカ独立革命の必要性を唱えたトマス・ペインが、富む者もそうでない者も政府から一定の金額が提供される税制を提案している。
また1960年代にはアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが、その演説や著書の中でUBIの考えを提示し、同時期にジョンソン大統領が「貧困に対する戦争」を推し進める際に1200人の経済学者がUBIを支持した書面に署名している。1960-70年代の大統領であり、ウォーターゲート事件で辞任に追いやられたニクソンも、逆所得税(Negative Income Tax)の概念などを紹介し、低所得のアメリカ人にUBIを提供することを提案した。結果的には形を変え、低所得の高齢者・障害者向けの追加所得政策(Supplemental Security Income)が成立することとなったが、それは今も続いている。ただ、その後レーガン政権となってアメリカの政治は保守化し、UBIに対する関心は低くなってしまっていた。
アンドリュー・ヤン民主党候補の公約で認知が広がる
UBIがあらためてアメリカで注目されるようになったのは、2012~2013年頃からではないだろうか。GoogleやFacebook、Amazonが大きく栄え、こうした大手テック企業やテクノロジースタートアップの企業価値が大きくなっていった。そこで働く人たちは高い収入とストックオプションなどのメリットを享受してきた。一方でUberなどの登場により、ギグワーカー(単発業務のために働く、収入補償のない自営業的な立場の労働者)は不規則な時間や長時間での労働を強いられるようになる。タクシー運転手の収入が落ちていることがニュースにもなった。自動運転やAIやロボットによる自動化テクノロジーが次々と今の仕事を奪っていくと予測され、10年後に残っている仕事は何かといったランキングなどが公開されるようになった。次に見つかる仕事がまたAIやロボットなどに取って代わられていくことの繰り返しになるのではないかという懸念や、それなりの年齢に達した労働者に対し別の仕事への再訓練が可能なのかどうかなどが議論されるようになっている。
アメリカの最低賃金は時給7.25ドル、レストランなどチップがもらえる仕事では時給2.13ドルで、前者は2009年から、後者は1991年から上がっていない。収入格差はますます進んでいるにも関わらず、2017年のトランプ政権の方針が大手企業やトップ1%の富裕層など、高収入層へのメリットに合致したものであることが話題になった。
その最中、2017年11月にアンドリュー・ヤンが2020年の大統領選に向けて民主党の予備選に立候補した。台湾系の移民の子としてニューヨーク州に生まれ、コロンビア大学法科大学院を卒業した後、いくつものスタートアップ企業に参画。大学院テスト準備サポートのスタートアップ企業のCEOとしてその会社を売却するなど、ビジネスマンとして成功していた。その後、2008年のリーマンショックの影響や製造工場の中国移転により衰退しつつある米中西部・東部・南部などの複数の都市で、起業家を見つけサポートするNGO団体Venture For Americaを立ち上げ、10万人の雇用を生み出そうとした。
それらの都市で見たこと、例えばAIやロボットによる自動化が人間の仕事を奪いつつあることなどに対して「Human First(人間を第一に)」のスローガンを掲げた。そして、仕事をしているかどうかなどに関係なく、18歳以上のアメリカ人すべてに毎月1,000ドル、年間12,000ドルを提供する「The Freedom Dividend(自由の配当)」というUBIを政策の中心にして立候補したのだ。Amazonなど全く国の税金を支払わない企業に対する課税を財源に、4000万人の貧困層をサポートし、米経済を13%程度拡大し、460万人分程度の新たな仕事を生み出すとした。
当選の可能性の低い候補者と考えられていたが、多数のTV番組やニュース、ポッドキャスト、YouTuberのチャンネルなどの出演や、起業家のイーロン・マスクやTwitter CEOのジャック・ドーシーなどからの支援もあり、6回の民主党大統領候補討論会に参加することとなった。こうした活動が、多くのアメリカ人に対してUBIを知らしめることになり、特に若い層の支持が集まった。結果、バイデンが民主党大統領候補となり、アンドリュー・ヤンは2020年2月にキャンペーンを終えたが、アメリカでUBIが広く認知されるきっかけを作った。
全米33の都市・州が実験導入、カリフォルニア州ストックトンでは結果が
コロナ禍前から、数々の都市や州が収入格差を是正するためにUBI政策の実験を始めた。2020年のコロナ禍以降、レストランや観光業などを中心に発生した130万の失業への対策において、UBI政策はさらに注目されることとなった。ニュースメディアInsiderが33の都市や州のUBI(対象が数百人レベルなので正しくはユニバーサルではないベーシック・インカムであるが)政策をリストしている。
そのリストにもある人口31万人のカリフォルニア州ストックトンでは、2019年からランダムに選んだ125人に対して月500ドルを2年間支給しており、開始から1年目の結果をまとめている。それによると、UBIを受け取った人たちは、受け取らないコントロールグループと比較して収入が1.5倍安定し、不安や鬱になる人たちはコントロールグループと比較して長期的に減っているという。また開始時から1年後にフルタイム雇用の比率が12ポイント改善した。これはコントロールグループで見られた5ポイントの改善と比べて倍以上の伸びであった。UBIや政府による生活保護提供に反対する側の議論として“UBIを受け取る人たちが働かなくなる”という意見が多いが、それを覆す結果となった。
コロナ禍の税控除支援が子どもの貧困を減らす
アメリカではコロナ禍における市民への支援策として、家族年収により2020年、2021年にそれぞれ大人に1,200ドル、子どもに500ドルの一括配付に加えて、子供税額控除(Child Tax Credit)が支給された。この税額控除により2021年3月から12月までの10カ月間、子ども1人当たり毎月250ドルから300ドルが支払われた。ある意味、コロナ対策用のUBIと言える政策である。これらの子どもの貧困対策の効果について、次の調査結果が発表されている。
コロンビア大学の貧困と社会政策センター(Center on Poverty & Social Policy)によると、2021年10月時点で497万人の子どもがこれらのUBI政策により貧困から脱却し、それは貧困の状況にある子どもの34.4%に相当するとしている。ただし、この子供税額控除の政策は2021年12月で終了したため、2022年1月に366万人の子どもが再び貧困に陥ったと推定する。
UBIへの意見は年齢、人種、政治、収入により大きな差
UBIはフルタイムの仕事を増やし、安定した生活を支え、不安や鬱になる人々や子どもの貧困を減らす、メリットだらけに思える政策だが、アメリカ国民はどう考えているのか。世論調査会社Pew Research Centerの2020年7-8月の調査結果を見てみると、全体では反対が54%、賛成が45%と否定的な意見が優勢である。しかし、詳細を見てみると層によって大きな違いがあることが分かる。反対は白人に多く、黒人、ヒスパニック系は賛成が反対を大きく上回る。年齢で見てみると、18-29歳は賛成が多く、それより上の層では年齢が上がるに従って反対が増えていく。共和党支持者では反対が多く、民主党支持者は賛成が多い。低所得者層は賛成が多いが、収入が上がるに従って反対が増えていく。税制において、これ以上税金を取られたくない立場の白人、高年齢層、共和党支持者、高所得者層と、もう一方の貧困対策や市民の福利などを気にする非白人、低年齢層、民主党、低所得者層の対立が調査に表れており、興味深い。
筆者もAIやロボットなどの進化を日々追うことを仕事とし、大学・高校生の子どもを持つ身として、未来の仕事や雇用問題は非常に気になるテーマである。そして格差や貧困に対してUBIが1つの解決策になるのではないかと考えている。筆者の住むシアトルで始まった最低賃金時給15ドルは今やアメリカの多数の都市で導入が広がりつつある。アメリカの33の都市や州ではUBI実験が続けられ、その結果分析も進められている。これらの取り組みにより、人々の意識が変わるのか、賛成する若い層が政治で主要な役割を持つことになるのか、それとも保守化するのか、今後の動向が注目される。UBIを知ることは、未来の社会を考えるとき、そのさまざまな側面について目を向けるきっかけになるはずである。
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