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2021年11月18日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

教育は市場化すべきか
いつの間にか「悪者」になった中国の民営企業家

150の教室を閉鎖、8万組の机と椅子を農村に寄付

 中国で今年7月、政府が出した突然の「宿題、学習塾禁止令」(「双減」政策)によって、教育関連の民営企業が存亡の危機に追い込まれている。

 最大手の新東方(新東方教育科技集団)は11月初め、校外補習(学習塾)を展開していた全国1500ヵ所を閉鎖、使われていた特注の学習机と椅子8万セット(日本円8億円相当)を農村の小中学校に寄付すると発表、すでに運搬を始めた。創業者でCEOの兪敏洪(Yu Minhong 、以下敬称略)は自身のSNSで、預かった授業料は全額すみやかに返金すること、教師や職員の賃金、教室の賃貸料は規定通り支払うことを約束し、「これは私たちの学校が創業時から社会に約束してきたことだ」と語った。

 支払うべきものを支払うのは当然と言えばそうだが、他の補習校や塾の中には夜逃げ同然のところも少なくない中、兪敏洪の責任ある態度は称賛を持って受け止められている。そして同時に、「新東方のやってきたことは間違っていたのか」「教育の産業化、市場化にも意味はあるのではないか」といった議論が起きている。

 「生徒の学力格差を広げている」「高額の授業料を取る塾が貧富の格差を拡大した」「教育は平等であるべきだ」といった批判には、それなりの根拠はある。しかし、民間の教育機関が公教育とは異なる視点で教育サービスを提供し、その支援を受けて自らの新しい人生を切り開いた生徒たちもたくさんいるのも事実だ。そうした民間企業の努力を一刀両断に切り捨ててよいのか――。そのような疑問が起きるのも自然なことだろう。

 今回はこのあたりのことを考えてみたい。

3兆6000億円の時価総額を失う

 新東方を創業した兪敏洪は、立志伝中の人物として、アリババの創業者、ジャック・マーと並び、中国では非常に知名度の高い存在である。農村出身で、特段の家庭的な背景もない彼が1993年に始めた英語学校は急成長し、2006年、ニューヨーク証券取引所に上場。その後、いわゆる「K12教育(kindergarten through twelfth grade、小学校就学前から高校まで)」に事業を拡大、経済誌のランキングによれば44億米ドル(2020年)の資産を持つ中国の代表的な富豪の1人となった。

 そして今回の「禁止令」に代表される政府の一連の政策変更によって、新東方の株価は最大時で90%近く下落し、2000億元(3兆6000億円)の時価総額を失った。前述したように1500ヵ所の教室を閉鎖、数万人の講師を解雇せざるを得なくなるなど、経営は危機的状況に陥っている。昨今の民営企業の苦難を象徴するような存在だ。

2度の受験に失敗、3度目の挑戦で北京大学へ

 兪敏洪は1962年、江蘇省の農村に生まれた。父親は大工、母親は人民公社(計画経済下の農業生産集団)所属の生産小隊の隊長だった。当時の規則では1家族から1人しか高校進学が認められておらず、すでに姉が高校に入学していたため、兪敏洪は中卒で就職するつもりだった。しかし、文化大革命の終了でルールが変わり、進学が可能になった。社会の混乱で長く途絶えていた大学入試も復活した。

 兪敏洪の母は、なんとしても彼を大学に進学させようと東奔西走を始める。苦手の英語がカギと見た母は、村の中学校で英語の代用教員が欠員になっていることを聞きつけ、「息子は大学進学を目指して熱心に英語を勉強している」と売り込み、16歳、高校生の兪敏洪を代用教員に押し込んだ。本人の回想によれば「かろうじてアルファベットが言えるぐらい」の力しかなかったが、生来の人柄の良さで中学生たちには大人気で、「一緒に楽しく勉強した」という。

 高校卒業を控え、1978年、全国統一の大学入試(略称「高考」)を受験するも、英語は100点満点の33点で不合格。翌年の再挑戦も同55点で失敗。「諦めて就職する」と観念していたが、その年、県政府が「高考」のための英語補習班を開くことを知った母は、一面識もない担当教師を訪ね、三日三晩、拝み倒して彼を入学させた。その帰途、折からの大雨で、ぬかるんだ道で転倒し、全身泥まみれで家にたどり着いた母を見て、兪敏洪は覚悟を決めた。3度目の挑戦で1980年、同93点の成績で北京大学の欧米語学部に合格する。

英語を学んで階層を超える

 初めての北京の街、そして大学の雰囲気は農村とはまるで別の世界だった。農業戸口(農業戸籍)と非農業戸口(都市戸籍)の区別が厳格で、戸籍の移動がほぼ不可能だった当時の中国で、農民から都市住民へと異なる「階級」に移るには、大学入試という壁を乗り越えるしかなかった。自分は幸運にも、両親や周囲の人の励ましで、それを実現し、階層の壁を超えることができた。

 この経験で学んだのは「勉強によって人生は変えられる。しかし、人は1人ではなかなか壁を越えられない。適切なアドバイスを行い、具体的な方法を示し、継続的に励ます人がいれば、誰でも周囲の壁を乗り越え、人生を切り開くことができる」ということだった。これが後に米国留学志望者のための英語学校、さらには小中高校生のための補習校を展開する原点となった。

 新東方の校是である「終身学習 全球視野 独立人格 社会責任」という理念には、自立した個人として自らの人生を切り開く人を支援するのだ――という兪敏洪の思いがにじんでいる。

企業理念を掲げた新東方のホームページ
企業理念を掲げた新東方のホームページ

米国の中国人留学生の6割が新東方

 北京大学を卒業した兪敏洪は教師として学校に残り、英語を教えていた。一方で米国留学を志し、その費用を稼ごうと学外で英語を教え始めた。彼の授業は評判を呼び、学生が続々と集まった。しかし、このことが大学幹部の不興を買い、注意処分を受ける。留学の道にも暗雲が漂い始め、大学の体質に疑問を感じて辞職。1993年、自らの「北京新東方学校」を立ち上げた。

 当時、1989年に起きた天安門事件の余波もあって、中国の大学生には海外留学、特に米国留学への強い願望があった。兪敏洪は「壁を越える」熱意を持つ学生たちに真剣に英語を教え、留学情報の提供など親身に支援した。これらは当時の大学当局には望むべくもなかった姿勢だった。こうした努力の結果、新東方の評判は日毎に高まり、能力の高い、強い志を持つ学生が集まるようになった。

 設立2年後の1995年には学生数は1万5000人に達した。現在、在米の留学生のうち中国人留学生の占める比率は3分の1に達するが、最盛期にはそのうちの6割が新東方の出身者だった。さらにその約半数が程度の差はあれ、兪敏洪と直接のコンタクトがあったという。米国に留学した中国人学生の9割がその後、母国に戻り、さまざまな領域で国の成長を牽引したことを考えれば、新東方、そして兪敏洪の影響力の大きさがわかる。

生徒数1000万人の学習塾

 その後、2011年からは前述した「K12(小中高校生)」の校外補習に事業を拡げる。言うまでもなくこの領域は大学生や社会人の英語教育に比べ、圧倒的に市場規模が大きい。そして、ここでも兪敏洪の学習指導は熱烈な支持を得た。前述したように、彼の教育理念は「自立した個人が、自分の力で壁を超える」ことにある。発想の根幹は詰め込み式の受験対策ではなく、「人が育つ環境をつくる」ことにあった。そのためには両親の考え方、家庭の状況がカギを握る。

 こんなエピソードがある。2015年、ある地方都市で兪敏洪が5000人の父母を前に講演した。その際、「自宅に本棚がある人」に挙手を求めると、手を挙げた父母は2割に満たなかった。さらに「過去1年、20冊以上の本を読んだ人」と聞くと、1%もいなかった。「このような状況で子供に勉強しろと言っても無理だ。まず両親が子供と一緒に成長する決意を見せない限り、子供は伸びない」。この講演の1ヵ月後、追跡調査したところ、聴衆の60%が書棚を購入していたという。もはやカリスマである。

 この「K12教育」への進出は大成功し、新東方はさらに飛躍的な成長を遂げた。2020年には「K12教育」領域の生徒数は1059万人に達し、同校の全学生数の90%を占め、売上高は36億6700万米ドルと年間総売上高の85.8%に達するまでになった。

「教育格差拡大の元凶」

 しかし一方で、この「K12教育」での圧倒的な成功が、新東方と兪敏洪に大きな陰を投げかけることになった。

 留学希望者やビジネスパーソン対象の英語学校であれば、それは自己投資であり、高度な教育サービスに相応のフィーが発生するのは当り前である。結果的に生まれた実力差を「格差」という人はいない。

 しかし「K12教育」は違う。小中学校の9年間は中国でも義務教育であり、教育機会の平等が保証されなければならない。各家庭が子供を校外補習に通わせるのは(少なくとも今年7月までは)自由だったが、そこには家の経済力の差が反映される。

 以前、この連載「誰もが成功できる時代」の終わり~中国の「宿題、学習塾禁止令」が目指す選抜社会(2021年08月26日)で紹介したように、中国は「誰もが大学に入ることを目指す」強烈な学歴社会、競争社会である。より有効な教育サービスに対しては、父母は多少の無理をしてでも対価を負担しようとする状況がある。

 教育産業もビジネスである以上、そこには競争があり、優勝劣敗の原理が働く。評価の高い学校は、授業料は高いが、優秀な教師が集まり、そこにより優秀な生徒が集まる。両者が「勝者連合」を形成し、ますます高い結果を出していく。学校には授業料のキャッシュがどんどん入ってくるが、社会的に見れば、子どもたちの間の教育格差はどんどん拡大する。

 新東方は自身が優れた教育機関であったが故に、「小中学生だけで1億5000万人」という巨大な市場で、このサイクルを回し続けることになった。これこそが新東方の大成功の要因であったと同時に、それはそのまま「拝金主義の教育」「格差拡大の元凶」「国家の大事たる教育をカネで左右するな」といった強い批判を集めることになった。

「後戻りはできなかった」

 自らが農村出身で、まさにその「格差」を乗り越えることを目的に、徒手空拳、教育事業に身を投じた兪敏洪にしてみれば、自らの事業が「格差拡大の元凶」と指弾されるのは、まったく皮肉なことであったというしかない。

 そしてこの時期、中国でも高成長の時代が終わり、限られたパイを大勢で分け合う時代となった。政治の判断基準は大きく変わり、「共同富裕」がスローガンとなる時代の空気の下、為政者の目から見て、教育格差の拡大は許容範囲を超えた――。そう判断され、政治的な決断が下されたのが「宿題、学習塾禁止令」だったということだ。時代の変化に兪敏洪は当然、気付いていたはずだが、巨大な市場に明確なニーズがあり、顧客の支持がある以上、後戻りはできなかったのだろう。

新東方とアリババの共通性

 このように見てくると、新東方の歩んできた道は、ジャック・マー(馬雲)率いるアリババのたどってきた軌跡と共通点が多いことに気づく。

 まず出発点が「英語」、つまり海外に視線を向けていたところが共通している。ジャック・マーは農村出身ではないが、当時、一地方都市にすぎなかった浙江省杭州市の地味な学校の英語教師だった。杭州を訪れる外国人観光客の「押しかけガイド」を務めるなどして英語力を磨き、初めて訪れた米国で黎明期のインターネットを知り、起業を決意する。

 そして、全国の零細な工場や商店が商品の販売・調達のルートに悩む現状を見て、インターネットを活用したEコマースのサイトを立ち上げる。さらに「信用」の概念が未成熟で、代金の支払い方法に苦労していた状況を解決しようと、海外の「エスクロー方式」を参考に、オンライン決済サービスのアリペイ(Alipay支付宝)を世に出した。これが後に中国の決済システムの事実上のスタンダードとなり、キャッシュレス社会を到来させるほどのインパクトを生んだ。

 しかし、このアリペイの予想を超える成長によって、金融の世界に足を踏み入れたことが、アリババとジャック・マーにとっての大飛躍であったと同時に、その将来を暗転させる要因にもなった。

突然の「天の声」

 「K12教育」で兪敏洪が切り込んだのが、国家が独占的に行う公教育の分野だったのと同様、ジャック・マーが改革しようとしたのが、同じく独占状態で、政治と密接な関連を持つ金融の領域であった。この構造も共通性がある。

 新東方にとって、「K12教育」の市場は、いわば「祖業」である英語教育に比べて圧倒的に大きく、収益性も高かった。アリババから分離したアント・グループにとっても同様に、割賦販売や消費者向けの小口ローンなどの金融商品のほうがEコマースより格段に収益性は高く、儲かった。その過程で政府の統制が厳しい金融業界の非効率に気づいたジャック・マーは金融の改革に関心を向けていく。

アントの香港上場は当局の指示で直前にストップがかかった
アントの香港上場は当局の指示で直前にストップがかかった

 しかし、アント・グループは国が厳しい監督基準を定めている「金融機関」の範疇に含まれない企業である。そのことが為政者の視点で「一線を超えた」と判断されたアント・グループは昨年11月、香港証券取引所で「史上最大の株式上場」の直前、当局から上場延期を申し渡された。その後しばらくの間、ジャック・マーは出国禁止の措置を受け、一時は動向不明と伝えられる状況に陥った。同グループの割賦販売や小口ローンの事業は金融当局の厳しい監督下に組み込まれ、一部にはアリペイそのものの政府移管といった話も囁かれている。

 兪敏洪、ジャック・マー、ともに高い志を持って興した事業が、人々の強い支持を得て成功を収める。そして、より収益性の高い領域に事業を拡大し、社会のより核心部分に踏み込んだところで、「天の声」によって強制的なストップがかかる。この軌跡はまったく同じである。

辞を低くして農村に向かう

 冒頭に書いたように、兪敏洪は自身の教室で使っていた学習机と椅子、約8万セットを農村の小中学校に寄付した。さらに彼は「失業」した仲間の教師ら100人と共に、ライブコマースによって農村産品を販売し、農民の生活を向上させる事業を始めると発表した。彼自身もカメラの前に立ち、農産物を全国に売りまくると宣言している。

 一方、しばらく消息不明だったジャック・マーも2021年11月、スペインで農業技術関連の視察をしているとの動向が久々に伝えられた。香港発ロイター通信11月5日付によると、ジャック・マーは習近平国家主席に手紙を送り「残りの人生を中国農村部の教育に捧げたい」と申し出たという。自らが生涯をかけて育て、社会からも歓迎された事業に事実上のストップをかけられた2人の企業家が、揃って農村に向かうのは偶然とは思えない。社会を変えたいとの思いにもかない、なおかつ国家の方針にも添えるフロンティアは、もはや農村にしかないということだろう。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 率直な感想を述べれば、中国の民営企業家とは、なんと損な役回りかと思わざるを得ない。国家がなしえない仕事を人生を賭けて立ち上げ、人々の支持を得て英雄になったかと思いきや、「一線を超えた」との「天の声」で頭を押さえられ、資産は激減、「過去に功績はあったが、最後はカネに目がくらんだ悪者」の立ち位置に整理されてしまう。

 それでもなお「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」、「国のため」「社会のため」「人々のため」と再び辞を低くして農村に向かう彼らの姿を見ていると、この国の企業家とは実にすごいものだと慨嘆を禁じえない。

田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

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