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2021年08月26日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

「誰もが成功できる時代」の終わり
中国の「宿題、学習塾禁止令」が目指す選抜社会

身の丈を知って満足する時代

 中国で7月、政府が出した事実上の「宿題、学習塾禁止令」が波紋を呼んでいる。小中学生を対象に、小学校1~2年生に対しては宿題を禁止、他の学年でも宿題の量を厳しく制限するほか、学習塾も新規開設および営利目的の活動は禁止、非営利団体としてのボランティア活動しか認めない――などという厳しいものだ。

 この「禁止令」の最終的な狙いは「誰もが大学に入ることを目指す」教育の現状を変えることにある。これは社会的な意識の大変革だから、簡単ではない。目論見通りいくかもわからない。しかし数十年かかるのは覚悟の上で、中国の為政者は人々の観念を変えようとしている。その手始めの強烈なパンチが今回の「禁止令」である。

 約40年前、改革開放が始まった時代から続いてきた「努力すれば誰でも成功できる時代」が終わり、中国も、良く言えば安定、有り体に言えば「身の丈を知って、そこそこで満足する時代」になったことを象徴している。今回はこのあたりの話をしたい。

教壇から引きずり降ろされた塾教師

 今回の「禁止令」は中国共産党中央と国務院(内閣)が連名で7月24日に発表した。直訳すると「義務教育段階の児童生徒の宿題および校外学習の負担軽減に関する意見」。「意見」とあるが、中国では権力者の「意見」には逆らえないので、要は命令である。

 それによると、宿題に関しては、以下のような指示を出している。

  • 小学1~2学生の宿題は禁止。小学3~6年生は1時間以内、中学生は90分以内とする
  • 子供が努力し、仮に宿題が完成しなくても就寝時間を厳守
  • 学校と保護者は家の手伝いやスポーツ、読書などを奨励する
  • 学校は放課後、一般企業の法定退勤時間まで宿題や授業の解説など教師による学習指導を行う

 また学習塾(放課後や週末の校外学習)については、

  • 小中学生対象の学習塾の新規開設は不可。既存の学習塾は営利企業としての営業を認めない。継続する場合は、非営利団体として設立登記をし直す
  • 学習塾の株式上場による資金調達は禁止。投資家(企業)の学習塾への投資も禁止
  • 公立学校の教師による塾での有償の指導は禁止。違反した場合、教師の資格を剥奪
  • 週末や祝日、夏季・冬季休暇などの学習指導を禁止
  • 未就学児童対象の学習塾(外国語教育も含む)を禁止
  • 政府は全国規模の無料オンライン学習をすみやかに開始する

 一読してわかるように、非常に断固とした措置である。しかも、それを猶予期間も設けず、即日実施した。動画サイトなどでは、授業中の塾の教師が子どもたちの前で当局者に教壇から引きずり降ろされる場面が流れ、世間があっけにとられる事態が現出した。

「大学に入るしかない」という意識

 学校から出される宿題があまりに多く、児童生徒本人はもちろん、両親の時間的、体力的な負担になっていた。また、塾通いの費用が高く、これらが少子化の大きな原因になっているとの批判は強かった。今回の措置は、両親の教育負担を軽減し、子供の数を増やすことが狙いといわれている。

 確かにその通りだが、しかし、今回の「禁止令」の背後には、さらに深い問題意識がある。

 なぜ中国の学校や親たちは、そこまで重い負担を背負ってでも子供の学力強化に血道をあげるのか。それは「何がなんでも大学に入る」という強い観念があるからだ。「大学に入る」ことはイコール「頭脳労働へのパスポート」であり、逆にいえば大学に入れなければ社会で尊重される仕事に就くのは難しい――という意識が強固にある。この根っこに手をつけない限り、この問題は解決しない。そのためには「大学に入ることがすべてではない」「大学以外にも本人に合った生きる道がある」ことを現実に示す必要がある。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

中学卒業時に「人生の第一関門」

 このように考えてみた時、今回の「禁止令」には注目すべき点がある。それはこの「禁止令」が「義務教育の児童生徒(小中学生)」を対象にしたもので、高校生は対象なっていないことだ。当然ながら受験競争の本番は大学入試である。少子化対策が主要な狙いであるならば、ここも対象になっていいはずだが、現時点では外されている。それはなぜか。

 その理由は、中国では高校に入る前の義務教育終了時、つまり中学卒業時に人生を大きく分ける第一の関門があるからだ。

 簡単に中国の教育制度を紹介しておくと、基本的な年限は日本と変わらない。小学校6年、中学校3年、高校3年、大学4年――が原則である。そのうち小中学校が無償の義務教育である点も同じ。ただ、名称が小学校は同じだが、中学校は「初級中学(初中)」、高校は「高級中学(高中)」と呼ばれる。中国では「高校(高等学校)」は大学や3年制の専科大学クラス以上の高等教育機関を指す。以降、この本記事では中国の中学校を「初級中学」、高校を「高級中学」と表記する。この点、あらかじめお断りしておく。

 中国の初級中学卒業前には「初級中学学業水準試験(初中学業水平考試、The Academic Test for the Junior High School Students、略称「中考」)」という試験がある。毎年卒業前の6月(中国の学校は9月入学、7月卒業)、全国ほぼ同時期に行われ、2021年は約1400万人が受験した。

 この試験が、「人生を分ける第一の関門」である理由は、その結果によって「普通高級中学」に進むか、特定分野の技能を身につける「職業高級中学」に進学するかが事実上決まる点にある。両者への進学者の割合は、2020年の結果では、おおむね普通高級中学7に対し職業高級中学が3、地域によっては6対4といったところだ。

 有名大学への進学が当然の前提であるようなレベルの子は別として、多くの家庭ではこれは重大な分かれ目である。まずはこのハードルを越えないと、大学に入る土俵に乗ることすらできない。加えてこの試験の成績が高いほうが、進学校とされる有名高級中学に入れる可能性が高くなるという意味もある。

「職業高級中学」への根強い先入観

 「普通高級中学」は日本の普通科高校に相当し、通常は大学への進学を前提にしている。一方、「職業高級中学」は職業科高校に相当し、専門技能の習得を目指す。学べる専門領域は学校によってさまざまで、コンピュータや建築、自動車、会計、旅行、幼児教育、外国語、服飾、調理、アニメ制作など多彩なものがある。

 制度上は職業高級中学の生徒にも、卒業前に中国の統一大学入試である「普通高等学校招生全国統一考試」(Nationwide Unified Examination for Admissions to General Universities and Colleges、略称「高考」)を受験し、普通高級中学の生徒と同じく大学に進学する道は開かれている。比率は高くないが、毎年実際に大学に進学する生徒もいる。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 しかし、社会一般の意識としては、普通高級中学と職業高級中学の落差は大きい。もし普通高級中学に進学できなければ、3年後の大学進学はほぼ無理で、将来、社会的地位の高い職業に就くのは難しいとの感覚がある。実際にそうであるかは別として、そういうレッテルを貼られてしまう。こうした観念が生徒自身にも保護者にも根強くある。

 中国社会で初級中学、さらには小学校段階から、学校はたくさんの宿題を出し、学習塾通いが常識化する事態に陥るのは、ここに理由がある。とにかく、何としても大学に入る。そのためにはまず普通高級中学に進まねばならない。今回の「禁止令」が特に小中学生を対象に出されたのも、こうした背景があるからだ。

大学進学率は50%超え

 このような「誰もが大学に入ろうとする」社会の観念を変えるべきだとの意思を中国政府は近年、明確にしている。その背景には、大学進学者の大幅な増加で、社会の人材構成にアンバランスが目立ってきたことがある。経済の成長率が低下する中、増えすぎた大卒に見合う十分な職を提供できない。その一方、社会の土台を担う現場の人材は圧倒的に足りない。こうした問題が顕在化している。

 昔の中国のように誰もが貧しく、学歴も資産も大きな差がなかった時代であれば、「誰もが大学に入ろうとする社会」の構築に大きな意味があった。社会のどの領域にも人材がいない。「勉強すれば、どんな仕事にも就ける」「努力すれば報われる」との意識が共有され、社会に活力を生んだ。

 それを象徴するのが、1999年に始まった大学入学定員の急速な拡大政策である。1998年に108万人だった大学入学者は、2008年には599万人と、10年間で6倍に増えた。それまで一部のエリート教育的色彩が強かった大学教育は一気に大衆化し、進学率は急激に高まった。2021年の大学卒業予定者は909万人と過去最高。大学進学率(3年制の専科大学など含む)は51.6%(2019年)と5割を超える水準に達している。

新卒で就職できたのは3人に1人

 しかし、一方で、新卒学生の就職難は年々深刻化している。職業教育の専門ネット企業「学慧網」の「2020新卒大学生就職状況調査」によると、2020年6月の新卒学生のうち、卒業までに就職先が決まった学生は33%で、うち実際に働き始めた学生は13%しかいなかった。50%以上の学生はやむを得ず大学院に籍を置いたり、アルバイト的な仕事や企業のインターンなどをこなしたりしながら継続的に職探しを行っている状況だ。

 こうした状況が発生する背景には、「3つのアンバランス」があるとされる。

 第1には「需給のアンバランス」。要するに大学生の数が多すぎる。第2には「能力のアンバランス」。日本の大手企業のような「新卒採用→長期安定雇用」の習慣は国有企業などごく一部にしかなく、ジョブごとに必要な人材を採用していく方式が主流の中国の企業社会は、もともと新卒学生には厳しい。IT系の学生の就職は好調だが、この方面で高い能力を持つ学生の数には限りがある。そして第3には「意識のアンバランス」。実務の能力は乏しいのに「大卒だから」との意識は高く、仕事を選ぶ傾向が強い。賃金や勤務地などへの要求も高い。このような人材が大量に生まれている。

 加えて、政府はもちろん明言しないが、中国がすでに大国として成長し、統治の仕組み、経済のシステムが安定してきた現在、社会のリーダーたる人材は、そう多くは必要なくなってきている。それよりは専門性を持ち、黙々と仕事に励んでくれる実務人材のほうが政治にとっては好ましいとの思惑もあるはずだ。

中学卒業生の半分を職業教育に

 こうした状況を受けて、政府は大学の入学定員増を抑えると同時に、現場の中核を担う実務・技能人材の育成に力を入れ始めている。その手始めが、職業高級中学への進学者の比率を高めることである。前述したように、現在は7対3から6対4の割合で普通高級中学進学者のほうが多い。その状況を変え、近い将来、5対5にするとの方針を政府はすでに明らかにしている。すでに一部の省や自治区では5対5の比率に近づいているところもある。

 この方針変更が生徒や保護者、学校に与えた衝撃は大きい。これまで6~7割の生徒は普通高級中学に進学できたのに、それが大幅に減る。上位半分に入らないと、事実上、大学には進めず、高級中学から職業教育を受けなければならなくなる。さあ大変だ、これまで以上に力を入れて子供に勉強させなければ――と思っていたところに、政府が打ち出したのが今回の「宿題、学習塾禁止令」である。

「早期選抜」、エリート指導の社会へ

 今回の「禁止令」で、実際に宿題や学習塾の状況がどのようになるのかは、しばらく様子を見ないとわからない。しかし、政府の狙いとして明らかなのは「“普通の子”はそんなに勉強ばかりしなくてもよい」とのメッセージを発信することだ。「禁止令」を出しても、所得の高い家庭は、より高額の授業料を払って家庭教師を付ける(個人の家庭教師は禁止されていない)など、さまざまな方法で学力を高めていくだろう。もともと中国に限らず、子供の学力の高さと家庭の収入は強い相関関係がある。そのことは政府もわかっている。

 家庭環境によって子供の教育格差が広がることは承知のうえで、あえて小中学校に蔓延した「誰でも猛勉強」の現状に歯止めをかける。「普通の子」は政府の方針に基づいた公教育中心の体制に引き戻し、エリート教育は生活に余裕のある一部の家庭でやってもらう――。割り切った言い方をすれば、このような発想が今回の「禁止令」の根底にはある。これまでの「誰もが大学に入ることを目指す」仕組みから、一種の早期選抜的な、エリートとそれ以外を分ける仕組みへと舵を切ったとみることもきる。

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実績を挙げたシンガポールの早期選抜

 早期選抜といえば、世界的に生徒の学力の高さで知られるシンガポールでは、「ストリーミング制」と呼ばれる仕組みを過去40年間にわたって実施している。この制度は義務教育(シンガポールでは6年間)修了の段階でPSLE(初等学校卒業試験、Primary School Leaving Examination)と呼ばれる試験を受け、そこでの成績によってその後のコースが決定される仕組みだ。

 コースはエクスプレス、ノーマル(アカデミック)、ノーマル(テクニカル)の3つに分かれており、年度にもよるが、約6~7割がエクスプレス、2割前後がノーマル(アカデミック)、1割ほどがノーマル(テクニカル)に進む。この試験の成績でエクスプレスのコースに入らないと大学進学は難しいとされている。

 中国の普通高級中学は、この制度でいえば「エクスプレス」コースに相当すると考えられる。義務教育が6年間と9年間という違いはあるが、このいわば「大学進学コース」が中国では5割に絞られることは、非常に大きな教育制度の変更といえるだろう。

 さまざまな「統治の仕組み」を中国がシンガポールから学んでいることはよく知られている。政府の強い統制の下、一種のエリート教育で先進国への道を駆け上がってきたシンガポールと、同じく強力な党と政府の指導によって先進国を目指そうという中国の教育制度の方向に共通性が生じるのは、ある意味、自然なことかもしれない。

(筆者注:シンガポール政府の教育制度改革で「ストリーミング制」は2024年から段階的に廃止されることが決定している)

消える「学習塾というヤミ経済」

 日本でもそうだが、学習塾という存在は市場経済の原理に基づいて公教育の不足を補う、一種の「良い意味でのヤミ経済」という側面がある。多くが公務員である公教育の教師に比べ、授業に対する熱意も一般に高く、政治的な建前にとらわれがちな公教育とはやや異なる角度からの授業が行われてきた面もある。そうした為政者にとっての「不正規な」存在が今回の「禁止令」で消え去る可能性が高い。

 急速な経済成長の時代、「誰もが努力すれば成功できる社会」だった中国は、ほぼ完成された枠組みの中、選抜されたエリートの指導下、政府主導で安定した社会の構築を目指す方向に急速に形を変えつつある。最近流行りの言い方でいえば、豊かになることを目指す社会から、富の再分配を目指す社会への転換である。その象徴的な出来事がこの「禁止令」であるといえそうだ。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません
田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

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