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次世代中国 一歩先の大市場を読む

中国が目指す「インターネット社会主義」
取扱高120兆円の巨大協同組合「供銷社」とは?

 中国で一時は計画経済時代の過去の遺物かと思われていた「供銷合作社」(購買販売協同組合)がにわかに脚光を浴びている。

 海外から見ると、この手のニュースはともすれば「毛沢東時代への回帰」「計画経済への逆行」といった側面が強調されがちだ。表面的にはその通りだとしても、この動きの持つ意味はそこにとどまらない。中国社会の隅々まで浸透したインターネットを武器に、格差の少ない、平等で公平な社会を実現しようという「インターネット社会主義(互聯網社会主義)」の発想がその根底には存在する。

 そんなことが実現できるのかはともかく、やっている方は本気のようだ。計画経済の時代への逆戻りではなく、先端のデジタル技術の力によって「理想の社会主義」を実現しようという試みは果たして成功するのか。今回はそんなことを考えてみたい。

田中 信彦 氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

計画経済時代の基幹組織

 「供銷合作社」の「供銷(きょうしょう)」とは、中国語で「供給」と「販売」という意味である。「合作社」は「協同組合」に相当する言葉だ。したがって「供銷合作社」を翻訳すれば、「(農家にとっての)購買と販売のための協同組合」ということになる。一般には「供銷社(きょうしょうしゃ)」と呼ばれる。

 「供銷社」の誕生は1950年。中華人民共和国建国の翌年のことだ。当時、社会主義計画経済のもとでは、農産物は「統一集荷、統一販売」が原則で、農家は供銷社にあらゆる収穫物を出荷し、そこで農業に必要な資材、農薬、肥料などを購入した。当時、農業は中国経済の根幹で、農村人口の比率が圧倒的に高かったから、供銷社はまさに中国経済の中枢とも言うべき組織だった。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 しかし1980年代以降、「改革開放」の時代となり、一定の制約はありつつも農産物流通の自由度は高まり、民間企業の農業分野への進出も進んだ。農地を離れ、都市部に働きに出る農民が増加、そのまま都市部に定住する人も増えた。農村の都市化が進み、スーパーやコンビニなどの小売業の進出も増加。そうした中で供銷社に対する社会の関心は薄れ、その存在が表立って脚光を浴びることも少なくなっていた。

年間取扱高120兆円の巨大組織

 ところが、今年10月、中国共産党湖北省委員会の機関紙「湖北日報」が伝えたニュースをきっかけに、供銷社に改めて注目が集まった。同省で2015年にスタートした「供銷社再建復活運動」によって、これまでに1373カ所の供銷社が新たな機能を持って再活性化し、組合員の農民は過去5年間で5倍増の45万2000人に達した――。全国のメディアはこぞってこの記事を転載し、ネット上の多くの「インフルエンサー」らが記事を引用し、解説を加えた。

 地方の党機関紙がこうしたニュースを大きく伝えるのは、それが中央に対する業績アピールの意味を持つからだ。それはつまり、この政策を党中央が重視していることを意味する。湖北省のニュースが伝わると、「寧夏回族自治区の農村部では供銷社の組織率が92.7%に達した」「重慶市では6120カ所に供銷社の下部組織である“農村総合サービスセンター”が設立され、カバー率は76%に達した」といった全国各地の供銷社関連のニュースが続々と伝えられ、「供銷社の復活」はホットなテーマとなった。

 供銷社の全国組織である「中華全国供銷合作総社」(All China Federation of Supply and Marketing Cooperatives,ACFSMC、本部・北京市)が今年1月の理事会で発表した数字によると、2021年の取扱高は6兆2600億元で、日本円120兆円を超え、対前年比18.9%増と大幅な成長を見せた。中国で最大のEC企業であるアリババグループのGMV(流通取引総額)8兆1000億元(海外も含む)に迫る額だ。小売業としてみても、中国全土に17万店の直営店を持ち、中国の「社会消費品小売総額」約44兆元の7%近くを1社で占める巨大なグループに成長している。

「現代版の消費生活協同組合」へ

 供銷社は、中国国務院(内閣に相当)の管轄の下、理論的には農民個人の自発的な参加によって構成される大衆団体である。中国共産党や中国政府に所属する機関ではないが、現実には農村部で党や政府の下部機構的な役割を果たしている。

 種子や肥料、農薬など農家の必要な資材の購入や、農家が生産した作物の販売を行う点などで日本の農協(農業協同組合)との共通性が中国でも指摘されている。中国では、日本の農協が農家の所得向上に貢献し、農村の富裕化に重要な役割を果たしたとして高く評価されている。「供銷社は日本の農協をモデルにすべきだ」との議論も少なくない。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 現在の供銷社は名称こそ計画経済時代の古いイメージのままだが、その中身は単なる「統一集荷、統一販売」の組織から大きく変化している。その主眼は農村の「インターネット化」の推進にある。

 インターネット化は農村経済の大きな課題だ。農村部では労働力の大半が都市部に働きに出てしまい、村に残るのは高齢者と子どもばかりという現象が普通だ。農業技術や農家経営の近代化は遅れている。またインターネットを活用した作物の価格情報の収集や、消費地と産地を直結した新たな流通の仕組みの構築といったことも、農家自身の手で進めるのは難しい。現代版の供銷社はこうした零細な農家を組織し、指導することで農産物の新たな販路拡大、利益向上を支援している。

 例えば、広西壮族自治区の桂林市では、同市の供銷社が主導し、物流企業12社の協力を得て、1億8000万円の資金を投じて冷蔵設備を備えた新たな物流センターを建設。そのうえで供銷社傘下のEコマースサイト(アプリ)「供銷e家」および政府系の貧困地域支援Eコマース「832平台」などのプラットフォームを使い、同県特産の柑橘類などを販売している。

 今年上半期、市内のある地域では、これらのプラットフォームで440種類の農産物を販売し、3176万元(1元は約20円)を売り上げた。今年第1四半期の同市のEコマース販売総額は7305万元と、対前年比で85.9%の伸びを記録したと報じられている。

大手IT企業に対する根深い不信感

 こうした農村部でのEコマースはアリババや京東 (JD.com )、拼多多(Pinduoduo/ピンドゥオドゥオ)など既存の大手IT企業も手がけている。なぜいま改めて供銷社が取り組む必要があるのか。その背景の一端を象徴する「事件」が今年9月に起きた。

 著名なKOL(Key Opinion Leader)が、農業の支援を旗印にライブコマースで農産物を販売する「東方甄選」というプラットフォームがある。そこで1本6元(約120円)の価格で販売された吉林省産のトウモロコシが「高すぎる」「暴利ではないか」との批判を浴び、販売を取りやめる騒ぎになった。

※「東方甄选」のライブコマースでは元新東方の塾講師が自ら商品を販売した
(「東方甄选」抖音公式アカウントより)

 この「東方甄選」は、昨年7月、政府が出した事実上の「宿題、学習塾禁止令」によって職を失った学習塾の最大手、新東方(新東方教育科技集団)の元講師たちが、「農村の収入向上のために」と自ら始めたライブコマースだ。この間の事情はwisdomの「教育は市場化すべきか~いつの間にか「悪者」になった中国の民営企業家」(2021年11月)に書いたので、ぜひご参照いただきたい。

 もともとコミュニケーション力の高い人気講師たちが始めたライブコマースは評判を呼び、好調な販売を記録していた。しかし今回の「1本6元のトウモロコシ」は、「農村では1本5~6毛(元の10分の1の通貨単位、1毛は約2円)にすぎない」「10倍以上の値段は儲けすぎだ」「売り手の報酬が高すぎるのではないか」などといった批判が殺到。販売側は「工業原料や飼料向けのトウモロコシは確かに安いが、食用の甘い高級トウモロコシは出荷の段階で1本2~3元はする。売価は決して高くない」などと反論したものの、大手メディアでも批判的な論調が広まり、販売を取りやめざるを得なくなった。

大手企業の「中間搾取」に根強い不信感

 この「トウモロコシ事件」で明らかになったのは、大手プラットフォーム企業の「インターネット価格」に対する低所得層の根強い不信感だ。都会の富裕層に支持されたIT企業が「農村支援」の美名の下に暴利を得ているのではないか――。高い志(こころざし)で農村に赴いた元講師たちにしてみれば、いわれのない批判であったろうが、流通経路を支配することで高い収益をあげてきた大企業に対する庶民の厳しい視線を改めて印象づけた。

 このような大手企業の「中間搾取」に対する不信感は、裏を返すと、供銷社に対する安心感の基盤になっている。古くから農村に根付き、そもそも営利追求を目的としない協同組合的な組織である供銷社に対する庶民の素朴な信頼感は根強くある。インターネットでの取引が本来的に持っている「中抜き」の機能を、生産者の所得向上、そして消費者が良い商品を安く買える環境の実現のために使う。これが新しい時代の供銷社の掲げる意義であり、「インターネット社会主義」が実現を目論む最も基本的な狙いもここにある。

「インターネットを、いかに社会主義に奉仕させるか」

 10月に開かれた中国共産党の第20期中央委員会第1回全体会議(1中全会)で異例の3期目の総書記に選出された習近平政権が目指すのは、都市部と農村部の格差の縮小であり、富の公平な分配による「共同富裕」の実現である。社会主義の本義が「平等」の実現にあることを考えれば、こういう流れに帰結するのだろう。農民の所得を増やし、農村の生活水準を向上させるうえで供銷社に期待される政治的な役割は大きなものがある。

 そして、その期待の根底を支えているのが、インターネットの力を利用して、新しい形の社会主義を再構築しようという「インターネット社会主義」だ。最大のテーマは「インターネットを社会主義にいかに貢献させるか」、そして「世界がうらやむような新しい社会をいかにつくり上げるか」である。

 「インターネット社会主義」の概念を初めて提唱したのは、厦門大学教授、中国都市計画学会副理事長を務める趙燕菁氏だ。同氏は「中国の急速な経済成長は、個人や企業の土地の所有権を認めず、土地の財産権を地方政府に帰属させたことにある」とし、経済活動の基盤であり、極めて公共性の高い資産である土地を公有制にしたことで、その後の効率的、計画的な経済成長が実現できたとみる。つまり私権を一定程度、制限し、公共性を優先させたことが経済成長、ひいては社会の富裕化を実現したとの立場だ。

※資料画像。本文の内容とは関係ありません

 その観点から、土地と同様、非常に公共性の高いインフラであるインターネットも、その管理・運営に政府が関与するのは当然だ――とする。そして大手IT企業による情報の独占を排し、インターネットが本来持っている力を存分に活用して、より効率的で、格差の少ない、平等な社会主義を実現するという考え方が「インターネット社会主義」である。

 中国の現政権がアリババグループに代表される大手IT企業に対する締め付けを強めたのは、それらの企業がインターネット上の情報を独占し、「情報の非対称性」を利用して不当に高い利益を得ていたと判断したからだ。その判断には議論の余地があるにせよ、2020年11月、アリババグループ傘下の金融会社アント・グループの株式上場計画が、直前になって当局によって延期に追い込まれたのは、「正当でない利益を、自分たちで勝手に配分するのは許されない」との判断が基盤にあったからだろう。

 大手企業によるこうした情報の独占を警戒し、インターネットの世界をより公共性の高い機関によって管理させようという発想は、営利追求を目的としない協同組合である供銷社を重視し、日常的な経済活動を任せようという流れと根底でつながっている。

「Internet for the People」

 このような巨大IT企業による独占に危機感を持ち、インターネットの公共性を重視する考え方は、中国だけに存在するものではない。インターネットの力を活用して、より「民主的な」社会を実現すべきとの発想は、インターネットの草創期から世界的に存在する。

 例えば、米国の著名なテックライターのベン・ターノフ(Ben Tarnoff)は著書「Internet for the People: The Fight for Our Digital Future」の中で、「It calls for abolishing the walled gardens of Google, Facebook, and the other giants that dominate our digital lives and developing publicly and cooperatively owned alternatives that encode real democratic control.」(グーグルやフェイスブック、その他の巨人たちによる我々のデジタル生活に対する囲い込みを排し、民主的に管理された公共的かつ協同組合的な所有形態の代替手段を考えるべきだ、筆者訳)と述べている。

 ここでターノフが言うグーグルやフェイスブックは、中国ではアリババやテンセントに置き換えても構図は同じだ。「利潤の追求を目的としない組織によってインターネットが管理されるべきだ」という考え方自体は共通している。

「インターネットは社会主義に有利」

 営利追求を目指す企業による独占を排し、「公共性」の高い組織によるインターネットの管理を奨励する考え方は、社会主義の発想と親和性が高い。社会主義国では、「公共性の高い組織」は、当然のごとく、国を統治する党や政府機関になる。

 海外の視点で見ると、インターネットの普及で情報の流通が増えると、アラブ諸国の「ジャスミン革命」に代表されるように民主的な動きの拡大につながるとの見方が多い。しかし中国国内の感覚では、「インターネット社会の到来は、社会主義の実現にとって有利だ」と、少なくとも「体制内」の主流は認識している。むしろそれこそが中国が世界に対して持つ優位性だと考えている。

 中国社会のデジタル化が日常生活のあらゆる領域で人々の行動の監視を可能にしてきたという「監視社会」的な側面は、wisdomの過去の連載で繰り返し指摘してきた。それが中国の政権にとって、施政の大きな力になっていることは事実だ。しかし、中国社会でインターネットの持つ本質的な意味はそこではない。

 今回紹介した供銷社の例のように、「インターネット社会主義」には、「中間搾取」をできる限り減らし、人々が安心、安全、合理的な価格でモノやサービスの売買ができる社会を目指すという「前向きな」意思が存在している。それは為政者がより効率的な統治を行うための手段であるとしても、庶民の多くはデジタル化で日々、便利で快適になる生活を、日常的な肌感覚で支持している。その事実を見落としてはならない。

 中国の目指す「インターネット社会主義」を「夢物語」と片付けることは簡単だ。インターネットで「分配」の問題はある程度解決できるとしても、より重要な「創造性」をどのように促進するのか。簡単な話ではない。

 しかし、ここまで進んだ先端のデジタル技術を存分に活用し、従来の「国家」や「政治」の常識では考えられない統治の手法や「豊かな社会のつくり方」を実現する可能性はないのか。少なくとも中国の権力者たちはその可能性を明確に認識しているし、本気で実行しようとしている。そのことを知っておく必要がある。

 資本主義に取って代わる競争力のある仕組みが中国で確立し、世界中の新興国がそれを支持するといった光景は、あながち夢物語でもないように思う。