次世代中国 一歩先の大市場を読む
中国不動産バブル、いよいよ最終局面
ついに「値下げ禁止」を諦めた中国政府
Text:田中 信彦
新築住宅に対する販売価格の統制を、中国の地方政府が続々と放棄し始めている。
政府のさまざまな指導によって、デベロッパーはこれまで自分の売りたい価格で新築住宅を販売することができなかった。膨らむ一方の在庫物件を処分する方策がないため、不動産企業の資金繰りはますます悪化した。
その価格統制がなくなり、中国の不動産はいよいよ「市場化」する。政府は手のひらを返したように「これからは売り手も買い手も自己責任。これは不動産市場の健全な発展に貢献する」などと言い出した。今後、北京や上海など一部の大都市の中心部を除いて、相場は底が見えるまで下落する可能性が高い。
「公有制」が基本の中国では、政府はいわば全国土を抱える大地主である。中国の経済成長は不動産価格の上昇に支えられてきた。デベロッパーへの国有土地売却益が地方政府の土台を支える収入源である。「国益」増大のために、不動産の価値を政府自ら積極的に押し上げてきたといってもいい。
そのモデルが行き着くところまで来て、ついに相場を支えきれなくなった。これは一つの時代の終わりを意味する。政府は商業住宅の価格下落を容認し、一方で低所得者向けの公共住宅の建設を重視する政策を打ち出している。格差発生を許容し、成長を第一に考える「改革開放」の路線から、「共同富裕」を掲げ、平等を重視する政治への転換を如実に示している。
今回はそんな話をしたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「価格指導の廃止」に多数の都市が追随
7月末、河南省の省都・鄭州市の住宅管理当局は、全国に先駆けて新築住宅販売価格の指導の廃止を公式に宣言した。同市の後を追うように、遼寧省の省都・瀋陽市や甘粛省の省都・蘭州市、福建省の工業都市・寧徳市などが相次いで同様の決定を行い、追随した。
北京市や上海市、深圳市など主要都市でも、「価格指導の廃止」を明言こそしないものの、価格自由度の拡大や届け出手続きの簡素化、購入者側の住宅ローンの利用促進など統制の緩和措置を次々と実施。事実上、価格統制廃止の流れは全国に拡大している。
中国の行政機構では、地方政府が独断で大胆な政策を打ち出すことはありえない。どこかの都市が先鞭をつけるとしても、その政策実行の背後には中央政府のお墨付きがあることは言うまでもない。要するに今回の措置は、不動産価格の下落を政府が実力で阻止することを事実上、断念したものと言っていい。
新築住宅の販売額は24%の大幅減
国家統計局のデータによると、今年7月の北京や上海、深圳など「一線都市」の新築住宅価格は前月比で0.5%の下落。各省の省都クラスの「2線都市」では同0.6%、地方の中核都市クラスの「3線都市」では同0.7%下落となっている。公式発表ではこのところ毎月、継続的にこのようなペースで下落が続いている。
前述のように、多くの都市で新築物件の価格統制が存在してきたため、公的な統計上の値下がり幅は大きくない。しかし、価格が下がらないから買い控えが起き、物件が売れない。今年1~7月、新築住宅の販売額は5兆3330億元で、対前年同期比24.3 %の大幅な減少となった。つまり、建前上の販売価格はあるものの、それは有名無実で、現実にはなかなか売れず、市場は冷え切ったまま――という状態が続いてきた。
しかし今回、価格統制が廃止されたことで、今後、デベロッパー間で値下げ競争が起き、価格の下落が加速するのは確実だ。官製メディアは不動産市況の「明るいニュース」を積極的に伝えているが、業界関係者や個人の不動産オーナーの間では、この先、相場の下落は相当期間、続くとの見方が強い。
不動産の「値下げ禁止令」とは何か
そもそも今回取り消された「当局による住宅価格の統制」とは何だったのか。
中国では、不動産価格の高騰が本格化した2010年ごろから、価格高騰を抑止するための「不動産価格コントロール政策」が始まった。この政策は、購入戸数の制限(限購)、地元以外の居住者の購入制限(限外)、住宅ローンの制限(限貸)、販売価格制限(限価)――の4つの政策からなっていたことから、「四限令」と呼ばれる。このうち前者3つは住宅購入希望者に対するもので、最後の1つが販売側のデベロッパーに対する制限令である。今回、各地の政府が廃止を表明しているのは、この販売価格制限の部分だ。
この経緯でわかるように、もともと「制限令」は価格の高騰を抑えるための措置だった。しかし、中国の不動産相場は、地域差はあるが、おおむね2018~2019年ごろピークに達し、2020年、コロナ禍が本格化すると、一時期、不動産取引はほぼ停止状態に陥った。その後、対米経済摩擦の悪化なども加わって、経済の変調が顕在化し、2021年ごろには多くの都市で不動産価格の下落傾向が明らかになってきた。
高騰の抑止から一転、相場の下落阻止のために「値下げ禁止令」を全国で初めて出したのは湖南省岳陽市。2021年8月のことである。同市住宅建設局は「新築住宅のネット取引での成約価格を制限する通知」を出し、デベロッパーがあらかじめ当局に届け出た販売価格から15%以上低い価格での販売を認めないことを宣言した。これをきっかけに、全国の多くの都市がほぼ同様の「値下げ禁止令」を相次いで発令した。
中古住宅の相場が崩れ、「禁止令」は有名無実化
しかし、もともと典型的な市況商品であり、市場メカニズムのもとで成長してきた不動産マーケットで、価格の変動を力で禁止するのは無理がある。過去に不動産価格の高騰をどれだけ抑制しようとしても不可能だったのと同じで、いったん市場のマインドが下落の方向に傾けば、それを一片の「指示」で止められるわけがない。
「値下げ禁止令」の効果がなかった最大の要因は中古住宅市場の存在にある。各地の地方政府が続々と新築住宅の「値下げ禁止」を打ち出すと、すでにマンションを保有する投資家や住宅のオーナーは浮き足立った。政府が値下げを禁止するということは、政府自らが「不動産はこれから下がりますよ」と宣言したに等しい。
中古住宅のオーナーは売り急ぎに走り、市況は一気に下落が進んだ。値下げ販売ができない新築との価格差は広がる。中国の中古住宅には、最初から投資目的で購入され、一度も使用していない物件がいくらでもある。住宅購入希望者は価格が高い新築物件を避け、下落が進む中古住宅の購入に向かう傾向が顕著になった。
資金繰りに窮するデベロッパー
たまらないのはデベロッパーである。相場の上昇が望ましいのは言うまでもないが、永遠に上がり続ける市場は存在しない。業界人たちはその道のプロだから、どこかで天井が来ることは覚悟している。相場が下がったら下がったで、さっさと見切って臨機応変に価格を下げ、在庫を処理しないことには資金が回らない。
しかし、政府の指導は絶対だ。値下げはできない。実際、「禁止令」が出た2021年には、多数の摘発事例が発生した。例えば同年8月、あるデベロッパーが雲南省昆明市呈貢区で販売したプロジェクトで、当初1平米あたり1万2000元(1元は約21円)で売り出した物件を、同8597元、30%近い割引価格で販売したとして当局に摘発される事件が起きた。この種の事件は枚挙にいとまがない。
2023年には、中古住宅の販売戸数が初めて新築物件を上回った。新築が売れなくなったデベロッパーは在庫が急増、資金繰りは急速に悪化した。メディアの報道によれば、中国国内の売れ残り新築物件の在庫は6000万戸という気の遠くなるような数に達している。中国の不動産大手「恒大グループ」や「碧桂園(カントリーガーデン)」が巨額の負債を抱え、事実上、経営破綻状態に追い込まれたのは記憶に新しいところだ。
全国に無数の個人オーナーが存在し、価格統制が不可能な中古住宅の市場がある以上、もともと新築住宅の「値下げ禁止」は無理な話だったというしかない。
国有土地売却収入は40%減
では、なぜ政府は力ずくでも不動産価格の下落を抑止しようとするのか。それは不動産の価値の上昇が中国経済成長の根幹を担っており、国有土地の売却益は財政収入の中核部分を占めているからだ。
中国の土地財政と経済成長のメカニズムについては、紙幅の関係でここでは説明は省く。詰まるところ中国では、全国の土地はすべて国家(政府)の所有物であり、個人も企業もその土地を期限付きで買うか賃借して生活や事業を営んでいる。不動産の値段が上がれば、最終的には「大地主」である国家が潤うようにできているのである。
しかし、この仕組みも賞味期限が来つつあるようだ。中国財政部(財務省に相当)のデータによると、今年7月、各地の地方政府が国有土地の民間売却で得た収入は2500億元で、前年同期比40.3%の大幅な減少となった。昨年2023年度1年間では5兆8000億元で、ピークだった2021年の8兆7100億元と比べると31.8%の大幅減少を記録している。
中国では、個々の地方政府間で差はあるが、一般に政府財政収入の30~40%を国有土地の売却益が占めている。有力な産業が乏しく、税収の少ない地方都市ほど土地売却益に頼る比率が高い。例えば華北の農業省である山東省の県クラス政府(中国の行政区分では「市」の管轄下に「県」がある)では、財政収入に占める土地売却益の比率は64.4%にも達する。
これだけ大きな比重を占める土地売却収入が3~4割も減少すれば、財政は破綻の危機に瀕する。地方政府が、いささか無理筋の「値下げ禁止令」を出してまで不動産相場の下落を防がねばならない理由はここにある。
中国の個人資産の7割は不動産
とはいえ、このまま新築物件が売れない状態が続けば、デベロッパーが続々と破綻する。巨額の負債を抱えるデベロッパーの破綻が広がれば、その影響は銀行に波及し、金融危機の発生につながりかねない。なんとかしてデベロッパーに資金を回さねばならない。政府が不動産の価格統制を廃止する背景には、このような事情がある。
政府がどんなに相場の下落阻止を目論んでも、巨大な市場のメカニズムには抗えない。事態がここまで来た以上、価格決定は市場に任せ、買い手がつく水準まで値段を下げ、デベロッパーの資金を回転させる以外に方法はない。政府としては非常に重い、苦渋の決断であったはずだ。
改革開放政策以前の計画経済時代、中国の都市住民は国家が提供する住宅に事実上、無料で暮らしていた。その住まいが1990年代以降の住宅制度改革で、居住者に無料もしくは非常に低い価格で譲渡された。そのいわば「元手ゼロ」で入手した住宅が、経済成長で急激に値上がりし、資産価値が爆発的に増大した。中国の都市住民の急速な富裕化の原点はここにある。
そうした経緯から、中国の都市部での持ち家率は90%を超える。個人資産に占める不動産の比率は非常に高く、70%以上に達するとされる。このように中国経済の土台を支える不動産の価格は過去30年近く、ほぼ右肩上がりで上昇してきた。それが今、初めて「政府公認」で値下がりしようとしている。この衝撃の大きさは計り知れない。
「成長の時代」から「平等の時代」へ
政府がこのような大きな決断を下した背景には、政治の大きな流れの変化がある。それは一言でいえば、「成長の時代」から「平等の時代」への転換だ。
「豊かになれる者から先に豊かになる」(先富論)」
「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」(白猫黒猫論)
鄧小平のこの2つの言葉は、過去40年以上、中国社会を急激に豊かにしてきた改革開放政策を象徴する。豊かになることが第一で、計画経済だろうが市場経済だろうが、理屈はあえて問わない。一定の格差の発生は容認し、とにかく成長を目指す。そういう鄧小平の現実主義が改革開放の出発点にあった。
そのような発想に基づき、中国政府は「不動産の市場化」という「持てる者」と「持たざる者」の格差拡大が前提の成長モデルを大胆に選択した。その政策は当たり、中国では都市部住民を中心に大量の富裕層が生まれた。北京や上海に住む古くからの筆者の友人たちは、1980年代、国家の提供する借家に住み、月給が日本円で数千円ほどだったが、それが現在ではほぼ例外なく数億円単位の資産を持っている。その大半は不動産だ。
しかし、国民の全員がそうなったわけではない。国の母数が大きいから、豊かになった人の数はそれなりに多いが、それはたまたま親の代から大都市に住んでいた人々が中心だ。全体の比率で見れば少数派である。そこには「持てる者」と「持たざる者」の巨大な格差が発生した。
最初からわかっていたこととはいえ、やはり格差は大きくなりすぎた。このままではいけない――。そう考える人が中国社会には数多くいる。不動産の高騰が止まり、価格が下落を始めたことを内心で歓迎している人の数は、実は決して少なくない。
「商」から「公」に転換する住宅政策
中国政府は、不動産価格の統制をやめ、民間の住宅価格の下落を容認する一方で、新たな政策を打ち出している。その考え方を一言でいえば「商」(民間デベロッパーの新築住宅)から「公」(政府が提供する公共住宅)への転換である。
今年5月、中国政府はデベロッパーの売れ残り住宅を地方政府が買い上げ、「保障性住宅」と呼ばれる低所得者向けの住まいに転用する政策を発表した。中国人民銀行(中央銀行)が3000億元の資金を地方政府傘下の国有企業に貸し付け、国有企業はその資金でデベロッパーから在庫の住宅を購入、公共住宅として再販売もしくは賃貸するというものだ。
このスキームは、膨大な在庫を抱え、資金繰りに苦しむデベロッパーに資金を供給できるのに加え、低所得層に良質の住宅を安く提供することで格差是正の一助ともなる。一石二鳥を狙った政策である。
このプランに対しては、政府の資金拠出が少なく、効果が薄いとの批判もある。しかし中国政府の「住宅および都市農村建設部」(住宅政策を所管する中央官庁)は8月下旬、記者会見で「保障性住宅の建設を重点施策とし、その建設を加速する」と強調、政府による公共住宅の建設を進める姿勢を改めて示した。
「共同富裕」は実現できるか
いわば「持てる者」の象徴である新築住宅に対する「値下げ禁止」は取り止め、価格下落はやむなしとする。その一方で、在庫の物件を政府の資金で買い上げ、低所得者向けの高品質な公共住宅に振り向ける。そこには貧富の格差を是正し、「共同富裕」の実現を目指す現政権の姿勢が鮮明に表れている。
不動産価格の下落で損失を被る人の数は少なくない。経済に与える影響はもちろん甚大だ。しかし、不動産価格が下がり、政府が公共性住宅の供給を増やすことで、メリットを得る人たちもまた膨大な数にのぼる。そのどちらを重視するのか。この点において、現在の政権は明らかな選択を下した。
それはそれで一つの政治判断だが、これまで数十年間、GDP拡大一辺倒で、国民を巻き込んで過剰な不動産投資を続けてきたツケはあまりにも重い。今回の政策によって「共同富裕」を実現するはずが、「劫富済貧(富者から奪って貧者を救う)」に終わるのではないかとの懸念は拭えない。
その答えは遠からず出るはずだ。中国の不動産バブルは、いよいよ最終局面に入りつつある。
次世代中国