次世代中国 一歩先の大市場を読む
OpenAIが中国からのアクセスを遮断
外界との分断は「災い転じて福となす」か?
Text:田中 信彦
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ChatGPTを開発するOpenAIは今年6月、中国からのアクセスをブロックすると発表した。この措置は中国のAI産業に大きな影響を与えている。
中国ではOpenAIの技術を利用した多くのカバーアプリケーションが出現、サービス内容は同質化し、価格競争が起きている。しかし、今後そうした「お手軽な」ビジネスはできなくなる。自社で強い開発力を持つ中国国内のAI大手は、この機にOpenAIからの乗り換えを促進しようと、各種のプロモーションを実施、競争は一段と激化している。
こうした流れの一方で、国内産業と密接に結びつき、特定領域を深耕する「垂直型」のAIを目指す動きが進んでいる。その代表格がファーウェイ(華為科技)である。同社は今年5月、独自の最新大型言語モデル「Pangu(盘古)5.0」を発表。鉄鋼や金融、製薬、建築設計、鉱工業、鉄道などさまざまな業界で具体的なコスト削減、開発期間の短縮、精度向上などの成果を公表している。
中国政府は今回の危機を逆手に取り、自前技術の進化につなげようと、「産業と一体のAI」で競争力の向上を狙う「人工智能+(プラス)」の戦略を打ち出した。外界との分断が進む中、中国AIの路線は、「災い転じて福となす」結果になるのか、そんなことを考えてみた。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
中国からのアクセスを拒否
OpenAIは6月下旬、「7月9日をもって、(中国を含む)非サポート国と地域からのAPI(アプリケーションやソフトウェアを利用するための接続口)アクセスをブロックする」と通知した。OpenAIのAPIは現在、161の国と地域をサポートしているが、中国本土と香港は含まれていない。この措置によって、中国国内の開発者はOpenAIのAPIサービスを利用できなくなる。
ここ数年、中国政府は「サイバーセキュリティ法」「データセキュリティ法」など数々の関連法規を公布し、国境を越えたデータの伝送と処理のハードルを高めてきた。OpenAIの決定は、こうした法的手続き面の複雑さや高いコスト、政治的なリスク警戒した措置とみられている。
これまで中国国内では、OpenAIの技術をもとにインターフェースや一部の機能に自社で修正を加える形のサービスが多数、提供されてきた。これらのアプリケーションは、どうしても中身が同質化し、サービス内容は似たようなものになってしまう。そのため当初「ChatGPTブーム」に乗って急拡大したが、ほどなく激しい価格競争が始まった。
「99%オフ」の値下げ合戦
値下げ合戦の口火を切ったのは浙江省杭州市のAI企業「DeepSeek(深度求索)」。5月初めに発表した大規模言語モデル「DeepSeek-V2」は、各種のベンチマークテストでOpenAIの「GPT-4」に匹敵するスコアを記録しつつ、価格はその1%程度。それまでの常識からすれば、実質的に無料に近い水準で、市場に驚きを与えた。
その後を追うように、清華大学発のユニコーン企業「智譜(Zhipu)AI」が入門版の製品「GLM-3 Turbo」の価格を一気に80%引き下げ。続いてTikTokの開発企業として知られるバイトダンス(字節跳動)が主力モデルの「豆包AI」の入力料金を100万トークンあたり0.8元 (1元は約21円)という、やはり従来価格の99%オフで追随した。
その後、中国のパブリッククラウド最大手、アリババクラウド(阿里雲)が自社のAI「Qwen(通義千問)」の料金を大幅に値下げ。「GPT-4」クラスの能力をうたう「Qwen-Long」への入力価格を従来の100万トークンあたり200元から、同0.5元へと約97%引き下げた。さらに中国の検索トップの百度(Baidu)も自社の大規模モデル「文心一言(ERNIE Bot)」のうち2モデルについては完全無料とし、即座に実施した。
価格競争の根源は「同質化」
極端な値下げ合戦の背景にあるのは同質化だ。もともとがChatGPTのカバーで、各社の提供するサービスは大同小異。推論のスピードや内容に際立った違いが乏しいという状況がある。加えて、中国では大規模言語モデルの使用人数がまだ少なく、AIGC(AI生成コンテンツ)の市場も先進諸国に比べれば小さい。そのため大手AI企業は価格を下げてでもユーザー数を拡大し、言語モデルのトレーニングを増やしたいとの事情がある。
資金力の豊富な大手は、極端な値下げ競争を仕掛けることでAI新興勢力を駆逐し、自らはパブリッククラウドなど他のサービスとトータルで収益をあげる戦略とみられる。こうした圧倒的な資本力で市場の占有を目指す手法は、スマートフォンや配車アプリ、シェア自転車など、新たなITサービスが登場するごとに中国市場で繰り返されてきたものだ。
そこでは供給量が劇的に増え、価格が下がり、新たな事物が一気に普及するというメリットがある一方で、製品やサービスの長期的、安定的な供給が続かず、着実な品質の向上が望みにくい弊害がある。AIの領域でも同じことが繰り返されるのではないかと危惧する声は少なくない。
そうした状況の中、同質化と価格競争の悪循環から抜け出し、高付加価値のビジネスを実現するためには、製品の独自性が必要だ。中国市場の実情に合った、顧客の価値を産めるAIを開発しなければならない。そのような問題意識が強まっている。
「人工智能(AI)+(プラス)」という国策
今年3月、国の政策を審議する重要会議「全国両会(全国人民代表大会・中国人民政治協商会議全国委員会)」で、AIは産業政策の大きなテーマになった。そこでの「政府工作報告」で強力に打ち出されたのが「人工智能+(プラス)」の政策だ。
「プラス」とは何か。全国人民代表の1人であり、世界第3位のスマホメーカー「Xiaomi(小米)」の創業者、董事長の雷軍氏は「プラスとは、あらゆる業界、業種でのさまざまなアプリケーションだ」とインタビューで答えている。「中国には巨大な産業の応用市場があり、膨大なエンジニアの蓄積がある。各業界でのAIの応用を政府は特に重視しており、この領域で世界の先端を走ることができる」(訳は筆者、以下同)と同氏は語っている。
確かに、中国の産業構造を先進諸国と比較した時、最も顕著なのは一国単位での国内市場の大きさ、そして工業製品やソフトウェアなどの開発・生産力、供給力の強さだろう。その基盤にあるのは人的資源だ。在学中の大学生、大学院生だけで5000万人近いという高学歴人材の圧倒的な数は、雷軍氏が指摘するように豊富なエンジニアの供給源である。
中国の輸出品目トップ3はスマホ、パソコン、IC
中国が「世界の工場」と呼ばれるようになったのは2000年代初頭。人件費の上昇や米国との経済対立などで勢いに陰りは見えているものの、ことグローバルな供給力という点では、その存在は際立っている。
2023年、中国の輸出上位10品目は①スマートフォン②パソコン③IC④自動車⑤蓄電池(車載バッテリーなど)⑥半導体デバイス⑦自動車部品⑧石油製品⑨電子部品⑩照明器具(三井物産戦略研究所レポート「中国を取り巻くモノの流れはどう変化しているか(2024年3月)」)だった。過去10年間で家具や婦人服などが輸出品目トップ10から消え、自動車は17倍、EVなどの蓄電池は9倍に増えている。コロナ禍や経済対立などの問題を抱えながらも、中国の産業は過去10年、世界経済の中で着実にその重要度を高めている。
こうした中国の状況を考えた時、企業の現場をAIで革新し、産業競争力を一層強化することがAIの最も効果的な使い方だと考えるのは自然な流れだろう。中国政府が掲げる「人工智能+(プラス)」の狙いは、まさにここにある。
「産業の中にあるAI」
いわば国家戦略ともいうべき、この「人工智能+(プラス)」の中核にいるのがファーウェイである。今年6月、同社は広東省東莞市で開いた「開発者大会」で、独自の大規模言語モデル「Pangu Large Model(盘古大模型)5.0」を発表した。これは2023年7月に発表した「同3.0」を約1年ぶりに大幅にバージョンアップしたものだ。ちなみに「Pangu(盤古)」とは、中国神話に出てくる万物の創造主の名前である。2021年4月、最初のバージョンが公開された。
昨年末、この「wisdom」で「AIの社会実装が急速に進む中国 ChatGPTとは競わず、産業力の強化に向かう」(2023年12月11日)という文章を書いた。そこでファーウェイはChatGPTのカバー路線とは一線を画し、独自のアプリケーションで産業界の革新に向かうという趣旨の話をした。この方針は新たな「Pangu 5.0」でも一層明確に打ち出されている。
同大会でファーウェイクラウドCEO、張平安氏は「Panguは常に業界の中にある。我々はすべての開発者と共に、あらゆる業種に深く入り込み、困難に挑み、難題を解決し、業界と企業に現実の価値を生み出す」と決意を語った。
同大会での発表によれば「Pangu 5.0」は「全系列」「全模態」「強思惟」の3つを特徴とするという。技術面の紹介は筆者の手に余るので、同社の説明の簡単な引用にとどめるが、「全系列」とは、モバイルやPC端末向けの10億パラメータ級から、超高度な処理が可能な兆単位のパラメータを持つシリーズまで、さまざまな用途への対応を意味する。
「全模態」は「マルチモーダル」の中国語訳で、言語のほか画像や動画、音声、赤外線など異なる種類の情報をまとめて学習することで、より詳細な推論が可能になる。「強思惟」とは文字通り「強い思考能力」で、新たな技術の開発で数学的能力を大幅に高めたとしている。
同社が強調するのは、これらの独自AIを駆使し、産業の革新を進めるという明確な姿勢だ。当日のプレゼンテーションの力点も、自社AIの能力の高さより、それがいかに各業界、個別の企業で成果を出したかに置かれていた。
500人のAI技術者が製鉄現場に
代表的な事例として紹介されたのが、中国の鉄鋼最大手の国有企業「中国宝武鋼鉄集団(宝武鋼鉄)」だ。同社は1億3200万トン(2022年)の粗鋼を生産する世界最大規模の鉄鋼メーカー。中国国内市場の成長鈍化が鮮明になる中、経営のグローバル化が喫緊の課題だ。そのためAIの活用に積極的に取り組んでいる。
2023年8月、ファーウェイの梁華董事長ら一行が宝武鋼鉄の胡望明董事長を訪問、両社が共同研究を進め、AIを活用した全面的な事業革新を進めることで合意。500人のファーウェイのAI技術者が宝武鋼鉄の現場に常駐し、業務の効率化、生産性向上に取り組んだ。
製鉄所の熱間圧延(鋼片を高温で加熱し軟らかくすること)工程では、鋼板の種類やサイズを変えるごとに経験豊富なエンジニアがパラメータを再調整する必要があり、そこに膨大な時間と労力を要していた。AIの力を利用すれば生産効率は大きく上昇する可能性がある。
「Pangu AI」の導入の結果、宝武鋼鉄の「1880熱間圧延生産ライン」の予測精度は5%以上アップし、鋼板の材料形成率は0.5%向上。計算によると、毎年2万トン以上の鋼板の増産が可能になり、年間9000万元あまりの増収を実現できる見込みという。
また高炉(鉄鉱石を熱処理して鉄を取り出すための炉)でも、AIは威力を発揮した。同社の高炉は5000 m³の容積を持ち、炉内の最高温度は2300℃に達する。内部で進行する化学反応をどのようにコントロールするかで、産出される鉄の品質や溶鋼の作業効率が決まる。最適化には1000以上のパラメータの調整が必要とされる。
ここでもAIの導入で高炉の内部が高度に可視化され、制御の精度は大幅に向上。銑鉄(高炉から取り出した鉄)の生産に必要なコークスを1㌧あたり1kg削減することに成功。1㌧あたり生産コストは3元下がり、コスト削減効果は年間10億元を超えると見込まれている。
高速鉄道の車両検査にAIロボット投入
鉄道の領域でも成果が報告されている。中国国家鉄路集団に属する北京鉄道工程機電技術研究所はファーウェイと協力し、大量のセンサーを組み込んだロボット「Pangu Eye(盤古眼)」を高速鉄道の車両検査に投入した。
高速鉄道の車両1両には3万2000カ所もの検査ポイントがあり、定期的な検査だけでも、のべ数百人の技術要員が必要になる。「Pangu Eye」は高速鉄道業界に蓄積された大量のデータを用いて、徹底した学習を実施。マルチモーダル機能を活かし、2次元画像だけでなく、3次元のポイントクラウド(点群)データ、さらにはレーザースペクトルなど多様な形式のデータを融合した独自の診断技術を開発した。
例えば、3次元情報を総合して「ナットが緩んでいないか」をAIが判断し、スペクトル分析を用いて「油漏れか、水漏れか」を識別する――といった手法が可能になった。「故障の識別正確度は99%を超えた」と発表している。
また気象の領域では、深圳市気象局と協力。水平25kmメッシュのデータをベースに、地域の気象データを融合し、気温や降雨、風速など1km、3km、5km各メッシュの区域予報能力を大幅に向上させた。また同時に環境汚染観測の6項目(二酸化窒素、二酸化硫黄、一酸化炭素、オゾン8時間濃度、PM 10、PM 2.5など大気中の粒子状物質)の測定確度も10%以上向上したとしている。
このほか、金融や医薬品、鉱工業、自動運転、建築設計、工業デザインなど、さまざまな分野での応用例が報告されている。
外界との分断、「災い転じて福となす」か
このように国内産業でのAIの応用が進む中、米国との分断は中国のAI企業にとって「痛手には違いないが、必ずしも悪いことではない」との見方も出てきている。
最先端技術から遮断されれば、中国は自前の技術開発に頼る以外にない。そして中国の優位性である巨大な国内市場を基盤に、自国の産業に根付いた「中国独自のAI」の開発に向かうだろう。それは長い目で見て中国にとってプラスになるという考え方だ。
確かに、圧倒的な生産力、供給力を持つ中国の現場でAIを運用すれば、その経験は新たな製品開発に結びつく可能性が高い。今後、産業向けのAI市場が拡大、成熟していくにつれて、よりユーザーの側の視点に立った開発が求められていくはずだ。中国の国内市場で学習を繰り返し、進化したAIが強い競争力を持つ可能性はある。過去の例をみても、国家間の対立で相手を封じ込めようとした経済制裁や禁輸措置などが、思惑とは逆に相手国の産業力強化につながってしまった事例は少なくない。
昨今、中国の過剰生産力がグローバル経済の問題となっている。前述した鉄鋼をはじめ、「輸出新御三家」と呼ばれるEV(電気自動車)、太陽電池、リチウムイオン電池などが代表例だ。新進の産業に巨額の投資が集中し、生産過剰に陥る現象は、過去、中国のさまざまな商品で発生してきた。そして、競争の激しい中国国内市場で「鍛えられた」、低価格・高品質の商品が海外市場を席巻する。AIでもこうしたことが起きる可能性もある。
国内産業と一体化し、「国策」として産業競争力強化を目指す中国AIの動きは、長い目で見ると、「災い転じて福となす」結果をもたらすかもしれない。分厚い産業基盤と圧倒的な人材の層に支えられた中国のAI開発力は、決して軽視できない。
次世代中国