本文へ移動
次世代中国 田中 信彦 連載

次世代中国 一歩先の大市場を読む

「自動運転のChatGPTモーメント」に活気づく中国AI企業
相次ぐ資金調達、一方で収益化には課題山積

 ここ数年、ある種の停滞感すら漂っていた中国の自動運転関連業界が、昨今にわかに活気づいている。「震源地」は米国のテスラだ。

 人間の脳に似た自律的な判断が可能な独自の人工知能(AI)を全面的に採用した「End-to-End(エンド・ツー・エンド、以下、E2E)」の運転支援システムを開発。精度は飛躍的に上がり、自動運転の世界に新たな境地を開いた。

 中国の自動運転関連企業は、これに一斉に追随した。投資家も好意的に反応し、自動運転関連領域に対する新規の大型投資が相次いでいる。この一連の動きを「ChatGPT」が社会に与えたインパクトになぞらえ、「自動運転におけるChatGPTモーメントの到来」とみる専門家もいる。

 しかし一方で、課題も鮮明になった。急激に進化する技術をいかに企業収益に結びつけるかという問題だ。自動運転システムの開発・運用コストは巨額で、いずれ実用化段階でユーザーが負担しなくてはならない。その額は決して小さくない。本当に売れるのか、懐疑的な声は中国国内でも根強い。

 今回は、急激に進化するAIを軸に大きく変わる中国の自動運転の現状を考えてみたい。

田中 信彦 氏

ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

テスラの最新技術に中国勢が追随

 人間の脳の神経網を模したニューラルネットワークを活用したE2Eの運転支援システムをテスラが発表したのは、昨年10月。米国とカナダで提供しているユーザー向けの有料サービス「FSD(Full Self-Driving)Beta v12」のバージョンアップからだ。これによってテスラの運転支援(事実上の自動運転)は一気にスムーズになったとユーザーから高く評価された。短期間での急速なレベルアップは世界中の業界を驚かせた。

 最も衝撃を受けたのは中国の自動運転関連業界だ。メディアの報道によれば、テスラのバージョンアップ以降、多くの企業が大量の人員を米国に派遣、情報収集と研究に当たらせたという。

※筆者撮影

 中国新興EVメーカー「御三家」の一つと目される「Xpeng(シャオペン、小鹏汽车、広東省広州市)の董事長、何小鵬氏は、その急先鋒の1人だ。今年9月、浙江省杭州市内で講演した同氏は「E2E(中国語では『端到端』)のLLM(大規模言語モデル)の活用は、自動運転のレベルを飛躍的に引き上げる。当社はLLM のトレーニングにすでに35億元(1元は約21円)を投入した。これまでの自動運転技術では、複雑な現実の状況に対応しきれなかったが、E2E技術の導入でシステムの性能を極限まで向上させられる」などと語っている。

E2Eは「自動運転のChatGPTモーメント」か

 E2Eとは何か。詳細な解説は筆者の手に余るので、やや長くなるが専門家の定義を引用する。「エンドツーエンド深層学習とは、入力データが与えられてから結果を出力するまで多段の処理を必要としていた機械学習システムを、様々な処理を行う複数の層・モジュールを備えた一つの大きなニューラルネットワークに置き換えて学習を行うものである。自動運転を例に取ると、非エンドツーエンドのアプローチでは、物体認識、レーン検出、経路プランニング、ステアリング制御など、人間が設定した複数個のサブタスクを解く必要があるところ、エンドツーエンド学習では(中略)車載カメラから取得した画像から直接ステアリング操作を学習する」(電子情報通信学会誌 Vol.101 No.9「エンドツーエンド深層学習のフロンティア」)。

 AIによる画像生成に例えれば、ChatGPTは事前に膨大なデータを学習することで、人間が一定のプロンプト(指示文)を与えるだけで自律的に状況を判断し、適切と思われる回答を出す。それと同じように、自動運転のAIに事前に膨大な量の人間の運転データを学習させることで、AI自身に最適な判断をさせようというのがE2Eの自動運転だ。

 E2Eの登場が「自動運転のChatGPTモーメント」とも称されるのはここに理由がある。その背景にあるのはAIの急速な能力向上だ。ChatGPTによってAIの存在が一気に一般社会に広がったように、E2Eが自動運転の活用領域を根底から変えるかもしれない。商業的な思惑も含め、そういう期待が中国の業界には強くある。

自動運転の構図を変えるAIの実力向上

 これまでE2E自動運転には大きな課題があった。ChatGPTでコンテンツを生成すると、時としてユーザーの指示とかけ離れた画像が生成されてしまうことがある。しかし自動車の運転で突拍子もない動作が発生することは許されない。E2Eの自動運転は、いわば「何を考えているかわからない」ブラックボックス的なAIの判断に依存することになり、安全性に対する大きな懸念がある。それがE2Eを自動運転に取り入れる最の大きな障害になっていた。

 しかし近年、かつては不可能だった膨大な情報の学習が可能になり、AIの実力は飛躍的に向上した。上述したテスラの「FSD Beta v12」では、完璧にはほど遠いにせよ、人間の判断に近いレベルの運転が実現している。今後の継続的な能力向上を考えれば、E2E自動運転は現実性の高い方策として一気に浮上しきてきた。

 中国企業が一斉にテスラに学び、この方向に舵を切っている背景にはこのような状況がある。

中国の自動運転企業がナスダック上場、人気に

 10月下旬、中国の自動運転スタートアップ企業「WeRide(文遠知行、広東省広州市)」が米国ナスダック市場に株式を上場した。取引初日、株価は6.77%上昇し、1株あたり16.55米ドルで取引を終えた。時価総額は44億9100万ドルとなり、今年、中国企業による米国での最大の新規上場となった。市場では「投資家の人気は予想以上に高かった」との評価がされている。

 2023年8月に公表された同社の計画では、もともと今年8月に上場の目論見だった。しかし予定は当初より遅れ、一時は上場自体が難しいのではないかとの観測も流れた。実際、同社の業績は過去3年連続で赤字。しかもその額は2021年10億7000万元、2022年12億9900万元、2023年19億4900万元と年々拡大している。2024年度も赤字の見込みだ。

 このような状況にもかかわらず、同社が上場に漕ぎ着けたのは、自動運転をめぐる市場の見方の好転が背景にある。E2Eの登場で、自動運転技術の革新が早まり、しかも開発コストが削減できる可能性が出てきたからだ。

※WeRideウェブより

 同社は中国を含め米国、シンガポール、UAE(アラブ首長国連邦)の4カ国で自動運転の事業免許を取得しており、すでに7カ国30都市に研究開発拠点を設置、4年以上にわたる試験・営業運転の実績がある。今年9月には世界的な配車サービスのUberと「戦略協力協議書」を締結、UAEの首都アブダビを皮切りに世界各地で自動運転タクシーを展開するとしている。こうした状況が市場に好感されたとみられる。

資金調達に走る中国自動運転企業

 さらには上述の「WeRide」と共に「中国自動運転3兄弟」の一角と目される「Pony.ai(小馬智行)」も10月中旬、米国SEC (証券取引委員会)に上場を申請した。同社はトヨタ自動車の出資でも知られ、上場目論見書によればトヨタは共同創業者の1人である彭軍CEOに次ぐ13.4%を出資する第2位の大株主である。

 今年6月末現在、同社の自動運転システム「Pony Pilot」アプリの登録数は22万件に達し、自動運転の累積データ収集距離は4000万kmを突破。そのうち完全無人化運転は400万km以上に達すると目論見書はいう。同社も赤字ではあるが、その額は2022年1億4800万米ドル、2023年1億2500万米ドル、2024年(上半期)5178万米ドルと減少しており、2025年度には黒字化の見込みだ。仮に上場となれば、「WeRide」をしのぐ人気を呼ぶものとみられる。

 配車サービスの事業会社も動き出している。10月下旬、中国最大手のDiDi(滴滴出行、DiDi Chuxing)傘下のスタートアップ企業「滴滴自動運転」は、中国の大手自動車企業「広州汽車集団」などからシリーズC投資ラウンドで2億9800万米ドルの資金を調達した。滴滴グループは今年4月、広州汽車のグループ企業との間で、自動運転とそのための車両の開発に着手しており、2025年中にもL4レベルの自動運転車の量産を始める計画だ。

明らかになった「世界との距離」

 このように、テスラが実現したE2E自動運転をきっかけに、中国の自動運転関連業界はにわかに活気づいている。しかし、それと同時に業界が抱える本質的な問題も鮮明に浮かび上がってきている。

 第1の問題は「世界との距離」だ。今回、テスラが事実上、E2E自動運転を実用化したことで、世界の最先端を行くテスラと、中国の数ある自動運転企業との間に大きな格差があることが明らかになった。テスラのE2E自動運転導入後、多くの中国企業がこぞってその路線に追随したことからも、そのことが窺える。まさに日進月歩、猛烈な勢いで進化するAIの可能性の広がりに、中国の自動運転企業がキャッチアップしきれていない。その状況が鮮明になったともいえる。

 以前、このwisdomの連載で「AIの社会実装が急速に進む中国 ChatGPTとは競わず、産業力の強化に向かう」(2023年12月)という文章を書いた。そこでは、もともと中国のAI業界は実利的な発想が強く、世界最先端の技術開発を目指すよりは、現実の社会実装を重視し、実利のある領域で競争力を付ける発想が強いという指摘をした。

 こうした傾向は中国の自動運転関連の業界にも根強く存在する。自動車単体での自由自在な自動運転を目指すより、道路端や都市の社会システムと一体となり、車外の強力な計算力を活用してクルマをコントロールする「車路協同」と呼ばれる路線が重視されてきた。政府も都市管理の観点から、この「社会システムでクルマを動かす」路線を支持している。

 中国では北京市や広東省広州市、湖北省武漢市などで完全な無人運転タクシーの実用化が大きく進んでおり、累計の利用者はすでに数百万人に達している。このように中国で「クルマの無人化」が米国に先行する形で進行しているのは、その根底に「道路と一体となった運転システムで、決められた場所の間を結ぶ」という「車路協同」の発想があるからだ。背景には、技術的なボトルネックから、クルマ単体での完全自立型の自動運転の実現は非常に困難との悲観的な見通しが存在していた。

中国企業に欠ける大規模な学習データ

 ところがテスラは今回、E2E自動運転を事実上、実現した。それによって「AIがニューラルネットワークの自律的な判断力でクルマを走らせる」可能性が十分にあることを示した。これは「車路協同」を既定路線としてきた中国の自動運転業界にとっては、大きな環境変化だ。

資料画像。本文の内容とは関係ありません

 仮に中国国内では独自の都市基盤の整備を前提に、「車路協同」路線を推進するとしても、中国企業としては自社の自動運転システムをビジネスとして世界市場で展開したい。そのためには「クルマ単体で世界のどこにでも行ける」自立したE2Eの自動運転は、なんとしても実現する必要がある。

 しかしそのためには、ChatGPTと同様、最も重要なのが膨大な量の学習データである。世界各地で大量のEVユーザーを抱えるテスラにはそれがある。しかし中国企業はトレーニングのための十分なデータを持っていない。AIの進化による環境変化で、この点が中国の自動運転企業の課題になりつつある。

自動運転サービスの収益性に疑問符

 そしてもう一つの本質的な問題は、自動運転そのものの収益性だ。中国企業に限った話ではないが、自動運転技術の開発には莫大な投資が必要で、システムの維持・管理にも多額のコストがかかる。前述したように、自動運転企業の多くは継続的な赤字を続けている。仮に将来、技術的には自動運転システムが実用化レベルに達したとして、それをどのように自社の収益に結びつけるのか、その方途は必ずしも明確ではない。

 テスラの場合、2023年の売上高は968億米ドル(対前年比18.8%増)で、約150億米ドル(同19%増)の純利益をあげている。売上の主体は完成車の販売収益で、売上高全体の約85%を完成車の売上が占めている。前述したユーザー向けの有料運転支援サービス「FSD」の販売価格は、買い切りの場合8000米ドル、サブスクリプションは月額99米ドルに設定されている。利用者数をテスラは公表していないが、「FSD」サービスの比率は現時点ではまだ低く、売上高はテスラ全体からみればわずかなものにとどまるとみられる。

 一方、例えば中国の「自動運転3兄弟」は事実上、自動運転サービスの専業企業である。テスラのように柱となる収益源を持っているわけではない。開発したシステムを完成車メーカーに販売するのなら、車を買うユーザーはどこまでそれを望むのか。追加コストの負担をどこまで許容するのか。タクシー配車サービス企業に販売するのであれば、タクシー会社はそれでどれだけ収益増を見込めるのか。このあたりの本質的な問題に対して懐疑的な見方は中国国内でも強い。

 技術は加速度的に進化するが、経済問題がついていかない。自動運転の分野では、このような傾向は強まる一方だ。自動運転には、目先のサービスの収益だけでなく、モビリティの中核として、より大きな社会システムの一部という期待がある。その潜在的な価値は計り知れないものがあるにしても、必ずしも財務基盤の強固でない中国のスタートアップ企業にとって、早期の収益化は急務だ。

ロボットタクシー新型車両発表で株価急落

 10月上旬、テスラは米国カリフォルニア州でロボティクス領域の新製品発表イベント「We, Robot」を開催。「レベル4」の自動運転を目指す新型車両として、2人乗りのロボットタクシー「Cyber Cab」および20人乗りのバン「Rovan」を初公開した。

 ハンドルだけでなくアクセル、ブレーキのペダルもないという大胆な設計の「Cyber Cab」に乗ってイーロン・マスクCEOが登場する華やかなイベントだった。しかし、この発表会の翌日、テスラの株価は急落、238.77米ドルから217.80米ドルへと下落幅は9%を超えた。ロボットタクシーや「Rovan」を活用した人や貨物の輸送に対して、現時点で市場は大きな期待を持っていないことがはからずも示された形だ。

国内市場か、グローバルに打って出るか

 ChatGPTが日常生活や仕事の形を大きく変え始めているように、テスラが先鞭をつけたE2Eは自動運転の形を変えつつある。しかし、その革新的な技術が、私たちの生活にどのような新たな価値を生み出していくのか、まだ先は読めない。

 中国企業には、豊富な開発人材、EVの生産能力、政府の政策的支持など多くの優位性がある。今後、外国企業との協力によるグローバルな事業展開も確実に進んでいくだろう。しかしテスラに加え、やはり米国内で自動運転を展開するGoogle(アルファベット)傘下の自動運転企業「Waymo(ウェイモ)」などグローバル企業との競争に勝ち抜くのは容易なことではない。他の業界と同様、世界的な規模で、少数の「勝ち組」だけが生き残る「優勝劣敗」の二極分化が進むことは間違いない。

 中国の国内市場中心に独自路線を歩むか、グローバルな市場に打って出るか。AIが急速に進化する中、中国の自動運転企業は大きな岐路を迎えている。