次世代中国 一歩先の大市場を読む
AIの社会実装が急速に進む中国
ChatGPTとは競わず、産業力の強化に向かう
Text:田中 信彦
昨年11月末、ChatGPTが公開されて1年。中国でも大規模言語モデルは一躍注目を集め、IT巨頭は次々と研究の成果を発表している。
しかし中国では、ChatGPTに対する産業界の見方は冷静だ。一時のブームに踊ることなく、産業や社会の力を強化するAIの開発に専念すべきだとの意識が根強くある。そして実際に企業や社会のさまざまな領域で、独自のAIの実装が急速に進んでいる。
そこにあるのは現実的、実利的な発想だ。
中国には世界経済をけん引する強大な生産力、そして「強い政府」に率いられた圧倒的な社会実装の力がある。加えて、政府と企業が一体となった体制のもと、過去に蓄積された豊富なデータを活用し、企業や社会のニーズに基づいたAIを育てやすい強みもある。
中国のAIがグローバルな競争力を高めるには、こうした強みを活かすことが有効だ。ChatGPTの熱に沸く外の世界を横目に、地道に産業の力を強化していく戦略である。
中国のAIは独自の方向に歩みつつある。今回はこんな話をしたい。
田中 信彦 氏
ブライトンヒューマン(BRH)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「Pangu は『詩』をつくらない」
今年7月、ファーウェイ(華為科技)は広東省東莞市で開催したクラウドサービスの開発エンジニア大会で、自社の大規模言語モデル(LLM)の最新バージョン「Pangu(盤古)モデル3.0」を発表した。その際の基調講演で、ファーウェイクラウドCEO、張平安氏は「Pangu モデルは『詩』を作らない。『事』を進めるだけだ(『盘古大模型不作詩,只做事』)」と語った。
中国語の「詩」と「事」は発音が同じ「shi」であることにひっかけ、ChatGPTに代表される汎用人工知能が、文章や画像、音楽、動画など生成するアート的な用途に主に使われていることを揶揄して、「ファーウェイはもっと現実的な『事』しかやらない」とジョークを飛ばしたわけだ。
ちなみに「Pangu(盤古)」とは、中国の神話に登場する万物の創造主の名前である。2021年に公開された同社の大規模言語モデルをこう呼んでいる。
同氏はさらにこうも述べている。「詩や絵画はAIが人の代わりにつくるものではない。なぜなら詩や絵画は人類の個性や思想、創造性の発現だからだ」と。「AIには他にもっとやらせるべきことがある」と言いたいのだろう。
「詩を作らず、事を進める」。この一言には、現実を重視し、実利を重んじる中国社会の発想が端的に表れていて興味深い。
広い領域で実装が進むAI
中国では今年3月、中国最大の検索エンジンを擁するバイドゥ(Baidu)が対話型AI「文心一言(ERNIE Bot)」をスタート。続く4月にはアリババ(Alibaba)が同じく大規模言語モデル「通義千問(Tongyi Qianwen)」を公開した。
報道によれば、メジャーなものだけでも中国ではすでに80を超える大規模言語モデルが実用化されているという。
こうした中国企業の高い技術力、開発力、そして強力な計算力を基盤に、中国社会ではさまざまな領域でAIが急速に実装され始めている。
その動きはほぼ全産業にわたるが、ここでは中国政府が普及に力を入れ、中国社会の特徴をよく表していると思われる、医療、農業、都市管理の3つの領域の実例を見てみたい。
インテリジェント都市管理は中国のお家芸
中国でAIの社会実装といえば、最も特徴的なのは「城市治理(都市管理)」と呼ばれる、都市の美観や生活環境、治安維持の領域だろう。強い権力を持つ政府によるインテリジェント都市管理は中国の「お家芸」ともいうべきものだ。
全国の多くの都市でAIによる「城市治理」の取り組みは行われているが、代表的なのは広東省深圳市の事例である。深圳はご存知のようにファーウェイのお膝元だ。大規模モデルPangu 3.0は都市管理システムでも大きな役割を果たしている。
深圳市の中心部、福田区はその最も先端的な一種のモデル地区になっている。
市内の道路には金属製の街路灯のような形状の「インテリジェント多機能ポール」が一定間隔ごとに設置されている。このポールにはモニターカメラのほか、集音・録音機、Wi-Fiアクセスポイント、5G基地局の機能が一体的に備えられている。さらに周辺の気温や湿度、風速、大気汚染の程度、周辺の騒音を測定する機能もある。
また同区の上空は定期的にドローンが巡回し、街路の状況をモニタリングしている。市の担当部門は、これらのシステムから寄せられる情報をAIによって24時間体制で分析、監視を行っている。例えば、違法駐車やゴミの不法投棄、違法な路上営業、その他、不審な行動が検知されれば、機械で対処可能なものは即座に処理が行われ、必要があれば付近の警察官や「城管」と呼ばれる都市管理員が駆けつける体制になっている。
また同区では無人の路上清掃車が遠隔管理で巡回している。車体に取り付けられたカメラで路上のゴミを感知し、その形状などをAIが判断して適切な方法で処理する。落ち葉の集収や散水機能もある。時速5kmで走行した場合、1時間に1万㎡の清掃が可能。清掃員に換算すると6~9人の労働力に相当する。あるメディアが試しに路上にゴミ袋を放置してみたところ、上空のドローンに感知され、回収されるまでに5分もかからなかったという。
同区政府は「民意速弁(市民の要求を即座に処理する)」をスローガンに、「インテリジェントに事件を発見し、インテリジェントに分析し、インテリジェントに予防する」という方針で日常の都市管理を行っている。同区の発表によれば、過去に同区が受理した市民の投書や要望の98.82%が解決し、全体の満足率は99.4%に達したという。
こうした都市管理の仕組みを導入するには、技術力の高さもさることながら、個人情報や政府の役割に対する市民の受け止め方などといった「社会の意識」が大きな要素になる。ここがAIにとって最も重要なデータを集めるための核心部分だからだ。逆に言えば、このような仕組みが可能なことが中国の最大の強みともいえる。
市販薬のECから医療AIへ
医療の領域も同様だ。医療関連分野は中国でも政府の管理が厳格で、政府機関の積極的な関与なしには新たなサービスの導入は難しい。この点、中国は中央政府が音頭を取り、医学界、大手企業が一体となった体制を組むことでトータルなAI化を進めやすい強みがある。
中国の電子商取引(EC)大手、京東集団(JDドットコム)は、2022年の売上高が20兆円を超える中国の代表的なEC企業の一つだ。その京東グループの一員で、医薬品や医療関連商品・サービスを取り扱う企業が「京東健康」である。2022年の売上高は1兆円を超え、対前年比52.3%という高い成長を記録している。
同社の医薬品小売事業「DTP(Direct to Patient)薬房」は、中国の全31の一級行政区(日本の都道府県に相当)のうち26をカバーし、400種類の医薬品を扱う。同年の売上高は約8000億円、対前年比54.2%の伸び。医薬品の小売以外に個人会員を対象にしたリモート医療サービスなども提供している。
こうした事業から得られる顧客データなどを基盤に、同社は26社の製薬会社、178の研究開発機関、計4万3000人の医師と協力し、AIの大型モデル「京医千詢」を開発。これまで数多くの臨床試験や応用研究を行い、健康的な睡眠や皮膚の健康維持、糖尿病関連など幅広い領域で30以上の特許を取得している。
例えば、同社が自主開発した皮膚画像処理ソフトウェアは、100種類近くの皮膚病に対する100万件以上の過去の症例などを学習したAIが、患者の皮膚の画像データや動画などをもとに診断し、それをもとに医師が診察を行い、治療方法を立案する。ソフトウェアによる診断の正確度は95%に達しているという。
また同じく同社が独自開発した睡眠測定データ処理システムは、睡眠時の呼吸データをリアルタイムで記録。睡眠の状態と生理的な数値をAIが自動的に分析し、報告書と対策の提案書を作成して利用者に送付する。判定の正確さに加え、人の手を介さない気軽さと安心感で利用者の高い評価を得ている。
農業に特化した大型言語モデル「恵農AI」
農業も中国政府がAIの効果を強く期待する領域だ。習近平総書記が掲げる「共同富裕」の実現、社会的な格差是正の観点から、農業の生産性向上は優先度の高い課題になっている。
これまで農村部の教育水準の問題などから、データを重視した科学的な農業の普及には壁が高かった。しかしAIの進化で各種のデータや過去の経験値が活用しやすくなったことで農業の生産性が大きく改善する事例が出てきている。
代表的な事例が、農業に特化した大型言語モデル「恵農AI」だ。運営するのは中国内陸部の湖南省長沙市に拠点を置く湖南惠农科技有限公司。2013年、「農業のインターネット化」を掲げ、農産物の取引プラットフォーム「恵農網(CNHNB.COM)」を立ち上げた。
それまで中国の農家は農産物の市況に関する情報が乏しく、買い手の言い値で作物を出荷せざるを得ない状況が多かった。まずはその状況を変え、農家の競争力を上げることが必要だと考えたからだ。
当時、大手のECサイトは生鮮食品に本格的に取り組む例がまだ少なかったこともあり、スマートフォンが農村部にも普及する流れに乗り、「恵農網」は順調に拡大。これまでに全国21の一級行政区、2821の県で4000万戸の農家ユーザーを獲得。果物や野菜類、食肉、鶏卵、水産物、農産加工品、麺や食用油、種子、農業資材など2万アイテムを超える商品を扱う大型農業ECプラットフォームに成長している。
これを基盤に「恵農AI」は膨大なデータを学習。60万件以上の農業知識に関するQ&Aの機能を備え、農業従事者からの質問に対し、専門家が出したアドバイスをAIが各種データで補強し、スピーディーに回答する。また農業専門家らによる2500科目以上の専門講座を基礎に、AIによって農業技術者を育成する機能も備えている。
今後は農産物の市況をAIで予測し、農家の経営効率を高める機能を強化していくという。
実の大きさや色、茎の太さをAIが学習、作柄を予測
一方、EC大手のアリババグループは独自技術を活用し、農作物の生育状況モニタリングや成熟度の自動識別などの技術を全国の農家に対して提供している。
「果物の女王」の呼び名もある名産品のライチ(荔枝)の産地である広西壮族自治区霊山県では、ライチの栽培にAIを導入、今シーズンから本格的に稼働し始めた。
各農家がライチの栽培地に定点カメラやセンサーを設置、「妃子笑」「桂味」など5品種のライチについて実の大きさや色、枝や茎の太さなどの画像データを収集し、AIで学習する。その結果を活用することで、例年5月末頃に始まる収穫期の約3ヶ月前から、ほぼ正確な収穫時期や産量、その年の作柄が予測できるようになった。
これまでライチは豊作と不作の年の差が激しく、せっかく豊作でも近隣の生産者が同時期に大量に出荷するため市場価格が下がり、「豊作貧乏」に陥るなどの問題が絶えなかった。AIで精度の高い予測が可能になることで、例えば豊作が予想される年には事前に大都市や全国規模のECへの出荷を手配するなどして数量を分散、価格を維持する。一方、不作が見込まれる年には他の作物の作付けを増やしたり、事前に資金の手当をするなどの対策が立てやすくなった。
アリババグループは、浙江省象山県の特産品であるオレンジの品種「象山紅美人」についても同様の手法によって生産性向上に大きな効果をあげている。同県のある農家ではAIの導入によって、1ムー(約6.67アール)あたりの収穫高は400万円と、以前と比較して20倍に増えたという。
「世界に別の選択肢を提供する」
今年9月、上海で開かれたファーウェイのイベントで、同社の輪番董事長(当時)の孟晚舟氏は、すべての産業のAI化を掲げる「All Intelligence戦略」を発表。「この戦略のもと、確固たる計算力の基盤を今後も継続的につくり上げ、すべての産業、すべての社会に提供していく」としたうえで、それを基盤に「世界に別の選択肢を提供したい」と語った。
「別の選択肢」とは何か。
孟氏は明確には語っていないが、ChatGPTに代わる選択肢とも読めるし、あるいは「米国そのもの」に代わる選択肢かもしれない。
孟氏はファーウェイの創業者、任正非氏の実の娘である。2018年12月、米国の要請によってカナダ政府に逮捕され、3年近く事実上の軟禁生活を余儀なくされた。釈放後、専用機で中国に帰国し、愛国主義の象徴的存在として熱狂的に迎えられたことはご記憶の方も多いと思う。
米国の制裁がますます強化され、世界経済の分断が深まる中、米国に代わる選択肢を提供する意思表示とも読める発言が、孟氏の口からなされたことは注目される。その背景には、事態がここに至った以上、前に進む以外に道はないとの一種の覚悟、そして米国との競争に対する一定の自信があるように思える。
孟氏のスピーチ直前の今年8月、ファーウェイの最新スマートフォン「Mate 60シリーズ」に搭載されたチップ「麒麟9000s」が、回線幅7nm(ナノメートル)の超高度なプロセス技術で生産されたとの分析レポートをカナダの調査会社が発表、世界に衝撃が走った。
米国の厳しい制裁にもかかわらず、中国が独自の技術で先端製品を開発、継続的に成長できる可能性があることを示したからだ。こうした技術面での自信が、世界でより大きな役割を果たし、「もう一つの選択肢を提供する」との発言の背景にはあるのは間違いない。
「儲かるAI」で世界市場を狙う
ChatGPTを開発したOpenAIは米国に基盤があり、米マイクロソフトが深く関与している。GAFAM(グーグル、アップル、メタ=旧フェイスブック、アマゾン・ドット・コム、マイクロソフト)がすべて米国発の企業であるように、AIで米国の存在は圧倒的だ。
中国のIT大手も大規模言語モデルを開発しているとはいっても、最新のChatGPTとの差は大きい。その領域で正面から競争するのは得策ではない。中国のAIがグローバルな市場で競争力を持つには、中国社会の持つ特性を活かし、産業と直結し、経営効率を高められる、端的に言えば「儲かるAI」を提供することが最も現実的だ。
そのようなAIの開発は中国の得意とするところでもある。「一党専政」の強い政府が明確な方針を出し、そこに巨額の政府予算や投資資金が付き、企業が豊富なIT人材を投入し、さまざまな製品やサービスをスピーディーに実現する。
最大の強みは、強力な「手足」を持っていることだ。「手足」とは、他の国にはない強力な工業生産力、安価で高品質な製品の供給力である。世界的に見ると、「頭脳」を持っている国は中国以外にもあるが、十分な仕事のできる「手足」のある国は実は多くない。
AIとは、一言でいえば、過去の知識や経験の蓄積を分析、学習し、現状の課題をより適切に対応できるようにする道具である。
強力な生産力、供給力を持つ中国が、製品やサービスと合わせて実用性の高いAI提供すれば、多くの国で受け入れられる可能性がある。都市管理のAIにしても、政府が強い権力を持つ多くの国にとっては、中国型の管理システムは魅力的だ。グローバルな市場は大きい。
中国による「もう一つの選択肢」の実現は、あながち絵空事ではないように思える。
次世代中国