本文へ移動

入山章栄氏と考える「AI時代のデジタルエシックス変革論」

 本企画は、AIやデジタル技術が進化する中で重要性を増す「デジタルエシックス」を、各業界の有識者との対話を通じて深く探究するシリーズです。AIによる判断の透明性や社会との信頼関係が問われる今、テクノロジーと経営をつなぐ“デジタルエシックス”の視点が、企業の持続的な成長に不可欠になりつつあります。今回は、「両利きの経営」などの監訳・解説で知られる早稲田大学経営学者・入山 章栄氏を迎え、NECフェロー今岡 仁と共に、企業がこれからの時代にどのようにデジタルエシックスを取り込み、価値へと変えていくべきかを議論します。

NECの考えるデジタルエシックスとは

 デジタルエシックスとは、デジタル技術の活用において『何ができるか』だけでなく『何をすべきか』を問い、リスク管理に留まらず信頼や社会的価値を生み出すための行動指針です。

 AIやデジタル技術の進化が急激に進む中、企業経営で問われるのは「いかに信頼を築けるか」です。デジタルエシックスが、企業価値を守り、持続的成長を可能にする新たな経営判断の軸となると考えています。

SPEAKER 話し手

入山 章栄 氏

経営学者

早稲田大学大学院経営管理研究科教授。慶應義塾大学を卒業後、三菱総合研究所にてコンサルティング業務に従事。2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.(博士号)を取得。ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授を経て、2013年より早稲田大学ビジネススクールへ。「両利きの経営(知の探索と深化)」の重要性を日本企業に提唱した第一人者としても知られている。専門は経営戦略論および国際経営論で、国際的な主要経営学術誌に論文を多数発表しています。著書に『世界標準の経営理論』など。

今岡 仁

NECフェロー

顔認証技術の研究開発とグローバル事業化を主導。現在はその技術的なバックボーンを活かしながら、デジタルエシックスの浸透とさらなる探求を目指し、企業・自治体とのワークショップや対話・書籍執筆などを通じて発信を続けている。著書に『顔認証の教科書:明日のビジネスを創る最先端AIの世界』『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ』など。

1.「日本企業はチャンスだらけ」イノベーションの起点は企業文化にあり

今岡:入山先生は、「両利きの経営」の解説の中で、企業変革には「知の探索と知の深化」の両立が重要だと言及されています。デジタル・ディスラプション(デジタルによる破壊)によって既存のビジネスモデルやサービスのあり方が大きく変わってきている中、日本企業が変革を進めるために、どのようなことが必要でしょうか?

入山氏:日本企業は、自社の持つ一定分野の知を継続して深堀りし、磨き込んでいく「知の深化」は得意です。一方で、自社の既存の認知を超えて、遠くに認知を広げていこうとする「知の探索」においては、まだまだ課題がある企業も多いようにも感じます。世界的に見ると、「日本企業は、現場は強いが経営は弱い」と言われることも多々あります。事業が成熟するのに伴い、「知の深化」だけを突き詰めていく企業は多いですが、それだけだとある分野の技術や知見は貯まっても、イノベーションが枯渇してしまうこともあるのです。

今岡:それだけを聞くと、日本企業にとって「知の探索」は色々とハードルが高いように感じてしまいますね。

入山氏:そんなことはありません。むしろ、日本企業の中で「知の探索」が進んでいないからこそ、チャンスだらけだと思います。私は普段、早稲田大学のビジネススクールで教えているのですが、最も時間を使っているのは企業のトップと会話している時間です。私は現在5社の社外取締役を務めており、その中には「知の探索」に力を入れ、新たな挑戦に積極的に取り組む企業も増えています。 例えば、ロート製薬は「ビヨンド勤務」という、週3~4日勤務を選択できる制度を導入しました。これは単なる週休3・4日ではなく、休んだ日をリスキリングや社会活動などに充てることで、社員のスキルアップ、ひいては会社全体のイノベーションに繋げようという取り組みです。

今岡:「休みを成長と捉える」という発想がポジティブですね。企業変革を前提とした「知の探索」を推進していける企業とそうでない企業の違いはどんな所にあるのでしょうか?

入山氏:「トップの思想と企業文化が明確かどうか」ではないでしょうか。企業が変革を進めるうえで、企業活動のベースにある企業文化や企業風土がとても重要になってきます。世界的なメガ企業はもちろんのこと、日本企業でも、私が普段から関わりのあるオムロン、北國銀行、デュポン、サイボウズなどの企業はトップの哲学が明確で、企業文化も浸透しています。私が今個人的に日本の地方銀行で一番イケてると思っているのが北國銀行ですね。前頭取の杖村修司さんがすごい経営者で、日本で初めて銀行の勘定系システムを全部クラウド上に上げちゃった人なのですが、トップの哲学とそれをやりきれる企業文化がないとこんなことはできないですよね。

今岡:「企業変革の起点は、トップの思想と企業文化にあり」ということですね。企業文化とはどのように作っていけばよいのでしょうか?

入山氏:企業文化とは、自然に湧き上がってくるものではないので、意図的かつ戦略的に設計していかないといけないものだと私は思っています。経営の責任で、狙いを持って、しっかり何十年もかけて作り込んでいくしかない。企業文化や企業風土が何を指すかということを突き詰めていくと、結局は「行動」の集合体なのです。

今岡:「行動の集合体が企業文化をつくる」と聞くと、すごくイメージがしやすいです。企業文化が社員の行動に結びついたケースとして、何か事例などはありますか?

入山氏:東日本大震災の際、とある製パン会社の社員が示した行動は、企業文化が実際の行動につながった好例ではないでしょうか。被災地にパンを運搬中に地震に遭遇したその社員は、上司の許可を得ることなく、自らの判断で積んでいたパンを近隣の住民や被災した方々に配りました。会社の利益よりも社会のために行動するという価値観が日常的に根付いていたため、とっさの場面でも迅速に動けたのだと私は思っています。この行動はネットで話題になり、称賛され、株価も上がったそうです。

2. AI時代の武器は「決断力」。倫理は組織ではなく個人の「善」に宿る

今岡:いざという危機の時に人がどう行動するかというのは、その人が信じている倫理観や哲学によるところが大きいということですよね。デジタルにおいても、公式SNSの炎上リスクや、AIを広告に用いるリスクなど、社員一人ひとりの行動の是非が問われるシーンも増えてきています。そんな背景を踏まえ、NECは、AIやデジタル技術の進化が加速する現代社会において、これらの技術を正しく取り扱うための倫理を「デジタルエシックス」として位置づけています。入山先生はこの考え方について、どう思われますか?

入山氏:ものすごく大事になってくると思います。なぜなら、AIがほとんどのことをこなす時代において、人間に真に求められるのは「決断する力=意思決定力」だからです。

 今後は、明確な答えがある問題はAIが処理し、人間は「正解のない問い」に直面することが増えていくでしょう。その結果、人間には答えを見つける能力というよりも、「決断する力=意思決定力」がさらに求められることになります。この「決断する力」を支える基準となるのが、倫理観です。今岡さんは顔認証技術で世界一を獲られていますが、数えきれないほどの「決断」を行って来られたことかと思います。どういった判断基準であの一大プロジェクトを進められたのでしょうか?

今岡:私は徹底的に「グローバルに正しいこと」だけを意識してチャレンジし、壁にぶつかった際もそこを基準に決断をしてきました。当時は、「顔認証なんて正しく当たるかどうかわからない、ゲームのような認証手段の一つでしょう」と思われている部分もありました。ですが、NECは社会のインフラを提供する企業。だからこそ、NECでやるべきだと私は思ったのです。

入山氏:素晴らしいですね。先日NHKで放送された「新プロジェクトX ―マイクロソフトに挑んだ男たち」を拝見しましたが、本当に胸が熱くなりました。あの番組を見て改めて大事だと思ったのが、「自分の仕事にオーナーシップを持つこと」です。オーナーシップとはつまり、自分の人生をちゃんと生きて、この仕事は自分が果たすべき仕事だと思ってやっているかどうかということ。人間の正しい判断力は、日々の業務で社員一人ひとりが「オーナーシップ」を持つことで養われるのではないかと思います。

今岡:私の場合は、「顔認証で世界一になりたい!」という個人的な思いが強すぎたこともありましたが(笑)。個人のオーナーシップを考えたとき、企業のパーパスと同じ方向を向いているかどうか、というのがやはり重要になってくるのでしょうか?

入山氏:おっしゃる通りです。デジタルエシックス浸透のもう一つのポイントが、今おっしゃった「企業の倫理観と個人の倫理観の一致」です。個人の倫理観と、企業の倫理観が近いかどうかというのは、ものすごく重要で、それがしっかりリンクしていた場合、被災地でのパン会社の社員のようなことができるわけです。個々がオーナーシップを持つこととは、それと同時に倫理観を持って仕事に臨むということです。それはある意味、その人それぞれの「善」をもって仕事と向き合うということ。究極のところ、「デジタルエシックスは個人個人が持つべきもの」だということなのです。

今岡:それはつまり、企業文化に対して腹落ちした上で、「自分にとっての正しさ」を軸に日々の仕事に取り組むといったイメージでしょうか?

入山氏:まさにその感覚です。社員一人ひとりが「善」を考え、経営者と社員が同じビジョンを共有することが、企業にとって非常に重要です。例えばNECであればNECの価値観があると思います。一方、社員一人ひとりも個人として「自分はこういうことが善だと思う」という感覚を持っています。企業活動と個人の行動が同じ方向を向くことで、ビジネスとして正しいものを発信していけるのではないかと。

今岡:そういう意味では、顔認証で世界一を目指した際の私個人の想いと、NECが目指すビジョンというのは、ある程度合致していたように思いますね。

入山氏:今岡さんのオーナーシップと企業が目指すべき方向の一致は、最高のパターンだと思いますよ。今岡さんのミッションは、「顔認証で世界一を目指す」という「動詞」ではないですか?ミッションが「動詞」になった瞬間から、NECの社員としての肩書きでは生きていませんよね。これが「部長」とか「役職」といった「名詞」になってしまうと、途端にオーナーシップを失ってしまうんです。ですが、大企業ではいまだに「部長を目指す」みたいな人が多くて…。スタートアップ企業の経営陣と比べたときのオーナーシップの差は歴然ですよ。

3. CAIOと同時にCPO(最高哲学責任者)が必要な理由とは

今岡:デジタルエシックスを経営者の立場から考えたときに、具体的にどんな対策が考えられますか?人間はどうしても、何かを決断する時に、思い込みや同調圧力や固定観念など、バイアスが入ることがあると思っています。この見えない外圧に対して、いかに毅然としたスタンスで、かつニュートラルな視点で向き合うか。この不安を解決する策はありますか?

入山氏:先日、哲学者のマルクス・ガブリエル氏と対談する機会がありました。そこで彼が言っていたのが、「世界中の会社にCPO(最高哲学責任者 Chief Philosophy Officer)を入れるべきだ」と。近年、AIの進化に伴って、いろんな会社がCAIO(Chief AI Officer)を置き始めてきています。この流れは今後ますます加速していくと私は見ています。重要なのは、この後なのです。CAIOを置くのであれば、倫理的観点で経営判断ができるCPOをセットで置かないと正しい判断ができない可能性があるということ。これはまさに、デジタルが加速する現代で言うと、デジタルエシックスの観点そのものでもあります。AIは様々なことに対して答えは出せますが、判断はできない。正解が誰もわからないことは、人間の「善」で判断するしかないと思っています。

今岡:AIやデジタルを活用すればするほど便利にはなる一方で、「何が正しいのか」とか「自分たちは何を信じるのか」という点に置いて、客観的な判断基準がなくなってきますよね。顔認証技術においても、「すべての人の情報を顔認証で管理して個人の行動を監視する」といったことは技術的には可能であったとしても、「そこまでやるのが人間社会において果たして正しいのか?」という問いは出てきました。便利さや効率化というものは時に、人の判断を鈍らせるというか、盲目にさせてしまうリスクも秘めているような気がします。

入山氏:哲学的な観点でいうと、人類の共通善があるという人もいますし、共通善はないという人もいますので、答えは一つではありません。ただ、いずれにせよ、デジタルがさらに加速してどんどん便利で効率的な世の中になっていく際に、「我々はこういう社会が正しいと信じている」という倫理規範なり判断基準は絶対に必要ですよね。哲学を学ぶことが哲学ではなく、自分のチカラで考えることが本当の哲学なのだと思います。

今岡:AIをどんどん活用するのであれば、企業の最高哲学責任者としてCPOというポジションを置いてみる。そこから自社のデジタルエシックスを浸透させていくという経営手法もあるかもしれませんね。

4.「日本のブランド力×デジタルエシックス」で100億人マーケットへ挑む

今岡:最後に、今後の日本企業の可能性やチャンスについてお聞かせください。

入山氏:今世界の人口は増加の一途で、2061年には100億人を超えるとも言われています。一方で日本の人口は1億人を割り込むことが予想されています。これは人口で見たマーケットシェアでいうと、日本国内はもはや100分の1のマーケットでしかないことになります。だからこそ今、世界を相手に勝負していくいい機会だと捉えています。

今岡:そもそも、改めて考えると、日本という国はチャンスだらけですよね。私も顔認証の研究や調査で世界中をまわりましたが、諸外国に行くたびに、日本という国の素晴らしさを感じてきました。観光や食やアニメなど、日本が世界に誇れるカルチャーはたくさんあります。世界中が不安定な状況にある中、日本は安心安全な国として認識されていますし、その結果として半導体産業の集積も進んでいますよね。日本人の善意や優しさに感銘を受けたという外国人観光客の声もよく聞きます。これらを俯瞰で見ると、日本にとって大きなチャンスがあるように思えます。

入山氏:円安に関してはさまざまな議論がありますが、価格競争力が高まっているという点から見れば、日本のモノを売りやすくなるので、追い風と言えます。また、これからのIoT時代には、モノづくりに強みを持つ日本企業が、デジタルとネットワークの融合という新たな分野で活躍できる可能性が十分にあります。加えて、現在世界中から「最も住みたい国」として日本が注目されていることも、日本の魅力を高めている要因の一つだと思います。私が担当している早稲田大学ビジネススクールには世界各国から学生が集まってきますが、彼らはほぼ100%と言っていいほど、日本のアニメを愛しています。これらの事実からも、日本のアイデアやサービスが世界的に見て高いポテンシャルがあることは疑いようがありません。

今岡:ありがとうございます。その言葉に勇気をもらえました。日本の素晴らしい技術やアイデアを世界に発信し、競争力を高めていくためには、AIやデジタルのさらなる活用は欠かせません。それと同時に忘れてはいけないのは、それらを正しく活用するための倫理観「デジタルエシックス」。「テクノロジー」と「善意」を両立させることが、これからの日本企業の新たな光になってきそうですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。

企画・制作・編集:
NEC BluStellar ブランドマーケティンググループ(鈴木章太郎、若山拓巳、権田麻実)

取材ライター 編集後記:

 この度の対談を通じて、デジタルエシックスが持つ、現代における本質的な役割を深く再認識することができました。それは、単なる崇高な理想や掲げるべきスローガンではなく、AI時代において企業と個人が「正しい意思決定」を下すための、揺るぎない判断のモノサシであるということです。

 対談における、終始一貫したポジティブな空気感も印象的でした。AIの進化やビジネスモデルの劇的な変化を、企業存続を脅かす「ピンチ」として捉えるのではなく、むしろ企業が本質的な変革を成し遂げるための「稀有なチャンス」として捉え直す視点が、対話全体に力強い希望を与えていたように感じます。

 入山先生と今岡の示唆に富んだ応酬からは、デジタルエシックスを組織の基盤へと昇華させるための、具体的かつ複合的なロードマップが鮮やかに浮かび上がります。それは、「企業文化の意図的な設計」に始まり、「社員一人ひとりのオーナーシップの喚起」を経て、「企業の倫理観と個人の倫理観の一致」に至る、極めて実践的な道筋です。

 今後も、このデジタルエシックスという無限の可能性を秘めたテーマを、多角的な視点を持つ方々との対話を通じて、深く、そして丁寧に掘り下げてきたいと思います。