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多様な人同士の対話によってDXが加速する
デジタルエシックス(倫理)の本質と競争力との関係

 多くの企業がDXに取り組む一方、同時にAI(人工知能)やデータを正しく活用するためのポリシーやガイドラインを策定しようと動いている。その中で「デジタルエシックス(倫理)」について考え、実践することは、企業、ひいては社会に欠かせない取り組みである。では、どのように取り組むべきか。デンマークのロスキレ大学で研究を行っている安岡 美佳氏と、⼤阪⼤学 社会技術共創研究センター(ELSIセンター) センター長の岸本 充生氏を招いた2つの「対話」を通じて、それを考えた。

SPEAKER 話し手

安岡 美佳氏

研究者/教育者

大阪大学

岸本 充生氏

教授
社会技術共創研究センター センター長
データビリティフロンティア機構部門長

NEC

今岡 仁

フェロー

松本 真和

フェロー室長

伊藤 宏比古

産学官連携コーディネーター

対話1 デジタル先進国デンマークのエシックス

今岡:私はNECで長く顔認証の開発にかかわってきました。ほとんどの期間は、認証精度との戦いでしたが、ディープラーニングなどを活用して、飛躍的に精度を向上させることに成功すると、今度は別の問題に直面しました。「顔認証は公平か」と問われるようになったのです。近年、注目が高まっているデジタルエシックスですね。学習データが特定の人種に偏ってしまい、特定のグループに対する認証精度に問題があった海外での事例などがきっかけでしたが、正直にいうと最初は少し戸惑いました。

 しかし、現在は、社会に不可欠なDXを推進するために、デジタル分野の行動の軸となる考え方が求められているのだと受け止めています。決して、データの悪用、サイバーいじめ、デジタル依存症、AIによる失業など、デジタル活用のさまざまな懸念を指摘し、デジタル化を諦めようとさせているわけではありません。DXにおいて、技術をアクセル、デジタルエシックスをブレーキだととらえるむきもありますが、ブレーキになる技術もあれば、アクセルになるデジタルエシックスもある。デジタル分野の行動の軸となる考え方を定義し、共有することはDXの加速につながるはずです。

NEC
フェロー
今岡 仁
1997年NEC入社。NECの顔認証技術を応用した製品「NeoFace」の事業化に貢献。2009年より顔認証技術に関する米国国立標準技術研究所主催のベンチマークテストに参加し、世界No.1評価を獲得(2009年、2010年、2013年、2017年、2019年、2021年、2022年※)。東北大学特任教授(客員)、筑波大学客員教授。

安岡氏:私は2005年から北欧に住み、現在はデンマークのロスキレ大学でCSCW(Computer Supported Cooperative Work)、HCI(Human Computer Interaction)などの分野で研究を行っています。デンマークで暮らしているとさまざまなアプリケーションの基盤となるICTインフラを中心にデジタル化が進んでいることを日々感じますが、今岡さんのいうように、その根底には社会づくりの哲学や倫理があります。

研究者/教育者
安岡 美佳氏
北欧研究所主宰、ロスキレ大学 情報学 サステナブル・デジタリゼーション 准教授、一橋大学客員研究員、国際大学グローコム客員研究員。AI・ロボットを含めたITの社会実装など。2000年代からデジタルシティの研究に取り組み、電子政府、都市におけるデジタル化、スマートシティ、ソーシャルロボットAvatarの各種プロジェクトに関わる。

今岡:デンマークは、最新の調査ではアメリカに譲りましたが、昨年までは3年連続世界No.1(※)にランキングされるなど、デジタル競争力に対する評価が高い国ですね。一方、日本は最新のランキングでは32位。低迷しています。

  • 国際経営開発研究所(IMD)による「世界デジタル競争力ランキング」

安岡氏:デンマークのDXにおいて印象的なのは、国民が共通認識を持っていることです。「DXは何のため?」と問われて、日本のみなさんはどのように回答しますか。デンマークでは、ほとんどの人が「福祉国家を維持するため」と認識しています。福祉国家であり続けるために経済を回し、社会資源を平等に再配分する。それを実践するための手段の1つがデジタルだという共通認識があるのです。

今岡:デジタルエシックスについては、どのように取り組んでいるのでしょうか。

安岡氏:みんなで共創する。国民が決める。デンマークのデジタルエシックスは「対話」が基本にあります。「この技術を使うとどんなことが起こりうるか」「それは良いことか悪いことか」「あなたはどう思うか」など、デジタルを活用する際に、研究者、メディア、国民など、さまざまな立場の人が対話をすることが当たり前になっています。ここでいう対話は、結論を導くことが目的のディベートではありません。さまざまな人の考えを全員で知るための対話です。

今岡:多様性を大切にする北欧らしい文化ですね。

安岡氏:北欧にも人種や性別による差別はまだあり、完全に多様性が認められているとはいい切れません。でも、それらを解決し社会を良くしたい、そのために対話することを諦めていないということはいえます。

今岡:私は、デジタル分野の行動の軸となる考え方は、氷山のようなものと考えています。目の前に見えているのは明文化された法律やガイドラインですが、それらは一角に過ぎず、その下には、倫理、文化、社会などがある。日本にはルールに従うことは得意でも、倫理や文化を醸成するために不可欠な対話や議論は苦手な人が多いと思います。日本のDXには、対話がもっと必要なのかもしれません。

氷山のような構造をしている法と倫理

安岡氏:もちろんデンマークでも、対話に参加した全員が活発に発言をするわけではありません。ただ、発言は少なくても、興味がないわけではありません。参加している人は問題を自分事ととらえ、積極的な姿勢で対話に臨みます。

今岡:そうした社会や文化から生まれたのがデンマークの国立機関であるデンマークデザインセンターが開発したデジタルエシックスコンパスですね。データ、自動化、振る舞いという3つのカテゴリに分けられた22の問いを通じて、デジタルプロダクトやサービスのデザインがエシカルかどうかの思考を促す。質問はとてもわかりやすい上、具体的。「ネガティブな感情で弄ぶようなデザインになっていませんか?」「安っぽいトリックで製品に中毒性を持たせようとしていませんか?」といった質問を見て、ドキッとしたり、思わず苦笑いしたりする人もいるのではないでしょうか。NECも、このデジタルエシックスコンパスを日本語に翻訳し、参加者同士が対話を通じてデジタルエシックスについて考えるワークショップを開発しました。

安岡氏:NECが中心となって、日本でも対話の輪が広がることを期待しています。

対話2 デジタルエシックスを競争力に転換する

松本:デジタルエシックスは、デジタル化を前に進める原動力である事を、安岡先生と今岡が示してくれました。次は企業や組織がデジタルエシックスを競争力に転換するにはどうすればよいのかを考えたいと思います。まず岸本先生は、デジタルエシックスをどのように考えていますか。

NEC
フェロー室長
松本 真和
官公庁、通信キャリアを経て2021年よりNECに参画。政策・ルールに係る立案・活用に官民双方の立場から従事。現職では、DXの社会実装に係るソートリーダーシップ・パブリックアフェアーズ活動を推進。2023年より倫理を活用したデジタル化の推進に係る提言活動を開始している。

岸本氏:先ほど今岡さんが法律やガイドラインは氷山の一角で、その下には倫理、文化、社会があるという話をしましたが、実際、多くの人が法律だけではうまくいかないということを感じ始めているのではないでしょうか。法律上は問題なくても炎上する。ネット上には、こんな事例がたくさんありますね。理由の1つは、法律が技術革新のスピードについていけないから。そこで法律に代わる“拠り所”としてエシックスが注目されていると考えています。

大阪大学
教授
社会技術共創研究センター センター長
データビリティフロンティア機構部門長
岸本 充生氏
京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。通産省工業技術院資源環境技術総合研究所、産業技術総合研究所安全科学研究部門、東京大学公共政策大学院及び政策ビジョン研究センター特任教授などを経て、2017年から大阪大学データビリティフロンティア機構教授。2020年4月から新設された社会技術共創研究センター長を兼任している。

松本:では、デジタル活用を推進する中でデジタルエシックスを検討に組み込むには、どうすればよいのでしょうか。

岸本氏:エシックスという正解のないものを定義し、ある形に落とし込むのはプロセス、つまり手続きです。大学の研究における倫理審査のようなものですね。その手続きを作り、研究開発に組み込むには、まず「決め方」を決めなければいけません。デンマークでは対話で決めていると安岡先生が紹介してくれましたが、自分たちはどうするのか。まずは、それを決めなければいけません。

伊藤:現在、多くの企業がデジタルエシックスに関するポリシーを発表しています。そして、そのポリシーをいかに実践するかについても社会的な関心が高まっています。

 例えば、NECはAIの利活用においてプライバシーへの配慮や人権の尊重を最優先にするための指針として「NECグループ AIと人権に関するポリシー」を策定していますが、そのポリシーを実践する上では、経済産業省が公表した「AI原則実践のためのガバナンス・ガイドライン」のアジャイル・ガバナンスの枠組みに対応したガバナンス体制と全社規程を新たに設計しています。いわば、これがNECの「決め方」の1つといえるかもしれません。

NEC
産学官連携コーディネーター
伊藤 宏比古
NEC入社以来、地域住民との将来ビジョン作成やインドでのハッカソンによる社会ソリューション開発など、国内外でのオープンイノベーション業務に従事。2020年から、デジタルエシックスに関してのアカデミアとの産学連携活動を推進中。特にデジタルエシックスに携わる人材育成の方法論を探索・研究している。

松本:多様な人が対話をしながらDXを推進することは、やはり有効なようですね。実際、そのようなアプローチを採用している企業や組織も既にあります。

 1つ目は、医師の働き方改革に取り組んでいる東北大学病院様です。医療従事者の業務時間の削減と病院経営のクオリティ維持を両立させるために生成AIの活用に着目しています。その検討においては、技術開発の観点だけでなく、エシックスの観点も含めた2つの軸でリスクを洗い出し、どのような業務ならば低リスクで技術の恩恵を享受することが可能かを整理しました。その結果、最もリスクが低いと評価された医療従事者の業務効率化から実証を行う事が決まり、平均47%の作業時間削減につながることを確認しました。生成AIという先端的技術の活用においても、倫理的な検討プロセスを踏む事で、病院関係者の間で対話と納得感を得ながらプロジェクトが進められた好事例でした。

岸本氏:大阪大学ELSIセンターはメルカリ様と共に研究から開発、社会実装のフェーズまでを網羅する新たな倫理審査の枠組みを構築しました。過去の倫理審査議事録を分析し、汎用的に使えるチェック項目を抽出し、審査の効率化と非属人化を実現していますが、ここでも異なる部門間の対話や相互理解を重視しています。

伊藤:先ほど述べとおりNECも対話の重要性を認識しています。例えば、NECにはAI・データを利活用する人材育成に向けたプログラムとして、「NECアカデミー for AI」という場があるのですが、その場を通じた産学連携での研究で、多様な参加者でAIのリスクや対応策について対話することが、参加者の気付きや学びに大きくかかわることが見えてきました。立場や経験によって、考えるリスクや対応策もさまざまだからこそ、対話によって相手の見方を知り、互いが納得する対応策を一緒に考えることが重要だと気付けるのです。

岸本氏:技術と社会の間で課題を見つけ、その課題解決をリードできる人材の育成は、非常に重要な取り組みですね。

松本:デジタルエシックスはDXにブレーキをかけるものではなく、DXを加速させるものだと私たちは確信しています。ですから、日本のDXを前に進めるためのデジタルエシックスのThought Leadership活動にも積極的に取り組んでいます。先日『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ 対話が導く本気のデジタル社会の実現(ダイヤモンド社)』という書籍を発刊したのも、その一環です。また、NECの経験やノウハウをお客様にも還元するために、さまざまなフレームワークと、そのフレームワークを中心に据えたサービスを提供しています。この考え方をもとに社内外で対話を行い、伴走しながらデジタルエシックスを競争力に転換して、皆さんの組織のDX推進に貢献したいと考えています。