アニメプロデューサー・櫻井大樹氏と考える
アニメ制作に学ぶ“AI導入のリアル”とデジタルエシックス
本企画は、AIやデジタル技術が進化する中で重要性を増す「デジタルエシックス」を、各業界の有識者との対話を通じて深く探究するシリーズです。AIによる判断の透明性や社会との信頼関係が問われる今、テクノロジーと経営をつなぐ“デジタルエシックス”の視点が、企業の持続的な成長に不可欠になりつつあります。今回は、アニメのプロデューサーや脚本家として活躍し、現在はアニメ制作会社の代表を務める櫻井大樹氏を迎え、NECフェロー今岡仁、そして同じくNECでAIの事業実装に携わる松本真和と共に、作家性や職人技といった「人間ならではの価値」が中核にあるクリエイティブの世界にデジタル技術が導入されるとき、どんな摩擦や葛藤が生じるのかを掘り下げます。どのように対話と合意形成を重ねれば、創造性を損なわずに前へ進めるのか——その手がかりを、デジタルエシックスの視点から考えます。
NECの考えるデジタルエシックスとは
デジタルエシックスとは、デジタル技術の活用において『何ができるか』だけでなく『何をすべきか』を問い、リスク管理に留まらず信頼や社会的価値を生み出すための行動指針です。
AIやデジタル技術の進化が急激に進む中、企業経営で問われるのは「いかに信頼を築けるか」です。デジタルエシックスが、企業価値を守り、持続的成長を可能にする新たな経営判断の軸となると考えています。
SPEAKER 話し手

櫻井 大樹(櫻井 圭記)氏
株式会社サラマンダー(Salamander Pictures) 代表取締役社長
アニメプロデューサー・脚本家
アニメーション制作会社Production I.Gで、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の脚本家としてデビュー。その後、『精霊の守り人』、『レッドライン』、『おじゃる丸』などの有名作品で脚本家としてのキャリアを積む。『ジョバンニの島』という作品をきっかけにプロデューサーの仕事を開始。2017年にNetflixに入社し、アニメクリエイティブチームのディレクターとして活躍。『バイオハザード : インフィニット ダークネス』、『極主夫道』、『ポケモン コンシェルジュ』、『ガンダム: 復讐のレクイエム』そして『グリム組曲』などのアニメをプロデュース。退社後、2023年6月に株式会社サラマンダー(Salamander Pictures)を設立し、新たなアニメの企画開発に取り組んでいる。最新作は『プリズム輪舞曲』で、2026年1月15日よりNetflixにて配信中。

今岡 仁
NECフェロー
顔認証技術の研究開発とグローバル事業化を主導。現在はその技術的なバックボーンを活かしながら、デジタルエシックスの浸透とさらなる探求を目指し、企業・自治体とのワークショップや対話・書籍執筆などを通じて発信を続けている。著書に『顔認証の教科書:明日のビジネスを創る最先端AIの世界』『デジタルエシックスで日本の変革を加速せよ』など。

松本 真和
NEC フェロー室長
ビジネスイノベーション統括部 ディレクター
官公庁、通信キャリアを経て2021年よりNECに参画。政策・ルールに係る立案・活用に官民双方の立場から従事した。現職では、AIを活用した事業開発を統括、デジタルエシックスの体系化やパブリックアフェアーズを通じて、DXの推進に係る提言活動を推進している。これまで世界経済フォーラムフェロー、SDGs デジタル社会推進機構相談役などを歴任。
1.世界で売れるほど、現場は苦しい。アニメ制作を苦しめる“手戻り”の構造
今岡:本日はよろしくお願いいたします。最初に、ご経歴や現在のお仕事からお聞きしてもよろしいですか?
櫻井氏:櫻井と申します。アニメの脚本やプロデューサーを経験し、現在は株式会社サラマンダーというアニメ制作会社を立ち上げて代表を務めています。
株式会社サラマンダー(Salamander Pictures)代表取締役
今岡:ありがとうございます。アニメの制作現場の方だと思っていたら、学生時代は東京大学でAIやロボットなどの研究をされていたとお聞きしました。大変ユニークなご経歴で、自分とも近しいものを感じています。
櫻井氏:学部生時代は経済学をやっていたのですが、大学院に進む際に新領域創生科学研究科に進みました。僕の研究は「ロボットと接した時に人間がどのように変化するか」というのがテーマだったのですが、当時はあまり評価されませんでした。そんな時に、指導教諭の勧めもあってアニメ脚本の意見交換会に参加したことがきっかけで、アニメの道に進むことになりました。
未来のことって証明できないじゃないですか。でも、アニメのキャラクターのセリフとしてなら言ってもいい。それが先端的であればあるほどかっこいいとされる…それが「楽しいな」と感じました。
今岡:研究者としてのバックグラウンドを持つ櫻井さんならではの視点ですね。そんな中で櫻井さんは、AIやデジタルテクノロジーをアニメ制作に積極的に持ち込んでいらっしゃいますよね。そのきっかけなどを、お伺いしても良いでしょうか?
櫻井氏:僕はアニメ制作の現場に16年ほどいたのですが、業界の実情に大きな課題を感じていました。それは、予算や人数・時間を投じても、必ずしもクオリティに直結しない制作構造です。大前提として、アニメを作るにはものすごく人数が必要で、2時間の映画だと1000人規模が関わります。スタジオ内のコアメンバーは100人程度ですが、工程は階段状に進んでいるので、いわばウォーターフォール型の巨大な分業体制を敷いているのです。問題は、クオリティが基準に達していないものが上がってきてしまい、熟練者がゼロからやり直す“手戻り”がとても多いこと。体感としては全体の半分ほどのリソースが、その無駄な工程に吸い込まれてしまうこともあります。
今岡:なるほど、私たちもIT業界にいて、ソフトウェアを大規模のチームで作っているのでよくわかります。仕組みとして、途中でチェックすることは難しいのでしょうか?
櫻井氏:そうですね。最初のチェックで「これは作品に使えるクオリティではないな」と判定が出せるまでに、半年かかることもあります。「まだ描く気になりません」といった“アーティスト気質”のスタッフもいるので、品質管理がとても難しい。ただ逆に、これまでの全部の苦労が報われるくらいクオリティが高い仕上がりで出てくる場合もあって、「よく半年でここまでやってくれた」と思える瞬間もあります。だから、完全には今のやり方を否定できないとも思っています。
とはいえ、国内外のアニメ人気のおかげで仕事自体は増えているのに、少子高齢化で業界に入ってくる人材が少なくなっている。このままでは現場が持たない、制作スタッフが苦しむだけだ…と、ずっと危機感を感じていました。だから、この手戻りを少なくする方法はないのかなと考えて、AIなどデジタル技術の導入を試みたというのが最初のきっかけになります。
NECフェロー
2.受容と抵抗——クリエイティブ現場のAI導入のリアル
松本:NECでAIを使った事業開発のマネジメントをしている松本です。私は、社会や事業者がもっとAIを活用していけるように、前向きな議論を行うための羅針盤を作っていきたいという想いから、デジタルエシックスについて発信してきました。櫻井さんがアニメ業界で、クリエイターの世界観づくりを助けていくためにAI活用に取り組まれているということで、本日お話をお聞きするのを楽しみにしていました。
現状は、アニメの現場ではどのような形でAIが活用できると考えていますか?
NECフェロー室長
兼 ビジネスイノベーション統括部 ディレクター
櫻井氏:先ほどの手戻りの話からつながりますが、例えばAIが一度直してくれるとか、AIがラフで描いたものをクリエイターに参考資料として使ってもらうとか。クリエイターの仕事のヒントになるような使い方で、省力化・クオリティアップにつながらないか、ということは考えていますね。
あとは自社の取り組みで言うと、アニメの美術監督の画風を独自のAIに学習させ、背景の下絵(ラフ)に着彩する工程をAIに実行させる、ということも試験的にやっています。最終的には本人の手で直す工程があるのですが、言ってしまえば「自分のAIアシスタントがいる」というような感覚です。そして作品の制作が終わったら、そのAIモデルは破棄するという契約書もちゃんと事前に交わしています。そこまでセットで美術監督自身に「どうでしょうか?」とお伺いすると、「まあ問題ないんじゃないかな」という人も多いのです。
今岡:AIに作品を学習させるとなると嫌がる人も多いと思いますが、当事者との丁寧な対話や明確な契約でその障壁を乗り越えようとされていることに、非常にデジタルエシックス的な振る舞いを感じました。実際、対話したクリエイターからのご反応はどうですか?
櫻井氏:美術監督は通常、20人くらいのチームを束ねていて、そのスタイルを背景美術スタッフに倣って作画を進めていきます。つまり、もともと“自分の画風を他者に再現される側”でもある。美術監督は自分のトーンで世界観を統一したいから、最終的に人が描いていようが、AIが描いていようが、画風が統一できれば構わないという方が多いのです。一方で、スタッフはそうはいかないですよね。自分の仕事が無くなる、と感じてしまうでしょう。
また、「人が育たないから、教育のところは省いちゃいけない」という人もいれば、「育成している暇がないなら、AI導入を割り切るしかない」という人もいる。「残業は嫌だ。だったらAIにやらせよう」という人もいる。だから、AI導入は“技術の導入”というより、現場の価値観がそのまま露呈する。そこを避けて推し進めるのは難しいですね。
今岡:役割で受け止め方が変わる構図は、ITの現場でいうところのプログラマーとアーキテクトの関係とよく似ていて、実際プログラマーの仕事がどんどんAIに置き換わる一方、アーキテクトの重要性に注目が集まっています。今後、この流れはアニメ業界でも加速していくと思われますか?
櫻井氏:現実として少子高齢化が進み、現場には人が全く足りない。一方で日本のアニメの人気は上がり続けているので、国内外から発注が殺到している。そうなると、スタッフが1000人必要なのに数人~数十人しか集まらない…といった企画がたくさんあるわけですから、遅かれ早かれ仕事の進め方は変えていかないといけないと思います。ただ、現状は「AIが理解しやすい言い方」「意味が通りやすいプロンプト」を覚えないといけないといった心理的な障壁がありますね。少しでも思い通りの結果が出なかっただけでやめてしまったり、「なぜ機械に人間が合わせないといけないのか」と憤ったり。でもいずれはみんな慣れてくるのではないでしょうか。
今岡:まさに私が研究する顔認証も同じで、一度でも間違えたらダメだとなってしまう。でも、私たちのようなIT分野の人間だけじゃなく、クリエイターの人たちにも納得して技術を使っていただけるようになれば、様々な業界に拡がっていくのではないかと感じました。
3.AI時代における「人の価値」と、行動原理となるデジタルエシックス
今岡:クリエイティブの現場におけるAI活用という話になったところでお聞きしたいのが、デジタルエシックスの視点です。何でもAIが“作業”できるようになったとして、何をどこまでやらせるのか、どこからは人間がやるべきなのか。それを判断する行動原理となるのがデジタルエシックスなのだと考えているのですが、いかがでしょうか?
櫻井氏:デジタルエシックスというのは本当にいい言葉だなと思っていて、価値観というか、時代や定義によって流動的に変わっていくものだと受け止めました。例えば、AIはオリジナルを作る能力が無いと言われますが、そもそもオリジナリティとは何なのか?という疑問があります。既存の作品も元を辿れば、何かの作品から影響を受けてリミックスされたものとも言えると考えると、人は良くてAIがダメな根拠が曖昧になる。また、著作権は大事と言われながらも、もうその著作権すら曖昧な世界に僕らは生きていて、ますます明確に白黒つけられなくなってきている。そんな曖昧な中で指針となるのが「エシックス」であるというのは、頷ける話だと思います。
今岡:私も、デジタルエシックスは堅苦しいルールではないと思っていて。デジタル技術が便利になればなるほど、「どこに人としての価値を置くのか」が問われる。その判断の軸を、対話を通して現場と一緒に作っていく必要があると私たちは考えているのです。
櫻井氏:技術が進むと領域が広がる一方で、無くなる職業も出てきます。例えばタイピストは消えて、今は誰もがキーボードを打つようになりました。だから価値は「打つ技術」から、「何を打って、何を生むのか」に移っています。同じように、絵を描くことがいつかAIに代替されてしまうかもしれない。でも、その技術で何を描くのか。何を描かせるのか。そこにオリジナリティが宿る時代が来るのだろうな、と感じています。
タイパ・コスパが求められるトレンドは、そのうち終わると思います。そこはAIが最も得意な領域だからです。一方で人間は、機械やAIができないことをやることに意味が出てくるでしょう。非効率で手間のかかること、機械から見れば無意味とも思われるようなことに“挑戦”できるのが人間らしさという風に捉えられるようになってくる。そういった私たちの価値観の変化が起こってくるのではないでしょうか。
4.AIネイティブ時代の創作とクリエイターの可能性
松本:最後に、これからのAI時代におけるクリエイティブ業界の未来についてお聞きしたいです。櫻井さんを含め、今の現役のクリエイターは手を動かしてものづくりをしてきた実績がある方々ばかりだと思うのですが、AIが“作業”を代替するようになると、積み上げるものが異なってくるのではないでしょうか。そういったAIネイティブ世代のクリエイターについて、どうお考えですか?
櫻井氏:むしろ、作り手の裾野が大きく広がるメリットがあると思っています。今だと、手元のスマートフォンで映画まで撮ってしまう子どもだっていますよね。もちろん、粗悪な大量生産品みたいなものも出てくると思いますが、中にはアイデア一つでものすごく面白いものを作ってくる子もいます。今までは、絵が描ける大人数のスタッフを揃えて、お金と時間をかけて作るしか手段がなかったものが、誰もが創作にチャレンジできる世の中になります。限られた人だけがクリエイターだった世界から、別の入り口が増えていく。コンテが切れる、演出ができる、世界観を設計できる、あるいは「何を作りたいか」を言葉にできるという能力がより重要になってきます。AIは、その入り口を増やす方向にも働くはずです。
今岡:AIを活用して作るスピードは上がり、様々な経験や感性を持つ作り手が参入する。その“裾野が広がる”ことは、人手不足な制作現場の未来も明るくしますね。一方で、既存のクリエイターにとっては複雑な想いもあるかと思います。
櫻井氏:過去にカメラが発明された時、絵画は大きなダメージを受けたとよく言われますよね。確かに写実的な肖像画は減りましたが、違う方向を目指そうとして印象派などの新たな表現が生まれました。技術には到達できないところを新たに開拓するというのは、人間が持つ最大のクリエイティビティです。そのため、技術の進化と共に、また新たな表現が生まれてくるのではないかと思います。
また、AIが反復的な作業や下準備を支えてくれるなら、クリエイターはより本質的なところに時間を使えるようになります。遠回りにも見える試行錯誤や探索が、作品の核に届くことがある。AIが効率を押し上げるほど、人間はその“遠回りの意味”を選び直す時間を得られます。それは、既存のクリエイターにとっても希望になると思っています。
今岡:だからこそ、デジタルエシックス(行動原理)が非常に大事なのではないかと感じました。AIネイティブ世代にとって、倫理や原理は「やってはダメ」を並べるものではなく、「安心して一緒に作るための作法」――共創のUIみたいなものになるかもしれないですね。そこが整えば、多様なクリエイターが入ってきて、新しい魅力が生まれていく。私は、そういう未来の方が現実的だと思いました。
櫻井氏:僕の本当の理想は、今まで通りのやり方で仕事をやることです。今まで通り、1000人を集めてアニメを作りたい。人の手で作る作品には、やはりクラフトマンシップが宿ると、今でも思っています。でも、人が減る中でそれを実現しようとすれば、必ず徹夜・残業・過重労働の世界になってしまう。これでは業界が成り立たないし、若い人たちの価値観にも合わない。でも作品は作らないといけない。じゃあどうするかという時に、AIや最新技術と手を取り合って、建設的な未来を描いていければと、そういう風に思っています。
今岡:その世界を、デジタルエシックスという共通の行動原理を通じて、対話しながら実現していけると良いと思いました。本日は貴重なお話をありがとうございました。
企画・制作・編集:
NEC BluStellar ブランドマーケティンググループ(鈴木章太郎、若山拓巳、権田麻実)
編集後記:
今回の対談では長年アニメ業界に身を置く櫻井さんにお話をお伺いし、世界的な評価を獲得する一方で、制作現場が疲弊しているアニメ制作業界の現状と、その中にAIやデジタル技術をどう重ね合わせていくのかを議論しました。技術先行ではなく、あくまで現場の課題から語られた視点は、多くの産業に通じるリアリティを持っていたと感じます。
印象的だったのは、「手戻り」という言葉に象徴される制作構造の歪みです。ただでさえ少ないリソースが無制限に消費されてしまう現実は、努力や根性論では解決できません。櫻井さんのAI活用は、効率化そのものを目的にするのではなく、クリエイターが本来向き合うべき創作の時間を取り戻すための手段として位置づけられていました。
一方で、AI導入が現場の価値観を露わにするという指摘も示唆的でした。立場や経験によって受け止め方が分かれ、そこに不安や抵抗が生まれる。だからこそ必要なのが、当事者であるクリエイターとの丁寧な対話であり、その土台となるのがデジタルエシックスなのだと気づかされました。
効率や最適化の先に、人間は何に時間を使うのか。非効率で遠回りとも思える試行錯誤にこそ価値が宿る未来を、技術と対話によって実現していく。創作の喜びを次世代につないでいくために、AIと人が手を取り合う――そんな現実的で希望のある未来像を強く感じることができる対談でした。