

【激震する業界地図】Vol.1
AIの進化が描く、データドリブン経営の「現在」と「未来」
テクノロジーの進化により、業界の境界線が急速に溶解しつつある。異業種からの参入は、もはや想定内の“常識”となった。いかに最新のテクノロジーを採り入れ、自社の強みを活かした強固なビジネスモデルを構築できるか――これは企業の生き残りを左右する重要な課題だろう。本シリーズでは「激震する業界地図」をテーマに、向こう数年で起こりうる構造変化を大胆に予測。その第1弾となる今回は、「流通・小売業」と「データドリブン経営」に焦点を当てた。“選ばれ続ける”企業であるためのデータ活用とはどうあるべきか。立教大学ビジネススクールの田中 道昭教授とホスト役のビービット日本リージョン代表の藤井 保文氏がその展望を語り合った。
SPEAKER 話し手

田中 道昭(たなか みちあき)氏
立教大学ビジネススクール
教授

藤井 保文(ふじい やすふみ)氏
株式会社ビービット
日本リージョン代表
最新テクノロジーイベントで見えたAIの驚異的な進化とその行く末
藤井氏:これまでのデータドリブン経営では、データの収集や分析に多くの時間とリソースが割かれてきました。例えば、私たちビービットが手掛けるDXのコンサルティングにおいても、データ基盤の整備や収集、分析が中心的な課題となっています。
田中氏:データの収集や分析が効率的でないため、データドリブン経営の効果が十分に発揮されていないことが課題です。特にデータの活用が全社レベルで進んでいない点も問題です。「データがあってもどう活用すればよいのかわからない」「ビジネスアクションにつながらない」など、データドリブン経営がうまく進まないと悩む企業は少なくありません。

大学院ビジネスデザイン研究科
教授
田中 道昭氏
三菱東京UFJ銀行投資銀行部門調査役、シティバンク資産証券部トランザクター(バイスプレジデント)、バンクオブアメリカ証券会社ストラクチャードファイナンス部長(プリンシパル)、ABNアムロ証券会社オリジネーション本部長(マネージングディレクター)等を歴任し、現在は立教大学ビジネススクール(大学院ビジネスデザイン研究科)教授や株式会社マージングポイント代表取締役社長を務めている。テレビ東京WBSコメンテーター、テレビ朝日ワイドスクランブル月曜レギュラーコメンテーター。シカゴ大学経営大学院MBA
藤井氏:まだ課題の多いデータ活用ですが、生成AIの登場以降は、そうしたパラダイムが大きく転換しつつあるように思えます。その点についてはどうお考えですか。
田中氏:2025年1月、米国ラスベガスの「CES 2025(米国・ラスベガスで2025年1月7~10日に開催される世界最大のテクノロジー見本市)」に行ってきたのですが、生成AIやAIエージェント、フィジカルAI、デジタルツインなどの驚異的な進歩にあまりに衝撃を受けて、今日ぜひ藤井さんとこの話がしたかったんです。こうしたテクノロジーの進化によって、今後はデータ活用の手法が抜本的に変わっていくと思います。
なかでも印象的だったのが、NVIDIAの基調講演です。今年のCESでは「AIエージェント(自律的に意思決定も行える対話型のAI)」が中核になるといわれていたのですが、この講演では、AIエージェントの次に来る「フィジカルAI(現実世界で物理的な作業も行えるAI)」までが提示されていた。社員一人ひとりに専用のAIエージェントがいて、そのAIエージェント同士がやりとりしながら仕事をするという世界観が提示されたのです。
また、デジタルツインもアップデートされ、世界中の工場がデジタルツインを持つようになる、という予測もありました。
藤井氏:生成AIについては、どんな世界観が提示されたのですか。
田中氏:生成AIの進化によって、AIエージェントがホワイトカラーの仕事を代行する時代がいよいよ到来したということです。
NVIDIAは形式的にはGPUで売上を上げていますが、今回のCESでは、自動運転車やロボット、いわゆるフィジカルAIを搭載する「Cosmos(コスモス)」というプラットフォームを提示していました。むしろ「AIのプラットフォームとエコシステムを提供することで、GPUを売っていく」という世界観を鮮明にしたわけです。
当面は3~5年かけて、さまざまな業界にAIエージェントが浸透していくと思います。フィジカルAIはおそらくデジタルツインで具現化されていくと思いますが、デジタルツインも数年前と比べると、格段に低コストで構築できるようになりました。倉庫や工場では、「人やロボットがどう動けば最適化できるのか」ということを、デジタルツインで試してからリアルで実現するという形になるでしょう。
藤井氏:確かにAIエージェントが普及すれば、データ活用のあり方は大きく変わっていくかもしれません。従来のDXでは「データドリブン経営が重要だ」という話があり、日本企業はデータを蓄積して、データ活用の基盤を整備してきたわけです。ところが、先ほど触れたようにデータの活用用途を考えられる人材は限られており、せっかくデータを貯めてもあまり有効活用できなかった。今後AIエージェントが普及すれば、蓄積したデータが財産になる可能性もあるのではないでしょうか。

日本リージョン代表
藤井 保文(ふじい やすふみ)氏
東京大学大学院修了。上海・台北・東京を拠点に活動。国内外のUX思想を探究し、実践者として企業・政府へのアドバイザリーに取り組む。AIやスマートシティ、メディアや文化の専門家とも意見を交わし、人と社会の新しい在り方を模索し続けている。著作『アフターデジタル』シリーズ(日経BP)は累計22万部。最新作『ジャーニーシフト』では、東南アジアのOMO、地方創生、Web3など最新事例を紐解き、アフターデジタル以降の「提供価値」の変質について解説している。ニュースレター「After Digital Inspiration Letter」では、UXやビジネス、マーケティング、カルチャーの最新情報を発信中。
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田中氏:それは大いにあるでしょうね。従来のデータ管理は、Excelで煩雑に管理し、整合性の課題に直面することが少なくありませんでした。しかし、生成AIの進化により、データの収集や分析に長けた人材がいなくとも、そして社内でデータが分散していても、AIエージェントがその作業をしてくれるので、眠っていたデータが本当に財産になる時代が来たと思います。
日本の小売業でもデータドリブン経営が広がりつつある
藤井氏:「5年間DXをやって、データも貯めたのに成果が出ていない」という話をよく聞きますが、そうした企業にとっては朗報となるかもしれませんね。ただそうした未来を待たずとも、既に国内外で先進的なデータ活用を実践する事例も出てきています。田中さんの専門領域の1つである流通・小売業界では、どのような事例に注目されていますか。
田中氏:テクノロジーの活用という意味では、やはり米ウォルマートが筆頭に挙げられます。ウォルマートは10年以上前に、現在のCEOが「テクノロジー企業になる」と宣言して、企業文化を刷新し、DXを推進してきました。その後、コロナ禍で三密回避の需要が拡大したため、ウォルマートのスマホアプリが一気に浸透したわけです。
2021年にはWalmart ConnectというWebベースのリテールメディアを立ち上げ、2024年にはスマホをベースとした「リテールメディア3.0」の仕組みを構築。顧客とスマホでつながることによって、データが直接取れるようになっただけでなく、リアル店舗内のテクノロジーも進化して、店舗内でワン・ツー・ワン(個客にパーソナライズされた)マーケティングができるようになっています。
さらに、Walmart Luminate(ルミネット)というメーカー向けの有料データサービスも行っていて、なんと大手メーカーの9割が契約しています。メーカーはこのサービスを通じて、広告の費用対効果を見ることもできるし、ウォルマートの店舗在庫の情報をほぼリアルタイムで見ることもできます。
ウォルマートはDXの本質を理解して、企業文化の刷新に手を付け、消費者と直接つながった。そして広告事業を展開し、メーカー向けのデータサービスも提供している。まさにデータドリブン企業として進化を遂げたわけです。

藤井氏:ウォルマートは2016年にJet.comを買収して、EC事業を強化しています。それまでは未知の世界だったデジタルの文化をうまく吸収したことが、ウォルマートの現在の隆盛につながった部分もあるのでしょうね。一方で日本の流通・小売業の動きはいかがでしょうか。
田中氏:日本の小売業についていえば、データドリブン経営を取り巻く状況はここ1、2年でかなり変わりつつあります。ごく一部の先駆的な小売の会社は、データドリブンを実践して集めたデータを売り始めていますし、さらには自社でデータを集めるのみならず、外部からデータを買う動きも出始めています。
「構造化データ」が中心の時代には、データを買うことはそれほど簡単ではありませんでした。「データを買ったがうまく検索できない」「データの信頼性が保てない」といった問題はその1つです。
しかし、先ほど触れた最新AIの登場が、こうした状況を変えていくでしょう。市場予測であれば、自社の戦略に合わせて、外部から買って来たデータをベースに解析することもできますし、うまく整合性が取れたロジックをAIに組ませてデータをクレンジングすることもできる。その意味では、小売業のデータ活用のあり方も大きく変わりつつあると思います。

非構造化データの活用と“選美眼”が経営を変える
藤井氏:生成AIが従来の「構造化データ」と「非構造化データ」にあった壁を壊してくれれば、できることもおのずと広がっていくでしょうね。

田中氏:その通りです。僕は2023年末に小売業向けのコンサルティングで生成AIを使い始めたのですが、その中核となったのが「非構造化データ」でした。
「MD(マーチャンダイジング:商品の企画・販売戦略)」のもと、商品をどの場所にどう配置するか。「さらにVMD(Visual Merchandising:商品をより魅力的に見せるための陳列方法や店内の演出などのマーケティング手法)をどうミックスするか」という話は、どちらかといえばアートの世界に近い。今までは気の利いた店長やバイヤー、SV(スーパーバイザー)が、経験と勘も使って考えていたわけですが、結局のところ、それはすべて画像で分析できてしまうんです。
今までプロが視覚を使ってやってきたことが、小売の世界では生成AIでできるようになった。こうなると、商品のセレクトからVMDの展開に至るまで、何もかも生成AIでできてしまうわけです。
藤井氏:AIの進化によってデータ活用のあり方が変わるとすると、企業におけるデータドリブン経営の進め方も変わってくるでしょうね。
田中氏:そうですね。AIエージェントに全部任せればいいじゃないか、という話になるので、データドリブンの手法は抜本的に変わると思います。
藤井氏:そうなると、取るべきデータの種類が変わるし、データサイエンティストに求められる役割も変わるので、大量にデータサイエンティストを採用する必要はなくなってしまう。「AIが出す99点の回答を120点に引き上げることができる人材」をいかに採用・育成するかが重要で、これからは人材戦略や採用戦略が肝になってくるのではないかと思います。
田中氏:生成AIの登場で、世の中では「これからの人間に求められる能力は、“問いを立てる”能力だ」といわれていますが、「問いを立てる」ことだって生成AIはできるわけです。ただ、生成AIにアシストしてもらいつつも、「自分たちの会社は何をすべきか」という問いを立てられる人間こそ重要だというのは、10年後も100年後も変わらないと思います。私は最近、自分で生成AIやエージェントAIを使っていて、自分の仕事が深まってきたという感覚を得ています。本当に使いこなせれば、自分の仕事がなくなるのではなく、自分の仕事が深まるのではないかと思っています。
藤井氏:重要なのは、「これだ」と思える“選美眼”があるかどうかだと思うんです。AIを使っていると、「こんなに膨大な量の回答をもらっても」と思うこともしばしばです。その意味では「いかに選ぶか」という選美眼が大事だと思いますし、それをいかに育てるか、集めるかが重要になってくると思います。

スピード感のある企業文化なくして変化の大波は乗り切れない
藤井氏:データドリブン経営を進めていく上で、人材戦略以外に重要なポイントは何だと思われますか。
田中氏:変化のスピードについていくためには「企業文化」も重要だと思います。
例えば、企業の間では、AIの回答精度を向上させるべく、RAG(検索拡張生成)を活用する動きが進んでいます。3年前までは大企業の超高性能コンピュータでないとできなかったことも、AIやデータ分析の民主化が進んだことで、「2年前につくったRAGだと役に立たない。むしろ、個人で使っているGPTのほうが優秀だ」という話になりつつある。
技術は日々進化しているので、スタートアップのように相当スピーディな企業文化でないとついていけない。その意味で、企業文化は一番重要ではないかと思います。
藤井氏:経営者目線や戦略立案者の視点に立って、組織文化としてどう移行していくのか。そこまで考えない限り、小手先ではうまくいかないということですね。今後、AIエージェントの台頭によってデータ活用のあり方が大きく変わるとすると、企業としてはこの大変革の波をどう乗り切ればいいと思いますか。
田中氏:生成AIやAIエージェントの時代が到来してしまった今、もはや「一定のプロセスを経てから生成AIを導入する」という話では遅すぎる。これだけ進化が激しいと、テクノロジーは絶え間なく陳腐化していく。今後どうなるかを予見し、その時点で一気に導入するしかないと思います。
藤井氏:そうですね。生成AIの導入にあたっては、①ルールを決める、②社内で使う、③社外で使う、という3ステップで進めている会社が多いのですが、「それはやめてください、全部同時にやってください」と僕は言っているんです。
なぜかというと、ルールを決めている間に何かが起きたり、「みんなが慣れたら次に行こう」といっている間に仕組みが変わったりして、ルールを決め直さないといけなくなるんですね。だから、僕はそれを全部同時並行でやってもらいたいし、ルールも常にチューニングし続けるぐらいのつもりでやってください、と言っています。
田中氏:大変革の波を乗り切るという意味では、データドリブン経営自体の重要性はこれからも変わらない。AIエージェントが本格的な普及期を迎えようとしている今、人がやるべきことは、「AIが出した分析結果をベースに、熟慮して結論を出す」こと、そして、「ブラックボックス化の一途をたどるAIの分析過程をしっかり理解する」ことだと思います。
藤井氏:データやそれを扱うAIの民主化は諸刃の剣であり、個々の企業がそれとどう向き合うかが今後のすう勢を分けるということですね。本日はありがとうございました。
