

次世代中国 一歩先の大市場を読む
揺らぐ成長期待、危機感高まる中国の経営者たち
「日本見直し」気分の背景にあるもの
Text:田中 信彦
2019年も押し詰まり、これが年内最後の新規掲載となる。この1年を通じて私が最も強く感じたのは、中国の経営者たちの考え方が大きく変化したことである。ひとことで言うと、中国経済や自身の会社の将来に対する危機感が高まり、おしなべて謙虚になった――という印象が強い。もちろん個人差や業界差のあることで一括りにはできないが、最近、業績が比較的好調で、成長している企業の経営者ほどそういう傾向が強いと感じる。
最近の中国では一種の「日本見直し」的な気分が出てきている。その背景に米国との対立による、別カードとしての対日接近みたいな政治的思惑もあるのは確かだ。しかし、個々の企業レベルでみると、それよりは、客観的に見て、中国の企業家にとって最も学ぶ価値が高く、現実に役に立つのが日本の発想であり、文化であったという面が大きい。そこには過去に何度かあった「日本ブーム」とは異なる、成熟した見方がある。
これはとても歓迎すべきことで、日本人や日本企業にとって大きなチャンスである。今回はこのあたりの話をしたい。


田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
「穴」の底から這い上がった中国経済
今から9年前、この「Wisdom」の「深層中国~巨大市場の底流を読む」という連載で「平準化が進む日本と中国」と題する文章を書いたことがある(第22回 、2010年7月5日)。そこで以下のような例え話をした。少し長いが引用する。
砂場に大きな穴を掘って、掘り出した砂を脇に積み上げて山を作ったとする。そこに雨が降れば、砂山は徐々に崩れて穴に流れ込み、しばらくすれば穴は自然にふさがり、山は平らになってしまうだろう。それを防ぐには、穴と砂山の間に柵を作って人為的に保護しなければならない。しかし、山や穴が高く(深く)なればなるほど、山や穴を守るために必要なコストは大きくなる。どこかで支えきれなくなれば、崩壊してコントロール不能になってしまう。
かつての中国はこの例え話でいう「穴」であり、先進諸国は「山」である。中国の指導者は1970年代末、穴を囲っていた柵の維持を早々に諦め、外から砂が流れ込むことを容認(歓迎?)する方針に転換した。地球上にはいまだに柵を取り払っていない国も存在することを考えれば、これは極めて賢明な判断だったと思う。
なにしろ巨大な穴の囲いが取り払われたので、周囲の山から激流のごとく砂が流れ込んだ。穴の埋まるスピードは驚くべきものだった。現在の中国は、この穴が完全に埋まり切ってはいないものの、ある程度まで砂で満たされつつあり、砂の流入ペースが落ち始めた段階にあると私は見ている。先に述べたように、労働力需給がタイトになっていること、そして低賃金が最大の競争力だった労働力に、賃金上昇、待遇改善、労働者の権利意識の覚醒といった過去とは異質の状況が生まれてきていることは、その端的な現れにほかならない。
高速の「上りエスカレーター」の上で事業をしていた
これは9年前の状況で、現在はこれよりもさらに「穴」が埋まり、かなり平らに近くなった状況と言えるだろう。場所によっては「穴」どころか、砂が積もって「山」になってきた部分もあるかもしれない。
そこで書いたように、「穴」は自然の力に任せていれば、黙っていても埋まっていく。もともと「穴」に囲いをつくって守っていたこと自体が不自然だったのだから、それを取り払えば穴が埋まる(穴の底が上昇する)のは道理である。中国には世界中から資金が流れ込み、経済をがんじがらめに縛っていた政治的制約が取り払われた人々は喜び勇んで商売に励んだ。

中国の人々は大いに奮闘したし、もともと潜在力が極めて高い国であることは言うまでもない。「穴」が埋まるプロセスでは、人々の努力が大きく作用したのはもちろんである。しかし、そうではあるが、「穴」が埋まる過程で、この例え話のような世界経済の構造が存在したことは事実で、何もしなくても成長したとは言わないが、非常に高速な上りエスカレーターの上で経済活動をしていたことは間違いない。
「自信過剰」だった中国の人々
しかし残念なことに、というか当事者からすれば当然かもしれないが、中国の人々は当時、そのことを自分ではほとんど認識していなかった。経済成長は自分たち自身の努力、そして民族の優秀さによるものだという認識がほとんどだった。
再び同じく9年前の文章から引用する。
最近、中国の若手経営者や研究者などと議論していると、昨今のすさまじいまでの成長に自信過剰になっている人が少なくない。中国が経済成長したのは、もともと民族的に優れているからだといった、まるでひところの日本人みたいなことを言い出す人もいる。そういう時には、こんな話をすることにしている。
「中国社会がかつての深い穴のどん底から、地面と平らになろうかというレベルまで上がってきたプロセスは称賛に値する。しかし、山から流れてきた砂で穴が埋まる過程と、平らな地面に砂を積み上げて山を作る作業は、その難度が全く違う。中国の穴は確かに埋まりつつあるが、まだ山を作ったわけではない。自慢するのは山ができてからにしたほうがいい」
こんな説教をしても、わからない人はわからないが、多少ものを考える頭を持っている人は、「なるほど」と納得してくれる。要するにこれまでの中国の経済成長は、柵を取り払ったことによって、なかば自動的に外の世界との格差が埋まってきた面が大きい。問題はこれからで、山は黙っていたのでは積み上がらない。山を作るためには――これまでの先進諸国がそうだったように――かなりの無理をしなければならない。中国でそれが可能かどうかは、まだわからない。
日本で「考え方」を学ぶ
それから9年の歳月が経って、中国の(まっとうな)経営者たちは「穴」がすでにおおかた埋まってしまい、これ以上、自動的には上がらないことに気づき始めた。そして自分たちの力で「山」を積み上げることは、「穴」が埋まるプロセスほど容易ではないことを自覚しつつある。これはまさに成熟というべきで、彼(女)らの発想が次第に客観的になり、日本を見直し始めたのは、そういう意識が根底にあるからだ。
私の友人で、上海市内を中心に100店舗ほどの主に女性向けの雑貨、インナーなどのチェーンを展開している経営者がいる。売上高は年間、日本円で数十億円というレベルで、中華系の派手なデザインではなく、どちらかというと無印良品的な、ナチュラルで落ち着いた感じのテイストで若い女性の顧客が多い。勉強熱心な人で、常に最新のトレンドの研究と品質改善の工夫を怠らない。

未上場だが、もちろん経済的には成功した経営者といえる。先日、テスラの大きなスポーツカーで迎えに来てくれてご飯を食べに行った。話題に出るのは会社の将来をどうしたらいいかという話ばかりである。
「いろいろ苦労はあったけど、ここまではなんとかやってこれた。海外の商品を研究して、中国のお客の好みに合わせてアレンジし、真面目に品質管理をし、お洒落な店舗を設計してフランチャイズを募集すれば、100店舗ぐらいはなんとかなる。もちろん簡単ではないけど。でも問題はこれから」
「商品はデザインもまあまあだし、正直、値段の割に品質も悪くないと思う。でも、結局はそれだけで、何か“これ”というものがあるわけじゃない。これまでは新しいショッピングモールがどんどんできて、そこに入れば店は増えたけど、それも頭打ち。ここからもう一段、成長しようと思ったら、何かウチにしかない独自の商品やユニークなテイストがないといけない。でも小さな会社だから、私一人で全部考えなきゃならない」
悩める彼女が最近、頻繁に足を運ぶのが日本である。1人で行くこともあるし、会社のスタッフを連れて行くこともある。それは日本社会の「考え方」を学ぶためだという。
「商品のヒントを探すとか、そういう話じゃない。学ばなければいけないのは『考え方』。私も商売やっているから、日本でいいブランドや店舗を見れば、『考え方』の深さが違うのはわかる。商品開発にしても、ディスプレイにしても、接客にしても、店ごとの独自の発想と個性があって、それを実行できる仕組みがある。私もそうなりたいけど、どうやったらなれるのか、わからない。日本の文化なのかな」
率直に言ってしまえば、これまでの商売は、ネタをどこからか持ってきて、それを中国のリソースを使ってヨコ展開すれば、なんとかなった。しかし、多くの会社が同じことをやるから、同質化した商品が市場にあふれ、どんどん儲からなくなる。そこから抜け出るには他人頼みでない、独自のものを持たなければならない。それにはこれまでと違う労力と時間が必要だ。中国でも、まともな経営者はその困難は承知のうえで、その道を歩むしかないと考え始めている。