次世代中国 一歩先の大市場を読む
電子化の道をひた走る「強い政府」
経済の根幹を握る「発票(ファーピャオ)」のしくみ
Text:田中 信彦
「発票(fapiao、ファーピャオ)」は日本の皆さんにはなじみが薄い言葉だと思うが、中国では日常生活に深く根を張っていて、仕事や商売をしていれば否応なく向き合わざるを得ない存在である。発票とは何かというと、主に増値税(消費税のような付加価値税の一種)管理の目的で、世の中で行われるあらゆる商取引に対して、税務当局がその取引の存在を証明し、取引内容を確認する証憑のことである。
日本では、企業や個人が当該年度の会計処理をして利益を確定し、税務署に自己申告して、税務当局とのやりとりをする。中国はそうではない。詳しくは後述するが、中国では発票の存在を通じて、税務当局が民間のあらゆる取引の発生段階から関与し、経済活動のプロセスを各段階で把握する仕組みが出来上がっている。
これは発票がすべて紙だった時代からそうだったが、昨今、デジタル化の進展で、この仕組みの精度が飛躍的に高まっている。要は個人も企業も銀行も、何らかの商取引を行った瞬間、すべてのデータが統一の識別番号を通じて税務当局とリアルタイムで共有され、発票が発行される──ことが当たり前になりつつある。
これは企業や個人の生む付加価値を素早く把握し、徴税したいと考える税務当局にとって極めて効率の高い仕組みである。近年、アリペイ(支付宝)やウィチャットペイ(微信支付)など電子的な支払い手段の普及にともない、個人の信用情報が蓄積され、ポイント制による信用格付けが広がるなどの問題が注目されている。しかしそのはるか以前、「紙」の時代から中国の企業や個人の経済活動は発票を通じて税務当局に把握されている。
近年、中国の会計処理や徴税の仕組みが猛スピードで電子化する背景には、「紙」の時代からこうした仕組みが存在したという経緯がある。さらに最近、ブロックチェーンの技術を用いた、より信頼度の高い「電子発票」の仕組みが普及し始め、その動きはますます加速している。こうした中国社会の状況を把握するには、まずは「発票」そのものの機能に対する正確な理解が不可欠だ。今回はこのあたりの話をしたい。
SUMMARY サマリー
田中 信彦 氏
BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(非常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に大手企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。
商取引の存在を税務当局が証明
発票についての説明が難しいのは、同様のものが日本社会には存在しないからである。中国でビジネスに関わる日本人の間では、発票は「領収書」もしくは「請求書」と認識されていることがよくある。それは間違いではないが、発票の機能の一面でしかない。発票とは、上述したように税務当局が「取引の存在を認定する」証明書のことである。税務当局はいわば民間の取引の「公証人」のような役割をする。取引には売り手と買い手がいるわけで、売り手は請求書を発行してお金を受け取り、買い手はお金を払って領収証をもらう。そのやりとりにおいて「そういう取引があった」ことを税務当局が証明するのが発票である。だから売り手から見れば発票は「請求書」の機能を持ち、買い手から見れば「領収証」の役割を持つ。
このあたりの事情は「発票の発行と金銭の授受はどちらが先なのか」とか、「どのタイミングで発票を発行し、いつ商品を渡すのか」とか、現場ではいろいろ複雑なケースがあるが、「発票の使い方」は今回の記事の趣旨と直接の関係はないので、詳細は省く。つまるところ発票とは、日本でいうところの請求書や領収書の機能も持つが、本質的な意味はそこではなく、「税務当局が取引の存在と中身を確認する証憑」であることがポイントだ。
中国では「増値税」と呼ばれる付加価値税が税収の4割以上を占める重要な税金になっている。増値税の考え方は基本的に日本の消費税と同じで、企業は、ある商品を販売した時に受け取った増値税から、その商品を仕入れた際に支払った増値税の金額を差し引き、差額を当局に納税する。その際に計算の根拠になるのが「仕入れ」と「販売」という2つの取引で発行された発票である。つまり企業はあらゆる商行為を行うごとに、その一つひとつの取引について税務当局に報告し、税務当局はその取引の存在と中身を認証した「発票」を発行する。企業はそれを保管しておいて、会計処理を行い、税務当局に報告する──というやり方になる。
税務当局と企業は一体不可分
発票が紙であれば、企業は税務当局から通し番号入りの発票の用紙を購入し、代金を受け取った側(売り手)が必要事項を記入して買い手に渡す。昨今はこれが急速にデジタル化されており、企業は商取引の発生時に、税務当局が提供する電子的なプラットフォーム上で、固有の納税者識別番号を入力し「電子発票」を作成することが増えてきている。
日本の場合であれば、企業がどの企業や個人と、いつ、どのような取引をしたかはあくまで企業や個人のレベルの話であって、取引発生の段階でいちいちそれを税務当局が把握するわけではない。後日、企業や個人が会計処理をして、税務署は申告内容に基づいてそれが適正かどうかを判断する。もちろん内容に疑義があれば質問したり調査したりする権限を持つが、「調査権限がある」ことと、「取引内容をリアルタイムで把握している」ことはまったく意味が違う。
中国では、企業や個人は個々の取引の結果をすべて税務当局と共有し、発票という形で一つひとつに「お墨付き」を得ないと利益を確定することができないし、決算書を作成することもできない。言ってしまえば、税務当局と企業活動は「車の両輪」というか、事実上、一体不可分の存在である。この点はあまり指摘する人がいないけれど、ここは中国の経営の大きな特徴だと思う。
出張経費もごまかせない?
たとえば私が中国のホテルに泊まったとしよう。自腹で旅行するならどうでもいい話だが、それを出張経費として会社に精算を行うとする。その場合、私は「自分がホテルに宿泊して代金を支払った」という取引について、税務当局がその存在と内容を証明した書類の作成をホテルに対して要求する。つまり発票である。
ホテルのフロント担当者は、税務当局と連結したシステムの上で必要事項を入力して発票を作成する。そこには私の会社とホテルという当事者双方の納税者識別番号、日付や取引内容が記されている。この段階でホテルと私(の会社)間の取引は税務当局と共有される。私はその発票を証拠として経理担当と旅費の精算をする。これは日本で言うところの領収書の機能だが、日本では領収書は自社で作成したり、文具店で買ってきたりするものだけれど、中国の発票は税務当局とつながったシステム上にある。この違いは大きい。
また、たとえば上海市内のマクドナルドで私がハンバーガーを食べたとする。するとレシートの下のほうに大きな二次元バーコードが印刷されている。これをウィチャットペイなどのアプリでスキャンすると、発票作成用のフォーマットが立ち上がる。ウィチャットペイの発票発行システムには全国3000万社以上の企業のデータが登録されており、社名の一部を書き込むだけでデータを呼び出せる。ここに必要事項を入力し、ボタンを押せば、「支払方」が私の会社、「受取方」が中国のマクドナルド運営会社となった発票が瞬時に完成する。
中国の企業は基本的に1カ月ごとに税務当局に「財務報表(財務報告書)」を提出する。これも少し前まで紙だったが、昨今は電子データである。私の会社が税務当局に収支報告書を提出した際、この田中某なる者が本当にこのホテルに宿泊したのか、そのマクドナルドで本当に食事をしてその金額を支払ったのか、税務当局は識別番号を通じて即座に確認できる。取引の発生時から情報を共有しているのだから当たり前である。不正を行うのもなかなか難しい。