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2020年01月24日

次世代中国 一歩先の大市場を読む

米中対立は「文明の衝突」か~大きく変わる中国の世界観

「文明の衝突」中国語版は2013年に新版発行

 「文明」というコンセプトは、昨年4月のスキナー局長の発言によって始めて中国国内で注目を集めるようになったわけではない。ここ数年、中国では「文明」というワードが頻繁に聞かれるようになっていたことは事実だ。

 日本でも広く読まれたサミュエル・P・ハンティントン著「文明の衝突」(原題は『The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order』(文明化の衝突と世界秩序の再創造))が米国で出版されたのは1996年。日本語版はその2年後、1998年に出ている。中国でも2002年に中国語版が出版された。

サミュエル・ハチントン著「文明の衝突」(中国語版)。2002年に出版され、13年には新版が出て中国でも大きな反響を呼んだ

 同書が大きな話題を呼んだ日本と異なり、中国では出版としてそれほど成功したとは言えない。その理由は、同書中で「中華文明」は一つの文明として扱われているものの、1996年の初版当時、中国の国力はまだ低く、「衝突」の主役にはなっていなかったこと、中国人自身も「文明」としての現代中国という意識がまだ明確になっていなかったことなどが理由ではないかと思われる。

 リーマンショックで世界経済が打撃を受ける中、中国がそれをしのいで「世界の救世主」と呼ばれたのが2008~2009年、日本を抜いてGDP世界第2位になったのが2010年で、中国人自身の大国意識が急速に高まってきたのはこのあたりからだ。同書も2013年に新版が出て、話題を呼んだのはむしろその後のことである。

官製「アジア文明対話」が目指すもの

 そして2019年5月には中国の習近平国家主席の呼びかけで、初めての「アジア文明対話大会」が北京で開かれている。これは時期的には前述したスキナー局長の「文明の衝突」発言の直後になったが、そもそもの構想は2015年の「ボアオ・アジア・フォーラム」で習氏が提唱したもので、スキナー局長発言と直接の関係はない。

2019年5月、北京で開かれた初めての「アジア文明対話大会」。中国の習近平国家主席が提唱し、アジア47カ国から代表が参加。日本からは福田康夫元首相らが出席した

 この大会で習氏は、米国を名指しこそしなかったものの、「人類社会にはさまざまな傲慢や偏見も存在しており、一部の人々は自らの文明が最も優れていると考え、”文明の衝突”に執着し、他の文明を否定したり、作り変えようとしたり、取って代わったりしようとして、ついには戦争や災難を引き起こした。目下、このような”文明の衝突”を吹聴する人々は依然として存在し、平和と発展という2つの世界の主流に破壊をもたらした」(「北京週報日本語版」2019年5月16日)と米国をあてこすった。

 この催しは全くの官製イベントで、いかにも宣伝臭が強く、日本のメディアでは習氏のこの発言以外、伝えられることはほとんどなかったが、中国側の発表によれば、アジア地域の全47カ国から約2000人が参加、日本からも福田康夫元首相らが出席している。

「文明の衝突」ではなく「文明の力比べ」

 こうした「アジア地域の対話」を目的とした大イベントを行うのも、中国の為政者が「国家」ではなく「文明」というレベルでアジアを代表するのだという意志があり、そのための「アジア(中華)文明」という枠組みを構築したいと考えているからだろう。「文明の衝突」という米国高官の発言を公式には激しく非難するものの、中国の為政者の意識には、文明の「衝突」とまでは言わないまでも、「文明」という枠組みは確固としてあり、その概念を西洋サイドが率先して言い出してくれたことを実は歓迎しているのではないかと思う。

 アメリカと戦争をする気はないだろうが、要は「西洋文明」そのものに見切りを付けたように見える。どうせ衰退するのだから、あえて「衝突」する必要はない。真っ向勝負、「文明」そのものの力で西洋を超えようという壮大というか、無謀というか、いかにも中国らしい発想を持ちつつあるのではないか──というのが私の見立てである。米中対立は「文明の衝突」というよりは「文明の力比べ」といった様相になると思う。

文化でつながる日本と中国

 そして、その中国が思い描くところの「アジア(中華)文明」の中には当然、重要なピースとして日本が含まれている。

 以前、このwisdom「次世代中国 一歩先の大市場を読む」で、「古き良き中国は日本にあり~自らの文化を再発見する中国の人々」と題する原稿を書いたことがある(2017年06月20日)。その趣旨は、中国の経済水準が上がり、人々の自信が強まるにしたがって、自国の文化に対する誇り、愛着が高まっている。ところが中国は相次ぐ戦乱や政治的混乱などで古い歴史的文物や風習が失われてしまったケースが多い。一方、唐や宋の時代から中国と深い交流があった日本には逆にそうしたものが数多く残っている。最近、日本を訪れる中国人客が増えるにつれ、失われた「古き良き中国」を日本で発見し、感動する中国人が増えている──といった内容である。

 これは本当のことで、日本に来ることで、そこに中国文化との深い関係、共通性を発見し、日本に強い好感、愛着を持つようになった人を私は数多く見ている。前述した金教授も「日本は何でもアメリカの言いなり、米国の属国などと悪口を言う中国人は多い。しかし実際に日本に行ってみれば、社会のいたる所に日本独自の文化がある。これが日本の尊敬すべき点だ。逆に中国のほうが伝統的な文化を捨て去ってしまっていることに気がつく中国人は多い」と話していた。

「対抗すべき相手は別にいる」

 かつての中国人の多くは、日本に対して強い「被害者意識」を持っていたと思う。それは消えたわけではないが、総合的な国力で日本を圧倒的に上回り、世界における存在感も格段の差がついたことで、その感覚は徐々に薄れつつある。むしろ前回の連載で書いたように、高学歴化が進み、情報の流通が増え、グローバルに移動する人が増えたおかげで、物事の見方はより客観的になり、日本に親近感を覚える人が増えている。

 中国を中心とした「アジア文明」という概念を、今後の中国が中心的な枠組みとして世界に主張していくとなれば、日本はその有力な構成員であり、不可欠の存在になる。中国の立場から大胆に翻訳すれば「確かにかつて中国と日本は敵対したが、それは”民族レベル”の話であって、”文明レベル”では中国と日本は重要な仲間である。本当に対抗すべき相手は別にいる」。こんな言い方になるのかもしれない。

 もちろんこれは中国の勝手な目論見であって、それが「正しい」わけではないし、実際にそうなるかどうかはわからない。「中国の日米分断工作だ」「朝貢体制の復活だ」といった批判はあろうし、それもその通りだろう。今の中国の体制に文明の中核となるに足る信頼感があるとは私も思わない。しかし中国の権力者、そして普通の人々も含めて、こうした「文明の力比べ」的意識が広く共有されつつあることは間違いなく、そのことは昨今の中国の人たちの日本国や日本人に対する好感度の高まりの一つの背景になっている。

 このような現実に向き合って、日本国、日本人はどう対応するか。これはまさに歴史的な大問題で、すぐさま結論が出るものではない。しかし、日本人の米国に対する信頼感もいささかの揺らぎが見えてきた感がある今、本当に相手が「その気」だったらどうするのか、考えておかなければならないと思う。

田中 信彦(たなか のぶひこ)氏

BHCC(Brighton Human Capital Consulting Co, Ltd. Beijing)パートナー。亜細亜大学大学院アジア・国際経営戦略研究科(MBA)講師(⾮常勤)。前リクルート ワークス研究所客員研究員
1983年早稲田大学政治経済学部卒。新聞社を経て、90年代初頭から中国での人事マネジメント領域で執筆、コンサルティング活動に従事。(株)リクルート中国プロジェクト、ファーストリテイリング中国事業などに参画。上海と東京を拠点に⼤⼿企業等のコンサルタント、アドバイザーとして活躍している。近著に「スッキリ中国論 スジの日本、量の中国」(日経BP社)。

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